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続続・御用猫  作者: 露瀬
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毒剣 胡蝶蘭 1

 何かと慌ただしかった毎日も、波が過ぎてしまえば穏やかなものである。日が高く登るまで、惰眠を貪っていた御用猫であるが、じっとり、と汗ばみ始めた初夏の陽気に、漸く起き出すつもりになったようである。


「ん……何だ、黒雀か……やけに、べたべた、すると思ったら」


 彼に噛り付いて眠っていたのは、黒エルフの暗殺者であった。噛り付いて眠るのは、チャムパグンと同じであったのだが、あの卑しいエルフとは違い、黒雀は、直接肌に吸い付いてくるのだ。


 胸元や首筋に痕跡を残され、彼は度々に、あらぬ嫌疑をかけられている。迷惑と言えば迷惑であるし、何より、この黒い死神は、常に、彼の魂から何かしら吸い取っているのだから、恐怖の方が先に立つのだが。


(まぁ、最近は、あまり構ってやれなかったしな……甘やかす約束でもあるし、多少は大目にみてやるか)


 相も変わらず白色にこだわる、下着姿の少女を揺り起こし、御用猫は、連れ立って下に降りるのだ。明日からは、もう少し早く起きなければ教育に悪いだろうか、などと考えながら。


「先生、最近、働いてない」


「何だと、馬鹿な、これ程に働いたのは、近年稀に見る異常事態だと、俺は、そう思っていたのだが」


 折悪く仕込みの途中であった為、マルティエ手製の塩むすびを齧りながら、膝の上の黒雀が、そう、問題発言を投げかけてきた。しかし、これは全くの見当違いであるだろう、この少女が見ていないだけで、ここ最近、御用猫の抱えた面倒事は、思い出すに目眩がするほどなのだから。


「お金、減ってる」


「……何で、俺の残金把握してるの? 」


「つまの、ぎむ」


「黒雀は、気が利くなぁ、でも、こっそり銀行覗くのは、やめような」


 御用猫は、米糊で汚れた手の代わりに、頬で彼女の頭を撫でる。黒雀のほうは、しかし、それが気に入った様子で、膝から先を、ぱたぱた、と上下させるのだ。


(言われてみれば、最近は出て行くばかりで、実入りのある仕事をしていないような……)


 辛島ジュートは、名前ばかりで、俸給年金の無い名誉騎士である。当然に、彼が動いたからとて、国から金を貰える訳でも無いし、御用猫は、貰おうとも思っていないのだが、流石に、これ以上付き合うのは、御免被りたいところであろうか。


 彼の口座には、当分困らぬ程の金は残っているし、カンナからは、元手が御用猫の金である以上、倉持商会の資産は、彼の物だと言われてもいるのだが、それを当てにするのは、野良猫の矜持と、男の尊厳が許さないのだ。


「そうだなぁ……たまには、普通の……口入屋でも、覗いてみるか」


「うぃ、はたらく」


「おぅ、明日からな」


 かくり、と体勢を崩した黒雀である。しかし、これは、まことに珍しい光景であろうか、あの、快楽殺人者が、御用猫の仕事の心配をし、今はこうして、情け無い男の発言に呆れて見せるのだ。


(こいつも、少しづつ、変わっているのかな……)


 何やら、胸に温かいものを感じ、御用猫は頬を緩めるのだ。この、よく食べる娘達の為にも、金があって困る事は無かろうかと、彼は珍しくも、勤労意欲、というものを覚えていたのだ。


「よし、なら行くか」


 指に残る糊を、ぺろり、と舐め取り、御用猫は膝を揺らす。促されて立ち上がった黒雀は、まだ両手にむすびを抱えていた。


「どこに? 」


 ことん、とクビを傾げながら、塩むすびを頬張る少女に、御用猫は、さも当然のように、堂々と告げるのだ。


「いのや」


 黒い死神の首は、反対方向に、ことん、と傾いた。




 話の流れでカンナの事を思い出した御用猫は、明日から働く為の気力を求め、いのやを訪れたのだが、階段を上がる途中にて、みつばちの言葉を思い出してしまい、その足を止める。


「……先生の人形を、吊るしたり、縛ったり、噛んだり舐めたり、針を刺したり……それはもう……」


 途端に、背中の冷える野良猫なのである。そろり、そろり、と音を立てずに、戦略的撤退を図ろうとしたのだが、二階の手摺に爪を立てる少女と目が合い、全てを諦める事にしたのだ。



「……済まなかったな、ちょいと最近……まぁ、色々と忙しくってな」


 恐る恐る、探り探り、様子を伺いながら、御用猫は慎重に言葉を選び、空いた杯を差し出すのだが、当のカンナは、さして気にした様子も無く、普段通り、少々薄暗い部屋の中で、彼に寄り添い、その器に酒を注ぐのだ。


「……構い、ません、猫の先生が、お忙しいのは、知っていますから……時々、こうして、顔を見せて頂ければ……覚えておいてくだされば……カンナは、しあわせ、ですから」


 その、なんとも健気な物言いに、御用猫は、胸が痛む思いであるのだ。


(次からは、もう少し、まめに、顔を出すべきか……そうだな、働くのは、明後日からでも良いだろう)


 勤労意欲は酒に溶け、御用猫は、彼女の、小枝の様に細い肩を抱くと、そのままに倒れ込む。しかし、これは、なんとも、いじらしい少女に、劣情を催した訳では無く、強烈な睡魔に、突然襲われた為なのだ。


「……ふひ」


 薄れゆく意識の中で、御用猫は、カンナの、隙間から漏れるような笑い声を、確かに聞いたのだ。





「……で、今は、このような有様なのだと」


 風呂上がりの浴衣姿にて、カンナの部屋に現れたみつばちは、その緑の黒髪を、束ねて巻き上げながら、御用猫の隣に、きちっ、と正座する。


「うん、だから、何とかして貰えないかなぁ、ちょっと、生命の危機を覚える程度には、襲われてるから」


「……だから言ったのです、先生は、カンナ様を、もう少し抱くべきだと」


 あられもない姿に剥かれた御用猫は、両手を頭上に縛り上げられ、布団の上に転がされていた、これは、緊縛の呪いであり、カンナの使用したものである。身動きすらままならぬ状態で、かれこれ九時間は、弄ばれ続けていたのだ。


 当のカンナは、一先ずの満足を覚えたものか、御用猫の胸に抱き着いたまま、すやすや、と寝息を立てているのだ。その寝顔は、なんとも幸せそうであり、先程までの苛烈な責め苦が、この少女によってもたらされたのだと、信じる者は少ないであろう。


「代わりに抱いて下さるなら、お助けしますが」


「くーろーすーずーめー」


 目の前の駄目な女は、役に立たぬだろうと、御用猫は黒雀を召喚するのだ。しかし、すぱん、と襖を開け、何とも普通に現れた黒い死神は、ちろり、と彼の姿を眺めると


「先生、だらしない、痛い目みる、当然」


「うわぁ、辛辣だなぁ」


 やはり、明日から働こうと、御用猫は心に決める。


 日頃の行いは、大切であろう、などと考えながら。



 


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