毒剣 胡蝶蘭 7
御用猫が、黒髪の上級生に呼び出されたのは、級友達と、切り札遊びに興じていた際の事であった。クロスロードでは一般的なこの遊具は、赤青黄黒の四色に分けられた十三枚の札に、高名な騎士や貴族の肖像が描かれており、子供の知育から大人の賭け事にまで、幅広く親しまれている。
毎年発売されるこの札は、時折、世情を反映して描かれる人物が変更される。今年の札には、十五年ぶりに「石火のヒョーエ」の姿も見られたのだが、何よりも話題を集めたのは、四枚だけある特別な白い札に、現国王と王女二人、それに加え「名誉騎士」辛島ジュートが描かれていた事であろう。
(金髪なのはリチャードの所為だとして……この顔は、一体、誰なんだろうな)
去年までは、先代の国王が描かれていた札なのだ。一時期、街では噂になったものであるが、御用猫としては、この、いかにも爽やかそうな笑顔の美青年に、違和感を覚えるばかりである。
「あぁっ、辛島引いちゃったぁ! 」
「おいよせ、口に出すな、なんか切なくなるから」
御用猫の手札の中から、金髪の美青年を引き抜いたフゥーディエが悲鳴をあげる。この「辛島抜き」は、新しい札の発売と共に考案された遊びで、四種の札の中に、一枚だけ、辛島ジュートの白札を混ぜ、最後まで手元に残ったら負け、という数字合わせであった。
以前は無地の白札を利用していたこの遊びも、今は辛島ジュートの札が使われている。誰かが冗談で始めたらしいのだが、元々単純明解な遊び方であるし、国内での認知度も高くなっているようで、御用猫としては、何とも微妙な気分になる遊戯であったのだ。
(まぁ、他の白札を使う訳にもいかないのだろうし、分からなくも無いのだが……)
サクラやみつばち達が、爆笑しながら、この遊びに興じているのを見た時には、流石の御用猫も、若干の殺意を覚えたものである。
「猫さんは居ますか、ここに居ると聞いています……猫さんとは、どなたでしょうか」
開いたままの引き戸から、体だけを半分覗かせ、黒髪の少女が室内に視線を走らせる。まだ、年若く見える少女であったのだが、襟章が四つあるからには、上級生なのだろう、びくびく、と、どこか、怖気た様子で、下級生から見ても、うさぎか何かの小動物を連想させるだろう。
「あ、シェニさんだ、猫さん、呼んでるよ」
「……誰だ? 知らない奴だが」
野良猫の卑しい演技力にて、素知らぬ振りをする御用猫であったのだが、あちらの演技も、これは、かなりのものであろう。普段の様子を知る者なれば、絶対に結び付ける事はあるまい。
「クィー……あ、フィオーレさまの、お付きの人だよ」
「あぁ、アドルパス様から、何か言伝かな? へへ、悪いが勝ち抜けさせてもらうよ」
立ち上がった御用猫に、級友達から非難の声が上がるのだが、彼は気にせず机の上の小銭を握ると、それをポケットに捻じ込み、教室を後にする。
「楽しんでるみたいじゃん? 」
「まぁ、そこそこにな、だが、お前ほどじゃ無いぞ……というかな、無駄な接触は、やめて欲しいんだが」
人気の無い校舎裏に辿り着いた途端、黒髪の少女は、かつらを脱ぎ捨て、頭を振る。ふわり、と柔らかそうな銀髪が宙に溶け、先程までの、端正ではあるが、何か怯えたような顔は、悪戯っぽくも生意気そうな笑顔に乗っ取られるのだ。
しかし、周囲に気配が無いとはいえ、何とも不用心な事ではあるのだ。凄腕の暗殺者ともなれば、御用猫の察知能力を上回る隠形の遣い手だとて、なんら不思議ではないというのに。
「えー、何で無駄とか決めつけるのよ、私、この世で一番無駄な事は、時間の浪費だと、思ってるんだけどな」
「おう、同意見だな、なら本題を述べてください」
表情を変えず、視線すら合わせようとしない御用猫に、クロスロード第二王女、シファリエル ジ オ ロードスルサスは、肩を窄めて笑い、その場で、くるり、と回ってみせる。
(無駄な動きは、無駄じゃ無いんだな)
御用猫は、内心にて溜め息を零す。どうにも、この王女二人は苦手であるのだ。
「ね、辛島ジュートの名前も、随分と有名になってきたでしょ? 」
「……迷惑極まりないがな……それが、どうした」
「捨てるなら、早いうちがいいよ? 」
くるくる、と回り過ぎたのか、右へ左へ、頭を揺らす少女は、両の人差し指をこめかみに当てがい、目を回している。しかし、御用猫には、彼女の質問の意図が分からないのだ。確かに、少々面倒な名前になってしまっては、いたのだが、長年に渡り使用してきた偽名である、やはり、それなりの愛着もあるのだ。
「まぁ、考えとくよ、忠告ありがとな」
じゃ、と片手を軽く上げ、御用猫は背中を向けたのだが。
「勇者、ロクフェイト」
そこに向けられた言葉に、ぴたり、と足を止める。振り向いてしまったのは、英雄譚好きの彼の性か。
「素敵よね、憧れるわよね、庶民はいつでも、英雄が大好きなの、クロスロードにも、そんな人が現れないかなー」
「……いるだろ、電光石火とか」
「んー、戦だけじゃねー、もっとこう、子供に聴かせる冒険譚っていうかー、夢と希望とー、あと……」
ぴっ、と彼女は、御用猫に指を突き付け。
「恋物語よ! 愛が足りないの! 」
「わかる」
思わず頷く御用猫である。確かに、あの二人には、少しばかり、いや、多分に、色恋の要素が足りぬであろう。片や淑女も裸足で逃げ出す熊ライオン、もう一人は、血の海と臓物の背景こそが絵になる戦鬼なのだから。
英雄ロクフェイトの冒険、そして聖女ルテュエインとの切ない恋を綴った物語には、御用猫も胸躍らせたものなのだ。
「だからね、もっと名が売れたらね、みんな、受け入れざるを得ないのよ」
「……何を? 」
「ひみつ」
きしし、と笑う王女は、奔放で、自由に見える。我儘な少女の、しかし、屈託のない、無邪気な笑顔。
だが、御用猫は、この笑顔が、苦手であった。何かは分からぬが、例えようのない、不安と、そして。
(なんか、嫌な笑い方だ……)
昨夜の食事が、未だ胃に残るような、肚に異物を感じるような、嫌悪感。
「……何の悪巧みかは知らないが、人様に迷惑だけは、かけるんじゃ無いぞ」
「えー、何で悪巧みとか決めつけるのよ、私、皆んなが幸せになるようにって、いっつも、考えてるんだよー? 」
「……まぁ良いけどさ、とりあえずは、狙われてるって自覚を持とうな? フィオーレが心配してるだろうから、早く戻ってやれよ、どうせ、何も言わずに消えたんだろう」
御用猫の指摘は、事実であったのだろう。シファリエルは、ぺろり、と舌を出すと、慣れた手つきで銀髪をかきあげ、黒のかつらを装着する。
「ふふん、私が身をもって囮になってるんだから、ちゃんと、功をあげるのよ……あとね、実は、これが本題」
ぽん、と跳ねるように、王女は御用猫に近付き、襟を掴んで頭を下げさせると、彼の耳元に、その、形の良い唇を寄せる。
「……もしも、犯人が、この学校の生徒だったら……お願い、殺さないで……これ以上、学友が死ぬのを、見たくないの」
くるり、と身体を入れ替え、王女は走り去る。その表情までは、窺い知る事の出来ぬ御用猫であったのだが。
声音だけは、本心の色であったのだ。




