あやまち 3
「此度の一件、まことに、申し開きのしようもありません」
サクラの家族を前に、御用猫は額を床に落とし、動揺する彼女の父、レーヴ マイヨハルト子爵の姿を収める事もない。
マルティエの不在に、心底気力を無くしてしまった御用猫は、サクラに引き摺られるようにして、上町にあるマイヨハルト邸を訪れていた。そろそろ、陞爵の噂も流れるサクラの父であるが、元々は貧乏男爵家の出であるという。
(なるほど、これは、サクラが庶民的なのにも頷けるか)
これが、青ドラゴン騎士団団長の邸宅とは、到底思えぬ質素な建物である。これならば、アルタソマイダスの館の方が、まだ、金がかかっているだろう。
しかし、そこは堅苦しい事を嫌う卑しい野良猫である、見事な装飾など息詰まるばかりで、広くはあるが、こうした素朴な造りの館ならば、お招きにあずかるのも。
(……まぁ、悪くないかな)
とはいえ、今、マイヨハルト子爵に会えば、必ずに、開口一番の長説教である。面倒事を嫌う御用猫は、家令に案内され、客間で顔を合わせるや、先手を取って土下座したのだ。
「からっ……う、うぅん、ゴヨウ殿、これは一体、何事か、今日は夕餉を共にしようと思っていただけで、その様な謝罪を受ける理由など……」
流石は、サクラの父親である。文句を言ってやろうと意気込んでいた筈なのだろうに、こうして出鼻をくじかれ、しかも、それが謝罪であったならば、途端に、何か罪悪感を覚えてしまうのだ。
「いいえ、私の罪は、許されざるものです、危険な旅に同行させながら、御息女を守る事が出来なかった……しかも、輿入れ前の柔肌に、傷を残してしまったのです……もはや、割腹以外に道は無し、しかし、その前に、一言詫びるのが筋であろうと考えました、こうして、恥を晒しに来たのも、それが理由なのです」
「……ゴヨウさん……」
頭を深々と下げる御用猫に、私服に着替えたサクラが、胸に手を当て、言葉を詰まらせる。
(よしよし、上手くいった、これで有耶無耶に出来ようか)
しかし、本当に有耶無耶にしたかったのは、彼自身の心である。
サクラの胸には、飛び魚で受けた刀痕が、十五センチ程、その、ささやかな乳房の間に残ってしまっていた。サクラとて剣士である、傷痕は誇りだと、さして気にした様子は無かったのだが、それでも、女性の肌に、消えぬ傷が残るのを、御用猫は嫌っていたのだ。
なので、彼は謝罪した。おそらく、自身でも気付いてはいたのだろうが、それは頭の中で搔き乱し、考えぬように誤魔化すのだ。
この謝罪は、あくまでマイヨハルト子爵の説教から逃れる為の方便であり、それ以外の意味はないのだと。
「ゴヨウさん! もうやめてください! 謝罪の必要などありません、あれは、ゴヨウさんのせいではありませんし、それに、友人を守って傷を負ったのです、私にとっては、名誉の負傷なのですからね、その手柄を奪うつもりなのですか、大丈夫です、私は大丈夫です、この傷も、ゴヨウさんとお揃いの様で気に入っていますから、とにかく、もう、やめてください! お父様も、よろしいですね! 」
「あ、ああ、勿論だ、それに、森エルフの特使からも、話は聞いているし、サクラが言うには、大切な役目を、立派にこなしたそうではないか、我が娘ながら、誇らしいと思っていたところだよ」
御用猫一行が、北嶺山脈に向かうと同時に、オーフェンは王宮に使節を寄越したそうである。外交特使の辛島ジュートが、山エルフの大トンネルに向かった事は、既に、アルタソマイダスの耳にも入ってしまっているのだとか。
(ぐっ、オーフェンめ、余計な事を……これは、明日一番に登城せねばならんな)
サクラに手を引かれ、御用猫は、沈痛な面持ちのままに立ち上がる。しかし、これは、全くもって演技ではないのだ、明日、アルタソマイダスに会えば、おそらくは山エルフとの外交特使まで命じられ、そのついでに、何か嫌味を頂く事になるだろう。
リリィアドーネや、ゆっこにも会わねばならぬ、当然、アドルパスにも挨拶するだろうし、ハルヒコやハボックとも話さねばならないのだ。それが終われば、北町へ赴き、式の準備の確認も必要だろう。
(ううむ、面倒を逃れ、羽を伸ばしに行った筈であったのだが……これは、いのやに行くのも、しばらく先になるかなぁ……)
大きく溜め息を零した御用猫の背中を、何か勘違いしたものか、サクラが優しく撫でる。彼女の母親は、口元を指先で隠し、にやにや、と少々はしたない笑顔を見せていたのだが。
「……その様な口先だけで、誤魔化されはせんぞ」
一人、鋭いままの目付きにて、きっぱり、と言い放ったのは、サクラの実兄、ヒノキ マイヨハルト。親子揃って黒髪と、灰黒の瞳は良く似ている、顔の造りも上々であろうが、やや小柄であるのが惜しいところか。
「お、お兄様、ゴヨウさんは……」
「サクラは黙っていろ……父上もです、ゴヨウと言ったか、話は良く聞いているが、つまらぬ男だ、まだ成人前の妹を無理に連れ出し、薄汚いドワーフ共の住処へ滞在させただけでも許しがたいと言うのに、その肌に傷を付けた、だと? 貴様、どう責任をとるつもりだ、その小汚い首のひとつ、なんの価値も無いぞ、サクラは来年成人だ、その頃には、父上も伯爵と呼ばれているだろう、今でさえ、数えきれぬ程の見合い話がある、貴様になど想像もつかぬ程の、大物からの話もあるのだ、それを貴様は……妹に初夜で恥をかかせるつもりか……それとも……」
ヒノキは、前髪を顔から払い、その切れ長の眼を、御用猫に見せ付けるように、睨みを効かせる。
「……貴様が、責任を取って、サクラを娶るとでもいうのか」
『ほわっ!?』
御用猫の左右から、同時に、驚きの声が耳に飛び込む。
(これは、思わぬ伏兵だ……しかし、こいつの家系は、みんな、こう、なのか? 家族会議などすれば、三日は紛糾しそうだな)
目論見を外された御用猫は、心の内にて溜め息を、もうひとつ。
「……彼女と、皆様が、それを望まれるのであれば」
『ほわぁっ!?』
左右の声は、その音量を上げたのだが、しかし、これは、ただの、吹っかけ、であろう。
「ふん、笑わせる「石火」の弟子だか知らぬが、貴様の如き平民に、マイヨハルトの名が名乗れるものかよ」
やはり、元々、そのようなつもりも無いのか、ヒノキは鼻で笑うと、手首の先を軽く振る。彼は続けて、何か言おうとしたのだが。
「ヒノキ、お客様に失礼が過ぎますよ? 」
「はい、母上」
先程まで、和かな表情を崩さなかった、サクラの母に、ちら、と視線を送られただけで、ヒノキは背筋を伸ばして座り直し、そのまま動かなくなったのである。
「ごめんなさいね、ゴヨウ様、まだまだやんちゃ盛りで……もう、十九になったというのにね、後で叱っておきますから、ささ、お食事にしましょう……美味しいご飯、食べ損ねちゃったんでしょ? 」
サクラの母が鈴を鳴らすと、テーブルの上に食事が運ばれてくる。さほど豪華な物では無さそうだが、腹を空かせた今の野良猫には、極上の餌に見えるであろうか。
(というか、なんでサクラと親父さんまで固まってんだよ、あのお袋さんは、そんなに怖い人なのか)
マイヨハルト家の闇を垣間見たようで、御用猫は、自身も姿勢を正すのだ。あれ、は逆らわぬ方が良い類の女であろうと。
「どう? 今日のは自信作よ、ゴヨウさん、良い日に来たわね、その七面鳥、私が育てたのよ」
「……いや、これは素晴らしい、私は、食べ物に関してだけは、世辞を言わぬ主義なのです、奥様の手ずから、ですか? この味、さては前日から漬け込んで……うぅん、生姜を入れたのですか」
「せいかーい、ふふ、嬉しいわ、うちの男達は、折角、手の込んだ料理を作っても、味なんかお構いなしなんだもの」
「いや、これは参った、サクラの母上が、これ程の遣り手だったとは……おい、サクラ、明日から道場に行かなくて良いからな、しばらく、料理の方をお母さまに教わっとけよ、お前のも悪くは無いが、さては、途中で投げ出したな? 全く、何がおかんだ、お前に嫁は一年早いぞ」
「あら、一年で良いの? なら、ちょっと、厳しめに花嫁修業させないと、ゴヨウさんの舌を唸らせる料理となれば……」
「いやいや、そこは、おいおい覚えていけば良いだろう、無理するよりも、まずは料理を好きになる事が大切だと、マルティエというな、神の料理人も言っていたのさ」
「あ、マルティエ、知ってる、うちの人もね、あそこは絶品なんだって、ねぇ、お肉とお魚、どっちがお好き? 」
「それは、魚だなぁ、肉も良いけど、何しろ、こう、酒に合う」
「へぇ、あ、良いのあるわよ? アドルパス様から頂きもの」
「もしかして電光石火か? うん、あれは良いな、しかし、最近、アドルパスのおじいさまは、隠し場所を変えてしまったのだ……おのれ、悪知恵が働くようになってきやがって」
「ふふ、狐と狸ならぬ、ネコとゴリラね」
「うはは、違いない」
「……ちょっと」
「あぁー、良いわー、何だか、息子っていうより、弟みたい、あ、ごめんね、こんなおばさんが、姉だなんて」
「なに言ってんだ、全然若いよ、それに、これだけの皿を出せる女は、そうそう居ないぞ、昔は、さぞかしもてただろう」
「ちょっと! 」
「えぇー、分かるぅ? これでもね、学生時代は、凄かったのよ? その中でも、一番しつこかったのが、レーヴなの、もうね、毎日毎日、お前が好きだー、って、公衆の面前でね」
「まじか、うける……いや、そこまで惚れ込んだという事か……罪な女だな、さすが姉ちゃん」
「ちょっと!!」
サクラに肩を揺すられ、邪魔そうに、片眉だけを上げた御用猫は、彼女の方を振り向いたのだが。
「いい加減に……しなさいッ!!」
全力で振り抜いた彼女の平手に、ぱしーん、と、御用猫の頭が、良い音を立てたのだった。




