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第三十三話「覚悟の重さ」


 朝の日を浴び、深緑の匂いを吸い込む。

 すっきりとした頭、軽やかな身体と少しの緊張感。

 けれど、それとは裏腹に、気分は晴れない。

 私は草の根を踏み分けながら、前を行く紫白へ呼びかけた。


「紫白、本当に山道通らないで良かった? やっぱり、時間がかかるでしょう?」

「良いんですよ、安全が第一ですから。それに、貴女と過ごす時間が増えるなら役得です」


 本心なのか、気遣いなのか。

 いや、彼は私の生い立ちを知っている。きっと気遣いに違いない。

 私は申し訳ない気持ちで、「ありがとう」と小さく呟いた。


 現在私たちは、道無き道を歩いている。

 当初、進む予定だった川沿いの登山道は、目的地までの最短ルートとはいえ、その途中に私が昔居た村があると推測できた。

 山道は人の作った道であり、当然ながら人と遭遇する危険も高い。

 死神の森を進むのは危険だと商人は言った。

 けれど、冷静に考えれば、長年そこで暮らしていた紫白がいる現状、山道を迂回して森を進む方が安全に思える。

 だから今朝、私は紫白に提案を持ちかけた。

 『登山道は村人と会う危険が高いよ。登らずに、山の外周を歩いて行こう』と。


 ……なんて、理論然と話したけれど、本心は村人が怖いから避けて通りたいだけだ。

 良く寝て、回転の早くなった頭は、危険の回避を真っ先に考えた。


 紫白はそれを聞くと察したように一つ頷き、さっさと経路を決め、人里が近いから俊歩は使えないと謝罪した後、今日はどのくらい歩くのか教えてくれた。

 旅が長引くほど、疲れは溜まるし、危険も増える。 

 本当は遠回りするのも、山道を通るのと同等に危険だと分かっていた。


 意識を目の前に戻せば、私が歩きやすいよう草をかき分ける、頼もしい紫白の背中が見える。

 私がもう一度礼を告げれば、彼は不思議そうな顔でこちらを振り返った。


「椿、どうかしたんですか? なんだか、いつもより元気がないような……あ、おぶりましょうか?」

「大丈夫、なんでもない。紫白って、頼りになるなぁと思っただけ」

「っ!……そ、そうですか? ありがとうございます」


 紫白が顔を赤らめながら、慌てたように告げるのを見て、私はふふっと笑う。

 いつも通りな紫白に、なんだか肩の力が抜けた。


 川、生け贄、死ぬ夢。

 自分で思っていたよりも、堪えていたのだろう。

 じゃなきゃ、村での事を思い出して、こんなに沈んだ気持ちになるわけが無い。

 これまでは、そんなことなかったし。


 私は村での記憶を思考から追い出して、紫白の後ろをしっかりと着いて歩いた。

 たわいない会話をしながら、しばらく。

 突然、近くの茂みが揺れた。


「……っ!?」


 村人か、妖か。

 身構えた瞬間、中から小さな獣が飛び出す。

 紫白が私を庇うように前へ出た。

 茶色い毛をした犬のような生き物は、牙を剥き出し、紫白へと狙いを定め跳躍……しようとして、その場に固まった。

 心なしか、怯えているように見える。


「去れ」


 低い声で紡がれた紫白の一言。

 獣はそれを聞くや否や「キャンキャン」と、か細く鳴き、元来た茂みの中へ逃げ帰って行った。


「……今のは?」

「送り犬です。僕との力量差に気付かなかったようで」

「ん、と。妖気……いや、霊力的なので追い払ったってこと?」

「どちらかと言えば、本能的な感、でしょうか? 強い者には喧嘩を売らない。動物も妖も、共通の理です」


 紫白は、やれやれと溜め息をついた。

 なるほど。よく分からないが、そういうものらしい。


「まあ、安心して下さい。普通なら、他者の縄張りにはまず近きません。自分より強い相手なら、尚更です」

「へぇ……」


 縄張りって、動物か!と突っ込みたくなったが、そういえば紫白は狐だった。

 さっきの妖怪も、ほぼ犬だったし。もふもふした毛並みで、可愛いかったな……。


 触り心地を夢想していると、紫白はハッと何かに気づいたように、私を見て眉を(しか)めた。


「まさか、あれを見て、可愛いとか思ってます?」

「えーっと、いやぁ……ソンナコトナイデスヨ」


 図星すぎて、思わず片言になってしまった。

 紫白は不服そうに告げる。


「毛並みも愛嬌も、送り犬より、猫又(ねこまた)より、僕が一番ですから! ですよね、椿!?」


 おお、猫又さんの件、まだ根に持ってたんだね。というか、そこ張り合うの?

 紫白の中で、譲れない何かがあるらしい。


「そうだね。紫白が一番、かな?」


 若干悩みつつも、少し背を伸ばして、狐時の紫白へするようにぽんぽんと頭を撫でる。

 すると紫白は、嬉しそうに目を細めた。


 ……可愛いなぁ。

 って、私は年上の男性相手に何を考えているんだ? 動物型でない紫白相手に、こんな気持ちになるとか、色々問題がある気がする。


 複雑な気持ちになったが、背を屈め、頭を撫でられいる彼は幸せそうだ。


「まあ、いっか……」


 私はぼそりと独り言ちて、撫でる手に意識を戻した。



******



 空を切る音がして、黒い(すずめ)のような妖が一心不乱にこちらへ飛んで来る。

 群がられれば、押し潰されそうな量。

 彼らのくちばしは鋭く、突かれれば血が出るに違いない。


「ーー(ほむら)よ」


 紫白の声と共に小さな炎が浮かび上がり、雀の群れを散らす。大多数は逃げるように飛び去った。


「いけっ、水鉄砲!」


 残った数羽目掛けて水を放てば、彼らも慌ただしくその場を離れていく。

 鳥の影を見送りながら、私は近くの木にもたれかかった。


「ふぅ……このところ、多いね。それに、なんだか見境いが無くなってる気がする」

「そうですね。凶暴化している、というよりも……理性を失いかけているような。村が近づいている証拠でしょう」


 山に入ってから、数日。

 巫女のいる村に近づくにつれ、妖怪に襲われることが増えていた。

 初めは紫白の気配に怯え、逃げていた妖達だが、最近は怯むことなく特攻を仕掛けて来る。

 おかげで、紫白と会話せずとも迎撃出来るまでになってしまった。

 今のところ大丈夫とはいえ、この先もこんな攻防が続くとなると身が持たない。

 ただでさえ、獣道を進んでいる疲れもある。

 いくら熟眠できるようになっても、体力の底は上がらないのだ。


 ぐったりしていると、紫白が私の前までやって来て、額の汗を拭ってくれた。


「大丈夫ですか? やはり、僕がおぶるか抱き抱えて運びましょう」

「もー、紫白は私を甘やかし過ぎだよ。少し休んだら、動けるから」

「好きな人には、なんだってしてあげたくなるんです」

「……また、そういうこと言う」


 紫白の甘い台詞は、やはり何度聞いても慣れないな。

 顔の熱を散らしながら、先程の言葉を訊き返す。


「それより、さっきの。村が近いとなんで妖が凶暴化するの?」

「あぁ、それは、さっきの妖達が人由来のものだからですよ。霊力持ちの(たぬき)(いたち)も居ましたが、彼らのようにはなっていなかったでしょう?」

「人由来……? あ、福さんが前話してた」


 もやの話をしていた時に、教えてもらった話だ。確か、妖怪は人の恐怖や疑念から生まれるってやつ。

 私が納得したのを見て、紫白が言葉を続けた。


「人由来の妖はね、歪みやすいんですよ。弱い者ほど顕著に、その在り方を変えられてしまう。人から生まれたものだから、人にそうであれと望まれてしまえば、逆らえない」


 言葉の意味を飲み込むより先に、紫白が更に言葉を紡ぐ。


「この先は村ですからね。きっと多くの人間がいるんでしょう。妖をこんな風にする人間など、(ろく)な者では無いでしょうが」

「……さっきの子達は、自分の意思とは関係無く、あんなに攻撃的になっていたということ?」

「そうですね、恐らくは」


 存在が歪む、自分が自分じゃ無くなる?

 恐ろしい話だ。もし、自分がその妖怪の立場だったらと考えて、肝が冷えた。


「近くに人型の妖は、いなかったのかな……」

「どうでしょう? 人型の妖は知能の高い者が多いですから、危険を感じて既に逃げた可能性は高いです」

「……そう」


 人型が居なくても、素直に良かったとは思えなかった。

 雀や犬のような彼らは既に、存在を歪められている。

 動物好きとしては、なんとも言い難い心境だ。


「椿、そう落ち込まないで」


 黙り込む私へ、紫白が(さと)すように語りかける。


「昔は都もここと変わらない場所だったんですよ? でも、変わった。いつか人々の意識が変われば、この山も変わるかも知れません」


 紫白なりの励ましの言葉。

 しかし、その願うような声色は、彼自身もそう信じたいと思っているようにも聞こえた。

 確かに、今こうしていても何も変わらない。

 顔を上げた私の目の前へ、手が差し伸べられる。


「巫女はすぐそこです。さっさと会って、都へ帰りましょう」


 私は紫白の手を取って立ち上がると、目的地へ向けて再び歩き出したのだった。



******



 さらさらと、水の流れる音が聞こえる。

 近づけば、生い茂る木々の隙間から川が見えた。


「川だ。村、そろそろかな?」


 開けた河原へ一歩踏み出すと、不自然に積み上げられた石が目に入る。

 大小様々な大きさのそれらは、誰かが故意に削り取ったかのような、歪な形をしていた。

 不思議に思い、近づき眺めていると、後ろから紫白が駆けつけて来る。


「椿、川辺には出ない方が良いです。村が近いんですから、人目には気を付けて」

「ごめん、つい」


 ずっと同じ景色を見続けていたから、見慣れないものに飛びついてしまった。

 反省しつつ、紫白の側へ戻る。


「村までは、木々に隠れながら進みましょう」

「わかった」


 紫白に促され、森の中へ戻ろうとした瞬間、事は起きた。


「っ!? 椿!」

「え?」


 突然、視界が黒に覆われる。

 強く、腕を引かれた。

 紫白が何かを呟き、側に小さな炎が一つ灯ると同時、光が戻る。

 飛び去る鳥の群れを見て、ようやく状況を理解した。


夜雀(よすずめ)!?」

「それだけじゃありません、急いで!」


 紫白に急かされ、訳もわからず森の中へ飛び込んだ。

 四方八方から、獣の遠吠えが聞こえる。

 その音は、徐々にこちらへと近づいて来ていた。


「まずい。椿、僕の背後へ!」


 こちらが臨戦態勢を取る前に、茂みの中から茶色い固まりが唸りを上げて飛び出して来る。


「この子、あの時の」


 見れば、それはあの日逃げ帰った犬の妖怪だった。

 しかし、あの時のような怯えは消え、ただ一身に憎悪を帯びた眼差しで、こちらを睨め付けている。


「まさか、人里に近づいたせいで……?」


 この子も、存在を歪められてしまったのか。


「椿、今はそんな場合じゃない! 周りをよく見て」


 切迫した声に我に返れば、狼のような妖が私達の周りを取り囲んでいた。


「送り犬の群れです。弱い種とはいえ、気を抜けば数に狩られますよ!」

「犬じゃないじゃん!?」

「彼らは成体です。小さいものより、厄介だっ……来ます!」


 牙を剥いた一頭が飛び掛かったのを合図に、周囲の狼が一斉に襲いかかって来た。


「み、水鉄砲!」


 咄嗟に水を当てるが、全く怯む様子がない。

 炎を纏った腕が、眼前に迫った獣を薙ぎ払う。


「いつもと、勝手が違います。椿は下がっていて!」


 一体、また一体と大きな体躯が地面に叩きつけられていく。

 紫白って、意外と武闘派だったのか。

 そう関心する暇もなく、次々と妖が現れては牙を剥いた。

 いつの間にか、加勢するかのように夜雀まで戻って来ている。

 牙が、くちばしが、私達を狙う。


  正に、多勢に無勢。このままではジリ貧だ。

 しかし、逃げるにも囲まれていて、逃げ場がない。

 紫白は必死に私を守ってくれているが、そのせいで身動きが取れない。


 紫白はああ言ったが、私が攻勢に出なければ。なんとか、突破口を開くんだ。


 私は手に力を込め、想像する。

 薄く、鋭利に、敵を切り裂く水の刃を。


水刄(すいじん)!」


 覚えたての技、でも、確かな手応え。

 当たる、そう確信したけれど、目の前に飛び出してきたのは例の送り犬の幼体でーー。

 私は咄嗟に、照準をずらしてしまった。


 刃が犬の毛を掠めて、遠くの木へと刺さる。

 同時に、犬の牙が私の肌へ刺さろうとしていた。


「危ないっ!」


 叫び声と共に、私と牙の間へ紫白が割り込む。


「ぐ……、このっ!」


 紫白は腕ごと犬を木へ押し付けると、私の方を振り向いた。


「大丈夫ですか!?」

「し、はく……? ……っ、その腕!」


 目の前で起こったことを理解するのに、数秒の時間を要した。

 紫白の腕からは、一筋の血が流れている。

 さあっと血の気が引いた。


「ご、ごめ……っ!」

「貴女が無事なら、問題ありませんよ」


 顔面蒼白の私へ、紫白が何てことないように言う。

 だが、その怪我は、私が攻撃を当てられていれば……大人しく守られていれば、負わなかったものだ。

 しゃしゃり出た挙げ句、何も出来ずに紫白へ傷を負わせてしまった。

 責められない事が、逆に辛かった。


 身を守る為なら、相手を殺すのも厭わない。

 そう考えて、作った技だ。そうだったはずだ。

 なのに、当てられなかった。

 私は相手を傷つける覚悟も、ましてや殺す覚悟なんて、持ち合わせていなかったのだ。

 必要な時に、ようやく分かるなんて……。


「本当に、ごめんなさい……」


 悔しくて、申し訳なくて、握った拳に爪が食い込んだ。

 立ち尽くす私の腕を、紫白が引く。


「大丈夫、気にしないで」


 俯く私へ、紫白が独り言のように続ける。


「それより、どうにか逃げないと。このままでは押し負けます。炎が、もっと出せれば、あるいは……。いや、ダメだ。山火事になりかねない」


 村が近いことが、紫白の動きに制限をかけているらしかった。

 考えてあぐねている間にも、地に伏していた彼らは再び起き上がり、今にも襲いかからんと体制を整えている。


 手負いの紫白に、お荷物な私。

 状況は絶望的と思われたその時、地響きのような音がして、私達と妖の間を隔てるように地面が盛り上がった。


「こっちだ!」


 妖が少ない一点をついて、何者かが私達へ呼びかける。


 ーー村人!?


 一瞬躊躇った私達を、声の主が急かす。


「ほら、早くしろ!」


 紫白は覚悟を決めた様に、私を抱き上げた。


「今はとにかく、この場から離れましょう」


 そして、私を抱えたまま、全速力で走りだす。


「こーっち、こっち!」


 前方では村人らしき少年が、私達を待っていた。

 近づけば、道案内するかのように彼も走り出す。

 彼に続いて、獣道を駆け抜けた。

 妖達を振り切るまで走り続け、ある小屋の前まで来ると、少年は立ち止まった。

 こちらを振り返り、笑う。


「ここまでくれば、もう安心だ。にしても、災難だったな、あんた達。あ、水飲む?」


 快活に笑った少年の顔を見て、私は再び固まった。


 ーーそこに立っていたのは、主人公の幼馴染にして兄貴分。熱血系イケメン、伊吹(いぶき)。その人だった。


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