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続続・御用猫  作者: 露瀬
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あやまち 16

 ハボック ヘェルディナンドは、少々変わった男であった。とはいえ、そう他人から思われるのは、彼の発する、些か、考え方の読めぬ発言が主な原因であり、その所作や雰囲気については、なんとも落ち着いたもので、黙ってさえいれば、なにか安心感すら、覚えるやも知れぬ。


「しかし、今日のハボックは、なんだか挙動不審だねぇ……ニムエ、なんかあったの? 」


「え、そうかな、特に変わった事は……あ、昨日より、かっこいいかも! 」


 休憩明けに、奥から現れたニムエの同僚は、この、相も変わらず、お熱い御様子の女に、肩を叩く事で呆れを伝える。しかし、彼女は思うのだ、ニムエほどの器量良しが、ハボックのように、冴えない風貌の男に、なぜ、これだけ入れ込むのかと。


「まぁ、なんか知んないけど、あっちゃこっちゃ、走り回られても迷惑なんだから、朝も遅かったし……ニムエ、ちゃんと相手してやんなよ」


「うん……あ、でも、最近は一緒に寝てないから、それで寂しいのかも……そうか、うん、そうだよね……ありがとキネリ、彼を気にしてくれて、でも、ハボックはあげないよ? 」


「いらないよ? 」


 早速に、夜のお誘いをしようと、奥に向け走り出す小柄な同僚に、いや働けよ、と声をかけ、キネリと呼ばれた女は、鼻から息を漏らすと、カウンター裏の椅子に、どすん、と乱暴に腰掛けた。



「……なぁハボック、今日、一杯、付き合えよ」


 まるで予期せぬ夜の誘いに、ハボックは足を止める。驚いた表情にてマンゾウを見つめる、冴えない風貌の同僚であったのだが、その手は、戸棚の帳簿を正しく入れ替え、視線はマンゾウのままに席に戻ると、ぺらぺら、と頁をめくり始めるのだ。


(こいつには、頭が二つ、あるのかいな)


「な、何故、マンゾウからの誘いなど……そのような、何か、あったとでも……」


 遂には、此方に視線を送りつつ、記帳まで行っているものだから、マンゾウが笑い始めるのも、無理からぬことであろう。


「お前よぅ、少しは落ち着けよ……朝から、ちらちら、ちらちら、と、こっちの様子ばかり窺いやがって、うちの息子だって、余程に怒鳴りつけても、そう、は、ならねぇぞ? 」


 マンゾウに指摘されて、ハボックは初めて気付くのだ。自分は、そこまで露骨に、彼の様子を見ていたのかと。


(なんと、意識しないように、仕事に集中していたつもりが……ううむ、悪い癖、が出てしまったか)


 同時に二つの仕事をこなす、ハボックの神業であったが、今回ばかりは、それが裏目に出てしまったようである。


 彼が、ばれん茶屋にて、マンゾウの妻、センと会ったのは、昨日の事なのだ。あれから、御用猫と別れたハボックは。


(まさかに、今日の今日、という事はあるまいが、もしかすれば、今頃センさんは、マンゾウに打ち明けているのかも)


 などと思い悩み、明け方まで、眠る事が出来なかった。結局、今朝は遅刻してしまい、朝からニムエの説教と、疑いの眼差しを向けられる事になったのだ。


「まぁ、あれだ、お前さんの事は認めてるし、恥ずかしい話もしちまったがな、それでも、ここでは俺が先輩よ、それが、いつまでも、後輩に心配かけたんじゃ、面目ってぇもんが、立たねえだろう? 」


「マンゾウ……」


 何か、安堵とも、不安ともつかぬ顔を向けられ、しかし、マンゾウは笑ってみせた。それは、何か、吹っ切れたような、雲の晴れた空のような、そんな笑顔であったのだ。


「今日、おせんに話すよ」


「そうか……強いな、マンゾウは」


 どこか嫉しげな、しかし、何か憧れるような、ハボックの瞳は、かつての友人に、似ていたであろうか。


「まぁ、だからな、ハボック、一杯だけ付き合えよ、これは、景気付けって奴さ」


「ふふ、承知した、しかし、本当に一杯だけ、だぞ? どうやらマンゾウは、普段飲まないだけで、かなりの酒好きのようであるからな」


 二人は向かい合い、笑い合う。ハボックの手は、既に止まっていた。


「……うーん、今日は、諦めよっか……もう、せっかく、盛り上がってきてたのに」


 そっと扉を閉めるニムエの顔には、しかし、言葉とは裏腹に、優しい笑みが浮かんでいたのだ。





「あなた……少し、お話が、あります」


 少し遅めに帰宅したマンゾウを、神妙な面持ちの妻が出迎える。用意されている食事には、蚊帳が被せられ、寝る時間にはまだ早いと言うのに、息子の姿は見られない。


「なんだよ、帰って早々に……飯食ってからじゃ、駄目なのか? 」


「そろそろ、お母さんの所から、ヒャッコが帰ってくるから……その前に……」


 きゅう、と下唇を噛む女房の姿は、いつもより小さく見えた。


「……なら、外で話そうか、途中で鉢合わせるのも、面白くないんだろ」


 玄関で振り向くと、マンゾウは、ゆっくりと歩き出した。からころ、と、慌てたような下駄の音が、後ろからついて来る。


「虫が来るから、さ、早めに片付けようぜ」


 近所の小さな公園の長椅子に腰掛け、マンゾウは女房を促す。しかし、センは座る事なく、彼の斜め前にて俯いたまま、両の拳を握り締めるのみ、なのだ。


 少しぬるめの夜風が、何処からともなく、虫の声を運んで来る。


(そういや、ヒャッコが小さい頃は、此処で、夜に遊ばせたなぁ……あいつ、うるさいから、隣の禿げおやじが、怒鳴り込んで来やがって)


 どこか遠い目で、マンゾウは、妻の向こう側を眺めた。


「あなた……私、わたし……ごめんなさい」


 不意にかけられた言葉に、マンゾウの胸が、どきり、と弾む。いつの間にか、女房の目は、じっ、と、こちらを見つめていたのだ。


「謝らないと……今さら、言えたことじゃ、無いけど……隠そうとしてたの……ごめんなさい、ごめん、なさい……でも、怖くって……あなたを好きになる度に、こ、怖く、なって、言い出せなくなって……」


 ぽろぽろ、と、センは涙を流し始める。詰まりながらも、吃りながらも、何とか、伝えようとしているのだ。


(……ずるい、女)


 虫に紛れたのは、誰の声か。


「でも、これだけは、信じてください……わたしは、あなたを、愛しています……ヒャッコも、私たちの、子供です……でも……」


 告白は、そこで途切れた。


「なんでぇ、そんな話だったか……やっぱ夫婦だな、ちょうど、俺もさ、それを聞くつもりだったんだ」


 立ち上がったマンゾウが、彼女を抱き締めたから。


「あ、あなた……うぐっ、わたし、帰ります、あなたに、ひどい事をしたの……実家に、連れて、かえります……」


「ばかやろう、お前の実家は、あの、ぼろい長屋だろうが」


 マンゾウの、彼女を抱く力が、ぎゅう、と強くなったところで、遂にセンは号泣した。亭主に縋り付き、何度も、何度も謝罪しながら、子供のように泣きじゃくったのだ。


 虫の声は、既に聞こえなくなっていた。


 泣き声が、二人分になったのだから。


 


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