あやまち 20
二人だけでの長い祈りを済ませ、教会から、新郎新婦が現れる。門出に相応しい爽やかな空の元、しかし、先導するメルクリィの背後に向けられたのは、列席する百名以上からの、割れんばかりの歓声と、拍手の雨であったのだ。
「……何じゃこれは、身内だけと言うたであろう」
「身内だけだよ、ふふ、まぁ、ご自身の人望を恨むことですね……おめでとうございます、義父上、義母上」
義子扱いの御用猫から花束を手渡されると、文句を言いつつも、目を細める田ノ上老である。隣では、慣れぬ言葉をかけられたティーナが、恥ずかしそうに、しかし、なんとも幸せそうな笑みをこぼすのだ。
「……すごく、きれい……」
思わず、言葉を漏らしたのは、リリィアドーネである。隣で頷くフィオーレと共に、テンプル騎士の制服であったのだが、それゆえに、彼女のドレス姿には、殊更に胸を打たれたのであろうか。
「えへへ、すっごい、自信作なんだから、もっと褒めてくれていいのよ」
ハボックの腕を取り、こちらは簡素ながらもドレス姿のニムエは、満面の笑みにて、その、たわわな胸を張る。ティーナのドレスは、純白のサテン生地にて、胸から下に巻き付くような意匠である、赤味がかった彼女の金髪は頭頂部で括られたのちに、ふわりと後ろに広げられ、それ自身がベールの様にも見えるだろうか。
これは、妊娠していると聞いたニムエが、頭を悩ませ、腹を締め付けぬように配慮したものであったのだが、開放的なオラン女のティーナには、まことに似合っていると言えるだろうか。事実、参加者の男達は、彼女の美しさに視線を奪われるばかりであり、ドレスの製作者であるニムエ本人も、先程から、少々鼻の下を伸ばしたハボックのつま先を、踵で踏み付けているのだ。
新たな夫婦は、列席者全員の手を取り、一人一人から、祝福を受け、最後に皆の前で、もう一度神に誓いを立てるのが、クロスロードの結婚式である。しかし、田ノ上老が、途中で笑みを消したのは、身長二メートル近い、巨漢の前に立った時であった。
「何じゃ、お前さんも、来てくれたのかえ? 偉くなると暇になるとは、まことであったのぅ」
「ふん、祝ってやるのは、二度だけだ、神の許しも、次は無いぞ」
悪態じみた応酬の後で、ぽん、と軽く、肩を叩き合う。
「……何とも、良い歳して、素直じゃないなあ」
「ふふ、微笑ましいですね……若先生、そろそろ到着の頃合いでしょうから、お迎えをお願いします」
「おう、後は頼む、まぁ、こんな鬼の巣に、打ち込む馬鹿が居るはずも無いだろうけどな」
片手を上げて振り向くと、御用猫は、草色のドレス姿のチャムパグンの手を引き、教会の外へ向かうのだが。
「ジュート、予定に無い動きね……何処に行くつもり? 」
その行く手を阻んだのは「剣姫」アルタソマイダスであったのだ。
しかし、今日に限り、御用猫の心臓を跳ねさせたのは彼女では無く、その隣に佇む、目立たぬ白いドレス姿の、銀髪の少女であったのだ。
「な……あぁ、くそ、そう言うことか、驚かせようとしたのは、此方だけでは、無かったという訳か」
しかし、これは好都合かと、御用猫は内心にて安堵する。この状況であるならば、少なくとも、気を遣う事は無いのだ、ここに居るのは、ただの一般人の少女であり、無視したとて、彼が責められる事もないだろう。
「いや、遅れてる来賓を迎えに行くだけさ、黒雀に案内させてるが……あいつは……」
「ヒィィィィ!!」
突然に叫んだのは、卑しいエルフであった。驚いたのは御用猫である、何事にも動じない、この卑しい悪魔が、この様な反応を見せるなどと、初めてではなかろうか。
しかし、目の前の二人に変化は無いのだ。今の叫びは、彼にしか届かぬ念話なのだろう。
(どうした、チャム? お姫様に気付いたのか? 意外だな、お前にも権力に阿る人間らしさが……)
(あわわ、やべー……先生、こいつは、やばいでごぜーますよぅ)
御用猫にしがみ付く卑しいエルフは、その小さな身体を震わせ、かちかち、と歯を鳴らす。
(何だ、まさか、襲撃か? 呪いか? 何処からだ)
一気に五感を研ぎ澄ませ、周囲の気配を辿るのだが、どうにも、敵意や害意は感じられぬ。そもそも、教会の外周は、ハルヒコ達が固めているし、中にはクロスロードの最強剣士が三人に近衛騎士が二人、ビュレッフェ達やウォルレンケインに、キンジョー、ハボックも居る。
更にみつばち達の戦力も考慮すれば、今のメルクリィ教会は、例え、テンプル騎士が総掛かりしたとて、そうそう落ちる事のない要塞と化しているのだ。
(おおぅ、なんてことや……手遅れや……先生ぇ、あれは、怪物でごぜーますよ……あぁっ、おかずを増やしてる、今、まさに! 脳内で、先生が! )
はわはわ、と、まるでサクラの様に狼狽えるチャムパグンを肩に担ぐと、御用猫はアルタソマイダスに事情を説明し、その場を離れた。どうやら、この卑しいエルフは、いつもの様に、大した事を言っていないようであったから。
(全く、立場もあろうに、律儀な奴だ……しかし、そうなるとフィオーレの側にいたフードの女は、妹の方か)
流石の田ノ上老も、銀髪の少女二人を前にした時には、多少なりと驚くであろうか、そして、すぐに破顔すると、久し振りに孫娘に会った祖父のように、その頭を撫でてやる事だろう。御用猫は、その想像に頬を緩めながら、更なる驚きを届けようと、教会を後にする。
「それでは、誓いの儀を執り行います……あまねく光をもたらす、レ ウルクと、全ての神に……」
「ちょっと待った! 」
誓いを前にして、静まり返る教会に、御用猫の声が響く。これが、彼の声でなければ、悪貴族から花嫁を救いに来た、若い騎士だとでも思われたであろうか。
いや、彼の声だからこそ、過敏に反応を示した者が数名居たのだが。その者達も、両手に小エルフをぶら下げた男の姿を見てしまえば、呆れたような溜め息を、一斉に漏らす他は無いだろう。
「っ!? ら、ラーナ、それに……」
胸に抱えた花束を取り落とし、ティーナが口を押さえる。それもそのはずであろうか、御用猫に連れられ、息を切らして駆けて来たのは、彼女の異父妹、ラーナと。
「ティーナ! 済まない、遅くなった、しかし、兄に黙って結婚するなどと、とんだ跳ね返りだな」
「ティーナっ! 」
勢い良く、彼女に飛び付いた妹は、感極まったのか、涙を流し始めた。態勢を崩した新妻を、田ノ上老が優しく抱きとめる。
「これこれ、姉御は妊娠しておるのだよ、優しくしておくれ」
「あっ、ごめんなさい……わたし、でも、嬉しくって」
「ら……なんっ、うっ、ごめ……わたし、っく、ひっ……」
ついに、堪え切れなくなったのか、ティーナも涙を流すのだ。見守る参加者達も、これが、修羅場などでは無いと、察したのか、おめでとう、おめでとう、と、口々に祝福を始める。
「済まない、場を乱した! 私はハーパス メイロード、オラン太守である、此度は我が妹の祝いの席に、集まって貰ったのだ、遅れながら、列席の皆々に、礼を言わせてくれ! そして、妻と妹が落ち着いたならば、改めて、誓いを見届け、祝福して欲しい! 」
良く通るハーパスの声は、その美男子ぶりもあいまって、実に絵になるものであった。観衆達からの拍手は、その音量を増し、抱き合う姉妹に、一足先の福音となるのだ。
(くくく、ハーパスめ、いまは調子に乗っているが良い……じきに気付くだろう、この場の面子の、恐ろしさにな)
にやり、と笑う御用猫は、実に悪い顔を見せていた。新婦の兄として、紹介されるであろう来賓達は、名だたる剣豪に大商人、やくざから他種族の族長や若族長、果てはクロスロードの王女までいるのだから。
彼は間違い無く腰を抜かすだろう、その痴態は、後でゆっくり観察させてもらおうと、御用猫は少しだけ移動し、人の輪から距離を置く。彼の仕事は、これで全て片付いたのだ、誓いを見届けるのは、野良猫の領分ではあるまいと。
式は終わりに近付き、今は最後の催しが行われている。花嫁の持つ花束から、何本もの長い糸が垂らされ、その端を独身女性が握る、一斉に引いた後で、糸が花束に繋がっていた者が、次の花嫁になれるという、お遊びの様なもの。
女性陣達の眼光は鋭く、糸の先を眺める視線には、殺気に近いものが見えようか。みつばちとリリィアドーネなどは、肩をぶつけ合い、一本の糸を奪い合っているのだ。
「……ゴヨウさん、こんな所に居たのですか、マルティエさんが餌付けをしていたから、おかしいとは思ったのです、まったく、ゴヨウさんは、一応、大先生の養子なのですからね、しゃん、と、してください」
影になる場所を選び、外構に背中を預ける御用猫に、サクラが声を掛けてきた。
「そう言うな、ちょいと、疲れたんだよ……サクラは、参加しないのか? 」
「私は、まだ未成年です」
そう言えばそうか、と笑う御用猫の隣に並び、少女は花嫁に視線を送る。
「ティーナさん、綺麗ですね……それに、嬉しそう……本当に、良かったです……でも、良いものですね、結婚とか、考えた事もありませんでしたが……こうして目にすれば、すこし、羨ましいかも知れません」
「そうだなぁ……サクラも、来年には、こうなってるかもな」
サクラの視線を追いかけ、御用猫は思いを巡らせる。この、妹の様な少女も、いずれは、花嫁として、幸せな暮らしを手に入れる事だろう。
「……サクラは可愛いからな、さぞかし、引く手数多なのだろう」
「当然です、ゴヨウさんが知らないだけで、私にも、そう言った話は、山程あるのですからね」
そう言えば、彼女の兄も、その様な事を言っていただろうか。しかし、薄い胸を張り、自慢げに鼻を鳴らすこの少女には、少しばかり気の早い話やも知れぬ。
「……ですが、少しだけ、思うところもあるのです……ゴヨウさん、私が、以前、相談がある、と言っていたのを、覚えてますか? 」
僅かに視線を落としたサクラは、御用猫の顔を見る事なく、何か、不安そうに、そう、尋ねるのだ。
「あぁ、あの、追いかけっこの時だろう? 覚えてるぞ、お前が言い出すまで、待っていようと思ってたが……言いにくい事か? 今なら、誰も聞いていないが」
「……やっぱり、覚えてくれてましたか……なぜでしょう? ゴヨウさんの、そういったところは、不思議と、信じてしまいます」
くるり、と振り向いた彼女は、下から、真っ直ぐに彼を見詰めるのだ。いつもの、野良猫には、眩し過ぎる輝きにて。
「私は、いま、考えています……答えは、まだ、分かりませんが……でも、考えているのです、だから、待って下さい」
「ん、何をだ? 」
御用猫は、片眉を上げる。待てと言うならば、待つのは構わないが、何を待つのかが分からなければ、彼女に応える事も出来ぬのだ。
「ゴヨウさんは、私が居ないと、何も出来ないのですから、私が居なくなるのは、そう、困るはずなのです、いいえ、困るに決まっています、ならば、そうかとも思うのですが、しかし、そうなると、私の方に、整理がつかぬのです、これは、果たして、そうなのかと、いや、そうではないのかと、考える事もあるのです、眠れなくなる事もあるのです、ですが、ゴヨウさんは、そんな事、考えた事も無いのでしょうね、あぁ、何だか腹立たしい、不公平です、そうあるべきです、分かっているのですか、ずるいです、ゴヨウさんの方はいつでも出来るのに、私には、まだ、その権利さえ無いのですから、私の手の届かぬところで、先を越されてしまえば、その時に気付いてしまったのでは、泣くに泣けぬではありませんか! 」
「よし分かった、少し落ち着け」
ふうふう、と肩で息する少女を、御用猫はさすって宥めるのだ。何を言いたいのかは、さっぱり分からないのだが、彼女が何かを伝えたいのは、充分に理解出来た御用猫である。
「つまるところ、何だ? 」
「つまるところ、ゴヨウさんは、待って下さい! 」
「だから、何を? 」
「結婚するのを、です! 」
「いいよ」
そもそも、この野良猫は、結婚など考えた事も無いのだ。なので、彼は、安請け合いをしてしまった。
これは果たして、彼の、あやまち、であろうか。
「……本当、ですか? 本当に、待てますか? 」
「おう、待つ待つ、なんなら、サクラが嫁に行くまで、待っても良いぞ」
「……っ! 分かりました、約束ですからね、きっとですからね! 」
ぱたぱた、と、少女は走り去る。おそらく、勝利の雄叫びを上げた、ニムエを祝うつもりなのだろう、などと、御用猫は、ぼんやりと考えていた。
野良猫にとって、浮世の幸せなど、池の鯉が見上げる地上の様に、ぼんやり、とした、そして、縁遠いものなのだ。
(まぁ、分からぬものは、仕方ないのだ……)
目の前の新しい夫婦も、ハボック達も、マンゾウ夫婦だとて、端から見れば、幸せそうにしか、映らぬのだから。その裏を知る御用猫には、また、景色が違う、しかし、当人達にとっては、また、違う人生なのだろう。
御用猫は、考えるのをやめた。
分からぬものは、分からぬのだから。
あやまち越えて、山越えて
見えた先には、何あるものか
猫の船頭に尋ねてみても
知らぬ知らぬと、鳴くばかり
御用、御用の、御用猫




