第十八話「変化の術」
「はぁ〜〜〜……」
忍くんの家出騒動から数ヶ月、私は自室で一人、大きなため息をついていた。
頭につけた、白い花の髪飾りを弄りながら思案する。
あの日、術を習得してから、忍は恐ろしい速さで成長し新たな術を創作するまでに至った。
この髪飾りは、忍くんからの贈り物だ。
彼は、この前のお礼にと風の術を応用し、ドライフラワーを作り、髪留めにして渡してくれた。
以前の彼からは予想できない術の使いっぷりに、驚きはしたが、同時に喜ばしいなとも思った。
だが、忍が上達する一方で、私はまだ新たな術を習得出来ていない。
いつのまにか、追い越されてしまった。
今後のことを考えて、とりあえず、変化の術を習得しようとしたのだが、一向に出来る兆しが見えない。
鏡に向かって、成長した自分を思い浮かべる。
が、やはり変化はない。
そもそも、成長って気づいたらしているもので、これまで意識することがなかった。
はあ、と再びため息を吐いた時、障子がすぱんと開き、もう一つの悩みの種がやってきた。
「椿〜〜っ! 頑張る貴女も素敵ですけど、こんの詰め過ぎは良くないですよ?」
そう言い、私に抱き着いて頬ずりするのは、獣耳と尻尾を生やした状態の紫白だ。
「しはく……、はなれて。きがちる」
あまりに何度も繰り返されたやりとり。
私は諦めがちに、紫白から距離をとった。
誘拐事件以来、紫白の過保護ぶりに拍車がかかったのは言うまでもない。
だが、その程度がヤバかった。
四六時中、おはようからおやすみまで、ほとんどずっと私の側から離れないのだ。
トイレの前までついてくるのは当然、その上、お風呂まで一緒に入りたいと言い出した時は、思わず天を仰いだ。
何度もいうが、私は見た目は幼女でも中身は成人済み女性だ。そこんとこ、ほんとに頼む。
いくら元は動物で、美青年だったとしても、やっていいことと悪いことがあるからね。
お風呂の件は、もちろん全力で断らせて頂いた。
それでも、始めの一週間程は心配をかけた申し訳なさもあり、まあ仕方ないと許容していたのだ。
でも、数ヶ月単位で続けば話は別で、いい加減嫌気もさす。
そう、遠い目をしながら何度目か分からないため息をつけば、紫白はポンッと音を立て狐型になった。
とてとてと、側まで歩み寄り、ちょこんと私の膝へ前足を乗せる。
私を見つめる瞳は潤み、こてんと小首を傾げる姿は大変あざとい。
『狐型、お好きですよね? 撫でないんですか?』
言葉は無いが、絶対そう言われている。
経験からの確信だ。
そんな可愛い仕草で誘われてたって、触ったりなんか……、もふったりなんかしない……っ!
互いに見つめ合うこと、数秒。
気づけば私は、もふみの海へ沈んでいた。
前言撤回、いくらつきまとわれるのが鬱陶しくても、可愛いものは可愛い。
もふもふに罪は無いのだ。
こうやって、いつも追い出し損ねるから、一人になれない。
都合が悪くなると毎回狐型になるのは、計算なのか天然なのか……。
チョロい狐さんだと思っていたが、案外私の方が手のひらで転がされている気がした。
******
毛並みを堪能し一息ついた頃、私はふと思いたって、紫白に訊いてみることにした。
「ねえ、しはく。しはくは、へんげのじゅつがとくいでしょう? なにかコツとかあるの?」
なにかにつけて、変化の術を多用する彼だ。
助言してもらえれば、私も何か掴めるかもしれない。
期待に目を輝かせながら、返答を待つ。
すると、紫白は頼られたのが嬉しかったのか、人型に戻り満面の笑みで答えた。
「コツという程のものではありませんが、やはり、他者を見ることでしょうか? 今でこそ意識せずとも出来ますけど、僕も昔は全然出来なくて、すごく苦労したんですよ」
「そうなの?」
「ええ」
ふふっ、と笑いながら、微笑ましいものを見る目で頷かれた。
他者を見る、か。
福兵衛の五感で感じろ理論に近い気がする。
「うーん……。じゃあ、とくになにをみればいい?」
「そうですねー……。僕の場合なら、人の身体構造から営みまで、色々なことをくまなく観察しました。元が動物なので、想像が出来なかったんです。でも、椿はもとから人ですしね。……どのくらい身長を伸ばすかとか、なりたい歳の子供を見て参考にするのはどうでしょうか?」
なるほど、そういう手があったか。
確かに、漠然と成長したいと思っても何才になりたいか決めなきゃ、想像もできない。
盲点だった。
そうと決まれば、外へ行きたいところだが、紫白の許可は降りるだろうか……。
家の中でもこのべったり具合なのに、外はもっと危ないって止められそう。
とりあえずお礼を告げて、どう切り出すべきか様子を伺っていると、紫白が私の髪に触れた。
いや、正確には忍から貰った髪飾りに。
「しはく……?」
「そういえば、これ、どうしたんですか? 昨日はつけてませんでしたよね」
「え、あの、しのぶくんにもらったの。だいじにとっとこうかとおもったんだけど、つかわないのも、もったいないきがして」
普段と違う淡々とした口調に慌てて答えれば、紫白はなんともいえない表情で、一言「そうですか」と呟いた。
微妙な空気が流れた時、場にそぐわない明るい声が響く。
「あっ、椿ちゃん、ここにいたんすね! 福じいちゃんにお小遣いもらったんすけど、一緒におやつでも食べにいかないっすか?」
噂をすれば、というやつだろうか。
障子の間から顔を出したのは忍だった。
これ幸いと、話に乗ることにする。
「……うん、いく! ちょうど、そとにいきたいなっておもってたの」
「そりゃ、よかったっす! そうだ。せっかくなら、椿ちゃんも紫白からお小遣いもらったら? そしたら、おやつが倍買えるっすよ!」
ウキウキと嬉しそうにする忍を、紫白が睨みつけた。
「ダメですよ! 外は危ない。この前、誘拐されたところなんですから」
「それ、もうだいぶ前のことっすよ? 何ヶ月も引きずるのは良くないと思うっす」
「その油断が、命取りになるかもしれません。……というか、椿は貴方に巻き込まれたんですからね! その辺、ちゃんと分かってます?」
「へいへーい、その節はすみませんでしたーっと。紫白ってば、なんでそんなに怒るんすか? あ、もしかして渡せるお小遣いがないとか?」
忍がそう告げると、今まで勢いよく話していた紫白の声が段々と尻すぼみになっていく。
「……そんなこと無いですし」
「あれあれ? さっきまでの勢いはどうしたんすか? もしかして、図星っすか!」
忍が更に続けると、紫白は目線を泳がせた。
……図星だったんだな。
確かに、山を下りてからはずっと福兵衛の厄介になってたから、お金は無くてもなんとかなったもんね。
そんな紫白の様子を見て、忍は笑い声を上げる。
「うわっ、本当に一銭も持ってないんすか? オイラでも少しは稼いでるのに! やーい、紫白の甲斐性なしー! 無職野郎ー!」
的確な指摘に、紫白が「ぐっ」と呻きつつ床へ膝をついた。
忍くん、やめたげて。そんな無邪気に煽らないで!紫白の心がえぐられてる!
「だ、だいじょうぶだよ! しはくはりょうりじょうずだもの」
慰めるように背中をさすれば、紫白が涙目で見つめてきた。
「う"〜〜、椿ーー……」
「しょうらいはきっと、りっぱなしゅふになれるよ!」
そう言えば、紫白はがくりと項垂れる。
あれ? 私、何かまずいこと言った?
「……あーあ、トドメさした」
忍が何かをぼそりと呟いたが、聞き取れなかった。
どうするべきか悩んでいると、紫白が急にゆらりと立ち上がる。
「……椿、待ってて下さい。僕だって甲斐性ぐらいあるって、証明してみせます!」
そう宣言した後、私の方を見て力強く頷くとそのまま走り去って行った。
「えぇ……?」
「まぁまぁ、じゃあ紫白は放っておいて、出掛けるっす!」
困惑する私の腕を引っ張り、忍が歩き出す。
私は彼に連れられるまま、家を出た。
忍くんが贈った髪飾りの花は野茨。五枚の白い花弁が可愛いらしい花です。
花言葉は「素朴な可愛らしさ」「素朴な愛」「才能」「孤独」「厳しさ」「痛手からの回復」など。




