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「君、私の名前を教える前に知ってたよね。あれは、どうして?」
これも実際、随分前から気になってたことだ。
「どうしてそんなこと気になるの?」
ふっと口元を緩めて笑みを作る大路。感情が読めない。
「いや、普通にこわいでしょ。名前教えてないのに全く見覚えのない人が自分の名前知ってたら」
「本当に?」
「本当も何も普通こわいから」
「全く見覚えのない?」
大路の表情が一瞬だけ動いた気がした。
…園上高校に来る前にどこかで会ったことあったことがあるってこと?
「僕ばっかり質問に答えてて少し不公平だよね」
「え」
「バスケットボールは、もうやらないの?吹奏楽部に入っちゃってさ」
何で私がバスケをやっていたことも、こいつ知ってるんだ?話したっけ?もし話してないとしたら春山先輩から聞いて手に入れた情報を元に私を揺らしてる?やっぱり罠?
「…バスケはもうやらない。吹奏楽部は成り行きで入ることになっただけ。答えたよ。次は私の質問の番」
「えー。その前にいくつか僕も答えてるよ。不公平だよ」
「早い者勝ちだよ」
「狡い人だね」
「何とでも言ってもらって良いよ」
なんか、このあっけらかんとした言い草、少し日浅に似てきたなあ、なんてぼんやり思う。
「酷いね」
「じゃあ答えるけど」
さっき急にされた質問を返してやる。
女は怒らせると恐いんだぞ。男装してるけど。
「ひなたって誰?」
キョトンとした顔になる大路。
「まさかのしらばっくれ?」
「違うよ。さっき、ひなたのこと元気か聞いてきたでしょ。でも、どちらのひなたさんのことかなって気になってしまっただけ」
「どちらの、ってそうくるかあ」
ふふっと楽しそうに笑う大路。
「良いよ。君はこの機会を棒に降ったことを後悔する日がいつか絶対くるだろうね」
「ないと思うけど」
「それはどうかな」
「……男の私のことを初恋の人に似てるって言ってましたけど、そのひなたって女の子が君の初恋の人なの?」
「どうかな」
「じゃあ」
「ねえ。どうして君が知らないひなたって人のことを女の子だと思ったの?」
ひゅっと喉が渇く。心臓が煩く音をたて始める。
完全に墓穴を掘ってしまった。落ち着け。逃げ道は沢山ある筈だ。
「初恋の人、って、ことは、えっと、ほら女の人であることは確実だし」
「まあそうかもしれないけど、なんで女の子だって思ったの?僕より遥か年上の女性のことを指してたかもしれないよね」
…確かに。
迂闊だった。
「…なーんてね。僕がひなたちゃん、ってちゃん付けで読んだからだよね。ごめんごめん狼狽させて」
そうだ!そう言えば言ってたわ!
「…別に良いけど。君は私のストーカーなの?」
ふっと笑う大路。
「どうだろうね?」
否定してください。
「人間の認知は本当に面白いよね」
「え?」
「でも今の発言は少し傷ついたかな」
「え…ごめんなさい?」
「君は恋をしたことがある?」
記憶を思い返してみる。
…………………………………
「悲しいくらい無いかな」
だって、小さい頃はバスケ馬鹿で、それ以外のことは考えられなかった。バスケをやめてからはこの高校に入るために勉強だけ頑張っていた。
「そっか」
「うん」
「恋をするとね、世界が変わるんだよ」
なんだよ急に。乙女か。
恋愛経験皆無ですまんかったな。
「普段は冷静にできる判断もできなくなってしまう。恋は人を狂わせる美しくも儚いものなんだ」
詩人のように陶酔した顔で物語る大路。
急にどうした。
「…って春山先輩が言ってたよ」
「ああー…言いそう」
「だね。僕もきれいな言葉だなって思ったよ」
「そうなの」
「僕は恋をしたことがあるよ。初恋にして人生一度だけの恋」
「…」
「さて、僕は誰に恋をしたでしょうか?」
大路の目がまっすぐに私を捉える。
分からない。
大路が私の何を知っていて、何を求めていて、何をしたいのか。
だけど直感で、本能で、1つ察してしまったことがある。
大路は私が女であることを知っている。