第九話「椿の衣装替え」
翌朝、熱が下がり、布団で眠れたおかげか、疲れもすっかりとれていた。
元気満点、今日から生きのびるために頑張るぞ!と気合いを入れて、起き上がる。
障子の前で、誰かが立ち止まる気配がした。
「失礼、今良いか?」
「はい、だいじょうぶですよ?」
返事をすると障子が開き、福兵衛が顔を覗かせる。
「おお、もう起きておったか。身体はもう大事無いか?」
「はい、おかげさまで、すっかりげんきです」
そう告げて、腕を曲げ力瘤を作り、元気さをアピールした。
福兵衛は、朗らかに笑ってから、何かの包みを渡してきた。
「これは?」
「開けて見なさい、お前が必要にしていたものだ」
にこにこと目を細めたまま、福兵衛に促されて、私は包みを開く。
「うわぁ……!」
中からは、落ち着いた赤色の着物が出て来た。
裾に行くにつれて花柄が散っており、可愛らしい。
帯も、柄入りの美しいものが添えられている。
帯留めは紫と白で纏められた品のあるもので、どことなく紫白を彷彿とさせた。
思わず、手にとって眺めてみる。
「嗚呼、それが気にいったのか? その帯留めは紫白が選んだものだぞ。他のものは、儂も意見させて貰ったが、それだけはどうしても譲れぬと言ってな。何か自分に似たものを身に着けて欲しかったのだろうなあ……。いやはや、可愛い奴よ」
紫白が選んだ帯留めだったのか、道理で、彼と似ている訳である。
自分色に染めたいというより、動物特有のマーキングのようなものだろうか?
一応、保護者的存在なわけだし、目印なのかな。
それにしても、高そうな着物だ。
少し、着るのを躊躇ってしまう。
「そうなんですか、しはくが……。あの、こんなこうかなもの、いただいていいんですか?」
「勿論だとも。男二人で態々選んだのだよ。お前が着てくれぬと、儂らも着物も可哀想というものだ。今は、その襦袢しか無いのだろう? そのままでは、街中で目立つ。是非、着ると良い」
「ありがとうございます!」
お礼を言うと、福兵衛はにっこりと鷹揚に頷き、そのまま、立ち去ろうとして、もう一度こちらを振り返った。
「そうだ、椿ちゃん。敬語は良く無いぞ、もっとふらんくに話してくれ。仲良くなるには、まず、打ち解けることが必要だ」
「え、でも。ふくべえさんはとしうえですし、やぬしさんですし……あまり、きがるすぎるのはよくないのでは?」
「福ちゃん、だ! 儂が良いと言っているのだから、気にする事は無いぞ」
「そうなんですか?」
再び敬語で訊ねると、やんわり咎められた。
この世界の人、というより妖怪達は、よほど敬語が嫌いらしい。
「……そうなの? ふくさん」
流石に目上の男性をちゃん付けは憚られたので、妥協して言い直す。
「うむ。そうだ、それで良い。福ちゃんではないが、福さんという呼び名も良いものだな。着替え終わったら、居間に来なさい。朝食が出来ているぞ」
「うん、わかった」
立ち去る福兵衛を見送った後、私は急いで着替え始める。
前世に着付けの経験はないが、幼女は毎日着物を着用していたため、やり方は身体が覚えていた。
むしろ、頭で考えながら着付けようとすると、全く分からなくなるので、無心で着替えた。
******
何とか着替え終わり、居間を探しながら、廊下を進む。
予想以上に大きな屋敷で、居間まで自力でたどり着けるか不安になってきた。
さっき、福兵衛に場所を聞くべきだったかな……。
後悔しても、既に遅い。
とぼとぼと屋敷の中を彷徨い歩く。
ある廊下の角を曲がった時、良い匂いが鼻腔をくすぐった。
「おいしそうなにおい」
匂いを嗅いで、お腹を減らせていると、向こうの方から紫白が走って来るのが見えた。
助かった!
これで、なんとか居間まで辿り着けそうだ。
「椿ーー! 良かった、遅いから何かあったのかと心配しました」
「だいじょうぶ、からだはげんきになったんだよ? ちょっとまよってただけ。おそくなって、ごめんね」
「それは良かったです。そうですねぇ……この屋敷、広いですもんね。福兵衛も気が利かないなあ。後でまた、文句を言ってやります」
顔を顰め始めた紫白を見て、慌てて止める。
ご飯中に、また喧嘩されるのは御免だ。
ご飯は、穏やかに食べたい。
「いいよ、きにしてないから。こうやって、しはくがむかえにきてくれたから、もんだいないよ」
「貴方は、相変わらず優しいですね。貴方がそう言うなら、文句は取り止めましょう。……その着物もとても似合っていますよ。大変愛らしいです」
「あ、ありがとう」
蕩けるような笑顔で、ストレートに褒められて照れる。
彼は美形なので、顔面の破壊力がすごいのだ。
顔の熱を冷ましながら、紫白の後を付いて廊下を歩く。
しばらくすると、襖の開いた部屋が見えてきた。
中からは、暖かな光が漏れている。
「着きましたよ」
紫白がそう言うと同時に、中からも声が聞こえた。
「やっと来たか! 遅かったではないか。儂はもう腹ぺこだぞ。早よう座れ」
「いや、貴方が椿を放置したからこうなった訳で……」
またしても口論が始まりそうな気配を感じ、咎めるように紫白を見つめる。
紫白は渋々といった様子で、溜息をつきながら分かっていると頷いた。
「……ん? まさか、迷子になっていたのか? 屋敷に人が滞在するのは、久方ぶり故、配慮が足りなかったな。次からは気をつけるとしよう。すまなかったな、椿ちゃん。その格好も、とても良く似合っておるぞ」
「えっと、はい。ありがとうございます」
あっさり自分の非を認め、私の服を褒めることも忘れない。
紫白との口論時とは違う大人な対応に、感心してしまった。
案外、まともな人なのかも知れない。
「……椿ちゃんや、また敬語になっておるぞ。そんなに、畏まらずとも良かろうに」
「あー……、ごめんね?」
何と言うか、福兵衛には威厳があるのだ。
気軽に話すには、少し時間がかかりそうだった。
福兵衛に促されるまま、紫白と二人、居間のちゃぶ台へ座る。
ちゃぶ台の上には、味噌汁に焼き魚、卵焼き、ほかほかの白米が、三人分用意されていた。
純和風な朝食だ。
前世、一人暮らし中の朝ご飯は、適当にシリアルをつまんだりしていたので、手間のかかった朝食は新鮮だった。
え、幼女の村での朝ご飯?
言わずもがな、そんなものは無かったよ。
しいて言うなら、水ですかね。
「いただきます」
皆、各々、手を合わせてから、朝食を食べ始めた。
どれも、とても美味しい。
美味しい分、少しだけ冷めているのが残念だった。
「旨い。紫白はまた、料理の腕を上げたな!」
「褒めても何も出ませんよ。……ちょっと焼いただけなのに、大袈裟です」
「その焼き加減が難しいのだろう? 誇って良いと思うのだがなあ」
二人の会話に、驚く。
この朝食、どうやら紫白の手作りらしい。
言われてみれば、福兵衛は料理をしそうには見えない。
実際、ゲームの中でも、料理をする描写はなかった。
きっと、昨晩のご飯も、紫白が作ってくれたのだろう。
「しはく、りょうりもできたんだね! すごいおいしいよ。いつも、ごはん、ありがとう」
そう言うと、紫白は嬉しそうに笑った後、苦笑した。
「ありがとうございます。でも、僕としては、朝食を作っていると、朝一番に貴方を呼びに行けないのが、残念でならなくて。福兵衛が、まともに料理を作れれば、すぐにでも役割りを代わって欲しいです」
「其れは、難しい相談だな。何分、儂はいつも出前を取るか、近隣の女子に差し入れを貰って食い繋いでおる故。久々に、身内の美味い飯が食える機会を、みすみす逃す手はない」
悪びれもせずに、福兵衛が答える。
紫白はそれを睨みつつ、諦めたように溜息をついた。
「はぁ……。まぁ、貴方は昔からそうですもんね。分かってますとも。世話になってる訳ですし、このくらいは我慢しますよ」
「そうしてくれ」
福兵衛がほけほけと笑い、紫白の頬がひくりと引きつる。
彼は、一言余計なんじゃないかな?
わざとやっている気もするが……。
私は話を逸らそうと、昨日頼んでいた修行のことを話題に出す。
「ねえ、ふたりとも。わたし、すっかりげんきになったから、ごはんをたべおわったら、きのうやくそくしたしゅぎょう、してもらえる?」
「今日からですか? 流石に早急すぎるのでは? まだ、休んだ方が良いですよ。熱も下がったばかりなのですし……。ねえ、福兵衛?」
「うーむ、そうだなあ。だが、椿ちゃんの逸る気持ちも分からなくはない」
心配そうに私を見る紫白と、考え込むように顎に手をやる福兵衛。
そういう時は仲良いんだなと、内心ツッコミを入れながらも返事を待つ。
いつ何が起こるか分からない以上、行動は早め早めに起こしておきたかった。
すると、福兵衛から質問を投げかけられた。
「椿ちゃんは、術を扱う上で一番必要なものは何だと思う?」
「え?……れいりょくのりょうとか、しつ?」
前世の漫画やらアニメの知識を総動員させて答えた。
間違えていないか、不安だ。
「あっはっはっ、面白い。どこで得た知識かは知らぬが、初めての答えにしては上出来だ」
笑い飛ばされてしまった。
どうやら、あながち間違いでは無いらしい。
「あってたの?」
「うむ。間違えてはいないぞ。実際、霊力の量や質は、術の威力や維持する時間に影響して来る。だが、満点はあげられんな」
「えー? じゃあ、まんてんのこたえは?」
「ふっふっふ、良いか、答えは……いめぇじ力だ!」
「イメージりょく?」
「そうだとも。霊力はいめぇじ無くしては、そもそも術として形にできないのだよ。そして、その力を養うために必要なことと言えば……、紫白、答えてみなさい」
「えー、僕ですか?」
紫白は暫し、沈黙した後、一拍置いて答えた。
「"様々な物を見て、聴いて、触って、味わい、嗅いで、全身で感じろ"」
「おお! 満点だ。儂の教えを良く覚えておったな」
「ええ、まあ。耳にタコができるくらい何度も聞かされましたし」
「はっはっは、偉いぞ!」
福兵衛は明朗に笑いながら、紫白の頭をわしゃわしゃと撫でた。
紫白は大層迷惑そうにしている。
よく分からないが、術を使うには想像力が必要で、想像力を養うには、色々なものを見聞きするのが大事ってことかな。
術の先輩達が言うのだから、そうなのかも。
しかし、なんだか父が子にするような……いや、祖父が孫にするような、そんな気安さと温かみを感じる場面だった。
その子供は、思いきり反抗期だと思うが。
呆けていると、再び福兵衛から声がかかった。
「そういう訳だ。今日は、町を散策するのが修行なのだよ! 食べ終わったら、出発するぞ」
上機嫌でそう言われて、困惑する。
福兵衛なりに、私の体調を考えた上での提案なのだろうが……。
町、がっつり練り歩くのは、流石に危なくない?
不安になって、紫白を見つめると「大丈夫ですよ」と優しく宥められた。
村人は怖いが、紫白が大丈夫と言うなら、大丈夫なのだろう。
私は覚悟を決めた。
ゆっくり見て回る都の町は、どんな場所なのだろうか。
少しの恐怖と期待を胸に、私は残りの朝食を掻き込んだ。
福兵衛さんは超マイペースですが、割と常識人です。




