5 二度目の美形と拐かし
それから毎日、私は魔法に関するあらゆる知識を詰め込まれた。まるで頭の中の脳みそに直接知識を注ぎ込んでいくような教え方だった。分からないと思う。だって私もよく分かっていない。あれよあれよという間に知識が増えていくのだから。
魔法の中では四代魔法が主になっているが、そもそもそれだけでは人は生きていけない。ロイが私の手に施した治癒魔法のような専門的なものから洗濯物を洗って乾かすような生活に関わるものまで、様々な魔法がある。
そこで出てくるのが四代魔法の元となる四大元素に纏わる逸話の数々だ。
例えば水には治癒の精霊が住み着いているだとか、火には攻撃的な精霊が集まるだとか、そういうことをみっちり教えられた。その逸話一つ一つが様々な魔法の元となっているらしく、覚えないと始まらないのだ。おかげで今となってはギリシャ神話よりここの国の神話に詳しくなっている自信がある。
そして早一週間が過ぎた。今まで生きてて一番濃い一週間だったと断言できる。それほど運動はしていないはずなのにへとへとだ。
もう随分と私の脳みその皺は増えたに違いないと思いながら起きた朝のことだった。
「ん……?」
意識が浮上しかけたときにそれに気づいた。何やらリビングのほうで物音がしたような。
え? 音?
どういうことだろうと飛び起きた。だってロイの寝起きの悪さは初日に大変実感したところだ。今日に限って目が冴えたなんてことはないと思う。私は一週間でそれを学んだ。
ロイの寝起きには注意すべし、という注意書きを自分の部屋に貼ったのは誰あろう、私だ。ちなみにロイの部屋の前に立て札を立てようかと思っている。全力で反対されているけれど。
そんなわけで恐る恐るリビングに向かうと、そこに居たのは案の定、ロイではなかった。
「なにこれ、俺がいない間に家政婦でも雇ったわけ? なんでこんな部屋綺麗なの? つーか俺の部屋また消したなあいつ……」
ぶつぶつと何やら呟く金髪碧眼の男がダイニングで首を捻っている。
私は頭を抱えた。
ここにきて、攻略対象候補、再び。
遠目から見ても分かる整った顔立ちにすらりと高い背。ロイの美しさが鋭利な氷の彫刻だとすると、彼はきちんと手入れをされた薔薇園だ。加えて、口調からして恐らくはロイとは違ったタイプのイケメンに違いない。
あああああああと心の中で悶える。
これは本格的に乙女ゲームの世界であることを疑わなければならないかもしれない。
平穏に暮らせるノーマルエンドが好きな奇特なゲーマーだった私だけれど、だからって知らない乙女ゲームの世界に落っこちるなんてのも不運だ。ここが乙女ゲームの世界だったらの話ではあるけれど。
しかしやっぱり立ち直りが早いのも私なわけで、どうにかこうにか頭に整理をつけ、目の前の男を影から観察した。
そこではたと気がつく。
というかよく考えたら、あれは不法侵入者なんじゃないだろうか。あれ? よく考えなくてもそうなのでは?
見知らぬ男が勝手に部屋の中にいてぶつぶつと何かを呟いている。
うん、完全に不審者だ。裁判で勝てるやつだ。
完璧に自信を取り戻した私は凛と背筋をのばして、堂々とその場に出ていくことにした。
男の目の前に素早く躍り出た私は、きょとんとした顔の彼にびしいっと指を突きつけて、息を吸ってお腹から声を出す。
「あなた、誰ですか! どうしてこの家に勝手に……」
「え? 何君、可愛いね」
可愛い!? あまりの衝撃に考えていた口上が全部吹っ飛んだ。
いや、生まれてこのかた十七年、可愛いと言われたことが全くないなんて言わない。言わないけれどそれは親戚に可愛がられるくらいなもので、どう見ても二十代くらいの、一般的に若いと言われる年の初対面の異性にそんな挨拶みたいなノリで言われる経験はない。
これがクラス一番の美少女とかだったら「ヤダ、冗談が上手だね」くらいは言えたのかもしれないけれど、生憎私にそんな度胸も発想もなかった。
「いや、そんな全身全霊で『びっくり!』って顔しないでよ。可愛いなあ」
また言った。もしかしてこの人「可愛い」が口癖なだけなのかもしれない。
戦々恐々としていると、ふいに彼の手が私の頭に伸びた。
咄嗟にはっしと私は頭を手で押さえた。彼はぱちくりと瞬く。
「えっと、叩かないよ? 撫でるだけだよ?」
そんなことは分かっている。しかしロイが撫でてくれた頭がこの人に撫でられるのはなんか嫌だった。というか見知らぬ男に撫でられるのが普通に怖い。
「不法侵入者に撫でられる頭は私にはありません」
「わーお、身持ちの硬い未亡人みたいなこと言っちゃって可愛いー」
「私未亡人じゃないですし未亡人も『可愛い』の部類に入るんですか!?」
「この世の女の子はみんな可愛いよね?」
あ、駄目だこの人、私には荷が重い。きっとおばあちゃんにも同じようなこと言ってるのだ。
もう諦めようかなと視線を逸らした。
それがいけなかった。
「いやー、あいつ拾い癖あるとは思ってたけど女の子拾ってくるとはねー、隅に置けないなあ」
ぐいっと手を引かれ、はっ? と思う間もなく外へ連れ出される。リビングと玄関のドアは非常に近いのでとても呆気なかった。気がついたらそよ風に髪が靡いていた。
「えっ、ちょっと!」
「俺の名前はファルカンだよ、よろしくー」
「私あなたの名前聞きたくなんてないですけど!? どこ行くんですか! ロイがまだ寝て……」
「おお、ロイの名前が出るってことは本当に住んでんだ。不法侵入かと思った」
「不法侵入はあなたです!」
金切り声をあげた私に彼はにっこりと微笑んだ。
息を呑む。
怖い。普通に怖い。どちらかと言うとロイのほうが目つきは悪いはずなのになんかすごい怖い。
「俺はロイの同居人だよ。聞いてない?」
同居人……?
少し考え込んだ私はその間ずっと引きずられていることに気づかなかった。しばらく経って景色が変わったことにあっと声を上げる。
「ちょ、どこに!」
「うーん、ちょっと抜けてるところも可愛いねえ」
この人口を開けば可愛いしか言わない。流石に寒気がしてきた。
しかし力加減で叶うはずもなく、ずるずると引きずられていく。
「デートしようよ、拾い子ちゃん」
「え、ちょ、離し……!」
「レッツゴー!」
「聞いて!?」
麗らかな晴れた日の朝、私は拐かされた。
「とうちゃーく! いやー、朝はさっぱりしてて空気が美味しいね!」
「はあ、そうですか」
「あ、もちろん君のほうが美味しそうだよ?」
「何言ってるんですか。タンパク質摂りたいならそこらのアリのほうがよっぽどですよ」
「そう来るか……」
結局私は最初から最後まで徹頭徹尾引きずられ、どこだか分からない場所に到着していた。あの宝箱の中のような街の一角だというのは分かるのだけれど、それだけだ。そもそも街に出てはいけないと言われているというのにどうしよう。早く帰りたい。
人がすごい。朝なのに昼下がりのような人の多さだった。ここらへんは朝市が大人気だったりするのだろうか。
水平に見たときと垂直に見たときと中に飛び込んだときはそれぞれ違う。遠くから見ていただけでは分からない発見が大量にあった。空中に店の宣伝が浮いてたり、風船で子供が飛んでいたり、地面に綺麗な薄い光が写ったりしている。まるでステンドグラスを通った光が床に映るがごとく、綺麗な光が花やら猫やら兎やらの絵を描いては崩れていく。
上を見上げればなんだか薄い膜のようなものが空を覆っているように見えた。ここから太陽の光が入り込むことで様々な色の影ができているような気がする。
「これは……」
「あれ? 王都に来るのは初めて?」
「……まあ、そうですね……」
「ん?」
「あ、はい、初めてです」
ここは適当に話を合わせておくのが良いのだろうと思う。実際初めてだし。こくりと頷いた私に舐めるような視線が注がれた。
「ふーん……?」
「……あの?」
「いや、なんでもないよ」
笑って手を振り、お腹すいてるでしょ、何か食べる? と聞いてくる。まあ確かに腹の虫が鳴りそうではあるけれど、それは全面的にあなたのせいなんですけどねと胡乱気な視線を送った。朝っぱらから獣道を歩かされたらそりゃお腹もすく。しかし全く伝わっていなさそうなので諦めてこくりと頷くと、じゃああそこで、と露店に案内される。
買ったのは普通のサンドイッチでほっとした。ここでこの世界特有の食べ物でも出されたら色々と露呈するだろう。
食べながら行こうかと促され、一緒に歩く。なんかもうそのきらきらしい笑顔に拒否反応が出そうだ。こういうキャラも苦手というか、実際王道キャラより苦手だったりする。腹の中に何を考えているか分からないタイプだ。
何か聞かれる度「そうなんですか」と「へえ」と「よく知りません」を駆使して会話を成立させる。よくそれで会話が成立させられるな、と私は私を褒めたい。
と、そこでふと、ある店に目が止まった。
鮮烈な青が目に焼き付くそこは、綺麗な星や夜空をモチーフにした雑貨が売っている店だった。
「わ……」
声もほとんど出せないままに歩みを止める。
ショーウィンドウもなければドアもなく、テーブルクロスの上に直接雑貨が並べられていて、敷居が高そうな雰囲気は微塵もない。雑貨もそれほど高いものではないのだろう。
けれど覚えているだろうか、私は現役高校生なのだ。安くて可愛いに目がない現役女子高生なのだ。しかも私は放課後に大型ショッピングモールの雑貨店を回っていたら蛍の光が聞こえてきたことがあるほどの雑貨好きである。
飛びつかないわけがなく、私は店先にある雑貨に釘付けになっていた。アクセサリーみたいなものからブックカバーまで色々とある。それらはすべて青系統で、まるで夜の妖精の祭りに迷い込んだようだ。
こんなものを作れるなんて。
実は私には夢がある。いつか何処かで、どんな規模でもいいから雑貨屋を開きたい。布でもいいし硝子でもいいしレジンとかでもいい。とにかく何かを作りたかった。家族には鼻で笑われたけれど友達には応援された。絶賛された。
これは私の夢だ。私の夢が、目の前にある。
「おや、珍しいね」
ふと、店内からそんな声がした。目をあげるとすらりとした美女が立っていてぎょっとした。
「お前さん、客かい? ここら辺のやつにしてはなんだかおかしな服だねえ。どこから来たんだい?」
ぎくりとする。ここまでくる道すがらで薄々気づいてはいたけれど、私の服はやっぱりここのとはちょっと意匠が違う。そもそも繊維が違うのだから見た感じ違和感があるのだ。
「え、っと……」
嘘をつくのは苦手だ。そりゃもうすんごい苦手だ。ファルカンとかいう男にあんな態度をとったのは単に第一印象が最悪だったからにすぎない。
けれど私はごくりと本音を飲み込んだ。
「遠いところから、来ました」
「ふうん、やっぱりここのもんじゃないんだ。へえ、本当に見たことない服だねえ」
ギリギリのラインを見極めて誤魔化したつもりだったのだけど、彼女は職業柄なのかしげしげと私の服を見つめてきた。咄嗟に私は適当に商品を指さす。
「こ、これ、綺麗ですね!」
「ん? ああそれかい、あたしの自信作だよ」
ふっと目を向けた先にあったのはネックレスタイプの懐中時計だった。時計を覆うカバーの中心に丸い穴が空いていて、そこから夜空のような青い中身が覗いている。
あ、綺麗────
ころっと私の意識はそれに向かった。まるでロイみたいだと思った。あの人のまるで夜空みたいな深く静かな藍色がふっと目の裏に浮かぶ。
「夜空を背景にしたかったんだけど、どうしても針の色と合わせるのが難しくてね。ちょっと作るのに時間かけちまった。だからその分高めなんだよ、ごめんね」
最初はその場しのぎに指さしただけだったけれど、私は既にその商品に釘付けになっていた。
欲しい。
私がつけるんじゃない。ロイがつけたなら、きっと似合うだろうと思った。ただそれだけだ。でもすごく欲しい。
「買うのかい?」
問われて初めて値札を見る……千ガロン。
サンドイッチを買ったときも思ったけれど、ここの世界の通貨単位、私の世界では液体の単位なのがなんか複雑だ。あんまり見ないから良いけれど、これがリットルとかだったら危なかった。
それはそうと──千ガロン。
確かサンドイッチが二つで百ガロンだったはずだ。コンビニで買うサンドイッチは大体三百円なので、単純に同じレートだと考えても三千円。
確かにちょっとお高めだ。
うーん、と唸りかけて、私は大事なことに気がついた。
「そもそも私、お金、持ってないじゃん……」
「おや、無一文なのかい?」
「あ、ははは……ちょっと事情がありまして……」
きょとりとした視線に射抜かれて気まずくなる。金がないのになぜ店に来たと言われても仕方がない。すみません。お金どころか通貨の単位でさえさっき知りました若輩者です。
しかし彼女はからりと笑った。
「んじゃうちで働くかい?」
「へっ?」
予想外すぎて素っ頓狂な言葉が出た。彼女は気にした風でもなく笑っている。
「うちはほとんどあたしが切り盛りしててねえ。作るのも接客するのもあたしでさ、まああたしもまだまだ現役なんだけど、最近手先が震えてきて、商品作るのも一苦労なわけなんだよ」
それって現役と言うのだろうかとかは言わない。私は漢字は読めないけれど空気は読める人間でありたい。
そこで、と彼女がにやっと笑う。
「あんたに色々とやってもらえれば嬉しい限りなんだが」
「え、私が……!?」
こんな素敵な店の手伝いを、私が?
店内を改めて見回す。至る所に夜やら星やら妖精やら、そこだけまるで別世界に入り込んだような空間が広がっている。ここにある素敵な雑貨を、作れる。
それはもう、願ったり叶ったりではある。何を隠そう私は小さい頃からポケットティッシュのケースやらヘアゴムやらブレスレットやらを自分で作るような子供だった。それが転じて今の夢に繋がっているのだから、その提案にはひどく心を揺さぶられた。
「や、やりたいです。作りたいです!」
「お、威勢がいいねえ。雑貨は好きかい?」
「はい、ものすごく好きです! 雑貨を自分で作るのが趣味で……いつか自分で作った雑貨を売るのが夢なんです!」
「そりゃあいいねえ! こっちも諸手を挙げて歓迎したいくらいの人員だよ」
彼女は驚いたように目を見開いて、ニッコリと笑った。
「あたしはリンダってんだ。あんたは?」
「あ、えっと……ハルシア、です」
一瞬忘れかけていたその名前を口にして、顔を綻ばせる。ロイが付けてくれた、名前。
リンダは嬉しそうに微笑んだ。
「よし、ハルシアだね。じゃあちょっと待ってな、今商品の作り方を書いた紙を……」
私は奥に引っ込もうとする彼女を慌てて止めた。
「大丈夫です、全部わかります」
「ん?」
「ですから、全部作ったことがあるものなので説明書がなくても作れます。でも見た感じアレンジをきかせているものもあるようなので、店内を一通り見させてください。そうしたら覚えます」
私の頭の中には店先で見た雑貨の数々が駆け巡っていた。何年も雑貨を作っていた私には、どの布地をどう合わせているのか、構造はどうなっているのか、はたまた蝶番はどの種類のものを使っているのかまで、全てが一冊の本に纏められたかのように鮮明に思い出せる。
ああ、なんて幸せなのだろう。ここにある商品を、私は作ってもいいのだ。
「全部……分かるのかい?」
「はい。恐らく大体のものなら」
端的に答えた私をしげしげと見て、彼女はにやっと笑うとばしんと背を叩いてきた。ちょっと痛かった。
「あんた相当のやり手だね!? 待ってな! 材料と契約書持ってくるよ!」
上機嫌で笑いながら、彼女は店の奥へと消えていく。突然の衝撃に目を白黒させながら、私は誰もいない店内でぽつりと一言呟いた。
「やり手って何……?」