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閑話「酒と共に流し込む」

島原での、紫白・福兵衛サイドのお話。

紫白視点です。


 人混みは好きでは無い。

 初対面の人と話すのも苦手だ。

 いくら相手が妖怪であろうと、それは変わらない。


 故に、椿とのひと時を邪魔され、飲み会などという人の集いへ連れ出されたことは、僕にとって大変不本意なことだった。


「椿と一緒に居たかったのに……」

「まあ、そう言うな。たまには別々の時間を作るのも悪くは無いだろう」


 さらりと諌められ、不貞腐れる。


 福兵衛はそう言うが、最近の椿は福兵衛や忍と過ごす時間が増え、反面、僕と過ごす時間が減っていた。

 しかし、夜は毛並みを触りに僕のところへ来てくれることが多いのだ。

 だから、夜は家で過ごしたかったというのに。


 恨みがましく福兵衛を見れば、苦笑された。

 その、駄々っ子を見る様な目も癇に障る。

 

 僕が不機嫌を隠さず歩いていると、福兵衛が再び口を開いた。


「はははっ、あまりむくれるな。お前はあの子の保護者のつもりらしいが、どちらが子供か分からんな。……だが、親として関わるのならば、そのうち子離れも必要だぞ。守るだけでは、子は成長出来ない」

「はい? 何ですか、藪から棒に」

「いや、何。お前の保護者も、子離れが出来ない奴だったなと思い出しただけさ」


 懐かしむ様な表情に、僕は言葉を噤んだ。

 福兵衛は紅のことを思い出す時、度々こういった顔をする。

 紅は僕の育て親であるが、福兵衛にとっても思い入れ深い人物なのだろう。

 紅が生きていた頃の彼は、今よりももっと生き生きしていた気がする。

 もっとも、あの頃の僕は幼かったから、記憶は少し曖昧だけれど。


「だがな、いずれは離れる時が来るかも知れんということは、頭に留めておきなさい。お前はすぐに暴走しがちだからな」


 余計なお世話だ。

 椿とはいずれ僕と二人、何処かの家へ住むと約束を交わした。

 居なくなるはずが無いではないか。


 僕は返事をしなかったが、福兵衛は言うだけ言って満足したらしい。

 その後彼は、目的の料亭に着くまで、他愛ない話を続けた。



******



 行灯の光に包まれた大広間で、宴は開かれる。

 会場は既に半分以上が、人と妖で埋まっていた。

 福兵衛の知人らしい主催者への挨拶を済ませ、空いている席に座る。

 しばらくすると、膳が運ばれ始めた。

 同時に、芸妓や舞妓が部屋に現れ、酌をしにゆっくりと客席を回っていく。

 その様子を黙って見つめていると、ある男の声が響いた。

 

「久しいな、福ちゃん! 妖怪画見たぞ、すげぇ迫力だったべ! これを見れば、北斎(ほくさい)の奴もぎゃふんと言うに違いねぇ」

瑣吉(さきち)殿! 遠路はるばる良く来られた。元気そうで何よりだ。瑣吉殿の読本、それにその挿絵も素晴らしかったぞ! して、その北斎殿は何処に?」

「ああ、彼奴は今日は来てない。酒は飲まんと断りやがった。代わりに俺へ、絵の肥やしになるような妖怪話を聞いて来いだと。やってらんねーべ」

「ははっ、そうなのか。残念だが、致し方あるまい。まあ、一杯やろうや。嗚呼、此方は連れの紫白。よろしく頼む」

「おお、福ちゃんの友人なら、俺にとっても友人だな。よろしく」

「よろしくお願いします……」


 どうやら彼は、福兵衛の同業者らしい。

 紹介された手前、挨拶はしたものの、特に話す話題が無い。

 福兵衛が作家仲間と楽しげに話すのを見ながら、僕は少し離れた場所で、運ばれて来た膳を食べる事にした。

 福兵衛は何か言いたそうにしていたが、入れ替わり立ち替わりやって来る人間や妖への対応で忙しく、こちらまで手がまわらないようだ。


 僕が静かに前菜へ箸をつけていると、一人の芸妓が徳利を持ってこちらへやって来た。

 距離を詰められ、反射的に身を引いてしまう。

 すると、彼女は何が面白いのか口元を隠しながら笑う。


「ふふ、おにいはん、えらい美丈夫やのに、うぶなんやねぇ。意外やわぁ」


 構わないで欲しいと眉をひそめるが、彼女は気にする様子もなく更に言葉を続ける。


「おにいはん、お酒は好きやないの?」

「嫌いじゃないですけど」

「ふふ、なら、よーけ飲みぃや」


 促され、お猪口を差し出すと、中に酒が並々と注がれていく。

 一口、二口、飲み込めば、日本酒独特の苦味がした。


「おにいはん、さっきから、全然笑ってへんやん。楽しゅうない?」

「……そういう訳じゃ」

「なら、なんでやの?」


 やんわりと、だが引く気は無さそうに、笑顔で問われる。

 話せば引いてくれるのだろうか?

 僕は仕方なく口を開いた。


「今日は付き合いで来ただけなので……。家には椿が居ますし、気がかりで、楽しむような心境じゃないんです」


 そう告げれば、彼女は「あらまぁ」と目を見開き、口元に弧を描く。


「その人、おにいはんの好い人なん? もしかして、嫁はん?」

「いい人……? よくわかりませんが、違いますよ」


いい人の意味は分からないが、嫁という言葉を否定すれば、芸妓は面白そうにくすくすと笑い声を上げた。


「好い人っていうんは、好きな人って意味や。でも、違うんやねぇ……。なら、同居してはるみたいやし、妹はんどすか?」

「ああ、そういう……。勿論、彼女のことは好きです。妹ではありませんが、守りたい人なんです」


 椿のことは好きに決まっている

 意味を理解し、しっかりとそう答えれば、彼女は首を傾げた。


「兄妹でもないん? でも、守りたいと思って、同居してはる……。秘密の恋ってやつやねぇ、素敵やわぁ」

「恋? 彼女はまだ幼子ですから……」

「あら、そうなん? でも、おにいはんのさっきの言い方、保護者のそれやない気がしますえ? うち、妖の方ともよく話しますけど、皆はん人との恋路に年齢なんて気にしたら負けってよく言ってはるし、おにいはんも気にせんでええんとちゃう?」


 僕が妖だと知ってか知らずか、彼女はそんなことを言う。

 妖は得てして長寿だ。

 霊力を持たない人間に懸想し、そう考えるのも当然かもしれない。


 "守らなければ"

 あの日、椿に抱いた気持ちは今も変わらない。

 けれど、それが恋と呼ばれるものなのか、僕には分からなかった。


 黙りこむ僕に、芸妓が忠告するように告げる。


「小さいゆうてもなぁ……、子供の成長は早いんよ? 女の子なら殊更に。今はまだ蕾でも、あっという間に綺麗な花んなる。ぼんやりしてたら、他の男に取られてまうで? 血が繋がってないんなら尚のこと、しっかり捕まえときぃや?」


 そして、軽く微笑んだ後、彼女は辺りを見渡した。

 見れば、舞妓や芸妓達が、静かに客席の前へと集まり始めている。


「時間やわ。おにいはん、話に付き合ってくれて、おおきに。最後まで楽しんでいっておくれやす」


 彼女は最後に僕へ会釈すると、客達の中へと消えていく。

 そして、とんちんしゃんと流れ出した三味線の音に合わせ、彼女達の演舞が始まる。

 その姿は凛と美しい。

 彼女達は正に、完成された"綺麗な花"なのだろう。


 舞を眺めていると、手が空いたらしい福兵衛が近くへやって来た。


「すまんな、なかなか戻って来れなんだ。だが、会話が弾んでいたようで何よりだ」

「いえ、別に気にしていませんから。それより、福兵衛も料理を頂いては? 美味しいですよ」


 膳を食べ始めた福兵衛を見届けてから、僕は考える。


 椿も、いずれ彼女達のように美しく成長する時が来るのだろう。

 その時、僕はどうすれば良いのだろうか?

 ……どう、したいのだろうか。


 ぐるぐると自問自答を繰り返すが、答えはでない。

 気を紛らわせるように酒を煽れば、福兵衛が更に酒を注ぎ、彼も僕と同じ速さで酒を飲み下した。

 無くなっては、注いで飲む。

 そんなことを続けるうち、気づけば大量に酒を飲んでおり、僕は初めて二日酔いなるものを患ってしまうのだった。



******



 優しく、誰かが僕の頭を撫でている。

 心地の良い手つきに微睡んでいれば、話し声が聞こえてきて、ゆっくりと意識が覚醒していく。

 目を開けると、椿と福兵衛の姿が見えた。


 もう、朝なのだろうか。朝……。

 ーー大変だ、朝食の支度がまだ出来ていない!


 急いで起き上がった途端、突然の頭痛に見舞われる。

 思わず、こめかみを抑えて呻けば、椿が心配そうに駆け寄ってきてくれた。

 僕としたことが、彼女に心配を掛けさせるなんて……。


「大丈夫です」


 そうやんわりと椿に告げ、福兵衛と一言二言会話を交わしてから台所へ向かう。

 再び、ずきずきと頭が痛んだ。

 床で寝たせいか、背中も痛い。


 朝食は軽めのものにしよう……。


 そう思いながら、重い身体を引きずって、台所へと繋がる戸口に辿り着く。

 居間を振り返り、今日の朝食の希望を訊ねれば、椿は僕に気を使ったのか、同じもので良いと言った。

 優しさが身に染みる。

 椿の隣では福兵衛が、「儂はしっかりした御飯でも食べられるが、まあ、何でも良いぞ!」とほけほけ笑っていた。

 それは、暗にしっかりした食事が食べたいということだろう。

 彼も、もっと謙虚になって欲しいものだ。


 軽く溜息をついて、居間から立ち去る。

 台所に立ち、何を作ろうか悩んでいると、いつのまにか着いてきていた椿が、僕の服の裾を引っ張った。

 どうしたのかと、彼女が指差す方を見れば、昨夜の残り物の鮭がある。


「鮭の塩焼き、ですか?」

「うん! これ、そのまま、おちゃづけにしようよ。あっさり、さらさらでいにもやさしいとおもう」

「それもそうですね」


 彼女の提案は有難く、僕は二つ返事で了承し、調理に取り掛かった。

 椿は漬物を用意するため、小皿を探して戸棚の方を見ている。

 けれども、今の彼女の身長では届かないようで、背伸びをしながら手を伸ばす姿は、大変健気で可愛いらしい。

 微笑ましいが、皿を落として怪我をしては大変だ。

 僕が取りましょうか?と声を掛けるが、大丈夫だと彼女は言う。


 鉄瓶に水を入れながら、はらはら見守っていると、彼女はポンッと変化の術を使ってみせた。

 白い煙が引き、そこに居たのは十歳前後の少女。

 彼女は小皿を颯爽と掴み、艶やかな黒髪をはためかせながらこちらを振り向く。


「ね、大丈夫だったでしょう?」


 頬を薔薇色に染め、誇らしげにそう言った少女は僕の知る椿ではない。

 まだ幼かった彼女は、あどけなさを残しながらも、美しい少女へと変貌を遂げた。

 

『そのうち子離れも必要だぞ。いずれは離れる時が来るかも知れん』

『子供の成長は早いんよ? ぼんやりしてたら、他の男に取られてまうで?』


 脳裏に浮かぶのは、そう話した彼らの言葉。

 動揺に目を見開き、拳を固く握りしめる。


「紫白……? どうかした?」


 掛けられた声にハッと我に返って、慌てて取り繕った。

 料理する手を進めながら、僕は思う。


 育て親を亡くして以来、ようやく見つけた安心出来る場所。

 僕が守るべき、愛しい貴女。


 ーー椿も僕の前から居なくなってしまうんですか?


 そう考えると、胸が締め付けられた。

 居なくなるくらいなら、いっそ、どこかへ閉じ込めてしまえたら……。

 守りたいはずなのに、そんなことを考えている自分がいて、かぶりを振る。

 湧き上がる、この仄暗い感情は、決して彼女にぶつけて良いものでは無い。

 そんなことをしたら、きっと傷つけてしまうから。


 調理を手伝う椿を横目に見て、僕は自分の感情を飲み込んだ。


 ーーその日の晩、再び飲みに連れ出され、収まらないもやもやとした気持ちを流し込むように酒を飲んだ結果、やらかしてしまうことを、今の僕はまだ知らない。



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