凍剣 雪中行 20
「何ですかそれ! なんという言い草でしょう! 貴女達には恥じるという気持ちが無いとでもいうのですか! 」
「はぁ!?何それ、あんたには関係無いっちゃろ! クロスロード人が出しゃばってくんなっちゃ! 」
ぎゃいぎゃい、と顔を突き付け、牙を向けあう少女二人を隅に置き、御用猫は顎を撫でる。
(まぁ、予想はしていた事だがな)
ウンスロホールとデミドルジラドに案内され、五党座氏族の小トンネルに赴いた一行であったのだが、面会した族長達に浮き板の事を尋ねると、彼等の態度は一変したのだ。そもそも、これだけ修理が長引いたと言うのに、報せのひとつも無かったのだ、何か問題があったならば、連絡して然るべきであろう、それが無いというのならば、何か疚しい事があるのか、それとも、開き直っているのか、そのどちらかであるだろう。
「何度も言わせんなっちゃ! 浮き板は元々うちらのもんやけぇ、あんたらクロスロード人が戦争で奪ったもんじゃろ! こっちは返して貰っただけっちゃ! 」
「だ! か! ら! それが間違いだと言っているのです! その鎧は昔から森エルフのものなのです、四種族の友好の証として! 人間には王冠、山エルフには斧、そして森エルフには鎧! 呪いを込めた黒エルフの方には生き証人が居るのですからね! 私は直接に聞いているのです、間違いありません! 」
山エルフの氏族には、それぞれ役割がある、例えば紺屋原では麻、綿、絹など、衣料に関する生産品や職人が多く、五党座氏族は武具から日用品まで、鍛治や金属加工に携わる者が多い。元々職人気質で拘りの強い山エルフ達は、それぞれが一つの道を極め、他国の追随を許さぬ技術力を誇っている。
森エルフが浮き板の修理を頼んだのも、森の銀を扱える程の技術者が、今では五党座氏族にしか居ないからなのだ。
「若先生、どうにも、説得は難しそうですね……この状況では「彼」が表に出てきても、信用されるかどうか……」
殊更に「彼」という一言を強調しながら、リチャード少年が、御用猫の耳元に唇を寄せる。
「それに、僕は、あの後ろの人物が気になります……あの制服、実物を見るのは初めてですが、あれは、ロンダヌスの騎士でしょうか? 」
「だなぁ、外交官か何かだろうが……しかし臭いな、ぷんぷんと、ここまで臭ってきやがる」
族長であろうと思われる、立派な椅子に腰掛けた大柄な山エルフ、その背後に立つ角刈りの騎士に、視線を合わせる事なく、御用猫は眉をひそめる。騎士の割には細身の男であったが、油断のならぬ手合いだろう、剣の代わりに、短いスコップのような刃物を、両の腰から下げていた。
「……血の匂い、ですか」
ごくり、と唾を飲み込み、リチャード少年が問うてくる。軽く頷いて答えに代えると、御用猫は前に進み出た。
「どうにも、話は平行線のようだ、一度出直す事としましょう、そして、ひとつ謝らなければならぬ事があります、こちらにおわす方は、クロスロードの、森エルフ及び海エルフ外交特使にして、テンプル騎士、そしてシャルロッテ王女の勅命騎士であらせられる、辛島ジュート様……此度の件は、クロスロードとは無関係の事柄ゆえ、外交問題に発展する事はありませんが、次に訪れる時は、本国からの勧告となるであろう事を、熟慮されたい……サクラ、帰るぞ」
今にも掴み合いを始めようとしていた少女達であったが、サクラの方は不承不承に身を離し、相手を一瞥すると、踵を返した。
「おい、黒髪女! あんたの名前は覚えたからな! 次に会ったらぎったんばっこんにしてやるけぇ、覚悟しときっちゃ! 」
「なぁっ! 良い度胸です! いつでも受けて立ちますからね! というか名を名乗りなさい、さっき聞いたような気もしますが、もう忘れてしまいました! 」
御用猫とリチャード少年に両脇を抱えられ、引き摺られながらもサクラが吠える。赤髪褐色の少女の方は、べえっ、と舌を出し、彼女を挑発すると、豊満なその胸を逸らして揺らし、堂々と名乗りを上げるのだ。
「五党座氏族が族長! ナスタチューム! 」
「お前が族長かよ! なら、後ろのおっさんは何もんだよ! 」
思わず振り返って叫んだ御用猫に、族長のナスタチュームは、きしし、と笑って八重歯を見せる。案外、普段は気の良い少女なのやも知れぬ。
「若族長っちゃ」
「逆だろ! どう見ても若くねーよ! 今からでも替われよ、看板に偽りあり過ぎだろうが! 」
いやいや、と手を振るナスタチュームは、いたって真面目な表情であり、どうやら悪ふざけでは無さそうだ。ひょっとすると、若く見えるだけで、彼女の方が本当に年上なのかも知れない。
「参ったな……最後の衝撃が強過ぎて、なんかどうでも良くなってきた……もう、オーフェンには、浮き板を諦めて貰おうか」
「ゴヨウさん! 」
溜め息と同時に、どしん、と腹に体当りされて、御用猫は一気に空気を吐き出した。
「ぐぅ、分かってるよ、冗談だ、お前も少しは山エルフの仕来りに慣れろよ」
「ゴヨウさんはいつでも、そうでしょう! もう慣れました、馬鹿な事を言ってないで、これからどうするか考えないと! あぁ、もう腹立たしい、あんな分からず屋は初めてです! 」
恐らくは、あのロンダヌス騎士に何か吹き込まれているのであろう。クロスロードとの戦は三十年ほど前の事であるのだ、寿命の長いエルフ族である、当時の実情を正確に知る者は幾らでも居るはずなのだが、やはり、負け戦ともなれば、何か言い訳も必要なのだろうか。
「西の氏族は、大先生の働きで、中心人物のほとんどを討ち取られてしまったと聞いた事があります……そこをロンダヌスにつけ込まれたのでしょうか? 」
これは、本人の口から聞いた事ではありませんが、と付け足してから、リチャード少年は御用猫に目を向ける。
「電光石火」の武勲は、その一戦だけで枚挙に遑なしであるのだが、御用猫とて、当人達の口から耳にした事は無いのだ。ただ、かつてアルグレイドンから聞いた話では。
「大方、先生は、適当に強そうな奴を見つけては斬っていたのだろう、いつもの事だ」
だ、そうである。
なんとも楽しげに戦さ場を馳け廻る、田ノ上老の姿が目に浮かぶ様で、御用猫は溜め息を零した事を覚えているのだ。
「とはいえ、この件を親父のせいにする訳にもいくまい……なんとか説得はしてみるさ」
「わしの方からも、うちの族長に言うてみちゃろう、さっきのは、まこと、おかしな話じゃけぇのう」
特に憤慨している、といった様子では無いが、ウンスロホールも先程の話は、筋が通らぬ、とは思っているらしい。長い髭を撫でながら、のしのし、と歩く姿は、なにか頼もしくもある。
「助かるよ、あれが西の氏族の総意かどうかは分からないが、少なくとも、あのナスタチュームとかいう奴は、すっかりロンダヌス人に騙されてるみたいだからな」
「ナスタチューム! 」
御用猫の呟きにまで、過敏にもサクラは反応し、ぎりぎり、と歯を鳴らす。
(なんか懐かしいな、フィオーレと遣り合ってた頃みたいだ)
思わず頬を緩めそうになった御用猫は、いかんいかん、と口元を手で隠す。このような顔を見せたならば、気の立ったサクラは、子連れの母ゴリラもかくや、と彼に絡んでくるのは目に見えているだろう。
「なぁ、猫よ」
代わりに絡んできたのは、デミドルジラドであった。そういえば、五党座氏族の集落には行った事が無いから、と付いて来た割には、随分と存在感が薄かったようであるが。
「何だドルジ、なにか名案でも浮かんだのか? 良い発言があったなら、爬虫類から両生類に格上げしてやるぞ」
しかし、野良猫式のおふざけにも、彼は反応する事なく。
「あん族長、ナスタチュームか、良い女だったな……惚れたっちゃ」
天井を見上げ、そう言うのだ。
「だから知らねーよ、その場で言えよ、もう、あっちの子になっちゃえよ」
「え、だって、そんないきなり、恥ずかしいじゃろが」
「乙女か! 」
頬に手を当て、身をよじる青年の尻を蹴飛ばし、御用猫は溜め息をひとつ。
「若先生」
「よしきたリチャード君、期待してるぞ」
「……まさかとは思いますが、本気で、僕に辛島ジュートの仕事を押し付けるおつもりでは、無いでしょうね? 」
ぷい、と顔を背けた御用猫の尻を、少年の代わりにサクラが蹴り飛ばす。
今回の仕事は、少々長くなりそうであった。




