同たぬき 2
「まぁまぁ、ままま、およしなさい、およしなさいよ、ねぇ、そんなに声を荒げて……立派な身なりに、なにやら風格もおありだ、さぞかし身分のある、お方なのでしょう? 」
人混みを掻き分け、リチャード少年達が辿り着いた先には、七人の男達が、一触即発の雰囲気にて、睨み合うところであった。いや、正確には、三人の酔った貴族と、三人の素面の貴族、その間に割って入り、仲裁しているとおぼしき、一人の初老の剣士である。
(……この違和感、どこかで……確か……)
足を止めた少年は、その、小肥りで、狸のような老剣士から、何故か、目を離すことが出来ずにいたのだ。
「いけない、やはり、バラーン伯爵……ウォルレンさま、早く止めてください」
「馬鹿野郎、俺ごときに止められるかっつーの! 」
ぐいぐい、と、ウォルレンを押し出すフィオーレであったのだが、彼の方は、涙目で首を振るばかりである。青ドラゴン騎士の中でも、上位の腕を持つ青年ではあるのだが、やはり「からすき」のダラーン バラーン相手では、分が悪いのか。
「テンプル騎士でしょう? 王族でしょう? フィオーレ様が行けば、よろしいのではなくってことよ? 」
「嫌ですわ、あんな男、口を利くのもけがわらしい」
なにやら、酷い言われようではあるのだが、彼女にしてみれば、リリィアドーネの件もあり、自身とて、夜会で口説かれた事もあるのだ。なので、元々、あまり好印象の無かったダラーンなのである。
最近では、フィオーレがテンプル騎士として、城内勤務を始めると、耳目にするのは、更なる悪評と、その尊大居丈高な態度。
(世の中の殿方が、みな、こう、だとは、思いませんけれど……)
彼女にとって、父親と並び、唾棄すべき男性の筆頭ともいえるダラーンなのである。とはいえ、このままにしておく訳にも、いかないのだ。
頼りない騎士は諦め、彼女は隣に並ぶ少年に、助けを求め、肩を揺するのだ。はっ、と我に帰ったリチャード少年は、一度、フィオーレに頷くと、彼女は動かぬ様にと手で制し、自身は老剣士に加勢すべく、口論の只中に進み出る。
「お待ちください、ここは公道です、貴族の方が争うには、少々場違いでしょう、何があったかは存じませんが、どうやら、お酒の勢いもある御様子、ここはひとまず……」
「何だ貴様は! 餓鬼の出しゃばる場面であるか、場違い云々は鏡にでも言っておけ! 」
「あぁ、あぁ、落ち着いてくださいまし、これは子供の正義感、昂ぶる事も御座いませんよ、どうか、ここは、貴方様の器の広さと、慈悲の深さを、お見せくださいませ」
一向に収まらぬ様子のダラーンは、リチャード少年にも噛み付かんばかりの勢いであったのだが、間に入る老剣士は、へりくだった態度を崩さずに、下から下から、彼を宥めるのだ。
(いけない、この御老人に、余計な迷惑をかけてしまった……あぁ、このような時、若先生ならば、どう収めていたのでしょうか)
止めるつもりが、少々、新たな燃料を投入してしまったかと、少年は、自身の不甲斐なさに歯噛みする。幼少の頃ならばともかく、現在、彼の周りには、出来た大人しか居ないのだ、こうした諍いを、うまく収めるには、やはり、経験が不足しているだろうか。
「ダラーン バラーン伯爵、クロスロードの貴族が、それも「三スター」に名を連ねる、貴方様が、衆目の中で騒ぎを起こすなど、関心いたしませんわ」
リチャードが責められたのを見て、我慢できなかったものか、言葉と共に、ずい、と前に出てきたのは、フィオーレであった。しかし、これは、全くの逆効果になるであろう、額を押さえるウォルレンは、彼女の背後に小さく縮こまり、気配を隠して様子見の構えである。
「ぐっ……どいつもこいつも……言っておくが、先に絡んできたのは、この馬鹿どもであるぞ、本来ならば、切捨御免で許される無礼であるのだ」
「本当の事を言っただけで、無礼にあたるのか? 「土下座」のダラーン、伯爵さまよ」
「ぐうっ! おのれェ! 」
酔った貴族は、どうやら、ダラーンの不名誉な渾名を、揶揄したものらしい。もしもこの場に、御用猫が居たならば、流石に哀れに思い、彼の味方をしたであろうか。
ついに、腰の剣に手を掛けたダラーンであったのだが、その動きは、出端で抑えられた。総髪白髪の古狸は、かなりの遣い手であるようだ。何やら、既視感を覚えたものか、彼の表情が、みるみる青ざめてゆく。
「なるほどなるほど……そういった訳でありましたか、いや、確かにこれは酷い、ダラーンさまと仰いましたか、私が貴方様を抑えていたのは、強い方が堪えるべきだと、そう思っていたからなのです……当然でしょう、力ある者が自制せずに、なんとしますか……とはいえ」
ぷつぷつ、と、ダラーンの額に、玉のような汗が浮かび始めるのだが、それは、少年の方も同じであったのだ。急に、雰囲気の変わった老剣士は、柔かな表情もそのままに、ただ、威圧感だけを、むくむく、と膨らませてゆく。
(これは……あの時と、甚助老と同じ……)
かつて感じた恐怖と、同じものを、少年は覚えていた。目の前の老剣士は、恐るべき遣い手であり、しかも、それを表に出さぬ、老獪さも備えていたのだ。
「名誉と誇り、それを虚仮にされたとあっては、騎士として、許せるものでは、ありませんでしょう……なれど」
にっこり、と、ダラーンに笑いかける老人からは、しかし、先程までの威圧感を感じる事もなく。
「あちらの方々は、少々、酒が回ってしまわれた御様子……倒れた者に追い打ちなど、騎士のなされる事では、御座いませんよ」
ばたばた、と、三人の貴族達は、膝を砕いて崩れ落ちてゆく。しかし、なんたる早業であろう、その場に居たものは、彼が何をしたのか、まるで理解できなかったのだから。
「……ふん、まぁよい……タッパー、ドゥーサン、行くぞ、全く、気分が悪い、酒だ! 」
ぐみっ、と倒れた貴族を踏み付け、ダラーンは繁華街の方へと、消えていった。
「いゃあ、お恥ずかしい、年甲斐も無く、割り込んでしまいましてね……しかし、正直、困っていたのです、あなた方が来てくださって、助かりました……いやしかし、勇敢な少年だ、いやいや、これは、クロスロードの若者も、まだまだ、捨てたものではありませんなぁ」
白髪の老剣士は、お礼がしたいと、リチャード少年達に声をかけ、近くの喫茶店にて、豆茶を振舞われていた。しかし、少年としては、何も役に立たなかったのである、褒められても、嬉しいものでは無いのだ。
彼は、その様な事を伝えたのだが。
「馬鹿なことをおっしゃい、貴方は、ただ、見ている事も出来たのです、ですが、私を助けに飛び込んで来てくださった……これは、大した事なのですよ、線を越えたのです……線の向こう側とこちら側では、景色が違う……それを見ようとした者だけが……おっと、これは、おしゃべりが過ぎましたな、私の悪い癖です、いや、年寄りとは、みな、こうなのですがね」
上品そうな着流しに羽織姿の老剣士は、おそらく、誰かに剣の手解きもしていたのであろう、流暢な会話には、思わず聴き入る力が感じられるのだ。
「申し遅れました、いや、これはご無礼、あの狼藉者達の事を、言えたものではありませんな……嶋村ナリアキラと申します」
にこにこ、と笑う老剣士は、まさに古狸と呼ぶに相応しい、愛嬌のある笑顔を見せる。リチャード少年達も挨拶を交わし、其処からは世間話が始まったのである。
いつの間にか、ウォルレンは消えていた。
「それで、旧友を訪ねて、それはもう久しぶりに、クロスロードに戻って来たのでしてね……いやぁ、十年ひと昔、とは言うものの、これ程に様変わりしていては、道に迷ったとしても、この老人には、仕方のない事でありまして……」
それもそのはず、滔々と続く、老人の話は、全くに終わる気配もないのだ。リチャード少年は、フィオーレから紹介して貰った、腕が良いという評判の研師を訪ね、今まで、少々、乱暴に扱っていた、御用猫の脇差しを、手入れして貰うつもりであったのだが。
(……リチャード……どうしましょう、この、お爺さま、ひょっとすると、サクラやハルヒコさまよりも、お話が長いのではなくって? )
(そのようですね、しかし、先程、道に迷ったと言われておりました……フィオーレ、その……)
リチャード少年は、何か、困ったような表情を浮かべ、フィオーレを見やるのだが。しかし、隣に座る少女は、にこり、と花のように、美しく、柔らかな笑顔を返す。
この、気の回る少女の事である、少年が、彼女との約束を後回しに、嶋村老の案内をしたいと、そう考えている事に、既に気付いているのだろう。そして、その事に対して、少年の優しさに対してこそ、フィオーレは、笑ってみせたのだ。
「あぁ! いけません! 」
突然に、嶋村老が声をあげる。見つめ合う若人達は、どきり、と肩を跳ねさせ、同時に老人を見やるのだが。
「あぁ、あぁ、これは、申し訳ありません……せっかくの、恋人同士の逢瀬だというのに……すっかりと、お邪魔してしまった様子、先程申したばかりだというのに、これは、なんとお詫びすれば良いのやら」
「ここっ! こここっ! 」
フィオーレは、にわとりの様な鳴き声をあげると、両手を、わきわき、とうごめかせ、真っ赤になって、首を振っていたのだが。
「いえ、構いません、どうぞお気遣い無く、僕はいま、貴方の道案内をしたいと、そう思っていたところなのですから」
少年の言葉に、ぴたり、と動きを止め、目に見えるほどに肩を落とすのだ。その、余りの落胆ぶりに、嶋村老は、リチャードに対して、何か意見しようかと、口を開きかけたのであるが。
「フィオーレとの逢瀬ならば、次の機会に……実は、これでまた、誘う口実が出来たと、嶋村さんに感謝したいほどなのですよ」
楽しみは、先に伸ばすものですしね、と、これまた、花のように笑う少年を見て、フィオーレは俯き、ぎゅう、と目を閉じるのだ。
「これは……ふふ、なんと、楽しみな若人でしょうか……懐かしい……リチャード君と言いましたか、貴方のような、少年を、昔に、可愛がっていた事がありまして……それが、その、友人の息子であるのですがね……武者修行の旅に出たと聞いてはおりますが、今はどうしているものか……」
目を細める老人は、優しげな瞳で、リチャード少年を見詰めていたのだが、ふと、両手を叩いて音を鳴らす。その姿は、やはり、たぬきの様に愛嬌があるだろうか。
「おお、またまた、話が逸れるところでした……そういうことならば、お言葉に甘えて、案内をして頂きたいのですが……」
「ええ、構いませんよ、東町でしょうか? 少々の手がかりがあれば、調べる伝手もありますので、どうぞ、お教えください」
ほう、と老人は、何か感心したように、息を漏らし、お礼はすると前置きしてから、その場所を告げるのだ。
「もう、昔の事ですが、当時は有名であったのです、知っている者もいるでしょう……田ノ上道場という、剣術の道場なのですが……」
少年と少女は、互いに顔を見合わせ、くすり、と笑い合う。
どうやら、この老人とは、奇縁があるようだ、などと、二人して考えていたのであろう。
しかし、今は、当の探し人が不在であるのだと、彼等が気付くのは、もう少し後の事であったのだ。




