第十四話「福兵衛先生の術習得講座」
「よし! では今から、術習得に向けた実技訓練に入る!」
翌朝、爽やかな風が吹く庭にて、待ちに待った術習得訓練が行われた。
福兵衛の掛け声に合わせて、お願いします!と高らかに声を上げる。
もちろん、忍も一緒だ。
朝食を済ませ、一息ついた頃、何故か眠たそうな忍へ一緒に術の訓練を受けない?と誘えば、案の定食いついてくれた。
作戦大成功である。
念のため、福兵衛にも確認をとったところ、「修行は人数が多い方が楽しい」と二つ返事で了承をもらい、現在に至る。
「それにしても、福じいちゃんもキミも霊力持ちだったとは思わなかったっす。というか、この家の人、みんな妖怪じゃないっすか? 街中に、よく堂々と住めるっすね」
「それはたしかに、そうおもう。でも、わたしまでようかいあつかいはやめて。にんげん、……まだ、にんげんのはずだから!」
死んだら確実に化けて出るのは知ってるんだ。
でも、私まだ生きてる。アイアムアライブ!
「これ、そこ! 励まし合いなら大いに結構だが、関係のない訓練中の私語は慎むように」
先生モードの福兵衛は、いつもより少し厳しめだった。
注意されてしまったので、話を切り上げ、福兵衛の説明を聞く体制になる。
それを見て、軽く咳払いした後、福兵衛が話し始めた。
「それでは、まずは昨日の復習だな。術を扱う上で大切なのは何だったか、椿ちゃん、忍くんにも教えてあげてくれ」
「うん! わかった。じゅつをつかううえでだいじなのは、イメージりょく。いろいろなものをみて、きいて、さわって、あじわい、かいで、ぜんしんでかんじることがたいせつなんだって」
「そうなんすか! 始めて聞いたっす」
「うむ、満点の答えだな! 花丸だ。忍くんも理解できたかな?」
「はい! なんとなくっすけど、分かりました」
元気の良い忍の返事に、福兵衛は鷹揚に頷く。
「では、それを踏まえて実技に移ろう。椿ちゃんが答えたように、必要なのは想像する事だ。まずは目を閉じて、何かを思い浮かべなさい」
福兵衛に指示されるままに、瞼を閉じる。
しかし、何かって何を思い浮かべればいいんだ?
私の疑問を代弁するかのように、忍が疑問の声を上げた。
「なにかって、具体的になにを思い浮かべればいいんすか?」
「好きなもの、楽しかった思い出、怖かった記憶。なんでも良い。何か、実際の体験を元に考えてみなさい。そこから更に、触れた感覚や聞こえた音、その時の気持ちなどを詳細に思い浮かべるのだ」
忍はへーいと軽い返事を返した。
私もこくりと頷く。
抽象的で難しいが、術初心者の私達だ。
ダメでもともと。
とりあえず、言われた通りにやってみるしかない。
私は過去の思い出へ意識を集中させた。
しばらく考えて、思う。
………あれ? これ、めっちゃむずくない?
楽しかったこと、しんどかったこと、ふんわりとした思い出はたくさんある。
けれど、詳細に思い浮かべようとすると、途端に分からなくなった。
前世で私は、思っていた以上にぼんやりと生きていたようだ。
深く記憶に残っているような思い出は、全く見当たらなかった。
「ふくさん、どうしよ。ぜんぜんおもいうかばない」
「……オイラもっす」
そうテンションを落とす私達に、福兵衛は苦笑した後、優しく励ましの言葉をかけた。
「初めは誰でもそういうものだ。普段からなるべく、その時々の感情や感覚を覚えておくとやりやすいかも知れぬ。時期、紫白が昼食に呼びに来る。それまで、もう少しだけ頑張ってみなさい」
「分かったっす! ご飯まで、頑張るっすよー!!」
その言葉は、忍には効果てきめんだったようで、彼は気合いを入れ直して、再び目を閉じた。
私ももう少し頑張ってみよう。
再度、瞼を閉じて、今度は幼女の記憶について考える。
幼女の記憶に映るのは、基本的に薄暗い部屋の中だ。
物哀しく感じられる、酷く寂しい場所。
今でこそ、そう思えるが、当時の幼女は何も感じていなかったように思う。
記憶を探っていると、インパクトのある出来事に辿り着いた。
それは、無意識のうちに考えないようにしていた記憶。
私にも共通する思い出。
川の底に沈み、もがき苦しんだ記憶だった。
泳ぐのは好きだ、けれど、溺れるのと自由に泳ぐことは全くの別物だった。
肌にまとわりつく冷たい水の感触。
川の水流は、容赦なく身体を押し流して行く。
息をしようとすれば、たくさんの水を吸い込んだ。
"苦しい" "嫌だ" "助けて!"
そう思ったのは、幼女も私も同じだったに違いない。
そう考え終わって、徐々に現実へ意識が戻ってくると、なんだか息苦しい。
……え、ちょっとまって、本当に苦しい!
「なにこれ!」と言おうとするが、声は音にならず、変わりに口から泡が漏れた。
身体は、何か冷たいものに包まれている気がする。
バッと目を見開くと、そこは水の中だった。
いや、正確には水塊の中というべきか。
驚いて声も出ない。
外を見れば、皆が呆然とこちらを見ている。
そして、叫ぶ紫白、焦るような福兵衛と忍の声が水の中を反響して響いた。
途端、パァンッと身体を包む水塊が弾け飛び、私は咳きこみながらその場にへたりこんだ。
「椿! 大丈夫ですか!?」
「……だ、だいじょう、ぶ」
私の背をさすりながら、そう訊く紫白に息を整えつつ答える。
紫白はほっとしたように、優しく「良かった」と呟いた後、険しい顔で福兵衛に怒鳴った。
「福兵衛! 昼食が出来たと呼びに来て見れば、これはどういう了見ですか!? 術の習得に危険は付き物。福兵衛だから任せたんです。なのに、助けもせずに見ていたなんて、信じられない!」
「……済まぬ。あまりに簡単に、それもこれ程の規模で術が発動するとは思わず、反応が遅れてしまった。先生失格だな……。椿ちゃん、すぐに助けられず済まなかった」
福兵衛は心底申し訳無さそうに、紫白と私へ頭を下げた。
口ぶりから、私が水塊を発生させた事は予想外の出来事だったらしい。
驚いて反応が遅れるのは、誰にだってあることだ。
幸い、命に別状はなかったし、問題ない。
私はそれよりも、自分が術を使えたという事実に、喜びを噛み締めていた。
だって、術だよ!?
誰だって、一度は漫画やアニメのキャラを真似て、螺◯丸とか、か◯はめ波とかやってみたことあると思う。
少し怖かったが、扱い方はこれから慣れていけば良いだろう。
二次元の産物が、リアルに発現できた事実が、とにかく嬉しかった。
「ふくさん、わたし、なんともないからだいじょうぶだよ! むしろ、わかりやすくおしえてくれたおかげで、じゅつがだせた。ありがとう、せんせい!」
そう告げると、福兵衛は目を丸くしてから、照れ臭そうに微笑んだ。
「しはくも、わたし、だいじょうぶだから、もうおこらないで」
「……はあ、貴方は本当に甘いですね。福兵衛、椿に免じて今回は見逃します。でも、次はないですからね!」
「嗚呼、充分気をつけよう」
紫白に促されて、濡れた服を着替えるため縁側から屋敷の中へ戻る。
ふと、外を見ると忍が庭で一人、俯きがちに佇んでいた。
表情は見えない。
「忍くん? どうしたのだ? 儂らも居間に戻って、昼食を待とう」
そう福兵衛に呼び掛けられて、ハッとしたように顔を上げた忍は、
「わかったっす! 今日の昼飯はなんっすかね〜。楽しみっすね!」
と、いつもと変わらない元気な笑顔を浮かべていた。
……笑顔を浮かべる間際、一瞬、顔を歪めていたように見えたが、気のせいだろうか。
「椿? 行きますよ」
紫白が、後ろを振り返りながら、私を呼ぶ。
私は慌てて、紫白の後に付いて歩き出した。
******
着替えも済んで、昼食を食べ終えた後、私達は再び庭に出ていた。
勿論、訓練の続きをするためだ。
紫白は反対したが、感覚が残っているうちに続きをしたいと、意見を通させてもらった。
そんな紫白は現在、縁側に座り、
「無理だけはしないように。気をつけて頑張るんですよ〜」
と私を応援してくれている。
「で、ふくさん。じゅつのだしかたはわかったけど、これからどうすればいいの?」
「そうだな。次は、自分の術をどう扱いたいか考えると良い。例えば、防御するなら壁のようなものを作る、攻撃するなら飛び道具のように扱うといった具合だな。発動した物を変形させるいめぇじで、やってみなさい」
「なるほど」
自分が幼女である事を考えると、まず必要なのは戦闘の術より、身を守る手段だと思われた。
まあ、攻撃も後々出来るようにはしておきたいけどね。
しかし、私の術は水だ。
水を盾にしたところで、切られるのは分かりきっている。
なら、逃げるために、相手の動きを足止めできるようなもの。
水で連想する足止めといえば……?
そう考えて、水鉄砲を思い浮かべる。
顔、とくに目に向けて水を当てれば、多少の目眩しにはなりそうだ。
「よし!」
「おや? さっそく閃いたのか?」
気合いを入れるため声を出すと、福兵衛に微笑ましい目で見られた。
なんとなく気恥ずかしく、躊躇いがちに頷く。
「そうか。お前は本当に発想力が豊かだな! なら、次は自分が苦しむいめぇじではなく、手で水に触れるような感覚でやってみなさい」
え、さっきと違うイメージで大丈夫なのだろうか?
疑問が顔に出ていたのか、福兵衛が言葉を続けた。
「……お前が先程考えたのは、恐らく、恐怖だろう? 術を発動させる起点にはなるが、そう毎回考えるものではない。特にお前の場合は、命に関わりそうな規模だからな。心配せずとも、一度身に付けた感覚は、そう簡単に無くなったりせぬよ。自信を持ってやってみなさい」
「わかった。やってみる」
目を閉じて、意識を集中させる。
水に包まれている感覚を思い浮かべ、それから身体を引き抜いて、手だけが水に触れているイメージを保った。
手のひらに冷たい感触がして、恐る恐る目を開けると、水が手を包むように湧き出している。
「わっ!」
「集中を途切れさせるな! そのまま、やりたい形に持って行きなさい」
驚く私に、福兵衛が看破入れず叫ぶ。
そのまま、ぐっと力を込め、前方に水を飛ばした。
「いけ! みずでっぽう!」
掛け声と共に、水は勢いよく飛んで行く。
……しかし、その後、途中で勢いを失い、地面へと消えてしまった。
「……あれぇ?」
思っていたより飛ばなかったな……。
「あっはっは! 途中で集中力が途切れたな。だが、初めてでこれだけ出来れば上等だ。あとは、繰り返し練習あるのみ。頑張りなさい」
「凄いです、椿! さっきの掛け声は、技名ですか? 名をつけると、使いたい時に術を発動しやすいですからね。分かりやすくて良いと思います」
不思議がる私に、福兵衛と紫白が側までやって来てそう言った。
いやいや! なんとなく叫んだけど、あれ、技名はやだよ、そのまますぎてダサい。
後で、もっとカッコイイ名前考えよ……。
そう遠い目をしていると、福兵衛が更に声をかけて来た。
「しかし、これだけ出来れば、他の術も扱えるやも知れんな。霊力持ちなら、見た目の年齢を変える術も覚えた方が良い」
「ねんれいをかえる……?」
「うむ。幼いうちはとくに、何年も見た目が変わらぬと、不審がられるからな。毎年少しずつ、外見年齢を上げるのだ。なに、椿ちゃんなら簡単に出来るだろう。鏡を見ながらな、こう、ちょっとだけ大人な自分をいめぇじしていく。まあ、後でやってみなさい」
「うん? わかんないけど、わかった。また、やってみるね」
よくわからないが、霊力持ちに必須らしい変化の術。
まだ、あまり飛ばないが、出来始めた水の術。
私はこの時、憧れが実現出来たことが嬉しくて、かなり浮かれていたのだと思う。
だから、気づけなかったのだ。
私達が和気あいあいと話す中、一人歯を食いしばって目を瞑っていた忍が、ちらりとこちらを見て、酷く羨ましそうにしていたことも。
その後、「やっぱり、オイラには……」と泣きそうな声で呟いたことにも。




