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目覚めた先は森でした  作者: 七星
第一章 目覚めた先は森でした
21/28

21 目覚めた先に超絶美人、再び




 どうやら私が飲まされたのはヒ素とかいう危なげな代物ではなくて、ただの痺れ薬だったみたいだ。その証拠に私は生きている。

 そんでもって。


「もう、馬鹿! あなたは手加減ってものを知らないんだから! 馬鹿でしょう! このお馬鹿!」

「うるせえな! こんな頭の中お花畑のやつはいっぺん生死の境をさまよわねえと自分の幸運さに気づくこともねえんだよ! へらへらしやがって俺らにあんな有り得ない量の金貨渡しといて対価が道案内だと! ふざけんな! 金銭感覚狂ってる!」

「金銭感覚狂ってるなんて理由で人に痺れ薬盛る人がありますか!」

「ここにいる!」

「馬鹿!」



 ぽんぽんぽんぽんと交わされる会話に私は目を覚ました。ぎしりと音を立てたベッドに二人ははっとした顔で私を見る。一人の顔には見覚えがあった。あの浮浪児達のリーダー格と思われた少年だ。

 相変わらずぎゅんっと釣り上げた目は好感度が地を這っていることを示していて胸が痛くなる。なんかごめんなさい。


 もう一人いたのは女性で、彼女はおそらく私よりも年上だと思われたけれど、それでも若々しい。四十代半ばくらいだろうか。そしてロイ並の美形だった。美魔女ってやつですね。

 彼女は私を見てほっとした顔つきになる。


「あら、目が覚めたのね、良かったわ!」


 心底安心したという顔で私をがばっと抱きしめてきた美人様に心臓止まるかと思った。多分一瞬止まったし、早く離れてくれないともう一回くらいは止まる気がする。一体私のどこをそこまで気に入ってくださったんですかと目を白黒させたとき、私と彼女の間に二本の腕が差し込まれた。そのままべりっと引き剥がされる。目の前にあったのは不機嫌な少年の顔だ。


「この人に馴れ馴れしく近づくんじゃねえぞ! この人に触る名誉は誰にでもあるもんじゃねえんだからな!」

「そうだよね!?」


 私の勘違いじゃないよね!? と詰め寄った私に面食らった顔が向けられる。まさか全面的に肯定されるとは思わなかったのか、耳がちょっと赤い。


「わ、分かってんじゃねえか」


 ふん、と鼻を鳴らしながらも彼はさっきまでとは少し違う面持ちで私を見ていた。

 引き剥がされた彼女が呆れ顔で彼を見ている。


「あっさり懐柔されてるじゃないの」

「こ、これは違っ」

「まあいいわ。ねえあなた、体は大丈夫? あなた四日くらいずっと痺れてたのよ」


 可愛そうなくらいの勢いでスルーされた少年を労る間もなく、私は彼女の言葉に仰天した。


「四日!? しかも痺れで!? 昏睡とか熱出したとかよく分からない魔法で眠らされていたとかではなくて!?」

「ええ、痺れで」


 呆然としたというか愕然とした。確かにまだ指先がピリピリする感覚はあるけれど、まさか痺れで四日ほど身動きが出来なかったなんて一体どんな状態だったのだろう。全身が足痺れたときみたいにでもなっていたのかもしれない。想像したくない。意識無くてよかった。

 ほっと息をついた私を見て、女性が淡く微笑む。


「私はレイナ。この子はレオンよ。ごめんなさいね、この子がありえない量の痺れ薬を盛ったせいで……全く! 連れてきてって言っただけでしょうに、そもそも痺れ薬なんてどこから持ってきたの!」


 それだったら心当たりがある。あの森に生えている植物は薬から毒まで何でもござれのパラダイスなのだ。案の定レオンという少年はけろりとした顔で「そこらにあるものかき集めて作った」と言った。そんな適当に混ぜ込んで生かしも殺しもしない痺れ薬を作れるとは、この子天才なんじゃないだろうか。

 感動しかけた私をよそに、将来有望株だと思われる頭脳の詰まった少年の頭がひっぱたかれた。とてつもなく痛いだろう音がしたのに彼は心做しか嬉しそうでさえある。どういうこと。



「全く……彼女のどこが嫌なのよ。そもそも初対面でしょうに。というかあなたはどうして私と好みが合わないのでしょうね……私が好きになる人好きになる人全員嫌うじゃない。老若男女区別なく」



 なるほど微笑ましい。察しの良さに定評のある私である。全てわかっていますよと、取っておきのアルカイックスマイルで年端もいかない少年を見た。

 睨まれた。

 神に仇なす冒涜者め! とさえ言われた気がした。


「じゃあ早速着替えましょう」


 ひっそり傷ついた私はレイナの言葉にぱちくりと瞬き、ようやく自分がどういう場所にいるのかを理解した。天蓋付きのベッドにさらりとした手触りのシーツ。これは間違いなく高級品だと長年の経験が語っている。窓から見える景色はロイの家から見たときよりもローアングルの街並みだった。と思いきや下方には森が見えて、あれ? と首を傾げる。


「あの」

「何かしら?」


 意気揚々とドレス選びをしているレイナに恐る恐る問いかける。


「ここ、どこですか?」


 あとそのめちゃくちゃ動きにくそうなドレス、私が着るんですか?

 レイナは春のような麗らかな微笑みを浮かべた。


「ここは魔物の棲む地域に決まってるし、このドレスはあなたが着るに決まってるじゃない!」


 決まってるのかーそうかー。


「って魔物!?」



 がばりと上半身を思いっきり起こした瞬間、背骨に電流が走った。思わず呻き声を上げて突っ伏してしまう。嫌なところに残ってるね痺れ薬!

 だがしかし、全身の痺れごときに構ってはいられない。いや脊髄は流石にもう勘弁だけど、私にはそれより大事なことがある。再び体を起こした。


「どういうことですか!? あなたも魔物なんですか!? レオン君も!?」

「はーい落ち着いてーどうどうどう」


 私の方が魔物というか、獣扱いをされてしまった。美しい女性はころころと笑ってドレスを合わせてくる。


「夜みたいな感じでもいいわね。うん、真珠がいい感じのアクセントだわ」


 この、私の話を聞いてくれないのに私の体を観察する様子、すごく身に覚えがある。初めて会ったときのロイだ。よく見れば彼女の髪の毛はシルクのごとき銀髪で、そこもロイと似ている気がする。


「いやあのちょっと待ってください、答えてください」

「んー? 何かしら?」

「あなたは魔物なんですか?」

「んー。血筋はそうだけれど、もう随分薄まっちゃったしほぼ人間よ。まあでも私は先祖返りのせいで少しだけ、御先祖であるサキュバスの性質出ちゃってるけど」



 サキュバス……!

 道理でその色気なはずだ、と思った。別に露出の激しい服を着ているわけでもないのに妖艶な雰囲気が隠し通せていないのだ。気のせいじゃなかった。



「はい、じゃあ着替えましょ!」


 ぱんっと彼女が手を打ち鳴らすと、何故かぞろぞろと部屋の扉から女の人達が入ってきた。私はびくっとしたし、レオン君はげっそりした顔をしている。多分この展開に覚えがあるのだろう。そういえば彼の服装も浮浪児のそれではなく、どこかの貴族の令息のようだ。本でしか見たことないから分からないけど。


「初めまして、お嬢様。私はこの家の侍女頭を務めておりますシーラと申します。それでは失礼」

「はい!?」


 私のクエスチョンマークは華麗に無視され、シーラが触れた瞬間ふわりと私の体が持ち上がる。浮遊魔法だ。風の魔法の中でも難しい部類に入る魔法をいとも簡単に使うさまに動転して体が固まった。

 そもそも生き物にかける魔法というだけで難易度は格段に上がるのに、ここでは使用人が普通にそれを使えるらしい。


「お嬢様を湯浴みしますわ! お通しを!」

「お通しを!」


 シーラが叫んだ途端他の侍女達も一斉に復唱する。高くて柔らかな声がくわん、と脳に優しく響いた。

 なんというか、これはあれだ。寿司屋で大将が「マグロ一丁!」って言ったら他の店員さんが声を揃えて「マグロ一丁入りましたー!」って言うやつだ。つまり私はマグロ。



 ちらりと目に入ったレオンが何やらかわいそうなものを見る目で私を見ていた。私は今からかわいそうなことをされるのだろうか。え、湯浴みってお風呂だよね。

 お風呂でかわいそうなこととは……? と首を捻りつつもお風呂場に着いたその五分後、多分家中に響いたんじゃないかというくらいの女子らしからぬ悲鳴が私の喉からほとばしった。


 結局私は指一本すら動かすことを許されなかった。お風呂だったのに。



 湯浴みとやらを終えて帰ってきた私をレイナは意気揚々と迎え、レオンは少しばかり同情する目つきで紅茶を差し出してくれた。ありがとう。あとでレイナさん大好き同盟の設立を手伝うね。

 げんなりする暇もなく衝立が用意されドレスが渡されコルセットで私の腹が締めつけられる。内蔵がお亡くなりになったかと思った。ごく普通の女子高生体重である私には拷問だ。


 出来上がったのはこれが私かと思うほど飾り立てられた少女だった。とはいえ流れるような襞が加えられたドレスは腰のところで区切られているわけでもなく、絵筆ですっと線を描いたようなラインが肩から裾まで一直線の代物だった。宵闇に溶けそうな藍色のドレスには真珠が転々と散りばめられていて、星空の様相を呈している。体のラインが浮き出ない程度に、しかしフリルやレースがふんだんに使われているわけでもないドレスは動きやすくて拍子抜けした。こんなドレスもあるのかと。


「まあ、似合うわ!」

「ソウデスカ、ソレハ良カッタデス」

「やっぱりあなたには夜色のドレスが似合うわね! 春らしくてもいいけれど、夜会だもの、これが一番いいわ」

「ナルホド夜会……え、夜会っ?」


 素っ頓狂な声を上げた私をレイナはそうよ? と見つめてきた。とても輝いている。目が。


「だってあなたしかロイを幸せにできそうにないのだもの。あなたが直接夜会に行くのが一番いいわ。サプライズにもなるし……この場合ドッキリかしら?」

「ロイ? ロイが関係あるんですか?」

「ロイ以外の何に関係があるというの?」



 いや、私に聞かれても。

 何がどうした状態の噛み合わない会話の中にため息を落としたのはレオンだった。


「それじゃ分かんねえよレイナ様。ちゃんと説明しないと」

「? してるわよ?」


 本気で分かっていないらしい。どういうことかとレオンを見ると、彼は面倒くさそうに語り始めた。


「お前さー、なんでそんなことになってるのか知らねーけどルロワ様と知り合いなんだろ?」

「ルロワ様……?」

「はあ? 第三王子の名前も知らねーの? つーか面識あるんじゃねーの?」


 またしても会話が噛み合わなさそうな雰囲気を感じ取ったのか、嫌そうな顔をしたレオンに目を瞬いた。思い出した。ファルカンとの会話で出てきた名前で、ロイの本名だ。そういえばロイは第一王子の名前は教えてくれたけど他の王子やら王様やら王妃様やらの名前は教えてくれなかった。

 本当に、今考えればぽろぽろと事実の片鱗が落ちていたのだ。無視していたのか気づかなかったのか、最終的にこうなるなら全て同じことだったのかもしれないけれど。


「ロイが……ううん、ルロワ様? が、どうしてここで出てくるの?」

「お前なんも聞いてねーの? あの女ったらしから」



 女ったらし……とは。

 しかしここまでくると私の頭脳もなんとか回転してきた。やっぱり私はとことんロイとの生活を諦めきれないんだなあと苦笑しながら、私を追い出した人の名前を出す。


「もしかして、ファルカンのこと?」

「そうそう、そんな名前だった……ような? なにしろ両側に魔物の女侍らせてのご登場だったからなー、覚えたくもないっつーか」

「申し訳ございません」

「……なんであんたが謝るの?」


 条件反射でつい。

 あの節操なしの守備範囲は人間を突破したらしい。一体どこまで行くんだろう。このままだと女性を口説くための花を口説き落としにかかる日も遠くないかもしれない。

 ともかく、確かにその強烈な印象は名前くらいは吹っ飛ばすだろう。納得。



「そいつが言うには、とにかく来週の、王城での夜会に出るためにドレスとダンスくらいはできるようになっとけって。招待とかに関しては手を回しておくってさ。まあお前寝てたし、実際あと二日くらいしかねーけどな」


 その夜会にロイがいるから会えるチャンスだ……と、そういうことだろうか? 分かりにくすぎる。コミュニケーション能力以前に、レイナという人間は情報量が少なすぎるのだ。

 というか、ファルカンは一体何者なのだろう。どこかの貴族の令息なんじゃないかくらいは思っていたけれど、この根回しの良さ、何やら嫌な予感が増しましている。最初から私とロイを離すつもりはなかったということ? けれど私はロイを魔物にしてしまうかもしれないのに、一度会ってしまったら離れられるとは思えないのに。


 矛盾が頭の中でぐるぐると回り続ける。

 レオンの簡潔な説明にレイナは憤慨したように頬を膨らませた。


「あと二日しかないのはあなたのせいでしょうが! もう! 計画が台無しじゃないの! せっかく一週間かけて立派なレディに仕立てあげようと思ったのに! 行儀作法とか言葉使いとか殿方の誘惑の仕方だとか!」


 一個とてつもなく要らないものが混じっていた気がする。いやむしろ全部いらない気がする。私が誘うとしたらロイだけだし、話すとしてもロイだけだし、行儀作法は多分ロイを見たら全部吹っ飛ぶから、うん、やっぱりいらないです。痺れててよかったかもしれない。



 きゃらきゃらと可愛い口論を繰り広げる二人を視界に収めながらも、私は別のことを考えていた。ぐっと拳を握りしめる。

 ファルカンが何を考えているのかは知らない。私がどうして魔物の棲む土地にいるのかも分からない。今分かっているのは痺れ薬を飲まされた理由くらいで、私にあるものはあとは馬鹿高い量の魔力だけ。

 でも別にそんなことはどうでもよかった。またロイに会えるのなら、私は何をしてでもロイに会う。その目的を前にしたら男性の誘い方を覚えることだって些事だと思える。嫌だけど。



 唇を噛み締めたとき、目の前の銀糸のような髪がふわりと舞った。ひとつ瞬いて顔を上げると、レイナが慈しみに溢れた微笑みを向けているのが見えた。


「ロイはあなたがいないと廃人みたいになっちゃうようだから、よろしくね」


 何をどうよろしくされたのかいまいち分からないけれど、私はとりあえず頷いておいた。

 彼女はにっこりと微笑んで、それじゃ、と手を打ち鳴らす。


「早速ダンスの練習よ! 張り切っていきましょ!」

「は、はい!」


 意気込んで頷いた私は、次の日とんでもない筋肉痛を味わうこととなる。内蔵飛び出す寸前なのにダンスなんて踊れるはずないのだと実感した一日だった。練習に付き合ってくれたレオンの足を何度も何度も踏みかけては忍者レベルの危機察知能力によって避けられ、転ぶのを何回繰り返したのかもう覚えていない。

 レイナからはごめんごめんスパルタすぎたと非常に軽く謝られ、レオンは同情の目つきで紅茶を差し出してくる。優しさが目に沁みた。多分レモンティーだったからだ。


「ハルちゃんは、ロイのこと怖いって思う?」


 次の日、つかの間の休憩中にレイナがそんなことを聞いてきた。何故かレイナもレオンも私の名前を知っていたようなのだけれど、まあどうせファルカンあたりが教えたのだろう。あの人は口が軽い。

 私はレイナの質問に軽く考えてから答えた。


「ロイは時々すごく怖い顔してるときがあって、そういう顔を不意打ちで見ちゃうとびくっとなりますけど、それ以外ではあんまり」


 初めて起こしに行った朝も、熊のような魔物を消したときも、精霊祭のときも。

 怖いとは思わなかった。ただ。


「悲しいとは思ってました。きっと、ずっと」


 何も話してもらえなかった。きっと意地悪で教えてなかったとかじゃなくてきちんと理由があったんだろうけど、それでも壊れ物みたいに扱われていたことに変わりはない。

 危険だというのなら遠ざけるのではなくて対処法を教えてもらいたかった。大声で怒鳴られるとやっぱりまだ体は震えるし雑貨作りを禁止されたら泣くかもしれないけれど、私は別に叩いたら壊れる精密機械じゃないのだ。そんなに必死になって守ってもらわなくたって良かったのに。


 私が弱々しい女の子に見えていたなら、それはひどい間違いだ。



「私は、ロイが魔物になるかもしれなくても一緒にいたかったんです。結局出てきちゃったけど、それだってロイに嫌われたくなかったからで、ロイのためじゃないんです。私のためなんです」


 私は、私の願いが一番なのだ。結局のところ。

 レイナはふわりと笑った。


「自分のため。結構じゃないの。生きる理由が他人のためだとか言う人は真っ先に死ぬのよ」


 柔らかい笑顔で物騒なことを言うレイナをぎょっと見つめると、彼女はいきなり私の頭を抱え込んだ。


「あなたもレオンもロイもみんな等しく可愛い子だわ。私はあの子を一人にしてしまったから、もう一人になってほしくないだけなの。勝手な願いだわ。けれどあなたに叶えてほしいの」


 胸に顔が埋まる。ふわりと漂う花の香りが脳に焼き付いた。


「何か心配事があっても大丈夫よ。あなたほどあの子にぴったりな子はいないのだから。精霊王がお決めになったことだわ、必然なのよ」


 精霊王? どうしてそこで精霊王が出てくるのだろう。

 考える間もなく彼女の腕が強まった。


「ダンスはもういいわ。あの子の話をしましょう。あの子の話を、したいわ」

「……あ、の」


 私は困惑顔でレイナを見上げた。女の人の腕ってここまで柔らかいものだっけと慄きながら、そろりと手を伸ばした。


「あの、泣かないで、ください」


 ほろほろと目を開いたまま泣く彼女を、そのままにしておいていいものか、迷った。一つの絵画のように泣いている彼女の姿はやはりロイと重なってしまう。

 ロイが、泣いている。

 ぱたぱたと、ぱたぱたと。


 ロイもこんなふうに泣くんだろうかと本気で考え始めてぼうっとしたとき、軽く背中に衝撃が走った。思わず振り向いた先には肩を怒らせたレオンがいる。まさかその紅茶ぶちまけたりしないよね?


「お前何泣かせてるんだよ!」

「うぇっ!? えっこれ私のせい!? 私のせいなの!?」

「お前とレイナ様が一緒にいてレイナ様が泣いてるならお前のせいに決まってるだろ!」

「うーん理不尽!」


 無いとも言いきれない状況なのがまた辛い。


「私がこの子に泣かされるはずないでしょう。冗談も程々にしなさいな」


 いつの間にか涙を拭っていたレイナが声の震え一つなくレオンを窘めた。凛と伸びた背が全てを断ち切る刃であるかのようだ。レオンは不満そうにぐっと紅茶を乗せたお盆を握り、押し黙る。


「ねえハルちゃん?」


 しかし同意を求められて苦笑したとき、私はレイナの瞳から目が離せなくなった。あれ、と声にならない音が喉から出て硬直する。

 吸い込まれそうな瞳。気づいたのは多分偶然だ。私は最初彼女の目は黒だと思っていたけれど、そうではなかった。よく見たら分かったことだった。

 まるで宵闇を閉じ込めたような、どこまでも濃く広がる藍の色。きょとりとしたレイナが不思議そうに瞬いて、開いた夜のような瞳が水面のように揺れている。一連の動きをじっと見つめた私は無意識のうちに呟いていた。


「レイナさんは、ロイのお母様ですか?」


 瞬間。

 レイナの瞳が、決壊した。

 ぼろぼろぼろぼろ、と零れる涙にぎょっと身を引くと、後ろでレオンが叫ぶ。


「やっぱお前が泣かせたんじゃねーか!」

「そうだね私が泣かせたね!?」


 これは言い逃れが出来ない。完全に現行犯だ。私が泣かせた。嘘はつきません、大人しく捕まります。

 レオンに隔離してもらうのが一番手っ取り早いなと立ち上がった私の腕を、軽い力がくんっと引っ張った。力の持ち主を知っている私は中腰のままぴたりと止まる。足がぷるぷるするけど我慢だ。今この力に従ったら倒れる。絶対潰してしまう。

 根性と気合でなんとか姿勢を安定させた私に、レイナがか細い声で告げた。


「座って。あの子の話をしましょう。あの子と私の話よ」


 彼女は笑っていた。美人は泣き笑いでも変わらず美人なのだ。それだけのはずなのに、彼女の面持ちに私の鼻の奥がつんとした。




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