あやまち 13
「ごめんねマルティエ! 少し、遅くなっちゃった」
西町にある喫茶店「ばれん茶屋」の一室に、三十路ほどの女が駆け込んできた。黒髪黒目の、実に地味な造りの女であったが、だからこそ、少々、息を切らし、上気した肌には、どことなく、色香を感じる男も多いであろう。
「ううん、いま来たところ……こっちこそ、ごめんね、忙しいのに、急に呼び出しちゃって」
迎えたのは、赤毛の女である。こちらは、中々に愛嬌のある女性で、先の女性と、そう変わらぬ歳である筈なのだが、未だ溌剌とした活力に満ちており、四、五歳は若く見えるであろうか。
(……どうして、女ってやつは、いつも入り口で話し込むのだろうか)
六畳ほどの個室が連なる、ばれん茶屋であるのだが、彼女らは、襖も閉めずに、何やら世間話に夢中であるのだ。囲炉裏を囲む長机に肘をつき、御用猫は、女性達を眺めつつ、どうしたものかと悩み始める。
「それでね、うちの子ったら、トカゲのしっぽが取れるって知らずに、泣きながら……あれ? 」
ふと、御用猫と、マンゾウの妻、センの視線が絡み合う。驚いた様子の彼女を見て、マルティエも本題を思い出したのだろう、短く声を上げて、口元を手で押さえた。
「……マルティエ? ちょっと、私、そういうの困るんだけど……人数合わせなら、他の人を……」
「え? ……あっ! ち、違うの、そうじゃなくて、あの、ほら」
客商売をしている割には、咄嗟に口の回らぬマルティエに、御用猫は苦笑を漏らす。しかし、センの疑念は、彼の横に座る人物を目に止め、解消されたようだ。
「あれ、ハボックさん……よね、あぁ、いつも、うちの主人がお世話になってます、今日はどうして、こんな所に? 」
ようやくに敷居を跨いだセンは、囲炉裏を挟んで向かい側に腰を下ろした。襖を閉めたマルティエも、何か、気まずそうな視線を御用猫に向けながら、その隣に座る。
「えぇと、マルティエ、こちらの方は? 大井屋の人かしら……あ! もしかして、再婚するの!?」
「ち、違うったら! ちょっと、待って、説明させて! 」
慌てふためくマルティエの姿など、滅多に見られるものでもあるまいと、御用猫は笑いながら眺めていたのだが、今から話さねばならない事を思い出したのだろう、ひとつ咳払いをすると、真面目な顔を作り出す。
「初めまして、奥さん、私は、辛島ジュートと申します」
「辛島……あの、ひょっとして、辛島ジュートさま、でしょうか? 」
おそらく「名誉騎士の」と聞きたかったのであろうが、緊張の為か、センは鸚鵡返しに、彼の名を繰り返しただけであった。一般人にとっては、たとえ警察騎士とて、何か近寄り難いものである、ましてや、それが巷で話題の名誉騎士ともなれば、畏まってしまうのも仕方の無い事であるだろう。
(面倒な名になってしまったが、しかし、知っているなら、話は早いな)
「そう思って頂いて構いませんよ、ですが、緊張する程の男ではありません、どうか、ゆるりとなさってください……実は、少々、伺いたい事がありまして、騙したようで申し訳ありませんが、呼び出させて頂きました」
御用猫の表情は、実に柔らかなものであり、これが演技だと理解している筈のマルティエですら、少々、目を合わせ辛い優男ぶりなのである。
「あの! 誤解です! 」
しかし、センは何か勘違いしたものか、膝立ちになって声を上げた。テーブルについた両手を、胸の前で組み直し、御用猫に向けて、哀願するような視線を投げるのだ。
「うちの人は、そんな、悪さをするような度胸なんて! 少しだけ、口は悪いかも知れませんが、真面目で、優しいひとなんです! 」
彼女には、思い当たる事があったのだ、ここ最近の、亭主の態度、あれは、何か後ろめたい事があったのではないかと。しかし、だとしても、たとえば犯罪に手を染めてしまったのだとしても、誰かに強要されたに違いないのだ、そう、彼女は、脳内にて線を繋ぐ。
「辛島さまのお噂は聞いてます! でも、きっと、何かの間違いです、マンゾウは、主人は、そんな男じゃ」
「セン! 落ち着いて、そうじゃない、そうじゃないから」
服の裾を掴んで、マルティエが必死に宥める。彼女は、友人にお茶を勧めると、背中をさすりながら、ゆっくりと説明し始めた。
「ハボックさんはね、昔、辛島さんの従士をしててね、今でもお付き合いがあるの、それで、ハボックさんはうちのお得意様だから、それで、私も辛島さんと知り合ってね」
これは、御用猫がマルティエに言い含めていた設定なのだが。
(別に、無理してそこから説明する必要は……まぁ、センが落ち着いてくれるなら、回りくどい話も、構わぬか)
案外、マルティエも緊張しているのかも知れないな、などと、御用猫は呑気に考えていたのだが、およそ一般人にとって、こういった状況は慣れぬものであり、リチャード少年のように、最初から淀みなく対応出来る方が、異常なのだ。
「奥さん、今日は、貴女にこそ、話があるのですよ……しかし、その前に、先程見せた、夫への愛情、信頼、それが、まことである事を、私は切に、期待します」
そう、前置きして、御用猫は話し始めた。
イスラ子爵の、家督相続の話までは、センも、頭に疑問符を浮かべるばかりであったのだが、その跡取り息子の名前が「ヒャッコ」だと聞いた瞬間、彼女は短く悲鳴を上げ、自らの両腕を搔き抱いたのだ。
「そんな……うそ……いまさら、うそ、嘘よ……」
「これは、確かな情報です、私は、たまたまハボックから、貴女達夫婦の話を聞きました、その場に居たマルティエが、貴女の友人だったとは、何とも奇縁……しかし、奥さん、貴女の家に、イスラ子爵の手が伸びるのは、およそ、明日かも知れぬ事なのです……良いですか、我々は、今日、貴女とは会っておりません、当然、口外もしません……あとは、どうか、悔いなきように」
センは、俯いたまま、震えるばかりであった。
「猫の先生、あとは、私が残りますから……」
「っ、マルティエ……いや、済まないが、任せる」
御用猫は、無言のハボックと連れ立って店を出る。ついに、ハボックが口を開く事は無かったが、これは、己の存在を、極力消していたのだろう。
(保身ではなく、センの気持ちを慮って、だろうな……だが、わざわざ同席したのは、マルティエだけが、非難される事の無いように、か)
「……優しい男だな、ハボックは」
「は? それは、どういった」
訝しげに、初めて口を開いたハボックは、眉根を寄せて、御用猫を見つめてくるのだ。
「ふふ、それ、伝わらぬであろうが、以前のお前は、こうであったのだぞ」
「……これは、何とも……しかし、辛島殿は、顔に出ぬのですから、きちんと、言って頂かなくては、分かりませぬ」
少しだけ、気を取り直したのか、ハボックは僅かに笑うのだ。
「さてな、自分で考えてみろ……んんっ、しかし、後はもう、夫婦の問題だろうな……ま、イスラ子爵については、ついでだ、みつばちに見張らせとこう」
「ふふ、辛島殿とて、相当なものでは、ありませぬか? 」
こいつめ、と肩を小突き、御用猫はもう一度、のび、をする。まだ日は高いが、ハボックも仕事を休んでいるのだ、面倒事を忘れる為にも、どこか、遊びに行くのも、悪くないだろうか。
「そうだな……つる草は、なんか嫌な予感しかしないし、いのやも……なんか怖いなぁ……よし、久し振りに、クロスルージュにでも、顔出すか」
「構わぬのですか? 」
「鬼の居ぬ間になんとやら、さ……俺が優しいなどと、思わぬ事だぞ、ハボックよ」
にやり、と笑う御用猫であったのだが。
「いえ……その、鬼なら、先程から、辛島殿の、うしろに」
一瞬、心臓の跳ねた御用猫である。しかし、慌てて振り向いたその先に居たのは、黒髪を馬尾に纏めた、矢絣に袴姿の少女であった。
「ちっ、小鬼の方か! あばよハボック! 俺は消えるから」
脱兎の如く駆け出す御用猫を、忿怒の形相にて、サクラが追い掛ける。
「誰が小鬼ですか! 待ちなさい! ミザリに聞いて、わざわざ探しに来たというのに! ちょっと相談事があったというのに、ゴヨウさんは、いつもいつも……って、速っ! 待ってください! ほんとに、ちょっと、速い! 」
ある程度引き離し、しかし、サクラが近寄るまでは足踏みをする御用猫である。揶揄われていると気付き、更に少女の怒りが増してゆくのだ。
「ははは、何とも、仲睦まじい」
彼らの姿が街並みに消えるまで、ハボックは、それを見送り。
「いつかは、私も、ああした関係に、なりたいものです……」
ぽつりと、零すのであった。




