同たぬき 4
「は、はい、それでは、初等学級からの、ご入学という事で……宜しいでしょうか」
ロードウィル士官学校の校長、アラール ヴァンヘイムンは、その矮躯を更に縮め、なにか居心地悪そうに、何度も広い額の汗を拭うのだ。普段ならば、名前と態度だけは貴族以上だ、などと陰口を叩かれる彼であったのだが、今はこうして縮こまり、この部屋の主人が、いったい誰であるのか、本人すらも、忘れているのではないだろうか、という有様なのである。
「ええ、それで構いませんよ、何事も基礎から始めるのが良いでしょうし、それに、娘は少々、妹気質なところがありまして……年下の同級生に囲まれれば、責任感も芽生えてくるのではないかと……ははは、親馬鹿であるとは自覚しておりますがね、どうか、よろしくお願いします」
「おぅ、言っておくが、特別扱いなど必要無いぞ? それに、余計なしがらみは遠慮したいのでな、宣伝になるからと、吹聴して回るような真似は……」
「……それは! もちろん、はい、お任せください、この学校には、そうしたお子様も、多数いらっしゃいますので、ご安心を」
ハンカチが湿り過ぎて、拭う端から、雫が溢れる初老の男に、御用猫は、同情を禁じ得ないのである。なかなかに、豪華な調度品の並ぶ校長室であったのだが、その、数々の名品達も、今の来客を前にすれば、価値を失ってしまうだろうか。
何しろ、「電光」のアドルパスに「剣姫」アルタソマイダス、「串刺し王女」のリリィアドーネと、そして「名誉騎士」の辛島ジュート。およそ、現在のクロスロードにて、最も知名度の高いであろう騎士四人が、この部屋に勢揃いしているのだから。
隣の部屋では、ゆっこが学力査定を受けていた。それが終わるまで、アラール校長も、もう暫くは耐えねばならぬだろう。
「いや、しかし、まさか、あの、名誉騎士様にお会いできるとは、その、光栄と言うべきか……その、ところで……そちらの方は? 」
「ん? 」
目の前の男が、視線を彷徨わせている所為で、御用猫は寸刻、誰の事かと迷っていたのだが、これは、おそらく、膝に抱えた黒雀の事であろう。確かに、梵字を消した彼女は、森エルフの子供にしか見えぬのである、少々、この場にはそぐわぬかも知れない。
この学校に、エルフ族の入学を禁ずる規定は無いのだが、おそらく、過去に例は無いだろう。
(あぁ、成る程、アドルパスの力で、強引に入学を取り纏めるつもりだと、勘違いされてしまったか)
「いえ、彼女は……」
和かな笑みのまま、御用猫は、誤解を解こうと、口を開いたのだが。
「つま」
「妻でございます」
彼の言葉よりも早く、志能便の二人が言葉を返すと、ソファの後ろから、サクラとリリィアドーネの、短い尖り声も聞こえてきた。普段ならば、声を上げて頭をはたくところであったのだが、今の彼は「名誉騎士」辛島ジュートであり、何があろうと、泰然自若たる態度を、保たねばならないのだ。
なので、こめかみの辺りを引きつらせながらも、なんとか御用猫は笑顔を作り。
「はは、申し訳ありません、みな、少々、冗談の好きな……」
「正妻です」
「いのち、に、関わるんだよ! 」
遂に堪えきれず、すぱん、と剣姫の頭を叩く御用猫に、アラールは、腰を抜かさんばかりの反応を見せたのであった。
「おう、お前がショーさまか、悪かったな、呼び出しちまって」
「いえ! 名誉騎士、辛島ジュート様にお会いできて光栄です! 貴方の武勇伝が記されたものは、本でも、新聞でも、講談でも、全て、欠かさず、蒐集しております、姉の……ミディアの演劇でも、素晴らしい活躍でした、特に、オランの海で、人魚と共に水蛇を討伐した話などは……」
「ちょっと待って、何かおかしい」
なにやら、大興奮のショー少年を宥めながら、彼の話を纏めたところ、どうやら、辛島ジュートの名前は、本人の知らぬ所で、随分と過剰に演出され、広まっているようなのだ。そう言われてみれば、心当たりもあるだろうか、と、御用猫は、思い起こすのだ。
(イスミの奴が、新作の切符を渡してくる度に、何か、そんな事を言っていたような……あれ、ハーパスも、オランでそんな舞台があるとか……ううむ)
御用猫には、直接関係の無い話だとはいえ、目の前の少年は、完全に、ありもしない武勇伝を、信じてしまっているようなのだ。なにやら、罪悪感じみた後ろめたさを覚え、御用猫は胸を押さえる。
「あのな、俺はオランで、水へびなどと戦ってはいない……それは間違いだ、確かに、ぬるぬる、としたウナギ人間とは、やり合った覚えもあるのだがな……」
「ウナギ人間! それは、どの様な? 魔獣ですか、それとも、噂の魔族という奴でしょうか……あぁ、凄ぇ! こんなこと聞いたのは、俺だけですね! 」
御用猫は、以前のショー少年を思い出し、苦笑するのだが、ふと、彼の中に、悪戯心が、むくむく、と湧き上がってきたのだ。
「そうだな、ウナギ人間は剣が通らぬ、手強い奴であった、口の中を狙えば良いと気付くまでに、多くの仲間が犠牲になったのだ……次に訪れた、帰らずの森ではな、五メートルはある人喰いの巨人や、魔狼の大群とも戦ったぞ、黒エルフ族と協力せねば、危ない所であったのだ、何しろ奴らは……」
あからさまな嘘ではあったのだが、目の前の少年は、きらきら、と目を輝かせ、全くに疑う様子も無い。みつばちから、以前の事件のせいで、彼が落ち込んでいる、とは聞いていたのだが、これで、少しは元気になるであろうか、と御用猫は目を細め、大袈裟な身振りで、更なる英雄譚を、彼の耳に届けるのだ。
「……はぁ、凄ぇ……ミディア姉ちゃんが言ってたのは、本当だったんだな……」
「……なにを言ってたのか、ちょいと、聞きたい気もするが……なぁ、ショーさまよ」
「あ、はい」
いつの間にか、中庭に腰を下ろす二人であったのだが、少年は、御用猫の言葉に正気を取り戻し、正座して背筋を伸ばす。
「もう、聞いているかも知れぬが、猫とエディの事だ……それに、フゥーディエも」
御用猫の言葉に、少年は、はっ、とした表情を見せる。まさか、目の前の男から、その様な名前を聞かされるとは、夢にも思わなかったのであろう。
「猫はな、俺の知り合いなのだ……やんちゃな奴だ、お前にも苦労をかけたであろう」
「いえ……」
どこか寂しそうに、少年は、目を伏せる。もしも、御用猫が、本当に彼と同年代であったならば、良き友人になれたであろうか。
「あいつらは、元気にしてるよ……色々あってな、クロスロードには居られぬが、まぁ、生きていれば、いずれまた、会う事もあるだろう」
「っ、本当ですか!?」
御用猫は頷いた。
馬鹿げた嘘であるとは、自身も理解していたが、今は、これで良いだろう、と思うのだ。ショー少年が大人になり、今の言葉が嘘であったと気付く頃には、きっと彼も、それで良かったと思うであろうから。
「ただし、今の話は、俺とお前だけの秘密だ……解っているな? 辛島ジュートは……」
「はい! 秘密の……勅命騎士でありますから! 」
びっ、と誇らしげに、敬礼する少年の頭を、御用猫は乱暴にかき混ぜた。少し恥ずかしそうに笑うショー少年は、年相応の、屈託の無い笑顔を、彼に見せていたのだ。
やはり、野良猫には、少々、眩し過ぎる光である。
なかなか、握った手を離さぬ少年に別れを告げると、御用猫は彼に背を向け歩き出す。
結局、我が身可愛さの、つまらぬ嘘である。この学校に足を運ぶ気になったのも、この為であったのか、と、今更に理解もするのだ。
僅かな罪悪感も、確かに覚えるのだが、それでも、あのまま忘れるよりは、多少は、まし、で、あろうか。
いや、それすらも、都合の良い言い訳に過ぎないだろうかと、御用猫は自嘲気味に笑うのだ。彼はそのまま歩き続け、そして、校舎の中に入ってから。
(……あ、ゆっこの事、頼むの忘れてた)
振り返って、全力疾走を始めたのであった。




