あやまち 18
「……ここが、シャイニングロード……何だか、少し、息苦しい気がします……」
クロスロードの国家元首と、山エルフ五党座氏族の族長との会談は、旧王城にして聖地たる、シャイニングロード内で行われる事になった。
ここは、百年以上前に、森エルフとの和解の儀が行われた場所でもあり、この度の、歴史的会談の場として、相応しいとされたのだ。
「少し落ち着けよサクラ、俺にしがみついたまま、王女様の前に出るつもりなのか? 」
ぐっ、と息に詰まり、しかし、御用猫の腕を放すと、少女は、その薄い胸に手をやり、何度も深呼吸するのだ。
「なんも、心配する事は無いっちゃよ、ただ、挨拶するだけじゃろう……ほんと、人間は気ぃがこまいんじゃから」
「しかし、確かに、ここの魔力は濃い、まるで、奥森のようですね……しかし、意図的に集められている様子、これでは、サクラさんが落ち着かないのも、仕方のない事でしょう」
柔らかな金髪から、長い耳を覗かせるのは、森エルフ氏族「ジャガーと翼蛇」の若族長、オーフェンである。
元々、ナスタチュームは、帰らずの森にも足を運び、謝罪をするつもりであったのだとか。リチャードを通して、ホノクラちゃんから連絡を受けた彼は、この際、三種族での会談を行うのはどうであろうかと、提案してきたのだ。
当然ながら、クロスロード側はそれを受け入れた。エルフ族との交流の深化は、国家としての、長年の懸案であったのだから。
(そのせいで、こうして俺も付き添う羽目になったのだがな……おのれ、オーフェンめ、相変わらず余計な事を)
そもそも、御用猫が同席する事に、オーフェンの提案は関係無かったのだが、彼は、自身の精神安定の為、少々八つ当たり気味に、その怒りの矛先を、金髪の優男に向けるのだ。
「ナスタチューム殿、オーフェン殿、用意が整いました、どうぞこちらに……サクラ、分かっているか? くれぐれも、殿下に対して失礼の無い様にな? 」
「お父様、分かっております、というか、何故私に言うのですか、不安なのは、ゴヨウさんの方でしょう……良いですか、余計なおふざけは無しですからね、いつものような軽口を叩くと、首と胴が泣き別れになってしまうのですからね、分かりましたか」
「いや、なんで俺に言う」
揃って深呼吸する親子を眺め、御用猫は苦笑を漏らすのだ、彼らが心配するのは、ナスタチュームの態度であろうが、それを直接言わずに、他の者を名指しする事で、遠回しに注意しているのだろう。
(本当に、よく似た親娘だ)
シャイニングロードは、小さな城である。かなり昔に建てられたものであるから、当然なのであろうが、何度も改修されているため、内部は様々な建築様式が入り混じっており、呪い光に照らされた廊下などは、歩く度に雰囲気が変わり、どこか異国情緒を感じさせるであろうか。
そこを抜けた先には、目にも緑な芝生に覆われた中庭がある。中心部には「祈りの塔」と呼ばれる、三十メートル程の円塔があり、その大扉の前に、クロスロード国家元首、その代理たる、シャルロッテ ジ オ ロードスルサスの姿が見えた。
(なんだ? 露天で会談するのか)
扉の前に設けられた仮の玉座の両側には、クロスロードの最重鎮達と、それを守護するテンプル騎士が並んでいる。マイヨハルトに先導された彼らは、彼の歩みに倣い、その膝の折れた場所で、同様に膝をつき、頭を下げた。
「その必要はありません、我らは友人、友に膝をつかせる者が、はたしてありましょうか」
透き通るような、透明感のある声。立ち上がったシャルロッテ王女は、ナスタチュームとオーフェンの前に、つかつか、と進み出るのだ。
周囲からは、ざわめきが起こるのだが、しかし、これは当然の反応であろう。彼女は、まずナスタチュームに、そしてオーフェンの手を取り、自ら立ち上がらせるのだ。
「友好とは、紙に綴るものでは無いでしょう……今日、私達は言葉を交わし、互いの心に、それを残しましょう、これが、その始まりのことばです」
「素晴らしいお考えですね、そして、力あることばをお持ちだ……きっと、祖霊と六柱の神に、届く事でしょう」
柔らかな笑顔を見せるオーフェンは、そして目を閉じ、小さく祈りを捧げた。ここが、それの出来る場所だと、知っているのだろう。
「……友人になる前に、言いたい事がある、やらなくては、ならない事もある」
彼女を知る者は、みな、驚きに目を見開いた。あれ程にきつかった、山エルフの訛りは影を潜め、赤子の様に、ころころ、と良く変わる、いかにも愛嬌のあった顔も、今は年相応に見えるのだから。
しかし、ナスタチュームの顔は、厳しく引き締められていた。脇に寄っていたマイヨハルトの表情も、それを見て、たちまちに強張るのだ、この距離では、テンプル騎士とて、王女を守れないだろう、そして、この、山エルフの女は、華奢な少女の首の骨など、簡単に手折る事が可能なのだ。
「……伺いましょう」
だが、この少女は、大国家たるクロスロードの、全ての責務を、その細い両肩に載せる少女は、些かも怯まず、目の前の山エルフに、視線を合わせる。その姿は、既にして、王の風格を備えているのであった。
「我々は、あやまち、を犯した、互いに傷付け合い、命を奪い合った、それは、忘れる事の出来ない事実である」
「短命な私の、目にはしておらぬ事ですが、不幸な出来事であったと、理解しております」
逸った若い騎士が、剣に手をかけたのだが、どすっ、と両肩に、巨岩の如き重しをかけられ、短く息を漏らす。
(……黙って見ておれ、これは、殿下の戦いだ)
耳から吹き込まれる、殺気の混じる声に、彼は身動きすら、ままならぬ。
「王が事の経緯を知らぬ、知らぬ者が和解すると言う、それで、他の者は納得するのか? 恨みが消えるのか? 人間は、エルフとは違う、違うからこそ、恐れ、遠ざけ、また、あやまちを繰り返す事もある」
「そう、はさせません」
堂々と、彼女は宣言する。
「私は、シャルロッテ ジ オ ロードスルサス……この国の、クロスロードの、王なのですから」
ナスタチュームが目を見開いたのは、彼女の、その、心の強さに感銘を受けたからであろうか。戦を知らずに族長となったのは、ナスタチュームとておなじであるのだ、しかし。
(強いなぁ……これは、かなわんちゃ)
へにゃり、と表情を和らげた山エルフの女族長に、シャルロッテもまた、笑顔を返す。
「ふふ、今は、まだ、代理ではありますが」
「えぇよ、えぇよ、気に入ったわ……うちが、言わなきゃいけんかったのは、今のじゃけぇ……あと、やらなきゃいけんのは……」
手を振ったナスタチュームは、再び表情を引き締めると、そのまま、腰を折って頭を下げた。
「戦については、誇りある戦いであったと知った、もう、こちらに遺恨は無い……だが、私は、それを知らなかった、知らずに、恨んでいた、これは、私の、あやまち、である……改めて互いを知り、友誼を結ぶ前に、その事だけは、謝罪したい」
「確かに、受け取りました、ならば、このことばを、神に届け、終わりとする事にしましょう」
シャルロッテとナスタチュームは、向かい合って祈りを捧げるのだ。
(……なんだ、ふふ、ついて来た意味も、必要も、無かったのだな……あの泣きべそ女が、立派になったものだ……漏らした事は、内緒にしておいてやろう)
三種族の代表が、手を重ねたところで、周囲から滝の様な拍手の音が降ってきた。この話は、今日にでも、クロスロード中の噂になるだろう、号外を目にした人々は、次期国王たるシャルロッテを讃え、この国のさらなる繁栄を確信するのだ。
「辛島ジュート」
「はっ」
些か頬を緩めていたところに、突然声をかけられ、御用猫は咄嗟に敬礼する。慣れぬ動きにも、我ながら見事に反応出来たものだと感心するのだが、吐き出した声には、少々、驚きの色が混じってしまっただろう。
「此度のはたらき、まことに見事であった、何か褒美をとらせよう、申してみよ」
いつの間にか拍手は消え、中庭にどよめきの波が広がる。この様な反応、王女の前では失礼であったのだが、今は皆、興奮状態にあるのだ、止められるものでもあるまい。
「……私は、勅命騎士であります、殿下に仕える事こそが喜びであり、報酬と言えるでしょう、その、労いのお言葉だけで、充分に過ぎるものであります」
「働きには、褒美をもって形にせねば、主として示しがつかぬ……申せ」
御用猫は、更に深く頭を下げた。この苦虫を噛み潰したような顔を、他人に見せるわけにはいかぬであろうから。
(くそ、こいつめ、何故、そっとしておいてくれないのだ……お偉方に目をつけられたら、どうしてくれる)
只でさえ、特別扱いの名誉騎士なのだ、これ以上目立つのは、余計な妬みを買うばかり、御用猫にとって、迷惑以外の何物でもあるまい。しかし、その時に、彼の脳内に閃きがあったのだ、直接に頼むのは迷惑であろうと悩んでいた事を思い出し、御用猫は、ゆっくりと顔を上げる。
「……なれば、個人的案件になりますが、内務大臣、カエッサ カイメン様の助力を請いたい事柄がありました、その、許可を頂ければ」
「許す、アルタソマイダスを通すがよい」
「はっ」
御用猫は、もう一度頭を下げる。言ってから、少々、大物過ぎたかとも後悔したのだが、他に知る名前が無いのは、野良猫の無知ゆえだと、諦める事にした。
「それでは、食事の用意をしております、後は、その場で歓談するとしましょう……お口に合えば、よろしいのですが」
「そうじゃね、なんか、お腹空いてきたわ……ねぇ、サクラも連れて行ってえぇ? 」
「ほわっ! 」
声を上げてから、しまった、と口を押さえた彼女は、助けを求めるように、父と御用猫に視線を送るのだが。
「ナスタチュームさまの、ご友人だと聞いております、もちろん、構いません」
どうやら、祈りの塔に、神は居なかったようだ。
絶望の色をその顔に浮かべ、惚けるサクラを、内心で笑いながら、御用猫は横目で見ていたのだが。
「辛島ジュートは、後で私のところへ」
「ぐっ」
何とか、敬礼だけは返したものの、御用猫の脳内には、疑問符が浮かぶばかりであるのだ。その目が、彼の気持ちを代弁していたのだろう、シャルロッテは、少しばかり不思議そうな表情を見せると。
「労いの言葉が褒美だと、自分で申したであろう」
(素直か! )
天を仰ぎ、目を閉じる彼の姿は、主の愛に、感動する忠臣にしか見えぬであろうが。
やはり、ここに神は居ないのだ。




