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続続・御用猫  作者: 露瀬
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あやまち 7

 ハボック ヘェルディナンドが、大井屋の同僚、マンゾウから話を聞いたのは、奇しくも、かつて彼が、御用猫に内心を打ち明けた、その時と、同じ部屋であったのだ。


 話す度に顔の彩度を落とし、声を震わせ、遂には啜り泣きにも似た調子であったのだが、ハボックは最後まで口を挟まずに、マンゾウの話に、じっと、耳を傾けた。


(あぁ、以前の私も、きっと、このような、さま、であったのか)


 酔わせてしまっては、正確な情報を聞き出せまいと、あまり酒を勧めたくはなかったのだが、普段は明るい同僚が、この様に憔悴してゆくのは、(はた)で見ている彼にとて、どうにも、辛いものだったのである。


「仕入れの途中で、たまたま見かけた妻を、悪戯心で覗いていたと……しかし、マンゾウ、その話、勘違いでは、ないのか? 」


 一通り話し終え、俯き加減の男に、ハボックは尋ねる。敢えて聞いたのは、そうする事によって、彼にもう一度、当時の様子を確認させる為であった。


「自分ひとりの思い込み、などという事は、往々にしてある事だ」


「……間違いねえよ、そりゃ、俺だって信じたくねぇさ、でもな、あの店は、おせんの奴が、若い頃に贔屓にしてたとかで、俺も連れて行かれた事があるんだ……それによ」


 ハボックの足した酒を、マンゾウは一息に呷る。酒精の混じる息を、ゆっくりと吐き出し、ぽつり、と零すのだ。


「俺が、あいつを……惚れた女を見間違うなんて、声を聞き間違えるなんて、あるわきゃ、ねぇんだ」


「……そうか」


 大きめのカーテンで外は見えぬが、窓から差す明かりは、そろそろ、夕暮れを伝えていた。念の為に、人が入らぬ様に頼んでおいたのだが、これ程話が長引くならば、これは正解であったろう。


「……もう、センさんに、その事は伝えたのか? 」


「言えるわきゃねえだろうよ! 」


 がた、と立ち上がらんばかりの勢いを見せたマンゾウであったが、直ぐに謝罪し、頭を抱えて座り直す。


「……言えるわきゃ、ねぇよ……」


「マンゾウ……」


 ぐしぐし、と、短めの黒髪を掻き毟り、しかし、ふと、その手を止めたかと思えば、小さく、鼻から抜ける様な笑いを零す。


「ふふ、おかしいだろ、怖いんだよ、俺は……今まで一緒に暮らした女の事をだぜ……信じてる、つもり、だったんだがな……」


「私の目から見ても、いや、付き合いが浅いとはいえ、だからこそ分かる事もある、二人は、愛し合っているように見えたのだ……そう、わた……」


 私とは違って、という言葉を口にしかけ、しかし、それを、ハボックは飲み込んだ。何故なのかは、自分でも分からない、ただ、それを口にする事を、形にしてしまう事を、無意識のうちに、彼は拒んだのだ。


「そりゃ、俺だって、そう思いたいよ……ただな、少なくとも、俺があいつと一緒になった時には……まだ、おせんの気持ちはな、前の男にあった、って事なんだ……自分の息子に同じ名前をつけるくらいさ、よっぽど好いてたんだろう……いや、ひょっとしたら、さ……」


 ぶるぶる、と震える手で、マンゾウは手酌するのだ。狙いがそれて、猪口から酒が溢れ、木製のテーブルに染みをつくる。


「ヒャッコは、俺の、息子は、もしかしたら……」


 持ち上げたままに、震える猪口の水面を見つめ、マンゾウは、それに口をつける事さえできぬ。


「マンゾウ、それは、いかぬ」


 思い至ったハボックは、彼の思考を遮るのだ。しかし、彼の疑念は、既に生まれてしまっていた、手の震えは猪口に伝わり、水面を激しくざわつかせる。


「……俺の、子じゃ……無いのか」


「マンゾウ! 」


 遂に酒器を取り落とした男に、ハボックは叱責するのだ。憶測で判断して良い事では、あるまいと。


「マンゾウ、少し飲み過ぎだ……今日は送ってやるから、直ぐに床に着くのだ……人間はな、悪い事を考えてしまうと、頭の中が、それ、ばかりになってしまうのだ、恥ずかしながら、以前、私も、同じような事を経験した、それは、良くない」


「……そう、だな……すまねえ、なんか、ちっと、話し過ぎた」


 ハボックの声に、多少、冷静さを取り戻したのか、もしくは、最悪の予想にたどり着いてしまったからなのか、マンゾウの手の震えは止まっていた。


「いや、先ほども言ったが、ひとりで考え込むのは、良くない、そして、迂闊に動くのもだ……なぁ、マンゾウよ、約束して欲しい、今の話、センさんに打ち明けるのは、少し待ってくれ、話し合うのは大切だが、まずは、気持ちに整理をつけてからだ、これから、どうしたいのか、どうするべきなのか、子供の事もある、感情に任せて、先走らないで欲しいのだ……私にできる事ならば、必ず協力しよう、相談にも乗る、だから……決して、結論を、急がないでくれ、頼む、この通りだ」


 彼の肩をつかんで頭を下げる男の、その、余りの必死さに、マンゾウは、気が抜けてしまったのか、小さく噴き出した。


「ふは、なんだよ、そんな顔しやがって……変わりもんだって噂だが、こりゃ、確かに、変わってらぁな」


 ぐい、とハボックの身体を離し、マンゾウは支払いの為に、懐から財布を取り出す。変人を促し、部屋から出る寸前に、彼は、小さく告げた。


「……こんなお人好しは、滅多にいるもんじゃねぇよ……聞いてくれて、ありがとな」


 振り向いたマンゾウの、少し、陰のある笑顔は、ハボックの記憶から、かつての友人を、その、最期に見せた表情を、思い起こさせるのだった。





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