凍剣 雪中行 27
「おーし、そろそろ始めるけぇね、覚悟はいいっちゃ? 」
「私は構いません、いつでもどうぞ」
勝負の場に赴いた二人は、技場の中央で向かい合った。雪壁に囲まれた円い空き地は、街道と同じく呪いに守られており、積雪は殆ど見られない、この季節でも、山エルフによって手入れがさせているものか、剥き出しの真砂の上には、雑草すら、その姿を見せていないのだ。
白と茶の、殺風景な空間ではあったのだが、周りを囲む、二メートル近い雪の壁は、やはり圧迫感があり、ロンダヌスを訪れた事のある者ならば、首都の円形闘技場を思い浮かべる事だろう。砦門からも死角になるこの技場は、かつて、山エルフの呪術師が、山熊と使い魔の契約を結んでいた場所であるという。
「寒くない? 身体は動くんかね? 人間は、こういうの苦手じゃろ? 中でも良かったのに……まぁ、あたしは、すっごい久し振りに外に出られたから、いいんじゃけどね……はぁ、やっぱ、たまには外に出んといけんね、なんかこう、身が引き締まる思いっちゃ」
「ご心配なく、私も、寒い所には慣れています、それに、これは折衷案、なのですからね」
「雪中庵? 雪ん中だから? あはは、なん、余裕あるっちゃね」
山エルフ流のおふざけだと勘違いしたものか、ナスタチュームが、けらけら、と笑い声を上げる。サクラの方は、口を尖らせるだけで、あえて否定もしないようである。
先日の夜までは、リチャード少年の策に従い、雪原で勝負を行う筈であったのだが、朝になり、目を覚ましたサクラは、御用猫を揺さぶって起こすと、額をぶつけながら、開口一番に、こう言ったのだ。
「ゴヨウさん、ゴヨウさん、私は、やはり、真っ当に戦いたいのです」
「うぅん……サクラ、近い近い、なんか悪夢を思い出すから、すこし離れてくれ……なんだよ、朝っぱらから」
御用猫が身を起こすと、それに押し返された少女が、すとん、と腰を下ろす。しかし、視線だけは、彼から離すこともなく、その瞳に湛えた純真な輝きは、少々、光量の足りぬこの洞窟の中において。
(やれやれ、相も変わらず、野良猫には眩しすぎるな)
御用猫に、苦笑を浮かべさせるのだ。
「ゴヨウさん、先に、謝らせてください、リチャードには、もう言いましたが、やはり、私に曲剣は向いていないと思うのです……どうしても、剣が鈍ります、こんな事、我儘だとは、分かっているのですが……何か、彼女の、ナスタチュームの想いを、裏切ってしまうような気がしてならぬのです……だから、ごめんなさい」
戦いの理由はどうあれ、ナスタチュームは、手合いに余念を持ち込むような事は無いだろう。互いに向き合い、正々堂々と勝負を望む相手に、搦め手から攻め込み、虚をついて勝ちを拾うような決着は、この、真っ直ぐな少女にとって、やはり、我慢のならぬ事であるようだ。
「迂闊な賭けをしてしまった私が、このような事を言える立場ではない事も、充分に理解しているのです……でも」
項垂れる少女を抱き寄せ、ぽんぽん、と背なを叩くと、しかし御用猫は、優しく告げるのだ。
「良いともさ、後の心配はするなと、昨日も言っただろ? 所詮は手合いだ、それに、真正面からぶつかってみるのも、悪くないかも知れぬ……ただし、これだけは約束しろ……真剣勝負の時は、お前の、その真っ直ぐさも命取りになる、そう言った場合には、手段を選ぶな、生き残る事だけを考えるのだぞ」
「分かりました……また、甘えてしまいます」
御用猫の胸に縋るように、体重を預けると、少女は彼の腰に手を回す。シャツ越しに彼女の体温を感じ、その心地良さが、御用猫に言葉を続けさせた。
「なに、可愛い妹の言う事なのだからな、後始末は、お兄ちゃんに任せておけよ」
そのまま、サクラの頭を撫でようとした御用猫であったのだが、何故か彼女は、ぴくん、と身を震わせ、彼の身体を押し剥がす。
「……私の、お兄様はひとりです……ゴヨウさんは、ゴヨウさんです」
ぷい、と顔を背け立ち上がると、そのまま住居洞の奥へ、小走りにと消えて行くのだ。おそらくは、いつものように、朝食の支度を手伝いに行ったのであろうが、取り残された御用猫は、何やら不可解な表情にて。
「……反抗期、というやつか? いや、あいつはいつも反抗的だよな……ううん、よく分からん……これは、サクラも女になってきた、という事なのかなぁ? 」
どう思う、と顔を上げ、御用猫はリチャード少年に尋ねたのであるが、毛布を片付ける為に、だらし無く涎を垂らす卑しいエルフを抱えた少年は、一度だけ、彼に冷ややかな視線を投げたのち、やや、ぶっきらぼうに返事を投げるのだ。
「はい、よく分かりましたね、正解ですよ」
そのリチャード少年も、今は呪いの為に集中している。五党座氏族の小トンネルを訪ねる前から、それは維持されていたのだ、少々汗はかいていたのだが、勝負の前の緊張だとしか思われぬ筈である、相手方に気取られる心配は無いだろう。
(向こうは、若族長と、もう一人は戦士長だとか……初めて会いましたが、これは、かなりの遣い手、しかし)
今回の勝負、二人の付き添い人を同行させる事になっていた。リチャード少年と、御用猫の代わりに紺屋原氏族から、デミドルジラド、そして、五党座氏族からは、若族長と戦士長である。
デミドルジラドに関しては、本人からの、たっての希望であり、これはナスタチュームに会いたいが為であろうが、愛槍を片手に、今も熱い視線を彼女に向けている。五党座氏族の戦士長、バガジの事は、その彼から聞いた話であるのだ。
「バガジかぁ、久し振りじゃの、ちったぁ、腕をあげたんかいの? ロンダヌスの剣術覚えたって、斧しか振れんお前に、ことんなるんか? 」
「じだいおくれの、ぶじゅつにとらわれているがいいのだ、おれは、すでにさきをみている」
格好付けんな、と絡み始めるデミドルジラドを押さえ、リチャード少年は情報を集めたのだが、どうにも、彼の言うバガジの心証は、現在の姿と乖離しているであろう。禿頭の山エルフは、地面を引き摺る程に長い外套にて、すっぽり、と身を隠し、不自然極まり無い、ただ、表面の凹凸だけが、彼の重装備を想像させるのみ、であった。
「いざ」
「いくっちゃよ」
少女二人の声に、リチャード少年は、現実に引き戻される。
小兵ながらも大上段のサクラに対して、ナスタチュームは、正眼の構えに似た、剣を前に突き出す姿である。山エルフの腕の長さを最大限に活かすには、いかにも効果的であろうか。
サクラの戦術は単純である。ナスタチュームの長い腕から繰り出される攻撃を、武器を狙って叩き落とし、間合いの内に入り込むのだ、その為の上段である。
勝負は、相手が降参するか、動けなくなるまで行われるのだ。懐に潜り込んで足狙い、力に劣る彼女が相手を制するには、これしか無いだろう。
その決着は、呆気ないものであった。
無造作に突き出されたナスタチュームの木剣に、狙い過たず、サクラの一撃が見舞われる。がらん、と地面に転がった剣を踏み付け、サクラが飛び込んだのだが、その眼前には、褐色の膝が広がっていたのだ。
(読まれていた! やはり、誘いでしたか! )
余りにも不用意な突きであったのだ。少年の危惧した通り、ナスタチュームはサクラを誘い込み、格闘戦で仕舞を付けるつもりであった。しかし、ぎりぎり、で膝蹴りを躱した少女は、山エルフの腰にしがみ付き、足を絡めて押し倒す、すかさず馬乗りになって、顔面を殴打するサクラの組み打ちは、流石に田ノ上老仕込みの激しさであったのだが。
「あっは! やるじゃん」
なんたる事か、鼻血を噴き出しながらも、ナスタチュームは強引に立ち上がり、その長い腕にて、高くかかげた小柄な少女を、そのまま地面に叩きつけたのである。肺の中身を全て吐き出し、呻く少女は、それでも尚、敵の足にかじりつき、何事か反撃を試みようと踠いていたのだが、ナスタチュームは残りの足を持ち上げ、サクラの頭部を踏み潰そうと狙いを定める。
「そこまで! 参りました! 」
悲鳴のようなリチャード少年の声も間に合わず、どすん、と、まるで相撲の四股のように、ナスタチュームの踵が踏み降ろされた。しかし、それはサクラの頭を掠め、耳元に打ち付けられたのだ、どうやら、最初から、殺す気は無かったようである。
「ずびっ……うちの、勝ちっちゃね」
「ぐ、う……参り、ました」
鼻血を啜りながら、サクラの横にしゃがみ込むと、苦しそうに顔を歪める少女を、ナスタチュームは助け起こす。にっか、と勝利の笑顔を見せつけた彼女であったのだが、何か、考え事をするかのように、もう一度鼻を啜ると、雪のちらつく曇天を見上げる。
「……あのさ、勝負云々は別にしてさ……あんたの話、ちゃんと聞いてみようかと、思うんじゃけど……」
「え? 」
なにやら、訳が分からぬ、といった、少々、間の抜けた顔のサクラを見て、思わず、ナスタチュームが吹き出した。
「なんか、あんたさ……真っ直ぐじゃけぇ……なんちゅうか」
嘘は言わない気がする、と、五党座氏族の若き族長は、気の良い笑顔を見せるのだ。
もしも、サクラが姑息な手段をとっていたならば、勝っても負けても、こうはなっていなかったやも知れぬ、形ばかりは話を聞いても、彼女は、決して納得しなかったであろう。これは、サクラの、その純粋なひたむきさが、もたらした結果だといえるだろうか。
ナスタチュームは、その長い腕を折り畳み、サクラに手の平を向けた。手と手の平を合わせるのは、山エルフの親愛表現である。
「あ、ありがとうござ……」
ぱっ、と笑顔を咲かせたサクラが、ナスタチュームに手の平を向けたその瞬間である。
「危ないッ!!」
雪壁に反響するのは、リチャード少年の声。
背中を向けていたナスタチュームは、反応出来なかった。
しかし、そちらに目を向けていたサクラは、それ、に対応出来たのだ。
差し出したままの手の平で、少女はナスタチュームを突き飛ばし。
その、銀色に輝く刃は、サクラの胸に吸い込まれていった。




