同たぬき 5
ゆっこの入学手続きも恙無く終了し、御用猫は、そのままアルタソマイダスの館に足を向けていた。クロスロードの大通りは、初夏の日差しをものともせぬ人出の多さで、人いきれに顔を顰める御用猫は、背の低い少女には辛かろうと考え、途中で、ゆっこを肩車しようとしたのだが。
「おとさん、もう、子供じゃないです、学校に行きました、肩車は、子供のすることです」
サクラでも影響を受けたのか、矢絣に袴姿の少女は、誇らしげに胸を張るのだ。御用猫は、その、ささやかな成長を微笑ましく思い、ゆっこの頭を撫でるのだが、しかし、彼は、一抹の寂しさをも、同時に覚えていたのだ。
(そうか、こいつも、そんな事を言う年頃になったか……子供の成長は早いというが……そろそろ、一年経つものなぁ)
「おとさんは、放任主義だから、そうなるのよ、この娘はね、毎日ちゃんと、大人になってるのよ……ねぇ、ゆっこ」
「あい! 」
ゆっこを挟み、反対側から、アルタソマイダスの笑いを含んだ声が聞こえてくるのだ。互いに少女の手を握り、傍目には、なんとも幸せそうな、仲の良い親子連れにしか見えないだろう。
「ぐぅ……今日だけだ……今日は、もう、仕方ない……」
「おや、串刺し平野ともあろうお方が、なんとも、踏み込みの悪いことですね? やはり、前に重しが無いからですか、重心が後ろだからですか」
ぎりぎり、と親指の爪を噛みながら、三人の後ろを歩くリリィアドーネである。しかし、間をひとつ挟み、隣を歩く、背の高い女の方には、何やら余裕のようなものも、見てとれるだろうか。
「なんだと! ……ふん、そう言うみつばちとて、離れて見ているだけのくせに、あと、おかしな呼び方をするな」
「……あの」
「私は、尽くす女ですので、陰に日向に、先生を支えるのみ……何があろうと、結局、最後に戻る場所は、私なのですからね……どうですか、慎ましいでしょう、いじらしいでしょう、はんぺん女には、真似の出来ぬ境地でしょう」
「誰がはんぺ ……もういい……ううむ、だがしかし、それについては、そうかも知れぬ……認めざるを得ぬだろうか……」
栗色の髪をした少女は、その、薄いはんぺんに手をあてがい、ひとつ、ふたつ、と深呼吸している。こうして、気持ちを切り替える事にも慣れてきたのだ、彼女の精神性にも、確かに、成長が見られるであろうか。
「ですから」
「おや、ずいぶんと素直に認めましたね、ですが、良い心がけです……そうして、身の程を弁えているのなら、貴女も、第七夫人として、認めてあげても良いのですよ」
「おい待て、何故、私が七番目……え、ちょっと待って、他に六人もいるの? 」
「いえ、猫の先生の事ですから、将来的には、そのくらいに増えても不思議ではないかと」
「仮定の話か! ふざけるな! わた、ぐぅ、私が一番に、決まっているだろう! 」
「ちょっと! 」
「はん、大した自信ですが、胸の序列では、現時点で最下位なのですからね、鶏肉ばっかり食べても、大きくはなりませんよ」
「っ、なぜそれを……ん? いや待て、教えてくれたのは、みつばちだろう! 」
「……効果は……無かったのです……」
「……そ、そうだったのか……いや、なにか、うん……すまない」
「いえ、新たな試行は続けておりますので、効果のありそうなものがあれば、また、お伝えします」
涙を拭ったみつばちは、リリィアドーネとしばし見つめ合い、そして、固く、互いの手を組み合わせるのだ。
サクラの頭の上で。
「いい加減にしてください! というか、離してください! 何故、ふたりして、私の手を握るのですか! 」
両手を拘束された少女は、腰から上を捩り、早期の解放を求めるのだが。両側の女性達とは、頭一つ背丈が違うのだ、周りからみれば、駄々を捏ねる子供にしか見えぬであろう。
「いえ、なんとなく、手が空いてるのは、悔しかったので」
「む、そういえば……なにか、自然な流れで」
言いながらも、その手は離さぬ二人であるのだ。それどころか、暴れるサクラを眺め、何やら愉しんでいる節もある。
「……意外に、相性は良いのか? まぁ、愛人同士、仲が良いのは構わぬか……こういった場合、血生臭い話も、珍しくはないのだからな」
「うぃ、なれあう、まけいぬども」
最後尾を進むのは、アドルパスと、その肩に乗る黒雀である。こちらの少女は、まだまだ、そうした恥じらいからは遠くにいるものか、普段よりも遥かに高い景色に、なんともご満悦の様子にて、ぺちぺち、と大英雄の硬い髪を、太鼓のように叩いていたのだ。
「……若先生! 良かった、やはり、こちらにお戻りでしたか」
館の前にて、御用猫を出迎えたのは、リチャード少年とフィオーレ、それに、見知らぬ老人であった。まだ、随分と距離は離れていたのだが、笑顔で駆け寄る彼の姿は、やはり、忠犬に例える他は無いのだ。
「おう、なんだ、リチャード、待っててくれたのか? そのまま、フィオーレと遊んでても良かったのに」
「は? 」
サクラの、少々、低い声が、背後から聞こえてきたのだが、御用猫はそれを無視して、ゆっこの手を離すと、彼の隣に進み出る。
「いえ、それは、またの機会になりまして」
「はぁ? 」
少年の方も、一度だけ、サクラに笑顔を向けた後は、その声を気にする事もないのだ。
(なんだ、相変わらずも薄情な奴め、サクラに逃げられても知らぬぞ)
御用猫は、ちら、と頭の片隅で考えたのであるが、しかし、もしも、この心の声が漏れ聞こえたならば、彼だけには言われたくないと、皆が思ったことであろう。
「あぁ、あの爺さんか……誰だ? 例の研ぎ師か、まぁ、今まで雑に扱ってたからなぁ……ひょっとして、打ち直しになるのか? ならば、もう買い直した方が……」
「……いえ、その必要はありません、僕は、若先生の脇差しでなければ……あぁ、いえ、そうではないのです、あの御老人は、大先生のご友人だとかで、先程、偶然にお会いしたのですが、どうやら、若先生の事もご存知のようでした、なので、道場よりも、こちらにと」
んん、と御用猫は、歩きながらに首を傾げるのだ。確かに、この距離からでも、そう、と分かる程の遣い手のようである、田ノ上老の友だと言われれば、納得のいくところであるのだが。
「……いや、知らないな……誰だよ」
古狸にも似たその男に、御用猫としては、まるで心当たりが無いのである。
「嶋村ナリアキラさま、というお方ですが……申し訳ありません、僕の、早とちりでありましたか? 」
言われて、御用猫の心臓が、大きく跳ねるのだ。前に出す足が、一瞬、怖じけたであろうか。
「……いや、聞いたことはある、確かに、ある……な」
その名は、田ノ上老から、何度も聞いた事があるのだ。
二人共に「剣聖」クンタラ マヌマスに師事した同門の徒であり、若い頃からの好敵手。
そして、嶋村ナリアキラは、御用猫の二人目の師である田ノ上ギョーブ、その、剣術の師でもあった男なのである。
たった今まで、久し振りに、彼の心は、まこと温かであったのだが。
歩を進める毎に、それは、まるで、季節を巻き戻すかのように、冷え込んでゆくのだった。




