第二話「幼女と狐」
もふっ、もふもふ、ぺち。
「ん、ぅ……」
久しぶりに感じるもふもふの暖かさに微睡んでいると、頬に何かが触れた。
ぼんやり目を開ければ、射し込む光とともに、何か小さな毛の塊が、自分の頬を軽く叩いていることに気づく。
「……?」
ぺち、もふっ……べし、べし!
頬を叩くそれが次第に強くなって、たまらず目を覚ました。
すると目の前には、白銀に少し紫がかった美しい毛並みの狐がいた。
目と目が合うこと数秒。
狐はやっと起きたのかといわんばかりに迷惑そうな表情をした後、「コン!」と強めに鳴いた。
私は何も考えず、狐の頭を撫でた。
うん、可愛い。
狐は不服そうに私の手から逃れると、尻尾の手入れをし始めた。
よく見ると、狐の尻尾は9本に先が分かれており、なぜか不自然に濡れている。
徐々に頭が覚醒してくると、私はあることに気づいた。
先程まで私が枕にしていたのって、この尻尾なんじゃ……?
しんなりする尻尾を、一緒懸命に毛づくろいする姿は、正直愛らしいに過ぎる。が、その尻尾は9本。
つまり、彼?彼女?は九尾の狐だった。
ある説では人を食べたり、国の王を誑かして一国を滅ぼしたりするという、あの噂に名高い九尾の狐である。
まさか、寝床に選んだ場所に、こんな大妖怪が住んでいたとは。
しかも、その尻尾で濡れたまま一晩寝ていたとは、さぞ気持ち悪かったことだろう。
……最悪、私、殺される?
私は昨日の私の愚かさを呪った。
しばらく、隅の方に縮こまり、恐怖に身を震わせていると、何を思ったのか、狐が側に擦り寄って来た。
その上、私を包むように尻尾を広げてくる。
え? どういうことだ?
締め付けて来たりする事もなく、只々優しく包み込まれて困惑してしまう。
だが、襦袢はまだ半乾きで寒かったから、有り難かった。
「ありがとう」
そう呟くと、狐は満足そうに鼻を鳴らした。
もふもふした尻尾はとても暖かい。
警戒していても、一向に何もしてこない狐に気が緩んでいく。
だいたい、前世からもふみに飢えているので、この状況は、涎が出そうなくらい最高なシュチュエーションだった。
思い返せば、前世遊んでいた乙女ゲームで、敵のラスボスが妖狐だったことがあった。
あの時、何度画面越しのその麗しい毛並みに、顔を埋めてみたいと思ったことか。
何度も涙を呑みながら、討伐した覚えがある。
攻略キャラが変われば、ルートの内容も変わるから、妖狐を殺さなくて済むENDがないか必死になって探した。
しかし、内容が変わっても、何故か最後には必ず妖狐討伐に向かうことになるのだ。
躍起になるほど増える妖狐討伐回数に、血涙を流した苦い思い出。
何が悲しくて好きなキャラを殺さなければならないのか……。
でも、もうあんな思いはしなくていいんだ!
なんたって、目の前にあの憧れた九尾の尻尾があるのだから!
九尾だよ?
ただの狐ではない、そのフィクションの中でしか有り得ない、圧倒的な尻尾の質量!
ちょっと、あの乙女ゲームの妖狐より小さい気はするが、本質は同じ!
ビバ、もふもふ!
気づけば、私は狐が弱々しく鳴くまで、尻尾をひたすら触り倒していた。
我に返ると、外はすっかり日が高くなっていた。
目の前には、ぐったりした狐がいる。
「あ、その、ごめんなさい。あんまり、きれいなけなみだったから、つい、さわりたくなってしまって……だいじょうぶ?」
「キューン……」
狐は可哀想になる切ない声で鳴いた。
私の自制心が脆いばかりに、すまない。
なおも謝ろうとするが、幼女の口は上手く回ってくれなかった。
文章にしたら、幼女の口からでる言葉は全部ひらがなになっているだろう。
今まで全然喋らなかったのだから、当然といえばそうなのだけれど。
優しく撫でながら狐の回復を待っていると、ぐぅと幼女のおなかの虫が鳴いた。
「……おなか、すいたなぁ」
村でのご飯は1日1回最低限あったけど、昨日は生贄にされる日だったから、何も貰っていない。
もう、丸1日なにも食べていなかった。
いくら小さな幼女の胃袋でも、限界があるのだ。
昨日は川下りに森の探索なんて大仕事もしたし。
しっかし、村人もさー、最後くらい美味しいものたらふく食べさせてあげようとか思わんのか?
我、幼女ぞ? 良心が痛まんのかね。
いや、痛む良心なんてあったら、そもそも親元から離して監禁の上、川に沈めようなんてしないよね。納得だわ。
ぐぅぅ……本日2度目の腹の虫が、先程より大きく鳴いた。
村人に文句を言ってもお腹は空く。食料を調達する必要がある。 ある……とは思うのだが、空腹の自覚と一緒に急に疲れも襲って来て、動けそうにない。
幼女の身体は眠っても取り切れない、昨日の疲れを訴えていた。
私はその場で項垂れた。
隣で狐がすっと立ち上がったと思えば、もふっ、と尻尾で私の頬を叩く。
そして、待っていろというように「コン」と鳴いて、外へと駆け出して行った。
都合のいい私の解釈かもしれないが、そう見えたのだ。
置き去りにされただけだったら、私は泣く。
「とりあえず、まってみよう……」
あわよくば、狐が食料を調達して来てくれるよう願いながら、私は力なく床に伏せるのだった。
******
「コン!」
元気な掛け声を上げて、狐が帰ってきた。
口には、いくつかの木の実が咥えられている。
狐は、それを私の目の前に置くと、食べるように促した。
賢い子だな、流石九尾と言うべきか。
いや、困る人間を助けるという点では、伝承上の九尾らしさはないけれど。
私は有り難くそれを頂くことにする。
見れば、置かれた果実は、いちごや蜜柑の様な前世から見覚えのあるものばかりだ。前世のものと比べると、少し小さいが、色艶がよくとても美味しそうに見える。
軽く服の裾で拭いて唇へと運べば、甘くてみずみずしい美味しさが口一杯に広がった。
「おいしい!」
幼女は雑穀米しか食べたことがない。
今世で始めて食べる果物の味は、心に沁み渡る甘さだった。
「きつねさん、ありがとう」
感謝を込めて頭を撫でると、狐は嬉しそうに尻尾を振った。
空腹が満たされ、身体に栄養が回り始めると、これまで考えないようにしていた不安や疑問が湧いてくる。
まず第一に、これからどうするか。
殺されかけて逃げ延びたのは良いが、今後生き延びるために、1人で寝床の確保や食料調達ができると思えない。
いくら中身は成人済みとはいえ、身体は幼女。
体力的に難しい面が多い。
ついさっきも、行き倒れかけたばかりなのだ。
第ニに、助けを求めるにも、私はこの世界のことをほとんど知らない。
知っているのは山神という神の信仰があることと、生け贄なんて現代ではあり得ないような風習があることぐらいだ。
町や人を探したくても、この森や世界がどういう環境なのかも分からない状態で、彷徨い歩くのはリスクが高すぎる。
森に獰猛な獣がいたら?
助けを求めたのが、山神信仰者の村人だったら?
どちらの場合も、幼女の助かる未来が見えない。
猛獣にはそのまま喰われるだろうし、村人に捕まれば、再び沈められるか、死んだはずの子供が生きている!怨霊だ!悪霊だ!とか言って退治という名目で殺されるに決まっている。
そういうパターンの小説や漫画を何度も見たことがあるから、知っているのだ。
どちらにしろ、良い扱いはされないだろう。
後、気になることと言えば、この狐のことか。
尻尾が9本あるのだから、九尾の狐で間違いないとは思うのだが、人型に化ける様子もないし、人語を話すこともない。
ひたすら可愛い狐のままなのである。
これまでのことを考えると、知能はすごく高いと思うのだが。
あ、こっち見てる。かわいい、もふもふ。
毛が柔らかくて癖になってしまう。
始め、嫌がっていたのが嘘の様に、大人しく撫でられている。
もしかすると、この世界の狐は尻尾が9本あるのがデフォルトなのだろうか?
初めに感じた恐怖はすっかり薄れているし、この狐が私を襲うことはないだろうと思っているが、動物なのか妖怪なのか、はっきりとして欲しいところだ。
それによっては、対応を変える必要があるかもしれない。
話せるなら話して欲しくもあった。
今の私に必要なのは、とにかく情報なのだ。
話せる狐なら、この世界のことを是非教えて頂きたい。
少し期待をして、狐に話しかけた。
「きつねさんは、ただの、きつねさんなの? それとも、ようかい、だったりするの? はなせたりとか、ひとになったりとか、できる?」
幼女独特の、呂律の回りにくい舌でゆっくり話すと、狐は少し驚いたように私の顔を見上げたが、そのまま顔を伏せてしまった。
やっぱり、意思疎通はできている気がするんだけどな。
狐のままなら、それでも良いか。
もふもふはとても癒されるし、暖かい。
今はまだ肌寒い季節だから、ぎゅっとすると湯たんぽがわりにもなるしね。
ふと外を見ると、雨が降ってきていた。
段々と雨音が強くなってくる。
山の天気は変わりやすい。
雨が止んだら、狐を連れて少しだけ周りを見に行こうと思う。
猛獣や村人には勿論注意して。
それまでは、狐と話をしてみよう。
正直、これまでのことを誰かに話したくて堪らなかった。
優しいこの子はきっと、どんな取り留めのない話でも話を聞いてくれるはず。
私は雨が止むまで狐の背中を優しく撫でながら、とつとつと話して聞かせた。
幼女のこれまでと、私のこれまでの話を。
人に話すことで、ストレス緩和になるそうです。
今回の場合は、アニマルセラピーですね。




