凍剣 雪中行 28
「これは、もう言ったか、もう言ったな、俺は面倒が嫌いなのだ」
「ん? ああ、聞いたぞ、もう言ったが、俺もそうだ」
北嶺山脈を貫くドワーフの大トンネル、その、ロンダヌス側の出口には、クロスロード側と似たような砦が築かれていたのだが、その先には、呪いによって守られた街道は敷設されておらず、御用猫とパナップは、五党座氏族の製作した、木製の輪かんじきをブーツに嵌め、周囲の雪原よりも一段低い為に、辛うじて、そう、だと判別できる、道のような場所を移動していた。きしきし、と雪を踏み締める音と感触は、御用猫にも初めての体験であり、楽しくなった彼は少々、浮ついた気持ちであったのだ。
「そうだったか、ならば、死んでくれれば、楽に済むのだが」
「馬鹿を言え、俺は、自分が怠けるのは好きだが、他人に楽をさせるのは嫌いなのだ、死んで欲しいならば、自分でなんとかしろ」
降り続く雪の中、まるで、世間話のように、命のやり取りを語る二人は、普段と変わらぬ雰囲気である。荒事に生きる獣には、これが日常なのか、それとも、牙を隠しているだけか。
「ここへ派遣されてから、面倒ばかりなのだ、若造どもは口ばかり勇ましく、現実を知らぬ愚か者、族長は女で、氏族どころか、身内すら纏められぬ愚か者……知っているか? 俺はな、クロスロードとの開戦を求める、愚かな山エルフどもを宥める為に、派遣されているのだ」
「ふぅん、なんだ、ちゃんと仕事はしてたんだな」
きしきし、と歩き続ける二人であったが、道の脇に、岩であろう膨らみを見つけると、パナップは雪を払い、そこに腰を下ろす。休憩、という訳でもあるまいが、足を止めた御用猫の前で、ブーツに固定した、かんじきを外し始めるのだ。
「つまらぬ事だとはいえ、役目は果たさねばならぬ、サーラ様の恩為だ……とはいえ、正直、そろそろ終わりにしたい……不味い飯も、喧しい馬鹿の相手も、薄暗いあなぐらも、まったく、反吐が出る……山エルフの女など、あてがわれて喜ぶ男が居ようか」
「そうか? 多少、興味はあるが」
御用猫の知る限り、エルフ族だけあって、山エルフにも美女は多い、若年層は確かに少ないし、腕が長い事を敬遠する人間も多かろうが、それを考慮しても、ナスタチュームや大雀は、美人に分類されるであろう。
「まぁ、貴様は、そうであろうな……卑しい野良猫に、真の美しさが理解出来るとも思わんよ……我ら華族と違ってな」
俯いてかんじきを外し終えたパナップは、目頭を押さえるような仕草を見せる。そして、御用猫は、顔を上げた彼の両眼を見たのだ。
「……そういう事か、成る程、合点がいったよ、吸血鬼、だったとはねぇ……汚い色だ、お前、泥鬼だな? 何が華族だ、笑わせる」
「ふん、やはり、美を知らぬ」
まるで血のように、どろり、とした瞳の色は、元人間からの転生者。死人の如き体温も、納得のいく話であろう。
御用猫は、クロスロードに来たばかりの頃に、本物の吸血鬼を仕事にした事があったのだ。確かに首は刎ねたのだが、しかし、あれで死んだとも思えぬ化け物であった。
「となると「赤目」の泥鬼、という訳か……しかし、サーラとやらは、吸血鬼まで取り立てるのか、なんと、節操の無い女だな」
「きぃえぇぇぇぇッ!!」
突如、怪鳥の如き叫びを発し、立ち上がったパナップが、両手を曇天に突き上げた、わなわな、と全身を震わせ、どす黒い赤眼を更に充血させるのだ。その、あまりの豹変ぶりに、思わず井上真改二の鯉口を切り、御用猫は身構えた。
「きぃさまが! 穢すかァなぁ! 高貴なるお方! 我らが真なるあるじ、真なる、美なる、偉大なるゥ! 」
すらり、と御用猫は愛刀を抜き払う、どうやら、想定した展開とは、大きくかけ離れてしまったようだが、やはり、やる事は同じであるのだ。
(泥鬼なら、首さえ刎ねれば、土に還るだろう、萎んだ首を見せれば、山エルフも理解するか……なんだ、むしろ好都合ではないか)
にやり、と笑う御用猫に、能面を崩したパナップが牙を剥き出す。血管の浮き出た怒りの面は、およそ、人とは思えぬ形相か。
「うがぁ、はは、教えてやろうか、山エルフの若族長と戦士長は、族長を暗殺するつもりだぞ? お前らの仲間に罪を擦り付け、全員、口を封じるつもりだ……なんと愚かな、愚鈍、暗愚……今頃は、皆、死んでいるか……面倒、面倒なのだ……そうだ、いっそ、奴等も殺そう、躾の効かぬ犬ころに、なんの価値があろうかよ」
「呆れた奴だ、その理屈だと、お前も死ぬ事になるぞ? 」
いま、御用猫をおびき出し、戦いを挑んだのは、決して、誰かに命じられたからではあるまい、赤目の敵討ちか、鬱屈とした毎日に嫌気がさしての暴走か。それを指摘しながら、御用猫は間合いを詰める、少々、足元は悪いが、先程まで、ずっと、楽しげに歩いていたのは、何も童心に帰ったからだけでは無い、踏み込みの具合と、雪上での機動を、彼は確かめていたのだ。
「勢ッ! 」
空から降り落ちるぼた雪ごと、袈裟に斬りつけた御用猫の一閃は、しかし、空振りに終わる。彼にしては、些か強引な攻め手であった、平静を装ってはいたのだが、やはり、サクラとリチャードの身を案じていたのだろう。
とはいえ、御用猫の攻撃が空を斬ったのは、手元を狂わせたからでは無い、いくら勝負を急いだからとて、野良猫の牙は、その程度では揺るがない。狙いが外れたのは、一瞬前まで、確かにそこにあったパナップの姿が、噴き上がる雪煙に紛れ、搔き消えたからなのだ。
そう、消えたのである。
(なんだと、何処だ? 隠れる場所など……)
ぱしん、と踵の辺りに、乾いた音と衝撃が走る。慌てて飛び退いた御用猫の足元に、円匙の様な刃物が生えていた。あれは、パナップが両の腰に下げていた武器。
もこり、と雪の中から、赤い眼をした首が現れた。
「うがぁ、硬いな、呪いか、呪いの服か、面倒だ……面倒……」
御用猫は、驚愕に目を見開く。なんたる事か、パナップは脚下の白海に潜み、彼に斬りつけてきたのだから。
(馬鹿な、この雪、せいぜい膝までの深さだぞ? 潜行したのか? 呪いか、まさか、あの剣で掘ったのか? ……いや、今は置いておけ、考えるべきは……)
雪に紛れたとはいえ、全くに気配を感じさせぬ、驚異の移動法よりも、こちらの位置を。
(……どうやって、把握した)
それこそが重要なのだ。
パナップは、正確に御用猫の足を狙っていた、履いていたのが、ホノクラちゃん特製のブーツでなければ、踵骨腱を断ち切られていただろう。
足音、振動、体温や息遣い、理由はいくつか考えられるのだが、雪の中から、一体、どうやって察知しているものか。
不意に背筋を走る電流に、御用猫が飛び退る。足元を切り裂く黒い影は、オランの海で見た、鱶のひれを想起させた。
先程よりも鋭い一撃、まともに貰えば、無事に済むとも思えぬであろう。しかし、いくら死人の泥鬼とはいえ、雪の中に長時間潜ったままでは、身体が固くなりそうなものであるのだが。
「うがぁ、はは、いつ迄踊るつもりだ、首斬り刀の御用猫とは、大層な名ばかり聞こえてきたが……これは、話半分、そのまた半分か」
もこり、と首を出したパナップに斬りつけた御用猫であったが、その姿は雪の中である。かんじきを履いた状態で、この雪もぐらに追い付くのは、至難のわざ、であろうか。
「ええい、面倒な奴だ……良いだろう、原因はまとめて叩き斬ってやる、野良猫なめんなよ」
御用猫は、雪を避けながら、一度大きく息を吸い込み、ゆっくりと吐き出すのだ、言葉を添えて。
「さぁ行くぞ、もぐら野郎め、稽古をつけてやる、身体は春まで氷漬けだ」
正眼に構える御用猫は、ぴたり、と動きを止め、そのままに、両眼を閉じるのだった。




