9 魔物とロイ
次の日から魔法の指南は方向性ががらりと変わった。森を散策しながら、時たま出てくる黒い瘴気の塊に魔法を放つ。森の奥には魔物がいるけれど、森自体が危険なわけじゃない。比較的安全な場所と危険な場所があって、ここは丁度境目の辺りらしい。淀んだ空気が集まると境界線が侵されてしまうので、定期的に瘴気を消さなければならないのだとか。
瘴気を消すために放つ魔法は大きすぎると森に被害が及ぶので調節が必要だ。でも当たり前だけど、力の放出より力の抑制の方が何倍も難しい。
「よし、一旦休憩だ」
「うう……」
ばたんきゅー。
まさか自分にこの効果音を使う日が来ようとは。
ぐったりとその場に倒れ込んだ私を見て、ロイは近くの切り株に腰を下ろす。
「そこそこ上手くなってきてるから気は落とすなよ。俺も人に教えたことなんてねえから嫌な言い方になってることは自覚してる。お前は良くやってるから」
慰めてくれていることが身にしみる。いや、分かっているのだ。自分には到底出来ないことをロイは出来てしまって、しかも私は元々異世界の住人だからロイと感性が違うためにすり合わせが難しい。それは分かっている。分かっているけど、感覚が付いていかない。気って落とすもんじゃなくて落ちるものなんだなと実感している。
空を見上げながらぼんやりと休む。その間もどうすればうまく制御できるのかを考え続けていた私は唐突にある考えに辿り着いた。
「ねえねえ、ロイ」
「どうした?」
「ロイは、どういう風に魔法を制御したの?」
ロイも恐らく魔力量はそこそこ多い。私と比べたら少ないんだろうけど、それでも常人よりは多いんじゃないかと思うのだ。教えてもらっているから分かることである。
真剣に指導してくれているロイには感謝している。だからなるべく負担にはなりたくない。ロイの体験談を聞けば何か近道になるかもしれないと思った。
「俺か? 俺は……」
言いかけて、彼は何に気がついたのか目をちょっと見開いた。ように見えた。それだって本当にちょっとした変化だったけれど、多分勘違いじゃない。だってロイが誤魔化すように苦く笑ったから。
「俺の場合は……それはそれで特殊だったから、参考になんねえよ。悪いな」
きっぱりと告げたその姿は聞かないでくれと語っている。私は一瞬だけ言葉を飲み込みかけて、ふと、前にもこんな雰囲気になったことがあったなと思った。
思い出そうとしてぐるりと首を回すとごきんと結構な音がして、ロイにびっくりした顔で見られてしまう。恥ずかしすぎる。
それはともかく、思い出した。
ロイを起こしたときだ。顔面蒼白だったあのときと違って少し元気がないだけに見えるけれど、漂う雰囲気は同じだ。
多分、恐怖。
「……それって、ロイが長い時間眠るのとか、寝起きがちょっと悪いのとか、怪力になることとかと関係ある?」
思わず聞いてしまって、ロイの顔が一瞬驚愕に染まる。踏み込みすぎたかとたじろいだ私にロイは力なく笑った。
「お前、変なとこで鋭いよなあ……」
「ご、ごめん」
「謝らなくていい。……今は話せねえんだよ、悪いな」
今は。
「いつか話してくれるの?」
「ああ、んー、上手くタイミングが合えばな」
誤魔化すための言葉じゃなくて、本気で機会に恵まれないんだという思いが滲み出ていた。それってどういう意味なんだろう。
気になったけど、聞かなかった。人には心の準備ってものが必要なのだ。気にせずに突っ込んで聞いて私が納得して、ハイ終わりじゃない。
私にだってロイに隠してることはあるし、きっと誰にだってあるし、究極的にはなんでも話せる人なんて滅多にいない。話してやらないって言われてないんだから、ここは待つべきなんだと思う。
大丈夫、待つのは得意だ。なんせロイが自然に起きてくるまで朝ごはんを定期的に温めたりなんだりしているのだから忍耐力も鍛えられるというものだ。
あれ、よく考えたら私世話しすぎかな? ロイがニートになるのは嫌だなあ。
手を握ったり開いたりしているロイの表情はよく分からない。多分ロイ自身もよく分かっていないのだと思う。スーパーで迷った子供と同じ雰囲気が漂っている。
「ねえ、ロイって何歳?」
唐突すぎる質問に訝しげにロイは眉をひそめた。
「いきなりなんだ」
「いや、ちょっと気になって。何歳? 私は十七」
「……お前、成人してるのか」
「え!?」
愕然とした顔に仰天の顔を返す。まさか十七を二十と聞き間違えるはずもないだろうと思った私は、数拍経ってすれ違いに気づいた。
「ここの成人って、何歳?」
「十六だ」
「早っ」
四年も早かった。え、私お酒飲めちゃうの? 炭酸無理だけど。
「ハルの世界ではいくつなんだ?」
「二十だよ」
「そうか……平和なんだな」
首を傾げた私にロイが説明する。成人する年齢が高ければ高いほど、その世界は戦争も少なく平和なのだという。成人すれば徴兵が可能になるから、戦争が多い国は成人する年齢を低く設定するのだ。
「へええ、そんな仕組みなんだ」
「少なくともこの国は大国だからな、戦争もしばしばする」
そんなに身近に戦争の空気を感じたことはなくて、私は少し震えた。ここは私のいた世界とは勝手が全然違うのだと痛感する。
「あ……それで、ロイはいくつなの?」
「二十だ」
私の世界でも成人だった。大人ですね。
「……お前は子供に見えるな」
からかいも嘲笑も含まれていない言葉なのにぐさりと心に突き刺さった。それは私の国の人は童顔に見えやすいってことだろうか、それとも言動が子供っぽいということだろうか。せめて前者であれ。
ロイがぽつりと呟く。
「何にも染まってない……子供に見える」
彼の視線が私を通り抜けていると思った。私が思っているのとロイが言っている子供は違うもののような気がした。ロイは私ではない何かを見ている。
「……ロイ?」
不思議な気分になった私が問いかけるのと近くの茂みが揺れるのは同時だった。
なんとなく目をやって、現れたものに私はひゅっと喉を鳴らした。
低い唸り声に闇に染まった体。私を睨みつける目玉は三つあって、どれもこれでもかというほど血走っている。見た目は熊に似ているけれど絶対に違う生き物だと分かった。熊は臆病なのだ。こんなに最初から敵意を剥き出しになんてしない。
これは、魔物だ。
ロイが音もなく立ち上がって私の隣に立った。
無言で差し出された腕に縋り付く。
私は甘く見ていた。たまに魔物っぽいものを遠目に見たけれど、あれとは雰囲気が全然違う。目の前の殺意の塊に比べたら人形に等しい。
「ハル」
「………………はい」
「……目でも瞑ってろ」
言うが早いか、彼は地を蹴って高く飛び上がった。素手で魔物の鼻っ面を殴り、怯んだ隙に蹴りを食らわせ地に倒す。唐突すぎて言われた通りに目を瞑ることも出来なかった。
でもきっと、唐突じゃなくても目を閉じるなんて出来なかったに違いない。
……痛そうだ。
蹴りやら突きやらを食らわされている魔物に対してではない。食らわせているロイのほうが、ずっとずっと痛そうで、目が離せない。
どうしてそんなに痛そうなの?
何がそんなに苦しいの?
「……悪い」
掠れるほど小さな謝罪の声と共に、彼は額にある目をナイフで一突きにした。この世のものとは思えない断末魔が響いて、赤黒い液体がロイの顔に弾け飛ぶ。
瞬間、たちまち黒い体は霧散して、辺りに紫色の瘴気が漂う。消えた? いや、でも何かふわふわとしたものが私の周りを漂っている気もする。なんだろう? こんにちはってしたほうがいい?
荒い息をついて立ち上がったロイが弱々しく頬に着いた血を拭うのが見えた。綺麗な頬に赤が伸びて、下手な特殊メイクみたいになる。
「……ロイ」
呆然と立ち尽くしている彼の目の前に立って、拭いきれていない血に手を伸ばした。しかし彼は弾かれたように私の手を払い除ける。
「触るなっ!」
大声に思わず体が震え、ばちりと響いた音に顔をしかめる。大声に大してか叩いたことに対してか、多分両方なのだろう。さっと青ざめた顔を向けて、すぐさま謝罪の声が降ってきた。
「あ、悪い……」
「ううん」
恐怖を押し込めてにこっと笑う。違うんだ。これは反射がまだ記憶に操られているからであって、ロイのことが怖いんじゃない。だからそんな、壊れやすいものを見る目で見なくても大丈夫だよ。
ロイは額に手を当ててその場に座り込む。
「……悪い。でも、触らないほうがいい」
なんとなく泣きそうな顔をしているんじゃないかと思って、私は同じようにしゃがみ込む。
何度か悩んで、手を伸ばしかけては降ろして。ロイには見えていないけれど、私は項垂れた彼を前に逡巡を繰り返す。
でも最終的に意を決して手を伸ばして、そっと頭を撫でると驚いた顔をされた。
「あ、や、やっぱり嫌だった?」
定期的に頼むと言われたしいけると思ったのだけれど、やっぱり子供扱いみたいで嫌だろうかと手を離そうとして、しかし手首をガッと掴まれた。痛くはなかったけど普通にびっくりした。奇妙な態勢のまま固まった私達は沈黙してしまう。
「……あ、あの?」
「嫌じゃない」
食い気味だった。子供のような視線が真っ直ぐに私を見据えていて、動けなくなる。
「嫌じゃないから……そのままでいてくれ」
「……うん」
ぎこちなく首を縦に振る。私は逃げないのに、がっちり捕まえられている手首がロイの言いようのない不安を表している気がした。
「……ねえ、私はここに、いるからね」
なんの気休めにもならないだろう。精々私がすっきりするだけだ。自分勝手でごめんなさい。でも言いたかったんだ。私より結構年上なのにたまにひどく寂しそうな顔をする彼に、言いたかった。
「私がそばにいるだけじゃ不安かもだし不満かもだけど、でもほら、一人よりはさ、ね? ハグでストレスは解消されるとか言うし」
なんだこれ、なんで私がハグを要求してるみたいな図になっているんだ。あと何が「ね?」なのかは私自身全く分かっていません。
そのとき透き通った瞳が私を見た。吸い込まれそうな深い青にどきりとする。
「そうか……」
ぽつりと、彼は呟いた。
「お前は、そうなのか……」
どういう意味なのかは全く分からなかったけれど、声から硬さが取り払われていたことに私は安堵して微笑んだ。