第十七話「忍の決意」
射貫くような眼光と威圧感に、身動きがとれない。
「忍! 人前では母ちゃんでは無く、頭領とお呼びと何度も言っているだろう!」
そう語気を荒げ、先に動いたのは頭領だった。
直後、ヒュッと風が吹き、何かが忍の頬を掠める。
忍の頬には、血が滲んでいた。
後ろを見れば、棒状の苦無が壁に突き刺さっている。
実の息子に、苦無なげよったでこの人。
聞きしに勝る恐さであった。
頭領は一見すると、妖艶という言葉が似合う女性だった。
濡羽色の髪を一つにまとめ、美しさの際立つ艶やかな着物からは、豊満なバストと悩ましい体つきが見え隠れしている。
頭領は、雰囲気に似合わない好戦的な笑みを浮かべて言った。
「しかし、よく出てきたね。あの結界を破ったのはお前かい? 部下からの報告は確かのようだ」
値踏みするように見られて、思わずたじろぐ。
だが、断定するような口調に、少しムッとした。
結界は私と忍くん、二人で頑張って開けたのに。
まるで、忍には無理だと決めつけてかかっているみたいだ。
「なんだ、何か言いたげだな? 言ってみろ」
促されて、戸惑いながらも口を開く。
「では、いいますが、けっかいはわたしだけのちからであけたのではありません。しのぶくんといっしょにあけました」
そう断言すると、頭領は忍を一瞥した後、腹を抱えて笑いだす。
「面白いことを言う娘だな。そこで固まって動けないそいつが? 修行から逃げたそいつがか?」
「え?」
見れば、忍は俯きがちに佇んでいる。
いつもの元気さが無い。
「どうしたの、しのぶくん? だいじょうぶ?」
「母ちゃん、ごめん。オイラ……」
忍は私の問い掛けに答えず、謝罪の言葉を述べる。
しかし、その言葉はピシャリと遮られた。
「言い訳は嫌いだね。アンタが逃げた事実に変わりはない。しっかり受け止めて反省しな」
その言葉と同時に、再び空を切る音が聞こえ、私は咄嗟に水鉄砲を忍の眼前へ放った。
「危ない!」
忍の前に広がった水が、空中で苦無にぶつかる。
苦無は勢いを殺され、床へと落ちた。
「へぇ……、面白い」
そう一言呟くと、頭領はこちらへ獲物を狙うような目を向ける。
すると今度は間髪入れず、私目掛けて苦無が飛んで来た。
「い"……!?」
次々と飛んでくる苦無に水を当て、がむしゃらにはたき落していく。
徐々に本数が増え、頭領がこちらに近づくにつれ強さも増してくる。
苦無が顔の横擦れ擦れを通り過ぎ、髪が何本かハラリと舞った。
息つく間もなく、今度は大量の苦無が私めがけて飛んで来る。
ヤバい、捌き切れない……!
苦無が刺さる想像をしながら、恐怖にぎゅっと目を瞑る。
刹那、目の前を力強い風が駆け抜けた。
痛みは一向に届かず、恐る恐る目を開けば、私を庇うように立つ忍の背中と、床に散らばった苦無が目に入った。
「……やめて! この子は、オイラが責任持って家に送り届ける。いくら母ちゃんでも、傷つけさせる訳にはいかないっす!」
「なんだい、術が使えるようになったってのは本当だったのかい。でも、そんな甘っちょろい術が使えたくらいで、一丁前に母ちゃんに楯突くんじゃないよ!」
頭領はそう吠えると、床を蹴って、苦無を構えながら、一直線にこちらへ走ってきた。
己が母を睨みつける忍と、苦無を忍の喉元へ突き付ける頭領。
一触即発の空気を破るように、唐突にガラリと戸が開き、間延びした声が聞こえてきた。
「……これは、一体全体、どういう状況かな?」
「椿ーー! 椿! 無事ですか!?」
「ふむ。ばとるふりーくというやつだな?」
******
「いやー、うちの家内が大変ご迷惑をお掛けしました」
そう、頭領の頭を押さえつけながら頭を下げたのは、四十代くらいの優しげな男性だ。
散らばる苦無と水浸しな部屋の惨状を見て、男性と紫白、福兵衛は大方の事情を察したらしい。
紫白は一目散に私の元にやってくると、「大丈夫でしたか? 怪我は? もう、今夜からは夜も側を離れません」と捲し立て、ひしと私を抱きしめた。
今もまだ、ぎゅうぎゅうと抱きつかれている。
いい加減、離れてくれないかなぁ……人前で恥ずかしい。
そう思いつつも、心配を掛けてしまった自覚はあるので、抵抗はしなかった。
男性はというと、見た目とは裏腹に抵抗する頭領を片手で抑え込んでいるあたり、彼も相当な手練れなのだろう。
かない、家内……?ってことは忍くんのお父さんか!
そう考えてみれば、くせ毛気味の髪は確かに忍と似ていた。
男性の顔は平凡な塩顔で、美形の忍とは重ならないが、今なお屈辱だと言わんばかりに顔を歪める頭領と見比べて納得する。
忍くんはお母さん似なのだろう。
じゃあ、この人が天狗……。
鼻も長くないし、イメージと違うな。
そんなことを考えていると、頭領が叫び声を上げた。
「やだね! アタシは謝らないよ」
声を荒げた頭領の頭を、忍父が容赦無く叩く。
「オマエは本当に……! 自分がしたことの重大さが分かっているのかい? 人様の大事な娘さんを誘拐したあげく、乱闘騒ぎなんて! 大方、部下に忍と一緒にいる人間も連れてこいと命じたものの、来たのがこんな女の子で、扱いに困って座敷牢に入れたとかだろう?」
そう言われた頭領は、図星だったのか言葉を詰まらせた。
忍父は、さらにお説教を続ける。
「忍への態度だってそうだ! 心配なら心配だったと、なんで言ってやらない。オマエがそんなだから、忍が家出したんじゃないのか!?」
「なっ! そういうアンタだって、放任主義だなんだって、忍のことは全部アタシまかせで、家出した後も探しもしなかったじゃないか! アタシがどれだけ必死に探したと思ってるんだい!?」
「忍も男だ! 一人になりたい時だってあるだろう。オレは忍の自主性に任せただけだ!」
「だから、それがそれがダメだって言ってんだい!」
私達は何を見せられているんだ?
続く夫婦喧嘩に、誰も口を挟めない。
誰か止めくれとお互い思う中、口を開いたのは忍だった。
「……心配してくれたの?」
ぽつりと溢れたのはそんな呟き。
小さなひとこと、けれど忍の本心からの言葉は、室内に強く静かに響いて、彼らの口論を止めた。
「……まったく、一週間も修行をサボって、どこで何してたんだい。納得いく理由がなけりゃ、許さないよ」
「また、千蓉瑪さんは……。忍、こんな事言ってるけど母さん、物凄く心配してたからね。もちろん、父さんだって。……あ! そうだ、まだ言っていなかったね、お帰り忍」
ぶっきらぼうに言う頭領と、穏やかに告げる忍父の言葉はしっかりと忍の心に響いたらしい。
忍は一度、目を擦ってから、震える声で応えた。
「……ただいま」
感動的な親子の再会。
しかし、私達三人は完全に蚊帳の外だった。
まだまだ続きそうな、なんとも言い難い空気感に口は出しにくい。
仕方なく、気になっていたことを今なお私にくっついている紫白に訊ねた。
「しはく、ふたりはどうやってここまできたの?」
「ああ、あの天狗が早朝に菓子折りもってやって来たんですよ。『家の者が大変ご迷惑をお掛けしました。何卒、ご容赦頂きたく』って床に頭を擦り付けてね。僕としてはそんなことよりも、早く貴方の無事を確かめたかったので、彼に案内してもらったんです」
なるほど、そんな経緯があったのか。
……もし、無事じゃなかったらどうしていたのだろう。
不穏なことを考えかけて、止める。
深く考えてはいけない気がした。
そんな話をするうち、忍達の再会は済んだらしい。
頭領がこちらへ声をかけてきた。
「で、あんたらと忍はどういう関係だい? いや、先に忍へどこで何をしてたのか訊くのが筋かね」
そう視線を向けられて、忍は答えずらそうにポツリと言った。
「……術を、使えるようになりたくて。外に行けば何かわかるかなって」
「ふーん? なるほど、つまりさっきの術はこの人達から教わったって訳かい?」
忍が頷くのを見守った後、頭領は私達をじっくりと舐めるように見つめてくる。
そして、豪快に笑った。
「アッハッハ! 凄いじゃないか! アタシも鞍馬も忍に術は教えられなかったってのに、こんなに短期間で習得させちまうなんて。一体あんたら、なにもんだい?」
それに応えたのは、これまで事の成り行きを見守っていた福兵衛だった。
「なに、しがないただのぬらりひょんとその友人達だよ。だが、儂は基礎を教えただけ。物にしたのは、彼自身の力だ。……もしかすると、この小さなお嬢さんの力添えもあったのやも知れんがね」
福兵衛はそう告げると、意味深に私の方をチラリと見た。
あの場に居なかったはずなのに、全部見透かされているような気がしてならない。
「そうかい。アンタも水の術、凄かったもんね。礼を言うよ」
頭領は私の方を見て、少し目元を緩めた。
そして、誤魔化すように忍へ声をかける。
「忍、アンタも礼を言いな! 終わり次第、サボってたぶんの修行に入らせるから、ちゃんと別れも済ませるんだよ!」
「えっ、でも」
忍は視線を彷徨わせた後、覚悟を決めたように姿勢を正し、両親の方を向いて、大声と共に畳へ頭を擦り付けた。
いわゆる土下座である。
「母ちゃんごめん! でも、オイラまだ戻りたくない。この人たちと術の修行を続けたいんだ! やっと……、やっと出来るようになったんだよ! もっとちゃんと扱えるようになりたい」
「術なら、家でも出来るだろう? 一度発動出来たなら、我が家でも稽古はつけられると思うが。ねえ、アンタ?」
「うん。発動方法こそ教えられなかったけど、オレも天狗の端くれ。術の扱い方なら、大丈夫だ。ぬらりひょん殿にお任せし過ぎるのも良くないだろう」
そう言われても、忍の目はまだ諦めていなかった。
なおも忍を説得しようとする両親達に、私は考えながら口を開く。
「あの、わたしからもおねがいします。かれのいうとおりに、させてあげてくれませんか?」
そして、深く頭を下げた。
私は、あの夜のことを思い出していた。
『術が使えない、出来損ない』自分のことをそういって、乾いた笑みを浮かべた忍の顔を。
この両親達は悪い人には見えないけれど、忍者の家にもきっと派閥とか、色々あるのだろう。
ゲーム通りに進むなら、彼は遅からず忍者の頭領になることが決まっている。
なら、幼い時くらい好きに生きたって、罰は当たらないはずだ。
彼のやりたいように生きられたら、それが一番だと思った。
「椿ちゃん……」
忍は驚いたようにこちらを見た。
「だが、迷惑にならないかい?」
忍父はそう言うと、私達の顔を見渡す。
「いや、儂は構わんよ。忍くんに、福じいちゃんと呼ばれるのは、孫ができたようで嬉しいしな」
福兵衛はほけほけと笑う。
紫白は少しだけ眉を顰めたけれど、「今更ですよ」と優しく小声で言ったのを、私は聞き逃さなかった。
「そうですか。……この子が、自分から何か意見するのは初めてだ。よほど、キミたちのところが良かったらしい。どうか、ウチの息子をよろしくお願い致します」
忍父は目元を緩めた後、私達へ頭を下げた。
頭領はまだ何か言いたそうにしていたが、ぐっと押し黙ると静かに口を開く。
「……いいさ、何処へでも行っちまいな。ただし、定期的に連絡は寄越すこと。後、体術の修行もサボらずすること。わかったね!」
そう忍に向かって指を指し、頭領は足早に部屋から去って行った。
去り際、目を拭っているように見えたから、きっと頭領なりの強がりなのだろう。
「母ちゃん……。父ちゃん、ありがとう。オイラ、行ってくる」
居なくなった母を見て、忍は少しだけ寂しそうな表情を浮かべたが、父へ感謝を述べると立ち上がる。
去り際、忍父は忍へ優しく声を掛けた。
「……忍は、良い友人を持ったね。大事にしなさいよ」
「……うん!」
忍は父へ力強くそう返事を返すと、私達の方へ歩み寄り、ぺこりと頭を下げる。
「これから、また、お世話になるっす! よろしくお願いします!」
顔を上げた忍は、とびきりの笑顔を浮かべていて、私達もそれに笑い返したのだった。
忍を仲間に加え、次話からは日常回と忍視点の閑話を挟みつつ、新キャラ編へ参ります。




