うでくらべ 5
御用猫は、いのや、の大広間で、改めて昼食をとっていた。リリィアドーネが膝から逃げ去った為、今は自力での摂食となっていたが、空白となったその席には、替わりとばかりに、草エルフが寝そべっていたのだ。
逃げ出した串刺し王女の方はといえば、先程から隅の方で膝を抱え、なんたる不覚、だの、ふしだらな女、だのと、真っ赤な顔にて、呟き続けている。
一方、仰向けに転がるマキヤは、裾の短い黄色の小袖から、健康的な脚と、だらしなく拡げた胸元からも、惜しげなく褐色の肌を放り出している。何が楽しいものか、御機嫌な様子であり、じたじた、と身体を捻っては、彼の下から、美味いか、美味いか、と問いかけ続けるのだ。
「あぁ、今日の炊き込みは絶品だよ……これは、あれだな、鳥の骨から出汁をとったのか、手が込んでるなぁ」
「おぉー、分かってくれた? 鳥皮は炙って刻んであるんだよ」
ほほぅ、と御用猫は、満足気に頷くのだ。元々、いのやの遊女は、大女将の方針にて、家事の仕込みは充分であるのだが、マキヤの作る料理は、あまり味に頓着の無いエルフ族とは、到底思えぬ仕上がりであろうか。
「どうせまた、たっぷり、絞られてるだろうと思ってね、精のつくものを用意したんだ、褒め称えろよ、ワハハ」
「ありがとおかん」
どすどす、と、腹に頭突きを受けながらも、御用猫は料理を完食するのだが、彼が箸を置いた途端、マキヤは、しがみつくように絡んでくる、これは構って欲しいのか。
「もう、マキヤ姉さんたら、猫の先生の邪魔しちゃ駄目ですよぅ……先生、リリィ様は、何かお話があるんじゃないですか? 」
ずるり、と、草エルフを引き剥がしたのは、白金髪に碧眼の美女である。女性としては長身の部類であるその肢体には、女性としても最上級であろう肉置きを、たっぷり、と乗せ、あいも変わらず、堪らぬ色香を周囲に振りまいている。
「ぬわー、離せづるこー、片付け変わっておくれ」
づるこ、と呼ばれた遊女は、暴れる草エルフを、その豊満な胸に抱え込む。いつもの得意客を見送ったものか、風呂上がりの髪は数条、ぽってり、とした唇に張り付き、その姿は、激戦を終えたばかりの御用猫にすら、なにか、湧き上がるものを覚えさせるのだ。
(そういえば、あのご贔屓さんも、随分と長いな……そろそろ、身請けの話でも出ているだろうか)
彼女ほどの器量良しならば、そういった話が出るのも、全くに、不思議では無いだろう。
「相変わらず、づるこは人気者だな、こちらとしては、些か、寂しくはあるが」
「まぁた、先生はそんなこと言ってぇ、寂しいのは、こちらの方ですよぅ」
くすくす、と笑いながら、づるこはマキヤを引き摺り、去って行く。彼女らは、これから掃除と片付けを行い、しばし心と身体を休めた後に、また今宵も、男達に一夜の夢を与えるのだろう。
苦界に生きる彼女らとて、しかし、他者の命を奪い糧とする、卑しい野良猫などよりは、はるかに、真っ当な生き方であろうか。
御用猫は、溜息をひとつ吐き出し。
「……猫よ、少し、話が、あるのだが」
ぎりぎり、と肩に食い込む指先の、その持ち主を、どうあしらおうかと、考えを巡らせるのだ。
「それで、何の話だって? 」
「う、うむ、そのな、大した事では、無いのだがな」
大通りを並んで歩き、二人は公園の一角に腰を落ち着けた。クロスロードには、こうした公園や空き地が点在しているが、これは、市民達の憩いの場、というだけでなく、災害時の避難場所や、万一の戦闘を想定した防衛箇所でもあるのだ。
よくよく周囲を眺めれば、こうした場所には緊急用の落とし門や、弓狭間が確認できるであろう。
(まぁ、このクロスロードまで、攻め込める敵がいるとも思えぬが、な)
「その、な、いや、私には、もちろん、そのようなつもりも無いのだが、たまに、こう、言い寄ってくるというか、その、困ったものなのだ」
(しかし、確かに、この先も平和が続くとは限らないか……ロンダヌスは軍備を増強するばかり、西方も小競り合いが絶えぬと言うし、東方は……どうかな、今頃は、もう、落ち着いているだろうか)
「わ、私には、おま、お前という、な、心に決めた、その、そう、ひと、がいるのだが……しかし、そうだと、な、公言している訳でも無し、やはり、叔父上との繋がりを求めているのだろうか、全く、困ったものなのだ」
濃緑のローブを、フードまですっぽりと被り、もじもじ、と指先をこすり合わせるリリィアドーネは、端から見れば、呪術師のようでもあるだろう。黒皮の戦闘服に身を包んだ御用猫と並べば、旅の傭兵か何かとしか思われぬのだ。
「……猫よ、聞いているのか? 」
「もちろんさ、ただ、リリィの美しさに見惚れてしまえば、話は半分、といったところかな」
普段であれば、真っ赤に染まって固まるか、もしくは、軽い、と抗議してくる筈であったのだが。しかし、今日の彼女は、少しだけ目を伏せると。
「……たまには、ちゃんと、聞いて欲しいのだが……」
先程まで、擦り合わせていた両手を握り、リリィアドーネは、どこか悲しげに、ぎこちない笑みを浮かべた。
「む、済まない、悪かった……そうだな、断りきれない縁談なら、机ごとひっくり返しに行こう、しつこく言い寄られているなら、やっつけてやるさ……まぁ、勝てるかどうかは、知らないけどな」
はっ、と顔を上げた彼女は、目を瞬かせ、何か驚いた様子である。
「……聞いていた、のか? 」
「半分ほどな」
そういって笑う御用猫の腿を、リリィアドーネは、文句を言いながら、ぎゅうぎゅう、と掴んでくる。もしも、彼女が顔を隠していなければ、公園を歩く者達から、生温い視線を投げられた事であろうが、今は黒猫と緑のてるてる坊主が、じゃれ合っているようにしか、見えぬであろう。
「だが、こうして相談してくれるのは、素直に嬉しいよ、また、いつぞやのように、黙って抱え込まれてしまっては、こちらも手の出しようが無いのだ……それは、困るな」
「うん……分かってる、ありがとう……あ、いや、でも、それはお互い様だろう、猫は、少しばかり、私に隠し事が多過ぎるぞ」
あれもそう、これもそうだと、文句を言い始めたリリィアドーネは、しかし、不意に、ぴた、と動きを止めるのだ。
「あ、あの、その……猫は、その、私が、他の男に、その、そういった事をな、言われたりしたら、その……どう思ったり、する、の? 」
「ん? そうだな……」
顎に手をやり、しばし、御用猫は考える。もちろん、彼自身は、リリィアドーネに誰が求婚しようと、モンテルローザ侯爵が、彼女にどんな縁談を持ち込もうとも、彼女が心からそれを承知するならば、それに口を出すつもりも無いし、そもそも、そのような権利など、ただの野良猫には、端から無いのではあるが。
その、薄青い瞳を濡らし、何か期待に満ちた、そして、どこか不安そうな顔にて見つめられてしまえば、もう、こう口にする他には、無いのである。
「……可愛いリリィに手を出す奴は、ぶっとばしてやろう、と思うかな? 」
「ぎゅぅ」
両手にて、濃緑のフードを鼻の下まで下げた彼女は、そのまま、御用猫の肩に寄りかかってくる、足の指先まで、ぴん、と伸ばし、交互に地面を叩く事で、その喜びを表現するのだ。
呆れたように笑いながら、彼女の頭を撫でる御用猫は。
(まぁ、今は、これで良いか)
彼女の瞳の如くに、透き通る空を見上げたのだった。