第十五話「椿と忍と月夜のそよ風」
あれから、一週間。
地道に毎日水鉄砲を打ち続けた結果、威力も精度も格段に向上し、今は一メートルぐらい先の的まで、正確に当たるようになった。
ちなみに、技名は『アクア・ガン』とか『ウォータースプラッシュ』など、色々考えたのだが、叫ぶ度に皆から首を傾げられ、恥ずかしくなり……。
追い討ちのように、紫白から
「水鉄砲、よく飛ぶようになりましたね!」
と言われてしまえば、諦める他なかった。
水鉄砲で決まりです、はい。
その一方で、忍は未だに術を発現出来ていない。
忍は訓練初日以降、徐々に庭へ顔を出さなくなっていた。
このままでは、作戦は失敗だ。
どうにか仲良くなるため、毎日一緒に訓練しようと誘っているが、毎回はぐらかされてしまう。
福兵衛にも、
「術の発現までは個人差がある。あまり気にせず、気長にやりなさい」
と言われていたが、
「そうっすね。人間、向き不向きがあるっす! 気が向いたら、またそのうちやってみるっすね」
と、忍は笑って受け流していた。
そして、今日、忍は到頭庭へ顔を出さなかった。
晩御飯時の話だ。
忍は夕食を食べ終わると、いつもより少し改まった姿勢で私達を見渡し、口を開く。
「……そろそろ、ここへ来て一週間になるっすね。きっと、もう追っ手も撒けたと思います。明日、明るくなったら出て行こうと思ってるっす。今まで、ありがとうございました」
そう簡潔に告げ、深く一礼した後、取りつく島無く、部屋へと戻ってしまった。
「そうか、少し寂しくなるなぁ……」
「……むしろ、厄介事の種が居なくなって清々しますよ。食材の買い出しも、大変でしたしね」
居間には、福兵衛と紫白が呟く声と、米粒一つ付いていない忍の食器だけが残った。
******
やばい……! 絶対どこかで、選択肢を間違えた。
自室に戻り、布団を被って、私は一人頭を抱えた。
このままじゃ、対して仲良くならないまま、忍とさよならだ。
そして、今世の私ともさよならになる確率が非常に高い。
乙女ゲームの世界なら、良い感じに選択肢や好感度確認画面出て来てくれても良くない!?
私は必死にそう念じたが、願いは叶わず何も起こらなかった。
ちくしょう……、どうすればいいんだ。
試しに、瞼を閉じてみる。
だが、良い案は思い浮かんでくれなかった。
悶々としているうちにも、時間は刻一刻と過ぎて、明日が近づいて来る。
眠ってしまえば、別れの朝。
そう考えると、寝付けず、私は仕方なく気分を切り替えるため庭へと向かった。
外の空気を吸えば、何か思いつくかも知れない。
庭までは、縁側へと続く、屋敷の廊下を歩いていく。
夜の廊下は薄暗く、少々不気味だった。
他の皆を起こさないよう、足音を殺してゆっくり進む。
縁側近くの廊下まで来た時、静寂を破るように、何かを打ち付ける音がトン、トンと聴こえてきた。
「……え、なに? こわ」
急に聴こえ始めた不審な音に、身を強張らせつつ耳を澄ます。
庭の方から聴こえてきているようで、縁側に近づくにつれ、音が大きくなっていく。
不審者だろうか……?
怖いが、ここまで来た手前、部屋に引き返すわけにも行かない。
寝込みを襲われる方が、怖いと思うんだ。
確認して、やばそうな人が居たら、すぐに紫白か福兵衛を呼ぼう。
風の音とかなら、それはそれでオッケーだし。
覚悟を決めて引戸へ手を掛け、窺うように少しだけ戸を開けると、そこには見知った人影があった。
「クソっ!! なんであの子には出来て、オイラは出来ないんだ! せっかく屋敷を飛び出した……なのに、……これじゃ」
苛立たしげに声を荒げ、その苛立ちをぶつけるように、私が吊り下げた水鉄砲の的に向かって、次々と棒状の手裏剣を投げていく。
そこに居たのは、忍だった。
「しのぶ、くん……?」
思わず漏れた声と共に、動揺で引戸がガタリと音を立てた。
「誰だ!?」
物音に反応し、忍が手裏剣を構えてこちらを振り向く。
「あ、えっと……」
「なんだ、椿ちゃんか。今の見てたんすか? ……なんでそんなに怯えてるっす?」
私は、きっと、見てはいけないものを見てしまった。
直感的にそう感じ、言葉にならない言葉を呟く。
察するに、忍が叫んだ苛立ちは、私が術を扱えることに対してのものだろう。
そう考えて、気づいた。
この一週間、私は彼がどう感じているか一度でも考えて声を掛けたことがあっただろうか?
"しのぶくん、いっしょにれんしゅうしよ! がんばれば、きっとできるようになるよ"
"もうやめちゃうの? もっとやったら、たぶんできるよ……。せっかくだし、もうすこしつづけようよ"
相手の立場になれば分かることだ。
同じ立場の相手からの励ましは良い。
しかし、自分より優位に立つ相手からの根拠のない励ましほど、しんどいものは無い。
だってお前は出来てるじゃん。出来ない奴の気持ちなんて分からないだろう。
人によっては、そう、反感を買われてもおかしくない。
それに私は知っていたはずなのだ。
忍が、ゲーム内で術らしい術を全く扱えないことを。
術が使えたことが嬉しくて、舞い上がって、自分がこんなに簡単に出来るんだから、忍もできると思いこんでいた。
好感度を上げるどころか、マイナスだ。
作戦は大失敗。
完全に驕っていた、私の落ち度である。
「……ごめんなさい」
気づけば、謝罪の言葉が口をついて出ていた。
「なんで、謝るんすか?」
「だって、わたし、しのぶくんのきもちもかんがえずに、むりやりなんかいもしゅぎょうにさそった。……だから、その、いまみたいに……」
言い淀んだ私を見て、忍は今までと全く変わらず、カラッとした笑顔で笑う。
「いやいや! それは違うっすよ! 確かに、断っても何回も誘って来られるのは、正直迷惑だったっすけど」
「……う、そうだよね。ごめん」
再度、謝る私に忍は言葉を続けた。
「でも、オイラは、できない自分に怒ってただけっす」
「……え?」
意外な言葉に顔を上げると、凪いだ目の忍と目があう。
その目は、どこか、諦めを滲ませているように見えた。
「……オイラ、術が出来なくて、家出したんす。術さえ覚えれば、なんとかなると思ってたんすけどね。やっぱ、むずかしいや」
「えっと、どういうこと……?」
唐突に教えられた話に、深く立ち入っても良いのだろうか?
戸惑いながら疑問を投げかければ、忍は穏やかに答えてくれた。
「うちの家、色々あって一族の力が弱くなっちゃって……。強くするために、頭首が天狗と婚姻して、生まれたのがオイラなんっす」
「? ようかいにちからをかしてもらいたい、とかじゃなくて?」
「それより、強くて血統的に一族の長になれる人間が欲しかったらしいっす。半妖なら、間違い無く強いって思ったら、生まれたのがこんな術も使えない出来損ないだなんて、笑うしかないっすよね」
「……出来損ないだなんて! そんなこと……」
貼り付けた様に笑顔を浮かべながら、忍はカラカラと笑う。
辛かっただろう過去のことを、笑顔で語れてしまうほどに、彼は何度も傷ついたのだろうか。
逃げ出したくなるほど嫌な場所に、住み続けるのはどれほどの苦痛だろう。
「……ほんとに、あした、でていっちゃうの?」
「そりゃあね。さすがにこれ以上は、家の人が迷惑かけるかもだし? オイラとしても、こんなに長くいるつもりなかったんすよ」
そう言い切る忍の目に、迷いはない。
きっと、連れ戻されるのも覚悟の上なのだろう。
このまま帰れば、彼は再び苦痛の日々。
けれど、ここ一週間関わった上で、このまま放っておけるほど、私は非情になれなかった。
いつでも、辛さを隠して笑い続ける彼に、私が出来る事は何だろう。
「……しのぶくん、じゅつの、くんれんをやろう」
「いや、だから、オイラは術ができないんすよ。キミも見てたでしょ?」
「みてた。でも、みてるだけだった。こんどは、もっと、ちゃんとむきあうから」
「……よくわかんないっすけど、キミがそんなに言うなら、いいっすよ。今日で最後だし」
真剣に訴えると、忍は渋々ながらも了承してくれた。
ほっと一息つく。
出来ない術を何故わざわざやるのか、そう思われても仕方ない。
だが、彼の置かれている状況を根本的に解決するには、やはり術を覚えて、周りを黙らせるしかないと思ったのだ。
勝算は、僅かだが無いわけじゃない。
一つ、忍は半妖である。
福兵衛が術習得は無理だと言わなかったことや忍の話を聞くに、半妖は潜在能力として、確実に霊力があると考えられた。
二つ、忍は攻略対象である。
"桜花"内の攻略対象は、皆多かれ少なかれ、霊力を持っていた。
神に選ばれた巫女の同行者なのだ。
一人だけ、例外とは考え難い。
霊力はあるが術が使えない。
それならきっと、イメージ力に問題があるのではないかと考えられた。
実は、私もイメージが足りないせいで、まだ姿を変える術は成功出来ていない。
「しのぶくんは、じゅつをだそうとするとき、なにをおもいうかべてる?」
「福じいちゃんが、嬉しかったことや辛かった事を思い浮かべろって言ってたから、そういうやつを考えてるっす」
「たとえば?」
「茶屋の団子がもちもちで美味かったなーとか、敵に殺されかけて怖かったなーとかっすかね?」
「もっとぐたいてきには?」
「え? これ、具体的っすよね?」
そう不思議がる忍に、驚く私。
お互いに顔を見合わせた。
「えっと、だんごならどんなおんどで、どのくらいのやわらかさなのか、こわいやつなら、なにをどうされて、どのくらいいたかったのか……とかは?」
「あー……、オイラ、必要無い事って、すぐ忘れちゃうんすよね!」
忍は誤魔化すように笑った。
原因は、それだ!
あっさりした記憶、感情を伴わない思い出は、おそらく術発動のトリガーに成り得ない。
私の場合は、幼女の記憶と併せて、溺れる恐怖を強く感じた時に発動したように思う。
忍には、そういうものが無いのだ。
「……へへっ、やっぱり、オイラにはムリなんすよ。明日も早いし、もうねるっす。椿ちゃんも戻ろ」
「まだ! まって。ぜったいできるようになる……いや、わたしが、できるようにするから!」
逃すまいと忍の腕にしがみつき、必死に考えを巡らせる。
何か、何か無いのか。
熱くなる私の頬を、冷たい夜風が撫でた。
立て続けに風が吹き、全身にぶつかっていく。
そう、ぶつかって……。
そう考え、はたと思い浮かべたのはゲーム中のラーニングシステムのことだ。
攻略対象達は、術を習得するために、敵の妖怪から術攻撃を受ける必要があった。
あれってもしかして、術を受ける事で体験として術のイメージを得て、自分の物にしていたのでは……?
方法を聞いてもこれなのだ。
ゲーム中、忍が自力で身につけられたとは思えない。
だが、今なら?
感情が伴わないなら、物理的に起こったことを。
昔の事が詳しく思い出せないなら、今起きていることをそのまま術にすればいい。
でも、私の術を直接当てるのは、さすがに気が引ける。
……確か、作中の術は、殆ど自然現象がもとになっていた。
ならば……。
「しのぶくん、まねっこはとくい?」
「まあ、忍者っすからね。ものまねは得意っすよ?」
「なら、これ! いま、ふいてるかぜを、そのまま、まねてだしてみて!」
「ええ!? そんな無茶な」
「むちゃじゃない! たぶん、しのぶくんならそのほうができる! かぜがとまったときに、うけてたかぜをうちかえすイメージだよ!」
「わかんないけど、わかったっす! やるだけやってみるっすよー!」
忍はそう叫ぶと、大きく手を広げ、風を全身で受け止める。
ピタリと風が止まった瞬間、それは起こった。
ふわぁっと、忍を中心に風が発生し、地面に落ちていた木の葉を巻き上げ、屋根まで押し上げる。
忍は、信じられない物を見るように、天を仰いだ。
そして、風が止まった折、何度か同じ事を繰り返す。
三度目になるその行為を終えた時、忍が心底嬉しそうな顔で、こちらに向かって走って来るのが見えた。
私も、忍に向かって走り出す。
「やったーーーー!!」
そう全力で叫びながら抱き着いてきた忍を、こちらも全力で抱きしめ返した。
「よかった……! ほんとに、よかった……っ!」
そう告げて、しばらくそうしていると、忍は静かになり、私の肩口に顔を伏せた。
じんわりと肩が生暖かく濡れてきたが、それを咎めるほど野暮ではない。
冷んやりと、優しいそよ風が吹く真夜中。
月だけが、静かに私達を見守っていた。




