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続続・御用猫  作者: 露瀬
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あやまち 19

 ハボック ヘェルディナンドが、マルティエを訪れたのは、田ノ上ヒョーエとティーナの結婚式を、二日後に控えた夜の事であった。少々、疲れた様子の御用猫とは裏腹に、彼の表情は明るいのだ、おそらく、マンゾウは平穏な日常を取り戻したのだろう。


「その節は、お世話になりました……マンゾウの奴も、すっかり元の調子に戻ったようで、いや、最近では、酒の味まで思い出した様子、誘われる事も、しばしば、なのですよ」


「そいつは良かったな……しかし、今回の件については、礼を言われる事もないぞ」


 これは、謙遜ではない、御用猫は実際、マンゾウ一家の揉め事については、手を出さねば良かったかと、後悔さえしていたのだから。


「いえ、あの認可状が無ければ、こうもすんなりと、イスラ子爵が引き下がったとも思えませんし……しかし、あのような書状、フィオーレ殿にお頼みしたので? 何か、カイメン大臣から、無理を押し付けられたのでは」


 フィオーレの父には、色々と黒い噂も多いのだ、名誉騎士、辛島ジュートからの頼みとはいえ、ただで引き受けるとも思えない。ハボックは、もし、そうであるならば、何を置いても手助けする心積もりであったのだが。


「それについても、まぁ、運が良かっただけだ、フィオーレの親父さんは、賢い大人だからな、今回に限って、見返りなど要求すれば、それこそ、酷い目に合うと、充分に分かっているさ」


「ほう、それは興味深い……いや、成る程、大方の察しはつきましたが、それでも、ただでは転ばなかったのでしょう? 」


 にやり、と笑うハボックであったが、その予想を口に出すことはなかった。これは、はったりでは無く、彼の予想が、正鵠を得ている事の証左であろう。


「相変わらず、回転の早い男だな、いちど、リチャードと勝負してみるか? ま、噂通りの狸親父さ……フィオーレを嫁にどうかと、勧められたよ」


「はは、これは、これは……他の者には、話せませんな」


 楽しげに笑うハボックを見やり、片眉を上げて、御用猫は猪口を傾ける。しかし、あの狸の事である、フィオーレにも、それとなく話を持ち掛けているやも知れぬのだ。


(口止めだけは、しておくか……フィオーレは気の利く娘だが、色恋沙汰に関しては、ちょいと、ゴリラ的な反応を、してしまうからなぁ)


 先日の殴り合いを思い出し、御用猫は顔を顰めて酒を舐める。この店には、御用猫の要望で、上等な清酒が置かれているのだが、今日の酒は、まるで水の様に味気ないのだ。


(ハボックは勘が鋭い、気を付けてはいるが……今日は奴も機嫌が良いのか、まぁ、確かに、運が良かったな)


 以前、顔に出ぬ、とは言われたものの、今日の御用猫の遣る瀬無さは、いつ表に出るものか。


(式が明後日で助かった……全く、こんな気持ちでは、祝うものも、祝えぬ、で、あろう)


 これ程に、彼が遣る方無い思いを抱える事になったのは、みつばちの持ち込んだ、報告の為であったのだ。




「私も、出席して、よろしいのですか? 」


「当たり前だろう、今回は、身内だけで、こじんまり、との事なのだからな」


 珍しく、何か驚いたような表情を大写しのみつばちである。御用猫としては、彼女と黒雀だけでなく、さんじょうと、少々不本意ではあるのだが、大雀にも、声をかけさせるつもりであったのだ。


「なるほど、来賓が知った者達だけであるならば、私どもが参加しても……」


「……おい」


 御用猫の声が、少々低くなった為に、みつばちは姿勢を正す。これは、彼女の主人が、機嫌を損ねた時の声色であったから。


「勘違いをするなよ? 今回の式は「身内」だけ、だと言っただろう……お前達も身内だ、それだけの事だ……全く、いつまでたっても、駄目な女だな、お前は、もう少し常識というものを……うわっ! 」


 突然に押し倒され、御用猫はベッドに倒れ込む、口に吸い付いて離れぬみつばちを、何とか引き剥がしたものの、今日の彼女の抵抗は、中々に激しく、諦めようとしなかったのだ。


「くそっ、何だこいつ、タコかスッポンの類か」


「はよ、はよしましょ、子作りです、身内というからには、籍を入れたも同然でしょう、言質は取ったぞこのやろう」


 挑み掛かるくノ一を、巴投げに投げ飛ばすと、部屋の壁に激突したみつばちは、天地逆さまに、ベッドの上にずり落ちた。


「昼間っから盛ってんじゃねーよ、マルティエ達やスキット家族も来るんだ、親しい者って意味だよ、分かれ! この、とんちきめ」


 ふうふう、と肩で息する御用猫に、しかし、みつばちの向けた視線は、どこか、申し訳なさそうな、悲しそうなものであったのだ。


「……なんだ、何か言いたい事があんのか? 」


 どすり、とベッドに腰掛ける御用猫の隣に、みつばちは正座する。彼はてっきり、彼女の心得違いについての話だと思っていたのだが。


「……これは、後でご報告しようと思っていたのです……しかし、式に出席しても良い、と、お許しが出たのならば……このままでは、私は、笑って祝えそうに、ありません」


「……マンゾウの件か、言ってみろ、笑えぬというからには、面白く無い話であろうが……折角の祝いの席に、しかめ面がいるというのも、面白くは無いのだ……それに、調べろと言ったのは、俺なのだからな、お前一人が馬鹿をみるのでは……」


 言いかけたところで、再び口を塞がれた。しかし、今回の口づけは、何とも優しいものであり、何とも珍しく、少し赤味の差した頬にて、みつばちは、はにかんだ笑顔を見せるのだ。


「ありがとうございます、その言葉だけで、私は……私は、何があろうと、貴方の為に尽くす所存です」


 あの女と違って、と、前置きしてから、みつばちは、再び感情を殺し、平坦な声にて、報告するのだ。



「そうか……」


「馬鹿な女です、一度騙されたにも拘らず、寝物語を真に受けて……マンゾウは、あんなにも、あの女を愛しているというのに……」


 御用猫は、目を閉じる。


 マンゾウの妻、センは、イスラ子爵の息子に、これで最後だからと迫られ、半ば強引に関係を持ってしまったというのだ。しかもその関係は、そこで終わる事なく、来月からは、イスラ邸にて、彼女は働く事になったというのだ。


「マンゾウには、知り合いの伝手で働き口を紹介して貰った、と言っておりましたが……正直、耳と目を疑うばかりなのです、あのように、涙まで流して許しを請うたというのに……なんて、馬鹿な、おんな、なのでしょう……」


 遂には、みつばちまでが、涙を流し始めたのだ。志能便である彼女には、普通の、小さな幸せが、どれ程に輝いて見えるものか、自身が、いくら手を伸ばしても届かぬものを、簡単に捨てる女を見て、余程に悔しかったのであろうか。


「お前は、良い女だよ……しかしな、世の中の女が全て、お前のようだとは、限らぬのだ」


「ですが、ですが、あの女は……マンゾウと息子を棄てれば、側室にしてやるなどと、馬鹿な男の話に、顔を蕩けさせて……家に帰れば、愛想良く、鼻歌交じりに、夕食の支度を……」


 どんなに殺伐とした光景にも、眉ひとつ動かさぬ、この、くノ一が、腹を刺されても冗談を言ってみせる、この志能便が、こうまで心を乱し、背中を震わせるのだ。


 御用猫は、彼女の身体を胸に抱き寄せ、その、滑らかな背中を、子供でもあやす様に、何度も何度も、優しく撫で下ろす。


「よしよし、嫌な仕事をさせてしまったな……悪かった、もう、あの家族には、関わらなくてよいからな」


「……ハボックには、何と伝える、おつもりですか」


 御用猫は、手を止めず、彼女を撫で続ける。胸の辺りが、じんわり、と熱を持っていたが、これは、みつばちが、今日まで溜め込んでいたものであろう。


 ならば、せめて、それを飲み込むのが、彼女に報いる事になろうかと、少しだけ、その細い身体を抱く腕に、力を込める。


「言わないさ、あの家族がどうなるか、もはや、俺の知るところでは無いのだからな……案外、お互いに割り切って、うまく遊ぶやもしれぬ」


「……ずるい、女」


「それは、男も一緒だぞ? 俺だとて、遊ぶし、騙すし、逃げもする」


 少々おどけて見せた御用猫に、胸の中で、みつばちが笑う。ゆっくりと顔を上げた彼女は、赤い目のまま、彼を見詰めると、くちびるを尖らせるのだ。


「猫の先生は、嘘ばかり……後腐れのある女は、抱かないくせに」


「……意外に、根に持つ女だな」


「約束は、忘れてませんからね」


 こいつめ、と頭をかき混ぜ、御用猫は、みつばちを抱いたまま、ベッドに倒れ込む。


 しばらくして、寝息を立て始めた彼女を確認すると、御用猫は、ようやくに、大きな溜め息を吐き出したのだ。




「おっと……申し訳ありません、遅くなる前に戻らねば、また、ニムエの機嫌が悪くなってしまう」


「そうか、ニムエにも世話になったな、この礼は改めてすると、伝えておいてくれ」


「いえ、彼女も楽しんでいたようで……少々張り切り過ぎて、昨日まで徹夜していた程なのです」


 なるほど、と御用猫は頷くのだ。ならば、今夜はハボックを、早めに返さねばならないだろう。


「……なぁ、ハボックよ、疑ってしまえば、きり、が無いのだ……しょせん、目に見えるものしか、人には分からないだろう」


「……私に足りぬもの、あの時の言葉、しかと、この胸に残っております、しかし……」


 立ち上がったハボックは、少しだけ、表情を曇らせる。彼の上機嫌に水を差してしまったかと、御用猫は後悔するのだ、なぜ今、こんな言葉を発してしまったのかと。


 しかし、ハボック ヘェルディナンドは「変わった」男であったのだ。


「しかし、ご安心ください、たとえ時間はかかろうとも、私の目は、前を向いております、私の足は、前に出ておりますがゆえ……それでは」


 一礼して、店を出るハボックの背中に、何か御用猫は、救われたような気さえ、したのだった。





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