あやまち 8
「ふぅん、なんか、大変そうだな」
ハボックからの相談を受けた御用猫であったのだが、彼の反応は、少々、他人事にも見えるだろうか。
「正直、私も、同じ気持ちなのです、こればかりは、当人の心次第でありましょうから」
「だなぁ、確かに、答えは簡単なのだ、別れるか、別れないか、二つに一つ、さ……これは、納得の問題だろう……マンゾウとやらが、どちらを選ぶにしても、収まりはつくまいよ」
くい、と猪口を空にし、御用猫は手酌にて酒を注ぎ足す。既に薄酒は売り切れ、通常の清酒が運ばれてきている。
「……ですが、それでも、マンゾウには、何とか、収まりをつけて欲しいのです、これは、私の我儘とは理解しているのですが……どうにも、他人事とは思えぬこと、なれば」
「そうだなぁ、男が全てを飲み込めば、丸く収まる話ではあろうが……少々、酷、では、あるかなぁ」
今のところ、真実を知ってしまったマンゾウは、それを女房に打ち明けてはいないらしいのだ、確かに、彼がこのまま、その事実を受け入れ、全てを無かった事にすれば、この話は終わりであろう、時間はかかろうとも、元の幸せな家庭に戻ることは、可能やも知れぬのだ。
「猫の先生……先生としては、どうされるのが、一番良いと思われますか? 」
「そうさなぁ……その立場にならねば、分からぬ気持ちもあるだろうし……しかし、ひとつ、言える事はな……せっかくの幸せを、自ら壊す事は無い、だろうな……なぁ、ハボックよ、お前には言ったが、時間というのは、万能薬なのだ、今は苦しくとも、時が経てば、それなりに、痛みは薄れるだろう……しかしな、壊れたものは、元には戻らぬ……マンゾウが、自身の気持ちに、けり、を付けるならば、取り返しのつかぬ、傷を負う事になるやも知れぬのだ」
「私のように……ですか」
「お前のは、まだ、取り返しのつく傷さ……少なくとも、お前達は、死んでいない」
御用猫の言葉に、ハボックは杯をとめ、しばし考える。どうにも、目の前の男の、基準が分からぬのだ。
「先生……私には、分かりません、マンゾウの問題には、生き死になど関わっていません……私とは、違います、私は、親友を手にかけた私は、既に取り返しのつかぬ男なのです……今更、私が何をしたとて、ラースは、もう、戻ってはこないのですから」
「生き死にの問題じゃないさ」
くい、と杯を空け、御用猫は、ハボックの目を、真正面から見詰める。その瞳には、何か、不思議な色が湛えられており。
(これだ、この、色……これが、私を、惹きつけてやまぬ)
ハボック ヘェルディナンドが、生き恥を晒してまでも、縋ろうとした、そして、再び立ち上がろうと、その、決意を促した、光でもある。
「こころの奥底に、意志があるかどうか、さ……薄汚い野良猫には、分かるんだよ、それは、眩しいからな」
答えは、やはり、ハボックにとって、理解し難いものであったのだが、不思議と、そう、腑に落ちるものであった。
「とりあえずは、話を聞いてやる事だ、肚の中には、あまり、貯めぬ方が良い……消化には、時間もかかろう」
「了解しました、彼の事は、気に留めておきます」
真面目に頷くハボックに、御用猫は笑みを見せる。しかし、自分の周りには、なんと真っ直ぐな人間ばかり集まるのか、と。
「お前もそうだぞ、考える時間は充分にあっただろう……何も、ラースの代わりになれと言っている訳ではないのだ、ハボック ヘェルディナンドとして、ニムエを愛してやれば良い……彼女を受け容れたのは、そういう事ではないのか? 」
「……そう、簡単には、いきませぬ」
「まぁ、それも、お前次第さ、時間はあるのだ、少しづつ、な……無責任な野良猫とは違うのだ、人は、誰しも、抱えて生きるものさ」
いつものように、軽い発言ではあるのだが、ハボックとて、御用猫の、その言葉の裏に、一体どれだけの重しがあるのか、予想が付くだけの間柄には、なってきているのだ。なればこそ、彼は頷き、それを真摯に受け止める事ができた。
「まぁ、ちょいと、調べてみるか……さんじょう、いるか? 」
マンゾウの妻について、少々、洗い出してみようかと、御用猫は、側に居るはずの志能便に声をかけたのだが。彼の冗談に過剰反応したくノ一は、突然に気配を現すと、長椅子に腰掛ける御用猫を押し倒し、ばしばし、と一頻り叩いた後、彼の口に吸い付いてきた。
「ぐぅ……ぷはっ、やめろ、ほんの冗談だろう、いたら良いなと思っただけだ」
「冗談にも程があるでしょう、と、そう言いたいのです、いくら私が健気な女だとて、言って良い事と良い事があります、というか、少しは甘い言葉でも囁けよ、そしたら直ぐに襲えるよう、こちとら、いつでも準備は出来てるんですからね」
「うわぁ、めんどくさい」
ぎりぎり、と、覆い被さるみつばちを押し戻し、御用猫は身を起こす。しばらく見ないうちに、何やら、押しが強くなったような気もするのだ。
(これは、間を空けすぎたのか……この分では、カンナに会うのが、恐ろしいな)
いのやに行く時には、少し、気合を入れねばならぬかと、御用猫は覚悟を決める。袖で口を拭うと、厄介な志能便に、簡単に説明だけをしておく。
「個人的な調べだし、別料金で頼む、気付かれなければ、直接に接触してもかまわないから」
「了解しました、お任せください」
ぴたり、と隣に居座り、彼に酌をするみつばちに、御用猫は杯を受けながら、片眉を上げる。
「……長居し過ぎたし、そろそろ、綺麗どころが乱入してくるから、出て行ってくんない? 」
今宵は、ハボックと二人、のんびりとしようと決めていた御用猫は、この邪魔者を追い出そうとしたのだが。
「……猫の先生、私は、尽くす女なので、先生の危機には、必ず尽力する所存ではございますが……流石に、さっきのは、かちん、と、きました、なので、今回はお助けしませんから、悪しからず」
「なんだよ、臍を曲げたのか、悪かったよ、明日トウモロコシやるから、機嫌直せよ」
ぷい、と顔を背けるくノ一に、しかし、御用猫は、いつもの事だと、高を括っていたのだ。個室の木扉がノックされ、美しい女性達が入室してくるまでは。
「やぁ、しまった、もう、こんな時間であったか、しかし、折角に来て貰ったのだから、このまま……返すのは……」
「……返すのは、何なのだ? 」
「……ハボックぅ、いい、お店だよねぇ、こんな所で、遊んでたんだぁ、ふぅん」
確かに、美しい女性達であったろう。
店に出たとて、人気になるとは、限らないのだが。
「あいたー」
額を押さえた御用猫は、自らの運命を悟ったのだ。
明日には、誰かに、人生相談せねばなるまい、などと思いながら。




