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第二十八話「仲直りの契機」


「椿……、怒ってますよね? 本当に申し訳ありません。謝りますから、顔を見せて下さい!」


 布団を叩いていると、障子越しに紫白から声が掛かった。

 さっきの今で返事をする気になれず、だんまりを決め込む。


 けれど紫白は、そんな私の心境を知るよしもなく、何度もすみませんと悲壮感を漂わせた声で謝った。

 時折、それに呻きが混じって、見れば、障子に写る影は小さく蹲っている様に見える。

まだ、本調子ではないのだろう。


 必死に頭を下げる紫白の様子に、なんだか私が悪い事をしている気分になって来る。

 自分のした事を覚えていない彼に、これ以上理由も話さず怒るのは酷かも知れない。

 頭では、分かっている。

 けれど、だから仕方ないと許してしまえるほど、私は人間が出来ていない。

 冷静に事情を話せるほど、気持ちが追い付いてもいなかった。


「私、今は紫白に会いたくないし、会わない。そんな調子で謝られても迷惑だから、さっさと部屋に帰って休んでて!」


 尚も謝り続け、辛そうに座りこむ紫白へぴしゃりと言い放つ。

 紫白の影は驚いたように一瞬固まった後、「はい……」と呟き、肩を落として障子の前から消えた。


 静かになった部屋で、私は一人布団へ倒れこむ。

 何だか疲れてしまった。怒りの感情が長続きしないというのは、本当らしい。

 残ったのは、疲労感と行き場のないもやもやした感情だけ。

 もう、何も考えたくない。


 ぼんやりと天井を眺めながら、無益な時間を過ごす。

 どれ程時間が経ったのだろうか、ガチャリと鍵の開く音がした。

 ああ、誰かが帰ってきたのだと思って、重い身体を起こし、玄関まで出迎えに向かう。

 廊下はすっかり薄暗くなっていて、もう夕刻を過ぎているようだった。


 足元に気をつけながら歩いていけば、そこには二つの人影。

 帰って来たのは、福兵衛と音次郎だった。

 福兵衛は手に大きな風呂敷包を握っており、表情は明るい。

 反対に音次郎は、恐縮するように身を縮こませていた。


「お帰り、二人とも。交渉は上手くいった?」


 私の言葉に福兵衛が満面の笑みで答える。


「うむ! 戦果は上々、という奴だな。店とは手を切れた。歌舞伎座に弟子入りする件はまだ保留中だが、何、音次郎くんの実力なら、直ぐに部屋子も狙えるさ」

「あ、えと、来週から歌舞伎座へ通わせてもらえることになったんだ。その間に、ぼくの実力を見極めたいって言ってもらって……」


 おずおずと福兵衛の話に補足した音次郎の顔は、いつもより嬉しそうだ。

 今すぐにとはいかずとも、彼は夢への一歩を踏み出せたのだろう。


 良かったねと微笑んだ私へ、音次郎は「でも、まだ絶対なれるって決まった訳じゃ……」などと口籠った後、少し考えて「……ありがとう、頑張るね」と力強く頷いたのだった。


 居間へと移動し、福兵衛がちゃぶ台の上に風呂敷を広げれば、中からは竹の皮の包みが五つと和菓子屋の包みが出て来た。

 私が興味津々に眺めていると、福兵衛が私へ問いかける。


「紫白はやはり、体調が優れぬのか?」

「……うん」


 私が微妙な顔で返せば、彼はふむと頷き、朗らかに笑った。


「そうではないかと思っていたのだ。やはり、これを買ってきて正解だったな!」


 そう言って、福兵衛は竹の皮の包みを一つ手に取り、開けて見せる。

 同時にふわりと漂う酢飯の匂い。

 竹の皮に包まれていたそれは、鯖寿司(さばずし)だった。

 肉厚な鯖が美味しそうで、ごくりと生唾を飲みこむ。

 そっちの和菓子は何かと視線を動かすと、今度は音次郎が少し恥ずかしげに告げた。


「こっちは、しんこ餅だよ。歌舞伎座の近くで売っているのを見てたら、福兵衛さ……、えっと、福さんが買ってくれたんだ」


 音次郎が、「今日は本当に色々、ありがとうございました」と福兵衛に向き直って言えば、福兵衛は「良い良い、気にするな」と笑みを浮かべる。

 そんな様子に和んでいると、突然私の腹からぐ〜と間の抜けた音が響いた。

 今日は引きこもっていたせいで、お昼を食べ損ねていたのだ。

 恥ずかしさに赤面し固まる私を見て、二人は顔を見合わせ、こちらに向かって優しい目を向ける。


「……夕飯にしようか」

「うむ。紫白には後で持って行ってやろう。忍くんの分は確保して……、とりあえず茶でも沸かすか」


 台所へ向かう福兵衛を追いかけ、三人で食事の準備をした。

 そして、夕飯の時間はただただ穏やかに過ぎて行く。


 和やかな気持ちで、食後のデザートがわりに、しんこ餅というほんのり甘い棒状の餅をちまちま食べていると、福兵衛に話しかけられた。


「椿ちゃん、これを紫白の所へ持って行ってくれぬか? 儂が行くより喜ぶだろう」


 福兵衛は鯖寿司の包みと湯呑みが乗ったお盆を、私へと差し出している。

 ごくりと茶で餅を流し込み、苦虫を噛み潰したような心境で口を開く。


「そんなことないよ、紫白もたまには福さんと会いたいんじゃないかな……なんて」


 遠回しに、福兵衛が持って行ってくれと告げる。

 歯切れの悪い私の様子に福兵衛は目を丸くした後、面白そうにこちらを見た。


「何だ、紫白と喧嘩でもしたのか? 珍しい事もあるものだ。嗚呼、分かった。鯖寿司は儂が届けてやろう」


 福兵衛は軽く笑うと、さっとお盆を持ち、紫白の部屋へと向かって行った。


 申し訳ないが、ありがとう福さん。


 私はその後ろ姿へ、ぺこりと頭を下げた。

 餅を食べ切り、私も湯呑みを片付けるべく腰を上げ、台所へと向かう。


「おかわりいる? よかったら、音次郎くんのも一緒に持って行くよ」


 音次郎の湯呑みも空になっていた。

 まだ餅を食べている音次郎へ、ついでだからとそう言えば、彼は軽く頷く。


「ありがとう、じゃあお願いします」

「了解!」


 台所に入っておかわりを注ぎ、音次郎へ渡す。

 言われたお礼に言葉を返して、再び流しへと戻る。

 湯呑みを洗い、布巾で水気を取って食器棚へと戻した。

 普段から行っている一連の作業の様な流れは、なんだか心地が良い。

 考えずとも動けるということは、こうも精神安定に効くのか。


 意外な発見に驚きつつ、一日の疲れを感じた私は、今日はもう寝ようと自室へ足を進めた。


 居間を出る際、音次郎へ、


「今日は少し疲れちゃったから、先に寝るね。福さんにも、よろしく言っておいてくれると嬉しい。おやすみなさい」


 と声を掛ければ、彼は一言「おやすみなさい」と返してくれる。

 去り際、気遣わし気な視線が背中に刺さったが、それに応える気力がない。

 私は何も聞かないでくれる彼の優しさに甘え、その場を後にした。



******



 翌日、昼食後。

 私は忍が一人になるタイミングを見計らい、壊れた髪飾りを持って、庭へ来ていた。

 忍はいつも腹ごなしに、食後は庭で訓練をしているのだ。


 棒状の手裏剣を取り出し、刃先のチェックをする忍へ声を掛ける。


「しのぶくん、いま、だいじょうぶ?」

「ん、椿ちゃん。どうしたっすか、オイラになんか用事?」

「ごめんなさい!」


 忍がこちらを振り向いたことを確認し、髪飾りを掲げながら全力で頭を下げれば、忍は「おおう!?」と変な声を上げてたじろいだ。


「こわしちゃったの。もらったものなのに、もうしわけなくて……、ほんとうにごめんなさい」


 再度、そう謝罪を重ねる。

 壊れた理由は言わずに、平謝りする私の頭上に忍の溜息が落とされた。


「はぁ〜、なんだそんなことか。凄い勢いで来るから、ちょっとビビったっす。オイラ、そういうの気にしないんで、謝まらなくて大丈夫っすよ」


 そう言われて頭を上げれば、困ったように笑う忍と目が合う。


「大体ね、それは椿ちゃんにあげたものなんだから、その後どうしようがオイラの関知することじゃないの。好きに使ってくれたら良いんすよ」

「でも……」


 そうは言われても、申し訳なさは消えない。


「……そんな顔させたかった訳じゃないんすよ。ちょっと、貸して!」


 黙る私の手の上から、忍が髪飾りを掴んで掠め取る。

 ぼそりと呟かれた言葉は聞き取れなかったが、彼は髪飾りが治るか見てくれているらしかった。


「あーあ、花弁んとこ、バラバラになってる。花の加工は壊れやすいんすよねー。ちょっと待ってて」


 忍はそう言い残すと、廊下へと消えて行く。

 待つこと数分、彼の手に握られているのは接着剤のようななにかだった。


「なおるの……?」

「まあ、見ててよ」


 花の散った金具へ、一枚一枚丁寧に花弁が戻されていく。

 器用に花弁が繋がっていく様子は、まるで型へパズルのピースを嵌め込んでいるかのように正確だ。


「かみかざりもらったときもおもったけど、しのぶくんって、てさきがきようだよね」

「そうっすかね?」


 忍はそう言うが、この手捌きは並の人間に出来るレベルじゃないと思う。

 そうこうする間にも、作業は進んでいく。

 忍が片手をかざして、「乾け」と一言呟くと、手元に小さな風が生まれ、花が金具に固定される。

 それを五回繰り返した後、忍は仕上げのように花全体へ何かの液を塗り、更に風の術を発動した。

 一瞬にして行われた一連の作業に、目を瞬く。


「椿ちゃん? 直ったっすよー」

「あ……、ありがとう、しのぶくん!」


 ハッと我に返ってお礼を言えば、忍はにこりと笑って髪飾りをこちらへ手渡した。


「これくらいなら、いつでも直してあげるっす! まあ、もし直せないくらい壊れた時は、また何か作って渡すっすよ!」

「え、そんなのわるいよ」

「いやいや、オイラが新しくあげたいだけだから、気にしないで。理由があると渡しやすいでしょ?」


 そう言われ、私が困惑していると、忍が悪戯っぽく笑った。


「……でも、悪いと思うなら、今度はそれ、大事にしてあげてくれると嬉しいっす」


 大事に……。万全を期すため、今後この髪飾りは、身に付けるんじゃなく自室に飾っておこう。

 私はそう心に決めて、忍の言葉に強く頷いた。


 会話を終えると、忍は私を気にするでもなく訓練を開始する。

 彼はトン、ドンと一定の間隔で強弱を付けながら的へ手裏剣を投げていた。

 私は行く当てもないので、隣で術を練習することにして、忍の横へ並ぶ。


 忍へ断りを入れ、手に神経を集中させる。

 今度習得しようとしているのは、攻撃技だ。

 水を薄く伸ばし、回転させながら飛ばすことで対象物を切る。

 出来れば生き物相手に使いたくないが、必要に迫られた際、生き延びる為の選択肢は多い方が良い。


 手に水が触れ、それを圧縮するようにイメージを加えていく。

 そして、さあ、放とうという時に、忍がふとこちらへ言葉を投げてきた。


「そういえばさぁ、椿ちゃん、紫白と何かあった?」


 急に放たれた言葉に、意識がそれて手の中の水がパァンと顔前で弾け飛ぶ。


「な、なんでそうおもうの?」


 顔から肩あたりまでかかった水を払いながら訊けば、忍は「ごめん、ごめん」と謝りながら風の術で私を乾かしつつ、答えを返す。


「いや、どう考えても今日のキミら、朝からいつもと様子が違ったんで」

「そんなに、わかりやすかった……?」


 私が問えば、忍はいつになく神妙に頷く。


「うん。食事中、紫白が何か言っても、椿ちゃん最低限の言葉しか返さないし、心なしか、口調も冷たい気がしたっす。おろおろする紫白は見てて面白かったけど、あんな空気じゃ美味い飯も不味くなるっすよ。オイラは美味しいご飯が食べたい!」

「そ、そっか……、ごめん」


 強い語気で言い切られ、つい謝罪の言葉が口を突いて出る。

 そんな私へ、忍は更に言葉を重ねた。


「そう思うなら、早めに仲直りして欲しいっす。さっきも追い返してたでしょ?」


 図星だった。

 実はここに来る前にも、紫白に追い縋られていたのだ。

 紫白は居間から庭に出るまで私を尾行し、声を掛けて欲しそうに、物陰からチラチラ、チラチラ、こちらを見ていた。

 まるでそうすれば許して貰えると理解しているかのように、獣耳と尻尾付きであざとく伺ってくる。

 普段なら確かに許していたかもしれない。

 だが、今の私は平常ではなく、忍へ謝罪する件もあり着いて来られるのは嫌だったのだ。

 少しきつめに追い払ってしまったのは、言うまでもない。


 押し黙った私を、忍が急かす。


「ほら、行った行った」


 とんと背中を押され、足が屋敷の方へ向く。

 振り返ったら、怒られるかな……。

 私は渋々ながら、重い足を屋敷の中へと動かした。



******



「そうはいってもなぁ……」


 あれだけ怒った手前、今更さらりと仲直りしに行くのもどうなのか。

 紫白は喜びそうだけど、私の中で折り合いが付かない。

 せめて、何かきっかけがあれば……。


 紫白の部屋へ出向く勇気がなく、居間でうだうだしていると背後から人の気配がして、振り返れば、男性用の着物を身にまとった音次郎が居た。

 ややくすんだ赤茶色の着物は、彼に良く似合っている。


「きがえたんだ! すごくにあってるよ。まえのきものすがたはかわいかったけど、こっちはきれいってかんじだね」

「……うん。ありがとう」


 音次郎は一瞬言葉に詰まって、そう笑った。

 それから、心配そうに私を見る。


「椿ちゃん、紫白さんと喧嘩したんでしょ? ぼくでよければ相談に乗るよ」


 声色はとても優しかった。

 音次郎は労わるように、そっと私の横へと座る。


 誰も彼もが、私達の仲を心配しているらしい。

 ……皆に心配かけて、私、何してるんだろう。

 

 うじうじしている自分が情けなくなって、私は音次郎へ相談することを決めた。


「……しはくとは、けんかしてるわけじゃないんだ。わたしが、いっぽうてきにおこってるの。りゆうをはなして、なかなおりするべきだってわかってる……。でも、なかなかいいだせなくて」


 何があったのかを赤裸々に話すのは、流石に憚られて、そんなことを口にする。

 音次郎は少し考えてから、口を開いた。


「なるほど。つまり、きっかけが必要なんだね……? なら、普段と違う場所で、美味しいものを一緒に食べるのはどうかな。紫白さんは、何が好きなの?」

「えっと……、いなりずしかな。あと、あぶらあげのはいったりょうりは、だいたいすきだったはず」

「なら、それを作ろう。出掛ける先は……、紫陽花園とかどうかな? 今年は開花が遅いから、遅咲きのやつがまだ咲いてるって町の人が話してた」


 話しやすい雰囲気作りと、美味しいもので緊張をほぐすという訳か。確かにそうすれば、言い出せそうだ。


 私は彼の提案に頷いた。

 音次郎は笑みを浮かべると、優しく私の手を引いて、立ち上がる。


「そうと決まれば、さっそく用意だね。美味しい稲荷寿司を作ろう。一晩寝かせたら、絶対美味しくなるよ」

「うん!」


 私は音次郎の手を握り返して、台所へと向かう。


 決行は明日! まずは気を引き締めて、絶品の稲荷寿司を用意するとしよう。


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