あやまち 12
からころ、と木扉の鈴を鳴らし、一人の女が入店してくる。身長は高く細身、艶やかな黒髪に切れ長の目、年若ではあるだろうが、周囲に、えもいわれぬ色香を漂わせる女性であった。
春らしい、よもぎ色のワンピースは丈の短いものであり、すらり、とした健康的な白い脚を、惜しげも無く晒している。しかし、不思議な事に、店主のマルティエは、ちらり、と一瞥したのみで、この入店客に声をかける事なく、女性もまた、視線を合わせずに、一直線に、その目的地へ向かうのだ。
「先生、あなたの愛しいみつばち、只今戻りました」
「どちら様ですか? 」
階段横の指定席、御用猫の隣に腰をねじ込み、みつばちは、彼の膝から黒エルフの少女を追い落とす。鼻から高い音を吐き出し、不平を表現する少女を無視すると、そのまま彼女は、男の胸に縋り付くのだ。
「マンゾウの妻、センについて調べがつきました、多少、手間がかかりましたが、昔の男の名前が知れていたのは、幸いでしたね、しかし、他人事とはいえ、馬鹿な真似をしたものです、それで、その男にについてですが……」
「いや、聞けよ」
ぺちん、と額を叩くと、小さく声を漏らし、みつばちが顔を仰け反らせる。
「誰だ、お前は、妙ちきりんな格好をしやがって」
「愛人の顔も忘れてしまわれたので……あ、今のは無しです、なしなし、私にも女の意地があるのです、自ら負けを認め、あぅっ」
再び額を叩いたのは、黒雀であった。
「まけいぬ、みぐるしい、わたしに、ひれ伏す」
「なんだとこの野郎、愛玩動物の分際で正妻気取りか、黄雀と交代させてやろうか」
膝の上で揉み合い始めた二匹のくノ一を、長椅子の端に追いやると、御用猫の前に、マルティエが小皿と水差しを追加した、これは、みつばちの分であろうか。
「先生、私が言ったんですよ、みつばちったら、姿を隠して摘み食いばかりするんだもの、しばらく普通に出入りしなさいって」
「あぁ、成る程……というか、マルティエの言う事は素直に聞くんだな、よし、もっと言ってくれ」
「ふふ、またそんな事言って、素直な子ですよ、この服もね、私のお下がりなの」
ほう、と御用猫は隣で揉み合い、少々危ない所まで見えてしまいそうな尻を振るみつばちと、マルティエに、交互に視線を走らせる。大人しめの服装を好むみつばちが、短いスカートなどと、珍しいとは思っていたのだ。
「ふぅん、マルティエも、昔はこんな服を着てたんだな……へぇ」
その視線から、御用猫が、現在の彼女に、脳内で着せ替えをしているのだと察し、マルティエは思わず、丸盆で太腿の辺りを隠すのだ。
「ちょっ、先生! もぅ、やめてくださいったら、恥ずかしい」
顔を赤らめ、ぱたぱた、と逃げるように、彼女はカウンターの奥に戻って行った。
「ははは、なんとも、可愛らしいお方ですな」
「だろ、正直、嫁にしたい」
御用猫の向かいに座るハボックが、猪口を片手に笑顔を見せる。今日からニムエも、教会に泊まり込みで、式の準備を手伝っているのだとか。
「嫁と言えば、しかし、ニムエに裁縫の技があったとはな、助かるよ、あまり接点も無いと言うのに、申し出てくれて」
「いえ、先日、リリィアドーネ殿と教会に行き、針子を探していると聞いたそうで……彼女は、ああした事が好きなのですよ……花嫁修業を、していたのでしょうね……」
ふと、表情に陰を落とすハボックに、御用猫は、そうか、とだけ、短く返す。マンゾウもそうであるのだが、やはり、男にとって、自分の女に昔の男の影がちらつくのは、堪え難いものがあるのだろう。
(正直、よく分からんな……)
御用猫個人としては、今、自分に尽くしてくれているのなら、それで充分であろうと思うのだ。仮に、彼がマルティエと一緒になったとして、彼女が、心の内で昔の亭主を好いていたとて、それはそれ、だと思うであろう。
「……ま、人それぞれか」
「私は、先生一筋ですよ」
いつの間にか喧嘩を中断し、膝の上に黒雀を乗せたみつばちが、御用猫に酌をする。相変わらず、此奴らには心は読まれているようで、御用猫は少々恐怖を覚えるのだ。
「心を読むな、怖いから……んで、報告は? 」
「はい、カンナ様の忍耐も限界のようで、最近は猫の先生の人形を、縛ったり吊るしたり……取り返しのつくうちに、顔を出すのが、宜しいかと」
「そんな報告はいらな……え、ちょっと待って、なにそれ超こわい」
いのちまでは、取られまい、と後回しにしていたのだが、これは、いよいよ危険であろうか。なにやら、胸の辺りに痛みを感じ、よもや、人形に針でも刺されているのではないかと、御用猫は身震いするのだ。
「センの元男、ヒャッコは、イスラ子爵の長男でした、大層な遊び人のようで、まぁ、そういう事でしょう、しかし問題は、いまだ遊び癖が抜けておらぬようで……跡目問題が深刻な様子、過去の女の洗い出しを、家内で進めております」
「む、それは……面倒だな」
問いを無視された御用猫であったが、確かに、これは問題であろうと、顎に手をやり、考え込む。ハボックも、当然に気付いたのだろう、目を閉じて、思索を始めた。
手を付けた女を捜しているのは、イスラ子爵が、ヒャッコに爵位を譲る為であろう、代替わりの前に、次期当主の醜聞を、その芽を潰すつもりなのだ。マンゾウの息子に至っては、彼と同じ名前なのである、たとえ、血が繋がっていなくとも、嫌疑をかけられるのは当然といえるのだ。
「これは、隠しきれるものでは無いぞ、今から名前を変えるにしても、色々と時間がかかる、果たして間に合うか……」
「先生、これは、事が発覚するより先に、マンゾウ夫婦に話し合いをさせるべきですか」
御用猫としては、時間をかけて、少しづつ、マンゾウに飲み込ませるのが最善かと考えていたのだ。彼にとっては、貧乏くじ以外のなにものでもあるまいが、ハボックから聞いていた話では、評判のおしどり夫婦だったというのだ、真っ当な家族を知らぬ野良猫には、それを壊すのが、忍びなかったのである。
「うぅん、こうなれば、致し方無し、であろうな……ハボックよ、マンゾウは、冷静に話の出来る男か? 」
「……正直、あまり、口の立つ男ではありません、言葉に詰まれば、感情が先に出るかと」
「そうか……お前が同席する訳にもいくまいし……センの方に、それとなく情報を流してみるか……? 」
妻の方から告白させるのも、一つの手であろうか、しかし、十年以上の隠し事、今更過去の話を持ち出させるのは、中々に難しい事であろう。
「それについて、先生、ひとつ、情報はあるのですが……その」
「なんだ、何かあるのか? お前が口ごもるからには、言い難い事であろうが、役に立つかも知れぬ、教えてくれ」
全くの他人事だというのに、いつの間にか、親身になって考え込む御用猫に、みつばちは、その薄い表情に、確かな笑顔を見せたのだ。
「はい、先生……実は、そのセンという女ですが、マルティエとは旧知の間柄、ということです」
「なんと……うぅん、これ程までに、世間は狭いのか」
御用猫は、彼女を探し、視線を奥に向けるのだが。
知ってか知らずでか、マルティエは、カウンターから頭を半分ほど覗かせ、未だ恥ずかしそうに、こちらの様子を伺っていたのだった。




