第二十二話「見守る者」
翌日、早朝。
私は恐々と、居間へ向かっていた。
昨日、あの後すぐに家へ帰れば、有難い事に紫白と福兵衛はまだ帰宅していなかった。
おかげで、夜間外出について咎められることはなかったが、その分、叱られる恐怖は今日に持ち越しだ。
大人になるほど、叱られたり、注意されるのが怖くなっていくんだよね。
幼い時より、耐性が無くなるというか……。
いや、この身体はまだ幼いんだけれども。
私はゆっくりと深呼吸してから、居間の障子をそっと開く。
お守りを握りしめながら恐る恐る中へ入れば、予想に反して、床で眠る紫白の姿が見えた。
彼がこんな場所で眠るなんて、珍しい。
普段の紫白なら自室で眠るし、朝食の支度があるそうで、この時間まで眠っていることも滅多にないのだが。
人型のまま横たわる紫白を、しげしげと眺める。
透き通るような白い肌に、さらさらと流れる紫がかった白銀の髪。
「わたしより、きれいなかみだよね……」
特別な手入れはしていないはずなのに、羨ましい限りだ。
そっと頭を撫でれば、紫白は「……ん」と睫毛を震わせる。
ふと、昨夜の茜音を思い出して、美形って皆睫毛長いんだな、などと、しょーもない事を考えていた時、背後から微かな足音が聞こえた。
「……む? なんだ、椿ちゃんか。今日はえらく早いではないか」
そう微笑みながら顔を出したのは、福兵衛だ。
私は福兵衛の方へ身体を向けると、覚悟を決めて口を開いた。
「おはよう、ふくさん。それから、ごめんなさい! もらったおまもり、さっそくつかっちゃったの……」
「嗚呼、そうか。大事はなかったか?」
さして驚いた様でもない福兵衛の姿に、私は目を丸くする。
注意されるとばかり思っていたから、こんな反応は予想外だ。
「え、おこらないの?」
「怒って欲しいのか? 危ない事が起きて、御守りを発動した。そして、お前は無事にここにいる。ならば、それで良いではないか」
「それは、そうなんだけど……」
確かにその方が良いのだが、なまじ覚悟を決めていただけに、釈然としない。
歯切れの悪い私を見て、福兵衛はふむと顎に手を当てた後、言葉を続けた。
「……お前は以前から、夜間、外へ行きたがっていたからな。だが、暗闇には危険が付き物なのだよ。高い勉強代だったやも知れぬが、これに懲りたら夜間の外出は控えるようにな」
あ、やっぱり夜間外出の件は全部お見通しでしたか。
分かった上で、そういう反応なんだね!
でも、ごめん、福さん。それは無理だ。
さっそく、出かける約束取り付けちゃたから……。
黙り込む私に、福兵衛は何かを察したらしい。
「……おや? そんなことがあったのに、椿ちゃんは今晩も出かけるつもりなのか。なかなか、お転婆だな」
「あはは……。ちょっと、ともだちとやくそくしちゃって」
「ほう、友達が増えたのか! それは良い事だ。だが、そうか……なら、護符を作り直さなければいかんな」
福兵衛はえらく協力的だった。
だが、紫白はどうだろう?
私は、すやすやと寝息を立てている紫白を横目で見た。
……うん。怒りはせずとも、この心配性の狐なら絶対止めてくるよね。
思案顔をする福兵衛に、口止めのためそっと声をかける。
「あの、このこと、しはくには……」
「嗚呼、分かっておるよ。紫白には内緒にしておこう。儂ら二人の秘密だな」
福兵衛はそう言うと、人差し指を口に当て、軽くウィンクして見せた。
「ありがとう、ふくさん」
私がそう告げると同時、側で紫白が身動ぎする気配がし、伸びをした後、むくりと起き上がる。
「すみません、寝過ごしました……。直ぐに、朝食の用意をします。ゔっ……!」
こめかみを押さえて、呻く紫白に慌てて駆け寄れば、「大丈夫です」と弱々しく制された。
次いで、背中も痛そうに摩りだす。
「紫白や、お前、思っていたより酒に弱かったのだなあ。だが、酔っていたとはいえ、布団の上で眠るべきだったな」
「僕は普通です。貴方が強過ぎるんですよ……」
「いやいや、そんなことはないだろう」
紫白は朗らかに笑う福兵衛を睨め付けると、溜息を吐いて、台所の方へと歩いて行く。
なんだ、とどのつまり、ただの二日酔いか。
とはいえ、あれは一度なると一日中気分不良に苦しむことになる。
前世で、二十歳の誕生日に調子に乗って飲みすぎ、患ったことがあるのでよく分かるのだ。
「朝食は……、何かあっさりしたもので良いですか? ああ、いや……椿のはちゃんと作りますから、心配しないで下さいね」
「わたしも、おなじ、あっさりごはんでいいよ」
戸口からこちらを振り返って話す声も、いつもより覇気が無い。
手抜きで大丈夫だよと暗に伝えれば、彼は「そうですか?」と微笑んだ。
「儂はしっかりした御飯でも食べれるが、まあ、何でも良いぞ!」
会変わらずマイペースに笑う福兵衛には目もくれず、紫白は再び台所へと足を向ける。
しかし、足取りは覚束ない。
心配になって、支えるために紫白の方へ向かおうとして、福兵衛に呼び止められた。
「椿ちゃん、後で儂の部屋に来なさい。護符を作ってやろう」
内緒話のように小声で告げる福兵衛に、私は一つ頷きを返してから、紫白のもとへ駆け出した。
******
「……あっさりした食事、何を作りましょうかね?」
台所へ入ると紫白が立ち止まり、頭痛を堪えるように、目頭をつまみながら言った。
私はそっと、昨日の晩御飯になるはずだった物を指差す。
昨夜、紫白と福兵衛が食べなかったため、残っているものがあるのだ。
「しはく、それでいいんじゃないかな?」
「鮭の塩焼き、ですか?」
「うん! これ、そのまま、おちゃづけにしようよ。あっさり、さらさらでいにもやさしいとおもう」
「それもそうですね」
紫白は私の提案に二つ返事で了承すると、いつもよりやや緩慢な動作で、朝食の用意を始める。
「あ、わたし、おつけもののよういするね!」
漬物樽から、きゅうりのぬか漬けを出すため、小皿を取ろうと、戸棚を開けた。
しかし、見れば、目的の小皿は手の届かない高さにある。
「椿、届かないなら僕がとりますよ。置いておいて下さい」
紫白が鉄瓶に水を入れながら、こちらへ心配気な視線をよこす。
「だいじょうぶ、じぶんでできるから!」
何のために一生懸命、変化の術を覚えたんだ。
変装の一環だったとはいえ、こういう場合にも使えるようにするためだ。
いつやるの? 今でしょ!
昔流行った某予備校のCMよろしく、己を奮い立たせ、ポンと十歳児の姿へと変化する。
そして、颯爽と小皿を掴んだ。
「ね、大丈夫だったでしょう?」
笑顔を向ければ、こちらを凝視する紫白と目が合う。
「紫白……? どうかした?」
不思議に思って、そう声をかければ、紫白はハッとしたように慌てて答えた。
「いえ、何でもありません! 少し驚いただけです……」
「そう?」
「ええ、……さあ、食事の続きを作りましょう」
そういえば、この姿は術が完成した時に見せて以来、あまり使ってなかったもんな。
実は、変化の術を維持するにはけっこうな集中力が必要で、割と疲れる。
今でこそ、平然と維持出来ているが、習得したての頃は何かの拍子に元の姿へ戻ってしまうことが多かった。
霊力保持者だと気付かれると厄介なので、近隣へ出向く際は年齢相応の成長具合に変化しているが、家ではしんどいので基本的に自然体のままで居る。
そのため、紫白が十歳の姿に驚くのも無理はない。
私は一人納得し、「分かった」と紫白へ告げ、漬物を取り出すべく再び漬物樽へ向き合った。
******
お茶漬けをさらさらと流し込み、片付けを手伝った後、私は誘われた通りに福兵衛の部屋まで来ていた。
ちなみに、紫白は布団に寝かし付けて来た。
家事をしようとしていたが、あのまま頑張っても、辛いだけだからね。
忍もついて来そうだと思っていたが、彼は彼で体術の修行をするらしく、庭へ向かった。
「まじめだね」と言えば、彼は「身を守る為に必要な鍛錬っすよ」と苦笑していた。
最近、定期連絡時の母との手合わせが、益々激しくなっているらしい。
「まあ、その辺にでも座ってくれ」
そう促されて、福兵衛の隣に敷かれた座布団へ腰を下ろす。
そして、ぐるりと部屋を見渡した。
「いつみてもすごいへやだよね」
天井からは、下に房のついた提灯が吊るされ、部屋中が色とりどりの光に包まれている。
壁には、地図や幾何学模様の描かれた毛織物が貼られ、そのまま視線を下げれば、細かな貝の装飾が施された、漆塗りの箪笥があった。
その隣に置かれた飾り棚の上には、中華風の模様が描かれた花入れに、和柄が彫られたガラスの器。
更に下を見れば、床には仏像や謎の民族人形、木彫りの熊に……他にも色々。
挙げだすときりがない。
ともかく、様々な国や地域の工芸品が乱雑に置かれた異国情緒溢れる部屋。
そのど真ん中に、私達はいた。
「まあ、寛いでくれ。昨日、土産に貰った南蛮菓子があるのだ。かすていら、と言うらしい。食べるだろう?」
「たべる」
こんな場所で、寛げるか!と言う突っ込みを飲み込んで、私は頷いた。
しかし、最近急に私の周りで洋菓子が出没し始めたな。嬉しいけど。
福兵衛はいそいそと、何処からともなくガラスの食器を取り出し、その上に切り分けたカステラを置いた。
「さあ、お食べ」
「ありがとう」
差し出されたカステラを受け取って、手で掴む。
一口食べれば、砂糖の甘みが口いっぱいに広がった。
「おいしい!……って、ふくさんはたべないの?」
「儂は良いのだ、昨日も食べたからな。それより、今から件の護符を作る。それを食べながら、眺めていなさい」
「え、でも……」
人が頼み事を聞いてくれている時に、自分だけ呑気に食べるなんて気がひける。
カステラを置こうとすると、再び福兵衛の声がかかった。
「少し、時間が掛かるのだ。良いから、気にせず食べなさい」
遠慮がちにもう一度カステラを齧れば、福兵衛が満足気に頷いた。
そして、福兵衛はおもむろに懐から木製の薄い札を取り出すと、札を胸の前へ上げた。
「我が妖気を以って彼の者を守護する力と為らん。力よ、此処へ留まり、彼の者に加護を与え給へ」
福兵衛が呪文のような言葉を発すると、札が白く輝き出す。
護符って、加持祈祷とかして作るんじゃないのか!
私が驚いて、口をあんぐり開けていると、福兵衛がチラリとこちらを見る。
「ふー……、此処からが大変なのだよ」
福兵衛はそう一呼吸置くと、再び札へと意識を集中させた。
よく見れば、白いオーラのような物が、福兵衛の身体から湧き出している。
札を包み込む光は、それが一点に集められたものらしい。
集中する福兵衛に、声を掛けるのは憚られた。
固唾を飲んで見守ること、二十分程。
「完成したぞ。袋を此方へ」
福兵衛がこちらへ手を差し出す。
私は、お守り袋を渡しながら訊ねた。
「これも、じゅつのいっしゅなの?」
練習して出来るなら、お守りを作って、そのうち茜音ちゃんへ渡してあげたい。
術を使えない彼女には、気休めにしかならないだろうが……。
そう考えて言った私の言葉に、福兵衛は難しげな顔をした。
「これは、術の一種ではあるが……。自分もやろうとは、思わない方が良い。それに、これは術者によって効果の変わる代物なのだ。同じ物は、儂しか作れない」
「そっか……」
「そう残念そうな顔をするな。やはり、自分でも作りたいと思っていたのだな? 理由を訊いても?」
そんなに顔へ出ていただろうか?
考えていることまで汲み取られるとは、毎度の事ながら、福さんは勘が鋭い。
私は、隠さず正直に話すことにした。
「きょう、また、あいにいくともだちがね、よくあぶないめにあうらしいの。もやみたいなのに、おいかけられるんだって。わたしは、こえしかきこえなかったけど、きのうもそれにおそわれて、おまもりをつかったんだ。だから、そのこにもわたしてあげたくて。きやすめにしかならないのは、わかってるんだけど……」
一生懸命伝えれば、福兵衛は私の頭を撫でながら、優しく言った。
「そうだったのだな。友のため、か。それは素敵だ。だが、ふむ……もや。……その子はもやが見えるのかい?」
「うん。いつも、どこにでもいるっていってた。ふくさんは、もやがなにかしってるの?」
「いや、断言はしかねる。儂にも見えているわけではないのだよ。それより、その子には良い物がある……確か、この辺りに」
福兵衛は棚の方をごそごそと漁り、何かを取り出す。
それは、六芒星の書かれた石が一つついた、首飾りだった。
「籠目紋入りの石だ。恐らくだが、そのもやに関しては、儂の術よりこちらの方が効果的だろう」
「でも、いいの?」
「構わんさ。知り合いの陰陽師に貰ったのだが、儂はあまり使わぬからな。必要な子が持っている方が、石も喜ぶ」
優しい表情を浮かべる福兵衛へ、元気よく礼を告げ、私はお守りと首飾りを受け取ったのだった。
ーーそして、その日の晩。
「嫌だ……っ、今日は本当に無理です……!」
「顔色は今朝より良くなったではないか。今日は、地元の奴等と飲み会なのだ。酒は飲まなくても良いから、ほら、行くぞ!」
福兵衛と紫白は玄関先で口論を続けていた。
紫白は病上がりだ、本当は止めてあげたいのだが、外出妨害される可能性を考えると加勢はできない。
福さんも私から紫白を遠ざけるために、こうしてまた、紫白を連れ出してくれる訳だし。
「では、行ってくる。今日も留守は頼んだぞ」
福兵衛は暴れる紫白を小脇に抱えると、私へ目配せし、玄関の扉を開ける。
私は軽く頷き、扉に鍵をかけると急いで着替えてから、裏口へと向かう。
福さん、ありがとう。
紫白は本当にごめん、帰ったら手厚く看病するからね……!
そう思いながら、私は再び家を抜け出した。
*将来的な皆の酒の強さ
福兵衛>>>紫白≧忍>(超えられない壁)>椿
福兵衛氏が強すぎるだけで、紫白さんも弱くはないのです。というか、椿ちゃん以外は全員常人より酒に強い。




