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第三十二話「木の虚にて」


「では、お腹も膨れましたし、明日に備えて眠りましょうか」


 紫白のその一声に、私はピシリと固まった。


 現在、私達は例の木の虚の中に居る。

 あの後、紫白は嫌がる私を物ともせず、以前居た森の中へと向かった。

 紫白の術による移動は早かったとはいえ、多少の時間はかかる。

 木の虚に着く頃には、もう夕方になっていた。

 そして、昼夜兼用の簡単な食事を済ませたのだが……英気を養う為、次にする行動といえば、そう、睡眠だ。


「でも、その。一緒に眠るのは、少し問題があるんじゃ……」

「そうですか? 以前もこうして、一緒に眠ったじゃないですか」

「そ、それは確かにそうなんだけど……」


 以前と今では、私達の関係に大きな違いがある。

 口ごもる私を見て、紫白は少し考えた後、納得がいったというように笑みをこぼした。


「ああ、なるほど。意識、してくれているんですか?」

「違っ、そんなんじゃ……っ!」


 意識? それは、確かにしてるけど……あんな出来事があった後で、意識しない方がおかしいと思う!


 図星を突かれ、気恥ずかしさに否定すれば、紫白はへにゃりと眉を下げた。


「……そう、ですよね。大丈夫、分かってます」

「え、紫白……?」

「安心して下さい。眠る時は狐型になりますし、何もしませんから……って言っても、説得力が無いでしょうか?」

「いや、そんなことは……」


 しゅんとそう告げる紫白は、あの夜とは違い人畜無害を絵に描いたようだ。

 私は、過剰に反応し過ぎた己を恥じた。


 私の馬鹿! 状況的に仕方ないんだから、添い寝くらいで騒ぎ立てるな。堂々としろ。

 男は度胸、女は愛嬌というが、女も度胸が必要だ。


 逃げ出したくなる気持ちを抑え、己を奮い立たせていた時、紫白の声が落とされた。


「じゃあ、狐型になりますね。尾の手入れは欠かしていませんので、是非、枕代わりに使って下さい」


 次いで、ドロンと辺りが白い煙に包まれる。

 煙の中から、白銀色の尻尾が差し出された。

 手入れをしていると言うだけあって、その毛並みは色艶が良く、極上の柔らかさを醸し出している。

 久方ぶりのもふもふの誘惑に、私は先程までの葛藤も忘れ、食い入るように尻尾を眺めた。

 目の前で、九つの尻尾が誘うように揺れ動く。


 ……って、いかん。これは紫白、どれだけふわふわで可愛く見えても紫白なんだよ!?


 思わず手を伸ばしかけ、我に返って首を振る。

 せめて一人で眠ろうと、顔を背ければ「キューン」と寂しそうな鳴き声が響く。

 紫白の方を見れば、狐はつぶらな瞳を瞬かせ、まるで『触らないんですか?』とでも言いたげに小首を傾げた。


 もふっ、と暖かな尻尾が私の頬へ触れる。


 あぁ……けしからん、もふみ。

 羞恥心も倫理観も、このもふもふの前では無意味だ。

 こうなると分かっていたから、避けていたのに……。


 吸い寄せられるように、尻尾へ手をやる。

 私はここ最近の禁もふ生活に思いを馳せながら、その柔らかな毛並みに包まれた。

 夏場とはいえ夜の森は肌寒く、心地良い暖かさが眠りを誘う。

 寝不足なことも相まって、私は自然と眠りの淵へ落ちた。



******



 暗い水底へ、深く、深く、落ちていく。


 ーーああ、またこの夢だ。


 夢の中で、夢だと認識した瞬間、いつもと違う違和感に気づいた。


 ーー髪が短い?


 夢の中の私は、現実の私と変わらなかったはず。

 毎回、長い黒髪が水中にはためいていたから。

 不思議に思って頭へ手をやれば、予想通りの短い髪が指先に触れた。


 ーーって、嘘。動ける?


 いつもの夢は、自分の意思とは関係無く身体が動き、それを見るような形で進む。

 いわば、誰かの身体に私が入っているような感覚なのだが、今回は違うらしい。


 とはいえ、早く地上へと上がらなければ。

 こうする今も時間は刻一刻と過ぎていて、そろそろ息が続かなくなって来た。

 私は必死で水面を目指し、水を掻く。

 けれど川の流れは早く、私の動きを妨げる。

 まるで、前世で死んだあの日のようだ。

 視界が徐々に暗くなり、意識が遠のいていく。


『誰か、助けて』


 助けは来ない。

 分かっていても諦めきれず、地上へ手を伸ばしたその時、誰かが私の手を取った。

 ぐっと、近くへ引き寄せられる。


 辛うじて薄目を開ければ、燃えるような紅色の瞳と目が合った。

 長い黒髪に無精髭の男は必死に口を動かし、こちらへ何かを呼びかけている。


『大丈夫だ! 絶対、助けてやるからな』


 読唇術など知らないが、そう言われた気がした。


 ーーああ、助かるんだ。


 安心した瞬間、意識がぷつりと途切れる。


 再び目を開けば、目の前には心配そうに私を覗き込む、端整な紫白の顔。

 しかし、獣耳と尻尾は眠る前のままだ。

 起き抜けの頭では状況を理解できず、瞠目していると、そっと頭を撫でられた。


「あ、の……紫白?」

「あ……あぁ、すみません。貴女があまりに(うな)されていたものですから、起こそうと思って人型に。……大丈夫ですか?」


 "眠る時は狐型でいる"

 その約束を破ってしまったからか、紫白は申し訳無さ気に私へ告げた。

 なおも頭を撫でる手は優しく、尻尾の暖かさと相まって、私を安心させる。

 強張っていた身体が、解れていく。


「うん、ありがとう。もう大丈夫」


 呼吸と共に言葉を吐き出せば、紫白はほっと表情を崩した。


「……今日も、いつもの悪夢を?」

「ううん、今日はいつもの夢と少し違った。紫白が側にいてくれたおかげかもね」


『悪夢を見ないように、僕が側で見守ります』

 いつか断った紫白の言葉を思い出し、そう口にすれば、彼は少し気恥ずかしそうに笑った。


「今日の夢は、どう違ったんです?」


 私は改めてこれまで見ていた夢と、今日見た夢についてを詳細に話してみせた。

 紫白は難しい顔でその話に耳を傾け、時折労わるように私の頭を撫でる。

 夢の話が終盤に差し掛かった頃、紫白の顔色が変わった。


「ーーでね、今日の夢には、長い黒髪に紅い眼のおじさんが出て来たの」

「おじさん、ですか?」

「……? そうだよ?」

「それは、もしかして……無精髭を生やした、無骨な感じの男ではありませんでしたか?」

「そう! そんな感じの人だった。何で分かったの?」

「そう、ですか……」


 紫白は呆然と呟き、顔を伏せると、何か考えるように黙り込む。

 暫しの沈黙が流れる。


「……紅」

「え?」


 震える声で紡がれた言葉を聞き返せば、紫白はゆるりと首を振った。


「……すみません。少し、昔を思い出してしまって。それよりも、その夢ですが」

「そんな顔で、『それよりも』って言われても……。その紅って人?は、一体どういう人だったの?」


 悲しそうな表情。

 無理に聞く話ではないと思ったけれど、どうしても気になって、私は続く会話を遮った。


「ですが……。話せば長くなります。それに、貴女に聴かせられるような、面白い話では……」

「それでも良いよ。それにね、紫白。私、前から紫白の昔の話が聞きたいと思ってたの」


 紫白はなおも、悩ましげに眉根を寄せる。

 やはり、話したくないのだろうか……。


「……嫌なら良いよ。無茶言ってごめんなさい」

「い、いえ! 違うんです、どう話せば良いか迷っていただけで。貴女が知りたいなら、話しましょう。少し、長くなるかも知れませんが……」

「夜は長いから大丈夫。話、聞かせて?」

「では、なるべく短く頑張りますね。貴女には、少しでも眠っておいて欲しいので……」


 紫白はそう告げると、とつとつと静かに語り出した。


「なにから話しましょうか……。僕が元々、普通の狐だったことは知っていましたっけ?」

「うん。前に聞いた」


 音次郎くんの騒動があった日、どさくさに紛れて教えてもらったんだよね。紫白は、酔っ払っていたけど。


 頷けば、紫白も頷き返す。


「僕は貴女と同じで、生まれつき霊力を持って生まれました。以前話しましたが、霊力持ちは普通の生き物と違って、成長が遅い。動物にとってそれは致命的です。だから、親は僕を見捨てました」

「なに、それ。ちょっと成長が遅いくらいで、酷い! 親なら、子供の面倒くらい見てくれたっていいのに」


 自分がされた時は諦めてたけど、近しい相手が同じ仕打ちを受けていたと聞けば、怒りが湧く。

 声を荒げれば、紫白は嬉し気に頬を緩めた。


「僕の為に怒ってくれるんですか? ありがとうございます。ですが、仕方がないんですよ。弱者を守りながら生きるのは、容易ではありません。人間的に言うなら、弱肉強食の世界なので」


 理解は出来るが、納得いかない。

 私がむっとしていると、紫白が宥めるように頭を撫でる。


「まあまあ、もう、何百年も前の話ですから。それより、話を続けますね? 捨てられた僕を拾い、育ててくれたのが紅だったんです」

「紫白の育て親、か。どんな人だったの?」

「そうですねぇ、単純で大雑把で、顔は怖いし、いびきは煩いし、不味い食事しか作れないどうしようもない人ですよ」

「お、おう……」


 えらい言われようだ。

 言葉に詰まっていると、紫白は昔を懐かしむように目をすがめ、言葉を続けた。


「ですが……、人間も妖怪も自分の損得すら関係なく、困っている者を見れば、放っておけない性分の人でした。だからこそ、僕は今、生きてここに居る」


紫白はしんみりと告げた後、思い出したように顔をしかめる。


「まあ、そのせいで被った迷惑は両手の指の数じゃ足りませんし、今思い出しても胃が痛みますが」

「そ、そっか」


 なんというか、硬派な外見に似合わず、はっちゃけたおじさんだったらしい。

 とはいえ、彼を懐かしむ紫白の表情はとても優しい。

 軽口を叩くくらい、気安い仲だったのだろう。


「でも、どうしてその紅さんが、私の夢に?」


 そう問えば、紫白は一瞬表情を曇らせたが、気を取り直したように言う。


「以前、福兵衛が『古来より、夢とは何かを知らせるものだ』と言っていたのを、覚えていますか?」

「うん、覚えてるよ?」

「貴女の夢を話を詳しく聞く程に、僕にもそう思えてならない」

「ただの悪夢じゃなくて、誰かが何かを伝えようとしてるってこと?」

「ええ、貴女が助言を受けたであろう神は、縁の神。川やそれと関係した何かと、縁が結ばれていてもおかしくはありません。縁を通じ、夢として何かを知らせたいのかと。それが何か、まではまだ分かりませんが……」


 ただの夢にしては毎回同じ内容だし、紫白や福兵衛にそう言われれば、そうなのかもと思う。

 でも、川と関係する何かって……? 何かにつけて川とは縁があったが、夢に出るほど熱烈なものに心辺りはない。


「ん? ちょっと待って。今の話は理解出来たけど、結局、紅さんは何で夢に出て来たの?」

「……紅は、贄にされた子供を助けて、その身代わりに川へ沈められ、亡くなりました。だから、川との縁はきっと深い。確証はありませんが、その繋がりではないかと」

「ご、ごめん……」

「どうして謝るんです? 悪いのは紅を贄にした者達で、貴女ではありません」


 淡々と感情を押し殺すような声に、胸が締め付けられる。余計な事を聞いてしまった。


「でも、嫌な記憶を思い出させちゃったでしょう?」

「そんなことありません。貴女が僕を知りたいと思ってくれたこと、とても嬉しかったです」


 伺うように訊いた私に、紫白はふわりと微笑んで見せた。

 そして、あやすように私の頭を撫で、再び寝かしつけようとする。


「けれど、やはり面白い話では無かったでしょう? さあ、もう眠って。次に悪夢を見た時は、紅では無く、僕が夢の中まで駆け付けますから。安心して、目を閉じて下さい」

「ふふ、何それ」


 歯の浮くようなキザな台詞を、大真面目に言えてしまうのが紫白らしい。

 暖かな手が、私を眠りに誘う。

 紫白の言葉のおかげで、悪夢を見ることへの不安はなかった。


「おやすみなさい、椿。今度こそ良い夢を」


 優しい声がして、まどろみの中へ溶けていく。

 この日、私は久しぶりに深い眠りを味わったのだった。

禁欲ならぬ、禁もふ。誤字ではありません。

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