第十六話「襲撃、そして脱出」
「ごめん……、肩、濡らしちゃったっすね」
「ぜんぜん! それより、そろそろへやにもどろう。ひえるしね」
鼻をすすりながら申し訳なさそうにする忍に、気にしてないよと告げ、屋敷に戻ろうとした時ことは起きた。
風を切る音が聞こえ、振り返る。
「……え?」
次の瞬間、突然背後から羽交い締めにされ、鼻と口を布で覆われた。
状況が理解できず、必死にもがきながら辺りを見渡す。
見れば、気配なく現れた全身黒ずくめの三人組が、私達を取り囲むように立っている。
後ろをついて来ていたはずの忍は気を失い、ぐったりとしたまま黒ずくめの人間に俵担ぎにされていた。
「むーー! む"ーーっ!!」
助けを呼ぼうと叫ぶが、声にならず、腕から逃れようと足掻いてもびくともしない。
「暴れるな! 大人しくしていろ!」
襲われているのだ。
そう言われて、大人しくなんてするわけが無い。
そう、思っているのに、何故か徐々に全身から力が抜け瞼が重くなってくる。
何か薬を嗅がされたらしい。
私は最後の力を振り絞って、背後にいる敵の顔面に水鉄砲を放った。
後ろに飛ばすのは初めてだが、これだけ至近距離なら当たるだろう。
案の定、放たれた水は派手な水飛沫を上げ、敵の顔面にクリーンヒットした。
「なっ!? 此奴、術を……っ!」
直後、腕の力が緩み、ずるりと下へ身体がズレる。
しかし、逃げ出すより先に再び捕縛された。
あ、ヤバい……もう、意識が……。
そう思うと同時に、視界が暗転した。
******
湿っぽい匂いと頬に感じる硬い感触に、ゆっくりと瞼を開けると、見知らぬ薄暗い部屋に居た。
床には畳が敷かれているようだが、少々埃っぽい。
「しのぶくんは……?」
暗闇に目を凝らしながら、部屋を見渡すが、他に人影は見当たらなかった。
変わりに見つけたのは、小さな小窓と一際存在感を放つ壁一面の木製の格子、そしてそれに取り付けられた扉だった。
まるで、牢屋だ。いや、実際そうなのだろう。
窓からは光が射し込んでおり、屋敷にいた時から随分と時間が経っていることが分かる。
少なくとも、真夜中から朝になっているのは間違いない。
窓は高い位置にあり、外の様子は伺えそうになかった。
仕方なく、手の届く格子扉の方へと向かう。
「んっ! あれ、あかない……」
押しても引いてもびくともしない。
どうやら、鍵がかかっているらしい。
「だれかーー! だれかいませんかーー!?」
木製の格子を叩きながら叫ぶが、反応はない。
しばらく叫び続けたが、人の気配すら感じられず、諦めて扉から離れた。
他には、壺と私の履いていた下駄が置かれているくらいで、特に調べられそうな所も出口も見当たらなかった。
ここは、幼女の記憶にあった部屋に似ている。
座敷牢、そんな言葉が頭をよぎった。
力なく、畳にぺたんと座り込む。
私はこの先どうなるのだろう。忍くんは無事? 紫白と福さんは、私達が居なくなったことに気づいて探してくれているのだろうか? それとも、二人も襲われていたり……? まさか、皆、殺されたりなんてことは……。
私は、ふるふると頭を振った。
無音の部屋に一人でいると、嫌な想像ばかりしてしまう。
こんな時こそ、冷静にならないと。
屋敷に現れた三人組のことを考えた。
あの、全身真っ黒な服が気になるんだよな……。黒い服、黒い服……。
黒い……、あ!
あの服装、さっきはパニックで気づかなかったけど、改めて思い出すと、忍くんの忍者衣装にそっくりなんだ。
じゃあ、もしかして、あの三人は忍くんの家の人……?
そう考えれば、真っ先に忍を昏倒させた意味も分かる。
確実に連れ帰るためだろう。
それにしても、過激だと思うし、何故私まで連れ帰られたのかはさっぱり分からない。
なぜ、閉じ込められているのかも。
むしろ、忍の家の敵対勢力が仕掛けたという方がしっくりくるな。
私は、ふうと溜め息を吐いた。
理由を推察しても、憶測の域を出ず、外に出られないんじゃ確かめる術もない。
どうにか、ここから出られないだろうか。
ふと、部屋の隅にある壺を見る。
脱出ゲームなら、壺の中に脱出の為のメモとかありそうだよね。
そんな上手くいくわけないよな、と思いながらも壺をひっくり返すと、紙切れが一枚はらりと落ちた。
「うっそ、マジか……」
紙を拾い上げ読むと、そこには一筆『畳』とだけ書かれている。
「たたみ……?」
どういう意味だろう?
畳を眺めるが、とくに変わった様子はない。
しばらく畳と睨めっこを続けたが、何も見つけられなかった。
「あーー、もう! わかんない!」
疲れて、畳の上に体を投げ出す。
すると、ある一枚の畳が、僅かに他のものより沈んでいる事に気付いた。
「これ、もしかして……」
私はそこへ近づくと、勢いよく畳に手を掛ける。
重すぎる畳を持ち上げた反動で、体がよろめき尻餅をついた。
畳の下には、謎の扉が私を待ち構えていた。
恐る恐る扉を開けると、底の知れない真っ暗闇がぽっかりと口を開けている。
中は風が吹いているようで、ヒュウと風の通り抜ける音が聞こえた。
出口があるなら行ってみるべきだろう。
だが、深さの分からない穴に飛び込むほど無謀ではない。
命、大事に。
私は、下駄を持ってくるとそのまま穴に落とした。
カコーン、思いの外すぐに音が鳴る。
案外、深さはないらしい。
これなら、いけるね。
確認を終えた私は、穴の中へそろりと足を下ろし、ぎゅっと目を閉じてそのまま下へと降りた。
勢いよく落ちて、お尻をぶつけたものの、たいした痛みは無い。
浅くて良かった。
さっき落とした下駄を履き、視界が悪いながらも、壁を探して手を伸ばす。
そこは幼女が両手を限界まで広げると両端に手がつく、狭い道幅の通路だった。
埃っぽさに咳き込みながら、壁伝いに風を感じる方へゆっくりと歩みを進める。
数分歩いた頃、とん、と柔らかい何かにぶつかった。
「ひぇ……っ!?」
「うわっ!」
驚いて、相手と同時に悲鳴を漏らす。
しかし、その声は聞き覚えのあるものだった。
「……もしかして、しのぶくん?」
「そういう、キミは椿ちゃんっすか?」
存在を確かめるように顔から体へ、ぺたぺたと全身を触られ、慌てて止める。
「そ、そうだよ。つばき。ここにいるから、その……へんなとこはさわらないで。くすぐったい」
「わぁっ! ごめんっ!」
そう言えば、忍は弾かれたように手を離した。
「でも、よかった。ぶじだったんだね! あの、ここってやっぱり、しのぶくんのうちなの?」
「椿ちゃんも無事で良かったっす! うん、オイラの家っすよ。椿ちゃんまで巻き込んで、ごめん。……そういや、どうやってこの地下通路に来たんすか?」
照れからか早口で捲し上げた忍は、不思議そうに私に尋ねた。
「えっと、つぼのなかにたたみってかいたかみがあって、それでたたみをしらべたら、ここにでたの」
「畳の紙……。あー! あれっすか! あんなのよく見つけたっすね」
「しってるの?」
「知ってるもなにも、あれ書いたのオイラっすもん。罰で座敷牢に入れられると、自力で出るか母ちゃんの気がすむまで、飯抜きになるんで、念のため。ほら、オイラすぐ忘れちゃうから」
「じりきででれたら、ろうやのいみないんじゃ……?」
脱出を視野に入れた牢屋って……。
疑問を口にすると、忍が声を殺して笑う気配がした。
「ふふっ、脱出も訓練の一部っすよ。それに、本当に捕まえたい奴は、それ用の牢があるんで」
「そういうもの?」
「うちはね。ともかく強くなれってのが、母ちゃんの口癖だったっす」
「へえー」
なんというか、スパルタなお母さんだ。
でも、だからこそ連れ戻された忍と、何故か一緒に連れて来られた私の処遇が気になった。
「あの、しのぶくんがつれもどされるのはわかるんだけど、わたしはなんでつれてこられたのかな?」
不安気に訊けば、忍はうーん、と唸った後、自信なさげに答える。
「ごめん、わかんないっす。でも、座敷牢に入れられたってことは、敵だと思われてないのは確かっすね」
「そっか。……しはくたち、きてくれるかな?」
「不安っすか? 母ちゃんは怖いけど、意味なく攻撃したりはしないっす。命の保証だけはするっすよ」
それは、逆に、理由があれば攻撃されるってことでは? 充分怖いんですが。
恐怖に立ち止まっていると、忍の手が探るように私に触れた。
優しく、だが、強い力で手を握られる。
「しのぶくん……?」
「大丈夫。椿ちゃんだけは、絶対無事に家へ帰してあげるっす。そのためにも、まずは外へ出るっすよ」
「うん、ありがと……」
それは、責任感からの言葉だったのかもしれない。
でも、私にはとても心強く感じられた。
繋いだ手に力を込めながら、忍に連れられ、先の見えない暗がりを歩く。
しばらくお互い無言で歩いていると、突然忍が立ち止まった。
ぶつかりかけて、すんでのところで止まる。
「どうしたの? もうでぐち?」
「出口、のはずなんすけど」
見れば、目の前の壁からは僅かに光が漏れているが、それだけだ。
人が通れそうな隙間はなかった。
「いつもはここを押せば出られるんすよ? でも、びくともしない。音も……、何か向こう側に重しがされてるっぽいっすね……」
忍は気を取り直したように声を上げる。
「出口は一つじゃないっすよ! 次、行くっす!」
私は、ほっと胸を撫で下ろし、忍に案内されるまま再び細い道を歩き出した。
先の見えない暗い道は、酷く長く感じられる。
私は、無言に耐えかねて口を開いた。
「し、しのぶくんのいえ、すごいひろいんだね」
「そうっすねー。昔は小さかったらしいっすよ? 母ちゃんが結婚してここに移り住んでから、でっかくしたってきいたっす。オイラはずっとここ住みだから、分かんないっすけど」
「そうなんだ! そういえば、しのぶくんのいえ……というか、ここってどこ?」
ふと、自分の現在地すら分からない現状に気づき、確認してみる。
「あれ? 行ってなかったっすか? ここは都の外れ、天狗の住む山、鞍馬山っす」
「くらまやま……」
異世界でも前世と同じ山があるのは、京都をベースに作られたゲームの世界だからかな。
ふむ、と考えこんだ私の手を忍がぐいと引っ張った。
そして、上を指して小さな声で言う。
「椿ちゃん、これっす。これこれ! 出口! ただ、ここの出口、屋敷の中に繋がってるから、気をつけて開くっすよ」
「わ、わかった」
私も小声で返す。
息を殺して、忍の動きを待った。
ーー忍が天井に手をついた、次の瞬間、バチッと頭上に火花が散った。
「痛ってぇ……ッ! なんだこれ!?」
「な、なに!? こうげき!?」
二人して上を見ながら狼狽える。
火花が消えた後の通路は、再び何事もなかったかのように暗闇へと戻った。
「なんだったの……?」
「うーん……。これ、もしかすると……」
首を傾げながらそう呟いた忍は、手を袖で包むと、躊躇いなくもう一度天井に触れる。
再度、火花が飛び散った。
「ちょっと、しのぶくん?」
危ないよ、と咎める前に忍が口を開いた。
「これ、父ちゃんの結界だ」
「え、結界?」
そんなものまであるのか。
戸惑う私をよそに、忍は続ける。
「父ちゃんの結界は、父ちゃんと同等以上の霊力をぶつけないと解けないっす。なんで、こんなの……」
「ほかにでぐちはないの?」
「ないんすよ。前はあったんすけど、オイラが脱出する度に塞がれちゃって。ここで最後だったんすけど……」
忍の口ぶりから、予想外の出来事であったことが伺えた。
いつもはもっと簡単なのだろう。
今回、忍の両親は、本気で彼を閉じこめるつもりらしい。
「どうする? もどってさっきのかべ、こわす? ……できるかは、わかんないけど」
忍の父は天狗である。
天狗って凄い霊力持ってそうだし、私達の力でなんとかなる気がしない。
さっきの塞がれた壁を壊す方が、まだ建設的に思えた。
しかし、忍は予想外な言葉を紡ぐ。
「いや、これを開けるっす!」
意を決したように話す声色は強く、絶対にやり遂げるという意志を感じる。
「でも、しのぶくんのおとうさんって、すごい妖怪でしょ? わたしたちで、あけられるとおもえないよ」
「一人づつなら、そうかもっすね。でも、オイラ達は二人いるっす」
「あ、もしかして、ふたりどうじにじゅつをあてる……とか?」
「そうっす! よくわかったっすね。きっと、できるはずっす!」
自分に言い聞かせるように、臆せず言い切る忍の言葉に背を押され、わかったと頷いた。
やるからには全力だ。
絶対に開けて、無事に福さんの家まで戻ってやる!
「じゃあ、オイラがいっせーのって言うんで、それに続けて、せっ!っで同時に天井へ術をぶつけるっす!」
「りょーかい!」
天井を見上げ、手を掲げて構える。
「行くっすよー! いっせーのっ!」
力を手に集中させ、意識は天井に。
重い壁を打ち抜くイメージで。
「「せっ!」」
掛け声と共に放たれた術は、お互いを補うように合わさり、水が風に巻き上げられ、小さな水の竜巻となる。
天井にぶつかると、竜巻に対抗して火花がバチバチと弾け、押さえつけるような圧力が私達に圧し掛かかった。
「う、ぐ……っ!」
思わず、呻き声が漏れた。
隣を見れば、忍も辛そうにしている。
「もう、ちょっと……っ!」
手ごたえはあるのだ。
あと少し、もう少しだけ強く押せば、きっと。
そう感じたのは、忍も同じだったらしい。
風の力が強くなっていく。
それに合わせて、私も力を振り絞った。
「「いっけーーっ!!」」
互いが声を殺しながらも、そう口の中で呟いたと同時に水の竜巻が力を増して、火花を飲みこみ天井へとめり込んだ。
先程よりも強い圧力に、吹き飛ばされそうになるが、足を踏ん張って堪える。
ズガンと重い音が短く響いた時、ふっと私達を抑えていた圧が消え、天井から光が降り注いだ。
「やった……、の?」
力を使い切って、呆然とする私をはしゃぐ忍の声が現実へと引き戻した。
「開いたっ! さあ、椿ちゃん、逃げるっすよ!」
「う、うん」
よいしょと出口へ縄をかけた忍に導びかれ、上へと這い上がる。
出れば、そこは眩い光がたちこめる大広間に繋がっていた。
畳が一枚、遠くの方へ吹き飛んでいる。
おそらく、その下から出てきたのだろう。
忍に手を引かれるまま、部屋を後にしようとして、凛と通る声が私達を呼び止めた。
「待て、どこに行く気だい?」
「……母ちゃん」
そこにあったのは、忍の母にして、忍者の頭領の姿。
一難去ってまた一難。
私達は蛇に睨まれた蛙のように、その場に立ち尽くすのだった。
忍くんは天才型なので、一度出来てしまえば、まず失敗しないです。そのうち術を応用して使いだし、周囲を驚かせます。
忍編はいよいよクライマックスへ!
最後までお楽しみくださいませ。




