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第三十話「夢と縁」


「ーーーー!」

「……、……!」


 切実そうな、人々の声がする。

 私はそれには振り向かず、真っ直ぐに前だけを見ていた。

 次の瞬間、背中に強い衝撃を受け、水中へと身体が投げ出される。

 次第に息が出来なくなって、苦しさにもがけども決して浮き上がることはない。

 ゆっくりと、暗い水底へ落ちていく。


 薄れゆく意識の中で、狂おしいほど願った。


"ーー死にたくない。お願い、誰か助けて!"


 けれども、助けが来ることはなく、視界は徐々に闇に包まれ、やがて何も見えなくなった。


 ーーというところで、ハッと目が覚めた。


 目の前に広がるのは暗い水底ではなく、朝日の射し込む見慣れた自室の天井だ。


「夢……?」


 動悸が激しい。私はゆっくりと布団から起き上がり、息を整えた。

 じっとりとした暑さのせいか、寝汗も酷い。


「また、この夢……」


 私は肌に張り付いた髪を払いながら、溜め息とともに独りごちた。


 紫白に告白されてから、一月程。

 以前より甘くなった彼の視線に戸惑いながらも、特に大きな事件は無く、平和な日々を過ごしていた。

 少し変わった事といえば、変化の術を使い続けた成果か、変化していない時でもそこそこ呂律が回るようになったことだろうか。

 後は、さっきの夢を見るようになったこと。


 一度二度なら、まだ良い。

 いくら嫌だったとしても、夢なのだから、次第に忘れることだろう。

 けれど、ここ最近ずっと夢見が悪いのだ。

 毎日のようにこの悪夢を見ては、飛び起きる。

 おかげで、全然眠った気がしない。

 とはいえ、もう朝だ。


 私は気怠い身体を無理矢理動かし、身支度を整えると、居間へ向かう。

 廊下には、味噌汁のほっとする匂いが漂っていた。

 私が眠い目をこすりながら居間に入れば、瓦版を読んでいる福兵衛が見える。


「おはよう、福さん」

「ん? 嗚呼、おはよう」


 瓦版を置き、こちらを見た福兵衛と軽く挨拶を交わしていると、台所から紫白が顔を出した。


「椿! おはようございます」

「お、おはよう」


 紫白は蕩けるような笑みを浮かべており、私へ呼びかける声は甘い。

 あの日以来、彼はずっとこの調子なのだが、中々慣れない。

 気圧されながら挨拶を返した私をみて、紫白は一瞬目を見開くと、心配そうにこちらへ駆け寄って来た。


「椿、(くま)が! それに、肌も荒れています。昨晩も眠れなかったんですか?」

「え、あー……うん。夢見が悪くて」


 隈、そこまで酷くはないと思うんだけどな。

 先程、姿鏡に写した自分の姿を思い出しつつ言葉を濁せば、紫白は眉尻を下げた。


「このところ、ずっとですよね? 何か、変なものに取り憑かれてるんじゃ……」

「いや、それはないよ。前に音次郎くんにも、もやはついてないって言ってもらったし」


 噂をすれば影だ。

 そう話した直後、すっと部屋の障子が開いて、廊下から音次郎と忍が現れた。


「おはようございます」

「おはようっす!」


 そう挨拶をした彼らに返事を返し、続けて質問を投げかける。


「音次郎くん、私なにもついてないよね?」

「え? あ、うん。椿ちゃんの周りは、もやはいないよ。まだ、よく眠れてないの? 大丈夫……?」


 音次郎が急な質問に驚きながら、心配気にそう答えたのを見て、私は大丈夫だと返すと「ほらね?」と再び紫白へ視線を戻した。


「ですが……。あ、なら、今日は久しぶりに一緒に眠りませんか? 悪夢を見ないように、僕が側で見守ります。勿論、椿の好きな狐姿で、です。それなら、安心ですよね?」

「いや、本当に大丈夫だから。そいねはいりません」


 さも名案だというように、告げられた提案をばっさり断る。

 告白の一件以来、私は狐姿の紫白を撫でていない。

 いや、意識するなという方が無理である。

 なので、添い寝なんてされたら、余計安眠が遠ざかってしまう。


 紫白は残念そうに引き下がり、なおも気遣わしげな様子でこちらを見ていた。

 私としては、所詮夢だし、寝不足以外に実害がないのであまり心配していない。

 とはいえ、連日見る悪夢というのは、確かに不自然な気もする。何かこの夢を見る理由があるのだろうか? 生贄にされた時のトラウマ……なら、何故今更って感じだし。

 原因を考えていると、今まで黙っていた福兵衛が口を開いた。


「夢、か。古来より、夢とは何かを知らせるものだ。毎夜似たような夢を見るなら、それは何かの(しるべ)なのやも知れぬな」

「え?」


 意味深な言葉に思わず聞き返せば、福兵衛は軽く笑う。


「いや、何、ただの年寄りの戯れ言さ。それよりも、良く眠れないのは問題だ。体調を崩してしまう」

「その口振り……福兵衛には、何か他に解決案があるんですか?」


 紫白が問えば、福兵衛はふむと頷いた。


「神社に行ってみよう」

「へ? 神社……?」


 意外な提案に、気の抜けた声が漏れる。

 紫白も不思議そうにしていた。

 困った時の神頼み、というやつだろうか。

 私達を気にせず、福兵衛が話を続ける。


「北山の(ふもと)にある神社だ。きっと、御利益があるぞ」

「北の山って、オイラん家の近所じゃないっすか。あの辺りの神社っていうと、縁結び神社?」

「縁結び! 素敵な神社だね」


 忍と音次郎が会話に混ざり、一方は不思議そうに、もう一方は楽しそうにしている。


「そうだ、その神社だ。音次郎くんも、今日は休みか?」

「はい! 今日の稽古はお休みです。最近、ようやく色々慣れてきた所なので、少し残念だけど……」


 音次郎は少しだけ、声をすぼめた。


 彼は、一座の人と上手くやっているらしい。

 昨日も、最近尾上さんがよく褒めてくれるんだと嬉しそうに話すのを聞いた。

 彼が幸せそうで良かったとしみじみ思い出しているうちに、彼らの話は進んでいく。


「それは良かった。弟子になる日も近そうだな! では、朝食後に皆で出掛けるとしようか」


 私を置いて気ぼりにして話がまとまりそうになり、慌てて疑問をぶつけた。

 参拝するのは嫌じゃないけど、なんで縁結び神社? 悪夢と何の関係があるのか。謎だ。


「福さん、おまいりは良いんだけど、どうしてわざわざえんむすびの神社へ?」

「そうそれ! オイラも気になってたっす」


 私に続いて忍がそう訊くと、福兵衛が笑いながら口を開く。


「縁結びの神というのはな、何も色恋においての縁だけを結ぶわけではない。この世のあらゆる(えにし)を司る神が()わす場所なのだ」

「恋愛ごとだけじゃなくて、人間関係にもごりやくがあるってことだよね? それは、わかるんだけど……」


 私が言葉を濁せば、今まで思案顔をしていた紫白が、何かに気付いたように顔を上げた。


「"悪縁を断ち、良縁を繋ぐ" ……昔、聞いたことがあります。良い縁を結ぶためには、先に自身に絡まる悪い縁を切る必要があるのだとか。つまり、悪夢という椿にとっての悪縁を切りに行くと?」

「え、そんなこともできるの?」


 私が驚けば、福兵衛は軽く頷いて、続きを話し始めた。


「うむ、紫白の言った通りだ。縁というものは、人とだけではなく、物や出来事、万物全てに結び付いている。良縁であれば良いが、生きていれば悪縁も知らず呼び寄せてしまうものだ。悪夢も悪縁に入るだろう。故に、切って貰いに行くのだよ」

「へー、なんか小難しい話っすけど、要は悪いものは捨てて、良いものとだけ手を結ばせてくれる神様ってことでいいんすかね?」

「まあ、そんな感じだな」


 忍が言い直せば、福兵衛はほけほけと笑った。

 その隣では、音次郎が「ぼくも悪縁、断ってもらおう」と神妙に呟いている。


「なんか凄い神社だったんすね、あそこ。オイラも、もっと早く行ってれば良かったっす」

「まあ、当人が悪縁だと思っていても、長い目で見れば良縁の場合もある。何が悪縁なのかは、神が判断する故、確実に今の悩みが消えるとは限らんがな」


 忍の言葉に福兵衛は少し苦笑すると、今度は私達へ視線を向けた。


「……という訳だ。絶対に夢見が良くなるとは言えないが、気休めとしても悪くは無いだろう。神社へ行くという事で、良いかな? 紫白、椿ちゃん?」


 そう言われてしまえば、反論することなど何もない。

 私は素直に頷いた。

 横では、紫白も納得がいった様子で福兵衛の提案を飲んだ。

 そして、こちらをちらりと見て、私に言葉を投げかける。


「今日は、よく眠れると良いですね」

「うん」


 優しい笑みに、笑顔で返す。


 御利益の凄そうな神社は、どんな場所なのだろうか。

 それに悪夢との縁切りだけでなく、所在の分からない主人公や幼馴染組との縁を是非結んで貰いたい。

 それが良縁かは分からないが……、願をかける価値はありそうだ。


 私はそんな淡い希望を抱きながら、紫白の後に続いて、朝食を運ぶため台所へと向かった。



******



 蝉の鳴き声が耳に付く。

 心地よい風が吹き、辺りの木の葉がざわめいた。


 青空の下、人力車に揺られること、数刻。


 私達は今、縁結び神社のある山の麓へ来ていた。

 雑談に花を咲かせながら、川添いの参道をしばらく歩けば、目的の神社が見えて来る。

 手水で身を清めた後、鳥居を潜れば、石段とそれに沿って立ち並ぶ赤い灯籠が長く奥まで続いていた。


 一歩一歩石段を登りながら、私は深呼吸とともに言葉を吐き出す。


「この階段、長いね。どこまであるんだろ?」

「大丈夫ですか? 椿は寝不足なんですし、良ければ僕が抱いて運びますよ?」


 さらりと告げられた紫白の言葉に、大丈夫だと返して歩く。

 空気は澄んでいて美味しいけれど、子供の足にこの急な石段はなかなかきつい。

 だが、隣では同じ歩幅の音次郎が、文句も言わずに歩いている。

 私だけずるはだめだろう。あと、単純に抱っこは恥ずかしかったのだ。


「 八十四段あるらしいっすよ? 今すれ違った人が話してたっす」


 そう言う忍は、全く息が乱れていない。

 やはり、基礎体力の違いだろうか。


「着いたようだぞ」


 黙々と登ること数分、福兵衛の声がして顔を上げると、社へ続く門が見えた。

 門をくぐれば、辺りの空気がより神聖なものへと変わる。


 参拝するため皆で拝殿の前まで近づけば、不思議なことに、先程まで多く並んでいた参拝者の列が途切れた。


「人払いをしてくれたらしい。ゆっくり話を聞いてくれるようだ」

「それは、有り難い話ですね」


 福兵衛と紫白のやりとりを聞いていると、福兵衛に参拝するよう促され、ゆっくりと前へ出る。

 二礼二拍手一礼。

 その作法に習い二度お辞儀をした後、パンパンと二度拍手を打ち、目を瞑る。


『悪夢との縁を切り、安眠できますように。それから、死亡フラグとの縁を切るため、桜華という少女や、その近しい人達と早めに巡り会えますように』


 そう心の中で唱えて、もう一度お辞儀をした瞬間、鈴を転がすような声が近くで響いた。


「その願い、聞き届けましょう」


 ハッと顔を上げれば、銀色の瞳に淡い水色の長髪、長身で線の細い、見知らぬ美女が目の前に立っていた。

 彼女からは、この世のものとは思えない神聖な気配が漂ってくる。

 雰囲気に圧倒されていると、ふと周囲に違和感を感じた。


 先程まであった人々の喧騒が、全く聞こえないのだ。

 辺りを見渡せば、私と彼女以外誰も居なくなっている。

 後ろに居たはずの皆も居ない。


 不安に駆られ一歩あとずされば、彼女は慌てたように言う。


「ああ、怖がらないでくださいな。(わたくし)は貴女に助言をしに来たのです」

「え?」


 唖然とする私へ、彼女が厳かに告げる。


「西の山へ向かいなさい。神の声を聞く、巫女(みこ)の噂を辿(たど)るのです。さすれば、貴女の願いは全て叶うでしょう」

「それって、どういう……?」


 詳しく訊こうとした時、急に視界が白く染まり始めた。

 (まばゆ)い光に目を開けていられない。

 かろうじで、見えたのは彼女の残念そうな表情だった。


「……時間切れの様です。次に会う時は、もっと色々お話ししましょうね。(わたくし)、待っていますから」


段々と声が遠のいて、最後に小さく聞こえたのは『ーーまたね、椿』と私を呼ぶ声だった。


ーーどうして、私の名前を?


「……つばき、椿!」


 肩を揺すぶられ我に帰れば、そこは来た時と変わらない人のいる境内だった。

 紫白が私の肩から手を離し、顔色を伺うように言う。


「皆、参拝を終えましたよ。行きましょう。……ぼーっとして、大丈夫ですか? やはり、体調が優れないのでは」

「いや、違うの。なんか、今、知らない女の人に"西の山に行きなさい、そうすれば願いが叶う"って言われて」



 先程の光景を思い出し思わず話せば、皆不思議そうな顔で私を見た。

 言ってから後悔する。

 冷静に考えて、変なことを口走ってしまった。私、眠すぎて白昼夢でも見てしまったのだろうか?

 自分で自分の記憶に疑問を持ち始めた時、音次郎がぽつりと呟いた。


「あの、椿ちゃんの周りに、白くて淡く光ってる不思議なもやが見えるんだけど……。大丈夫?」


 驚きに固まっていると、福兵衛が顎に手をやりながら口を開く。


「椿ちゃん、その女人というのは何処か、変わった雰囲気では無かったか?」

「そう! なんか、神聖な雰囲気の人だった。どうして分かったの?」

「光るもやと聞いて、ふとな。ならば、それはこの神社の神様やも知れぬ。何を聞いたのか、詳しく教えてもらっても?」


 私は促されるまま、先程起きたことを話して聞かせた。


「神からの助言か。なかなか、凄い体験をしたものだ。だが、その話の通りなら、悪夢を取り除くために山へ向かう必要があるということだな?」

「椿の為に必要なら、僕が共に向かいます。ですが、西の山というのは……」


 紫白は以前のように、頭ごなしに反対したりはせず、ただ困ったように頭を抱えている。

 正直、私も頭を抱えたい。

 西の山、それは私と紫白が最初に出会った場所。

 そして、私が生贄にされた、あの村がある方角だった。


 あの暫定女神様、とんでもない助言をしてくれたものである。


「……まあでも、ただの白昼夢かも知れないし。今晩寝て、もしダメだったら、また考えようよ。だから、紫白もあまり深刻に悩まないで」

「……それも、そうですね」


 私の言葉に、紫白が少し表情を緩めた。

 とはいえ、たとえ悪夢が無くなったとしても、山へ行かざるを得ないのは明らかだ。


『神の声を聞く、巫女の噂を辿れ』


 その噂はどう考えても、主人公、桜華ちゃんのことを指している。

 村人は恐ろしいが、避けては通れないのだろう。


「オイラあんまり信じてなかったけど、神様って居るもんなんすね〜。椿ちゃんの夢だったとしても、面白いや」

「うん、なんだか不思議な感じだね」


 忍と音次郎の話を聞きながら、私は不安を胸に押し込め、西の山を強く見据えた。


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