凍剣 雪中行 25
「いったい、何を考えているのですか! あれほど穏便に、と言っていたでしょう! そもそも、勢いに任せて、本人の了承もとらず、他人を賭けの対象にするなど、以ての外です! ですが、分かっていました、えぇ、分かっていましたとも、サクラさんに何を言ったとしても、どうせ、こうなるのだろうとは思っていたのです、想定内です、想定内のしくじりですからね、私は怒ってなどいませんから! ワハハ」
「……はぃ、ごめんなさい」
サクラの声を真似ながら、チャムパグンが説教を行なっている。中々に上手いものだと、御用猫は顎に手をやり、感心していた。
流石に、本職である、みつばちの声帯模写には及ぶまいが、身振り手振りから、鼻を膨らませた怒りの表情まで、良く特徴を捉えていた。しかし、普段ならば、文句を言っても何処か反抗的なサクラであったのだが、流石に反省したものか、しおらしく肩を窄め、申し訳なさそうに、卑しいエルフに頭を下げ続けているのだ。
「チャム、もう良いぞ……というか、何でお前が説教してんだよ」
「こんなチャンスは、今しかないと、思った次第なのであります」
御用猫は、卑しく笑う卑しいエルフを、膝の上に引きずり込み、ぱしんぱしん、と尻を叩く。
「まぁ、サクラも、そう気にするな、これは、案外好機かも知れぬ、あまり時間もかけられぬし、自然に交渉出来るならば御の字だ……充分に、反省はしたんだろう? 」
「……はぃ」
「ですが、若先生」
珍しくも、口を尖らせ、リチャード少年が声をあげる。最初、口ごもるサクラから勝負の条件を聞いた時に、その迂闊さを真っ先に責めたのも、この少年であったのだ。
「どう考えても、サクラに勝ちの目は薄いでしょう、僕の見立てでは、両者の力量は互角、ならば、山エルフの膂力と腕の長さが、如実な差になって現れてくるでしょう、勝負が明後日では、碌な対策もとれないのです」
「そ、それは、ですが、私とて、負けるつもりはありません、全力で……」
「そのような、あやふやな拠り所に、若先生を賭けたのですか」
ぴしゃり、と言い放ったリチャード少年に、サクラは涙目である。どうやら、少年は本気で怒っているようだ、確かに、彼女の迂闊さは、将来的に命に関わる事にもなろうか、今のうちに、厳しく矯正する事も必要なのだろう。
(ふぅん、リチャードの奴、これはこれで、良い指導者になるやも知れぬな)
田ノ上老とは異なる指導方であろうが、少年の、こうした場合の迫力は、普段の優しさとの落差もあり、中々に堪えるのだ。身を以て体験している御用猫は、彼の前でふざけるのを、少し控えようか、などと考える。
「よし、リチャード、そこまでだ、サクラも身にしみただろう……条件は向こうが提示したのだ、すんなり事を運ぶには、ある程度の無理を聞いてやる必要もあるだろうし、それに、勝利の条件を話し合いに変えたと言うじゃないか……これは、褒めてやっても良いくらいだぞ? 」
「ですが……」
御用猫は、なおも食い下がる少年に手の平を向け、それ以上を遮った。既に賽は投げられたのだ、過ぎたことを責めるよりも、先の事を考えた方が良いだろう。
少年も、それについては理解しているのだ。ひとつ深呼吸すると、気持ちを切り替えたようである。
「ゴヨウさん、ごめんなさい……あの時は、少し、余計な事を考えてしまったのです……後から気付いたときには……もう……」
「ああ、もう、気にするな、と言っただろう……リリィにも言ったが、俺はな、謝られるのが、あまり好きでは無いのだ」
何気ない一言であったのだが、サクラの肩が、ぴくん、と反応する。おや、と思った御用猫であったが、特に気にする事もなく、手を伸ばして、少女の頭を撫でてやる。
「それに、負けた時の事は気にするな、あんな小娘ひとり、ちょいと転がしてやれば、騙眩かすのは簡単さ……その辺りは得意分野だ、任せておけ」
「いまので、台無しです! 」
ようやくに、笑みを取り戻したかに見えた少女の眉も、途端に吊り上がるのだ。しかし、これはこれで、普段の彼女であろうか。
「……もう、若先生は、サクラに甘過ぎます……しかし、こうなれば、何とか勝つ方法を考えましょう……とりあえず、場所は外が良いかと」
「ほぅ、其の心は? 」
御用猫は、興味深げに少年に問う。恐らく、異なる理由ではあるのだろうが、彼自身も、勝負はトンネルの外が好ましい、と算段していたところであったのだ。
「どの道、相手の意表を突く戦いになるでしょう、時間はかけられません、ならば、彼女の足を殺したいのです……それに、雪原ならば、向こうは慣れたもの、有利だと慢心するでしょうし」
「よしよし、今回は全て、リチャードとサクラに任せるからな、俺はその日に立ち会えぬ、ちょうど、パナップと約束してきたところなのだ……どうも、ナスタチュームとパナップの仲は、あまり宜しくないようでな……ふむ、そうか、勝負の日を決めたのも、奴が居ない事を知っていたから、なのかな? 」
意外な事に、五党座氏族の族長と、ロンダヌスの外交官は、あまり気が合わぬらしい。やり取りは全て、若族長を通して行い、会話も少ないのだとか。
(どうにも、腑に落ちぬな、やはり、保険はかけておくべきか……高くつくだろうが)
などと思い巡らせながら、いつもの様に、卑しいエルフの尻を、叩いたままに撫でさする御用猫であったのだが。
叱られたばかりの手前、じっと堪えていた少女が痺れを切らし、彼の頭頂部が良い音を鳴らすのは、あと僅かの事である。




