第二十四話「茜色の少年」
「彼、大丈夫そうっすか?」
「うん、多分」
部屋の戸口で待機する忍へ頷きを返して、規則的な寝息を立てる音次郎を確認し、掛布団をそっと掛け直す。
店を飛び出し、大門を潜り抜けた後、私達は全速力で家まで帰った。
片道四十分程度の道のりを必死に走ったものだから、家に着く頃には息が上がり、足は震え、それはもう酷い有り様だった。
一方忍は、音次郎を背負っていたにも関わらず、息一つ乱していない。
日頃の訓練の差が窺えた。
生き残る為には、私も術だけではなく、基礎体力も鍛えるべきかもしれない……。
そんなことを考えつつ、どうにかこうにか音次郎を空いている客間へ連れて行き、布団に寝かせ、現在に至る。
「とりあえず連れて来たっすけど、どうするんすか?」
「そうだね、どうしよっか……」
あの場に置き去りにする訳にもいかず、つい一緒に連れて来たが、まさかの真実に、まだ頭が追い付いていない。
茜音と音次郎。
髪や瞳の共通点は一致しているが、ゲーム内の彼は大層な色男である。
まさかそんな男が、幼少期は女装で過ごしているなんて、誰が想像出来るだろうか?
彼のキャラ紹介にある、『男嫌いで大の女好き』という言葉。
男性が苦手という点は、確かに今も共通しているようだ。
だが、こんなに可愛い女子みたいな子が、将来女好きのちゃらんぽらん野郎になるの?
嘘だ……、信じたくない。辛すぎる。
念願の攻略対象と、接触出来たのは良かったと思うんだけど……。
"あわよくば、今世でも女友達を作りたい"そんな私のささやかな夢が、音を立てて崩れ落ちていく。
ショックを隠しきれず、呆然と音次郎の寝顔を眺める私へ、忍が声を掛ける。
「……もしかしてだけどさ、コイツも助けようとか考えてないっすよね? 助けられたオイラが言える事じゃないけど、辞めた方が良いよ」
「どうして?」
攻略対象を味方に引き込むなら、助けるべきだ。
打算的だが、恩を売れば、万が一事が起きた際に助けてもらえる確率が上がる。
混乱した頭でも、そのくらいは分かった。
それに、男性が苦手だと言っていたのに、あんな客がいる店で働いて、大丈夫なのだろうか……?
茜音は音次郎だった。
その事実に戸惑いこそすれ、茜音と過ごした時間が無くなった訳ではなく、私は彼女を友達だと、好ましいと感じていた。
だから、彼女が嫌だと言うのなら、昨夜やさっきの様に怯えて、助けを求めるのなら、私はーー。
質問を投げかけたきり沈黙する私へ、忍は少しきまりが悪そうに言う。
「椿ちゃんはさっきの店が……、コイツが働いている場所が、どういうところなのか分かってる?」
「料理屋でしょう? それも、結構高級な」
答えが正しくなかったのか、忍は気まずそうに頭を掻いた。
「あー……、そうっすよね。オイラが隠したもんね。必要無ければ、別に知らなくても……というか、あんまり知って欲しくなかったんすけどねー……」
「つまり?」
珍しく歯切れの悪い忍へ、結局何なのかと問いかければ、彼は意を決したように口を開く。
「つまり、あそこは陰間茶屋で、コイツはそこの陰間なんっす! ああいう所で働いてる奴は、皆何かしらの理由や覚悟を持って働いてる。だから、それに口を出すのは辞めた方がいいってこと。変な問題に巻き込まれたく無ければね」
そう捲し立てられるが、意味がよく分からなかった。
陰間ってなんぞや?
この和風世界で暮らし始めて数年経つが、そんな特殊用語は知らない。
きょとんとする私に、忍は更に言いにくそうに言葉を続ける。
「陰間、知らないっすか? なら、男色は分かる? あれっすよ、男同士の……、まあ、取っ組み合い的な」
少々恥ずかしそうに告げる忍の様子と、男色という言葉で色々察した。
好きなものは人それぞれだ。
偏見は無いが、詳しく話せばR指定になりそうな描写を、子供の口から説明させるのはよろしくない。
私は中身成人済みだけど、忍くんは中身も十歳だからね!
私は話を切り上げるため、正直すまんかったと思いながら、「なるほど。よく分かった」と素早く頷いた。
でも、それなら尚更のこと、音次郎に勤まるとは思えない。
男性恐怖症の子に、男の相手をしろとか拷問なのでは?
だが、ゲーム設定では、彼はパトロンを捕まえて歌舞伎座へ弟子入りするまで、ずっとその暮らしをしていたはずで……。
さっき私が助けなければ、彼は今頃あのまま……。
いや、もしかしていつも、ああやって?
あり得る事態を予想して、血の気が引いた。
助けてあげたい、でも忍が言うように、彼があの店で働くのにも何か理由があるのだろう。
でなければ、嫌だと思い続けながら、何年も働ける筈がない。
「私は、やっぱり助けてあげたい。でも、忍くんが言うように、理由があって働いているのかも知れないから……。一度、どうしたいか彼と話してみようと思う」
「そうっすね、それがいいや。なら、オイラは見張りも兼ねて廊下にいるから、起きるまで着いててあげなよ」
「うん、そうする」
忍はにかっと笑い、ひらひらと手を振ると、静かに障子を閉じた。
でも、見張り、見張りか……。
そうだよね、紫白と福さんにこの状況を説明する必要があるんだよな。
先の事を考えると、胃が痛くなって来た。
私は痛む胃を押さえながら、音次郎が目覚めるのを待つのだった。
******
一刻ほど経つが、音次郎は目を覚まさない。
眠気に負け、うとうとと微睡んでいると、音次郎が身動ぐ気配がした。ハッと目を開ける。
「あ、起きた? 身体は大丈夫? 痛いところない?」
布団から起き上がろうとする音次郎へ、矢継ぎ早に問いかければ、彼は躊躇いがちに「大丈夫……」と呟いた。
音次郎の表情は暗く、俯いているため、視線が合わない。
「本当に大丈夫……?」
外傷はなかったように思うが、やはりどこか怪我をしていたのか、はたまた心理的な要因か。
心配になって顔を近づければ、音次郎はバッと顔を背けた。
一瞬見えた目には涙が溜まり、今にも溢れ出しそうだ。
「やっぱり、どこか怪我を……」
「ご、ごめんなさい! 怪我はしてない……大丈夫。でも、あの……。椿ちゃん、見たんでしょう? 服も、直してくれたんだよね……?」
音次郎は顔を逸らしたまま言う。
見た、とはあの店での一件のことに違いない。
「ごめんね、覗き見するつもりは無かったんだ。気まずいまま別れたくなくて、もう一度あなたと会うために、店へ忍び込んだの。でも、結果的にそうなっちゃったし、天井まで壊して……」
重ねて謝ろうとして、震える声に止められる。
「違う、責めるつもりなんかないんだ。むしろ、助けてくれて本当に感謝してる。……でも、ぼく、男のくせに女の子みたいで……、女装までして……気持ち、悪いでしょう?」
「そんなこと……っ!」
「それにっ!……きみを、騙してた。こんな事が無ければ、言うつもり無かった……。名前も源氏名だしっ、ずっと、女の子として関わる気だったんだ」
私の言葉を遮り、そう言い切ると、音次郎は押し黙った。
相変わらずこちらを見ようとはせず、怯えるように肩を震わせている。
「茜音ちゃん、こっち見て」
「……っ」
けれど、音次郎は一向にこちらを見ようとしない。
私は焦れて、音次郎の真正面に座ると、彼の顔を両手で掴んだ。
今にも泣き出しそうな真っ赤な目が、驚きに見開かれる。
「ねえ、ちゃんとこっちを見て話して。……そんなに、私が怖い?」
知らず、言葉に力が籠っていく。
「茜音ちゃんが、今何に怯えているのか分からない。分かるほど一緒に過ごしたわけでもない。名前も性別も偽りだったのかもしれない。でもね、あの路地で一緒に逃げたり、クッキーを食べながら話した時間は確かに合って、私はあなたと仲良くなりたいと思った。男の子だって知って、勿論驚いたよ? でも、だからって、気持ち悪いなんて思うわけがないでしょう!?」
この気持ちはそう、悲しみだ。
そんなに簡単に、私があなたを嫌いになると思われていた事への悲しみ。
そして、そんな風に思わせてしまった、申し訳なさ。
「騙してた? そんなの、私が勝手に勘違いしてただけだよ。むしろ、こっちが気付かなくてごめんなさい! ……だから、もう一度、一から友達になりませんか?」
一気に捲し立てれば、音次郎は堰を切ったように泣き出してしまった。
強く言い過ぎたかと慌てて謝れば、音次郎はふるふると首を振る。
「……じ、ろう」
「え?」
小さな声は聞き取れず、訊き返すと、音次郎ははにかんだように笑う。
「音次郎……。ぼくの、本当の名前。友達になるなら、必要でしょ? だから、また……仲良くしてくれると、嬉しい」
涙声で途切れ途切れだったけれど、嬉しそうなその言葉は、確かに私の耳へと届いたのだった。
******
音次郎が落ち着くのを待って、これからどうしたいか訊ねようとした時、物音がして背後を振り返る。
廊下の方へ目を向ければ、障子を開けた紫白、福兵衛と目が合った。
忍はというと、『ごめん、止められなかったっす!』とでも言うように、廊下からこちらへ手を合わせている。
再び、紫白と福兵衛へ目線を戻すが、咄嗟に言葉が出てこない。
先に口を開いたのは、福兵衛だった。
「帰ったぞ。……もしや、その子が例の新しい友達か?」
穏やかに笑う福兵衛に続いて、紫白が信じられないものを見る目で私の方へ近づいてくる。
「椿……? この子は、何処で拾って来たんです? まさかとは思いますが、外へ出たんですか」
「ご、ごめんなさい」
即座に頭を下げて、様子を伺う。
すると、紫白は怒るでもなく、ただ淡々と告げる。
「……怪我が無いのなら構いません。もしかして、忍も一緒に?」
「う、うん」
「忍に唆されたのですか?」
「違うよ。外へ行ったのは私の意志」
堂々と違うと答えれば、紫白は後悔を滲ませた声で独りごちた。
「……貴女はいつも行動的だ。言いつけを守ってくれると信じた僕が、間違いだったのですね。やはり、側で見ているべきだった……」
酷く傷ついた様な表情を浮かべる紫白へ、かける言葉が見つからず、私はもう一度「……ごめんなさい」と呟いた。
重い空気の中、第三者の声が部屋に響く。
「ひぃっ……!」
甲高い悲鳴は、紫白でも福兵衛でも忍でも無く、私の背後から上がっている。
見れば、音次郎が、酷く怯えた様子で布団に包まっていた。
「おや、どうしてそんなに怯えているのだ? 大丈夫か……?」
福兵衛が優しい声色で、ゆっくりと音次郎へ近づけば、音次郎は距離を取るようにその分壁側へと後退る。
音次郎の口からは「ぃ、や……、ひっ! ……ぁぅ」と声にならない声が漏れ、それを見た福兵衛は困り顔を浮かべた。
紫白は相変わらず沈んだ目で私を見つめ、忍は廊下から部屋の惨状を見て、どうするべきか悩んでいる。
部屋の中は、混沌と化していた。
とはいえ、この状況を作ってしまったのは私。
なら、なんとかするべきなのも、私だ。
私はキリキリする胃を押さえ、その場を収めるために動き出したのだった。




