うでくらべ 4
クロスロードの各所に存在する繁華街、その中でも南町は、質、量ともに最大の規模を誇っている。飲食店や遊郭が並ぶ大門の内側は、決して明かりの消える事なき、浮世を離れた別世界であるのだ。
その内の一店、いのや、という遊館に、御用猫は以前から入り浸っている。地味な造りの木造建築ではあるが、料理も遊女も一級品で、気難しい大女将と、高い料金を乗り越えさえすれば、まことに、満足を覚える一夜を過ごせるだろう。
御用猫は、その住処をマルティエに移すまで、しばらく住み込みで用心棒を務めたこともあり、この、いのや、は、第二の実家とも呼べる程に、心安い場所であるのだ。
今は一階の大部屋にて、昼食をとりながら、膝に抱えたリリィアドーネの頭を、撫でさすっている。
「ところで先生、どうして、私が姉様ではないと、気付いたのですか? これでも志能便ですので、それなりに、演技にも自信はあったのですが」
「んー……まぁ、何となく、かな? 」
少々、無作法ではあるのだが、さんじょうは手皿にて、御用猫の口まで箸を運ぶのだ。彼が、今も眠る女騎士を、その膝に抱えている為に、こうしてこぼさぬ様に、食事を食べさせているのだが、傷面の賞金稼ぎは、どうも、他人に給餌されるのが好きなのだろうか、先程から、えらく上機嫌なのである。
(何だか、やはり、姉様から聞いていた話とは、随分と違う方のような……)
ほんの僅か前、あの、魂まで削られそうな、恐ろしい眼を見せた男とは、余りに違い過ぎるのだ。さんじょうは、それ、を思い出し、微かに肩を震わせる。
「何となく、ですか? それは、あの、所謂、勘働らき、というやつでしょうか」
「んー」
もごもご、と、鶏肉と椎茸の炊き込みご飯を咀嚼しながら、御用猫は頬を緩ませる。今日の飯はマキヤの仕上げだと言うが、これは、中々の当たりであろう、などと思いながら。
「何となく、違和感があったのでな、かま、をかけたのだ……知ってるか? お前の姉はな、まだ、生娘だぞ」
「……えっ? 」
箸を止め、さんじょう、は大袈裟に目を見開く。そのまま、ぱくり、と、御用猫に運ぶはずの、白菜の煮物を口に入れた。期待を外され、僅かに切なそうな顔を見せる野良猫には、気付いた様子もないのだ。
「……え? え、でも、姉様は、毎晩のように求められて、先生のお相手が大変なのだと……私にも、余り肌を見せるなと、隙を見せないようにと……大雀だって、猫の先生は性豪で、女性と見れば襲いかかる、その、けだものなのだと、姫雀とも互角にやり合える男は、猫の先生だけだと、里に新しく産まれた子供の、半数は先生の種なのだと……それに、黒雀も、里から離れたのは、先生の手練手管で籠絡されてしまったからだと、今では妻になったと、自慢してましたが……」
「ようし、良く分かった、あいつらは必ずに、折檻しとこう」
なんたる風評被害であろうか、御用猫は、一度、志能便の隠れ里とやらに赴き、この誤解を解かねばならないだろうかと、半ば本気で考えた。しかし、さんじょうの方はといえば、何やら安堵の息を漏らし、その薄い胸を撫で下ろすのだ。
「なんだか、少し、安心しました……話だけ聞いていると、その、なにか、とんでもない人のように思えたので」
でも、さっきは、少し怖かったのです、と、なにか困ったような、少し眉を下げた笑みを浮かべるさんじょうに、御用猫は疑問を覚えた。
「……なんか、お前の方こそ、みつばちとは随分違うな……なんていうか……そう、志能便らしくない」
確かに、さんじょうは、みつばちと違い、表情や声音が自然であるのだ、それまで、みつばちの平坦な喋りと、起伏のない表情を真似ていただけに、余計に変化が大きく感じるだろうか。しかし、その感想を耳にしたさんじょうは、今度こそ本当に困ったような、そして、どこか自虐めいたような、笑いを浮かべるのだ。
「……私は、あえて、一般人の精神構造に近くなるよう、調整されていますので……なので、あまり、志能便のお仕事には、向きません」
握った箸に、少しだけ力を込めながら、さんじょうは、そう零す。
(成る程ね、異常者だらけの志能便達には、そういった、まともな人格者も、多少は必要、という事か……しかし)
狼の群れの中に、一匹だけ羊が混ざっていたとするならば、それは、生きるだけで苦痛であろうか。異常者ばかりの中で暮らす正常者は、果たして、自身こそが正常なのだと、理解して、その正常さを保てるであろうか。
(なんとも、因果な奴らではあるな……まぁ、こちとら、人の事を言えた義理では、ないのだがな)
餌をねだる為に、御用猫は、ぱか、と口を開く。それを閉じると、少し甘めに味付けされた椎茸の旨味が、が口の中に拡がるのを覚え、目を窄めた。
「しかし、お前は、良くやってるよ、実にまともな奴だ……いや、気に入った、そう、何も恥じる事は無い、志能便にあって、お前の個性は得難きものだ、唯一無二だ、そうだな、この際、みつばちには、まだまだ里でゆっくりしてもらおう……なので、しばらく、宜しく頼むぞ」
何とも良い笑顔にて、御用猫が手を差し出すと、これは、癖なのだろうか、またも少しだけ、困ったような顔で、さんじょうも微笑みを返してくる。
「ありがとうございます……そんな事言われたのは、初めてです、私……役立たず、なので」
「馬鹿をいうな、役に立つかどうかは、俺が決める、そしてな、お前は、出来る女だ、これは、志能便云々など関係無いぞ? 人としての話だ、ああそうだとも、もっと自信を持て、俺が太鼓判を押してやる」
出会って僅かではあるが、彼女の仕事ぶりは、みつばちと比べても、なんら遜色ないだろう、そして、こうして会話してみれば、即座に分かる、この女には、常識、というものが存在するのだ。今まで、散々、志能便達の異常性に振り回されてきた御用猫にとって、これは、確かに得難い人材といえるだろう。
「ふふっ、猫の先生は、やっぱり、変わっています……そこだけは、聞いていた通りです」
会話しながらも、差し出されたままの、御用猫の大きな手を、ようやくに、さんじょうは握り返す。少しだけ、照れたような、困ったような笑顔にて、微笑む彼女は、顔が同じであろうとも、やはり、みつばちとはまた、違った美しさがあるだろうか。
「んむぅ……ふぎ、みっつうの、においがする……」
男女の間に、柔らかな空気が流れたのを、敏感に察知したものか、御用猫の膝の上に縮こまっていたリリィアドーネが、目をこすりながら、覚醒し始めた。
「おっと、お姫様のお目覚めだ……おはようリリィ、今日も可愛いな」
「んむ……おはよう……いや、これは、夢か……むぅ」
眠そうに首を振り、辺りを眺めると、今の自身の置かれた状況を、冷静に判断したからこそであろうか、これを夢と断じたリリィアドーネは、御用猫の身体に腕を回し、その鎖骨の辺りに、顔を埋めてきた。
「そうだぞー、これは夢だぞぅ、だから、もう少し寝ていようねー」
優しく頭を撫でながら囁くと、彼女は甘えるように、ぐりぐり、と頭を擦り付けてくる。
「うん……でも、勿体無い、こんな夢は、滅多に見ないから……」
「そうか、ならば、たっぷりと、堪能してもらおうかな……くくく」
夢見心地のリリィアドーネの首筋に息が吹きかけられる、そして、その実に慎ましやかな胸を、背後から鷲掴みにされるのだ。
「んっ、あ、あっ、だ、駄目だ、そういったことは、まだ、いくら夢だといっても……夢? 」
「よいでわないかー、よいでわないかー……ん、なんか、ほんとちっちゃいな……リリィちゃん、ちゃんとご飯食べてる? 駄目だよー、剣の稽古ばっかりしてるから、栄養が全部、そっちいっちゃうんだよ、そんなんじゃ、づるこみたいになれないよ」
わきわき、と、彼女のささやかな双丘、いや、平原と呼ぶべき、それを揉みしだきながらも、途中から、真面目な顔になるマキヤであった。短い黒髪を馬尾に纏め、褐色肌の子供にしか見えぬのだが、彼女は草エルフ、年齢的には、リリィアドーネよりも、一回り以上、上であるのだ。
「え……猫? え、夢、え」
「おはようリリィ、今日も可愛いな」
全てを理解した彼女が、目を見開くのは、数瞬あと。
含羞に満ちた悲鳴が響くのは、もう少々、後の事であった。