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続続・御用猫  作者: 露瀬
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凍剣 雪中行 19

「猫ォ? ……知らんちゃ、誰じゃお前」


 ようやくに辿り着いた山エルフの住居、取り敢えずのもてなしとして、夕食を振る舞われていた御用猫一行であったのだが、デミドルジラドの連れて来た老エルフは、開口一番に、そう言葉を発したのだった。上背はそれ程でもないが、腹は出ているものの筋骨逞しく、長く伸ばした真っ白な髪とヒゲ、そして顔中に刻まれた深い皺だけが、彼の生きて来た年月の長さを物語っている。


「爺さん、耄碌するには、まだ早……あぁ、いや、もう歳だな、悪かった、忘れてしまうのも仕方ないか」


「馬鹿言え、わしゃ、まだ二百九十五じゃ、おとといの飯だって覚えとるけぇの、お前なんか知らんちゃ」


 笑いながら肩を竦めた御用猫に、しかし、ウンスロホールと言う名の老エルフは、冷たい視線を投げて寄越す。たった今まで歓迎の色を見せていた、紺屋原氏族の山エルフ達が、途端に警戒を始める、デミドルジラドなどは槍を構え、その穂先を彼等に向けているのだ。


「ご、ゴヨウさん、何だか雰囲気が悪いような気がします……これも、山エルフの方の、おふざけなのですか? 」


「……おい、爺さん、冗談はよせ、二百を越えたら仕来りは無視して良いんだろう? まさか、山ぐまから助けてやった恩を、忘れたんじゃないだろうな」


 腕にしがみ付くサクラは、小さく震えているようだ。無理もないだろう、山エルフは女子供から老人まで、皆、恐るべき戦士なのだ、絶対数が少ない種族とはいえ、逃げ場のないこのトンネルで敵対すれば、それは確実な死を意味するだろう。


 慌てた様子で、十数年前の出来事を説明する御用猫であったのだが、ウンスロホールの反応は鈍いものであった。確かに、そういった出来事があった事は覚えていたのだが、どうも、御用猫が成長してしまったせいで、彼が本人かどうか、判別出来ないようである。


「参ったな……確かに昔の事だし、他種族の見分けは、尚更つき難いか、何か証明する手立てがあれば……」


「あの、若先生」


 声をあげたのは、リチャード少年である。こういった場合の彼は、最近、何とも頼もしい存在であるのだ、妙案でも浮かんだのか、と問いかけると、しかし少年は、少しだけ躊躇した様子を見せたのち。


「……まさかとは思うのですが、その、若先生、ウンスロホールさんとお会いした頃には、お顔の傷が無かったのでは……? 」


 ぴたり、と動きを止めた御用猫は、足元に転がるチャムパグンの手を取ると、その指先で顔を撫でる。ぐい、と御用猫に顔を近づけ、厳めしい渋面を作り出す老エルフに、少年少女が、ごくり、と喉を鳴らした。


「さてと、久しぶりじゃの、元気しとったか、土産はなんじゃ、今度来るときは酒だっちゅうたじゃろ」


「おう、久しぶり、爺さんにワインは似合わねえからな、オーフェンから拝借してきた「電光石火」だ……奴め、チャムの鼻を甘く見てたようでな、まぁ呑ってみてくれ、旨いぞ」


 向かい合って、絨毯を敷いた土間の上に腰を下ろす二人に、山エルフ達は歓迎の空気を取り戻し、琵琶のような楽器で音楽を奏で始める。デミドルジラドも愛槍を壁に立て掛け、まるで、何事も無かったかの様に、宴会の続きが行われるのだが。


「ちょっと……ちょっと! 何ですか今のは! 結局おふざけじゃないですか! いい加減にしてください、悪ふざけにも程があるでしょう! 分かりました、ええ、分かりましたとも、私、山エルフの言うことは、金輪際、信用しませんからね! 」


「……若先生、僕も、今のはどうかと思います」


 くるぶしの尻で、ぷりぷり、と御用猫の頬を叩き続けるサクラの顔は、火酒でも呷ったかのように燃えていた。流石の温厚な少年も、少々腹に据えかねたのか、珍しく憤慨している様子であるのだ。


「そう言うな、郷に入っては何とやら、だ……俺も、最初は腹を立てたもんさ」


「おぉ、そう言えば、猫は前に比べて、随分と変わっちょるのぉ、あんときは、なんとも生意気な餓鬼じゃったなぁ……」


 わはは、と豪快に笑いながら、ウンスロホールは手土産の清酒を一息に呷ると、賞賛の溜め息を、酒精と共に吐き出すのだ。


「ほいで、今日は何の用事じゃ、嫁っ子でも紹介しにきたのか? ちいと喧しそうじゃが、ええ娘じゃねぇか」


「まぁ、確かに、ええ娘なんだがな、その喧しいのが一番の問題でなぁ……でも、今回は別件だ、明日にでも、五党座氏族に、俺を紹介して欲しいんだが」


 何やら、御用猫の右頬に押し付けられた、くるぶしの圧が強くなったような気がするのだ。反対側からは、てんてん丸の尻も押し付けられ始めたのだが、これはリチャード少年の仕業か、いや、ホノクラちゃんであろうか。


「五党座に? 何じゃ、頼みがあるならうちに言やええじゃろ、西の奴らは意地が悪いけぇ、血の気も多いしの、やめときや」


 御用猫は知らぬ事であったのだが、山エルフの氏族は、東西に分かれて反目し合っていた。西の棟梁が五党座氏族ならば、東の旗頭が紺屋原氏族。実際、三十年前の戦でも意見は対立し、ロンダヌスと手を結び、クロスロードに攻め入ったのは、西の五氏族のみ、であったのだ。


「そうもいかないのだ、実は、森エルフからの頼まれごとがあってな、五党座氏族に預けたある物の、様子を見にきたのだよ」


「ほぉん……まぁ、そんならええか、あっちにはうちの子もおるし、つれてっちゃろう」


 とはいえ、同じ山エルフ同士である、ゆるく対立はしていても、仲違いした事は一度も無いのだ。少なくとも、互いに子供を行き来させ、血を交じらせる事に抵抗はないのである。


「お孫さん、ですか? あ、山エルフの方なら、ひ孫とか、玄孫になるのでしょうか? なるほど、流石に大家族なのですね、それとも、共同生活ということなのでしょうか、なんだか賑やかで楽しそうですね」


 きょろきょろ、と辺りを見回しながら、サクラが疑問を口にした。比率としては中年が多いようだが、まだ幼そうな子から、若い男女に老人も居る、山エルフの居住区は、いくつかの大きな洞窟に分かれており、数十人単位で寝食を共にしているのだ。


「サクラ、山エルフの方々はね……あっ」


「……? 何ですか、リチャード、どうかしたのですか? 」


 その博識さを披露しようとした少年であったのだが、どうした事か、何やら気まずそうに口を濁し、御用猫の方に視線を向けるのだが。


「んん、どうしたリチャード? サクラに説明してやれよ……その辺りの事は、俺もよく知らないからなぁ」


 膝の上の卑しいエルフに、固いパンをちぎって給餌しながら、御用猫は、それに負けぬ程の嫌らしい笑みを顔に貼り付けるのだ。


「わ、若先生……ええと、その、サクラ、これは、文化の違い、というものなのだけれどね……」


 歯切れも悪く、少年は、なんとも婉曲に、ぼかしながら説明を始めるのだが、その話を聞き、分からぬところを質問し、少しづつであるが、理解していったサクラは。


「し、信じられません! 何ですか、それ、何なのですか、はれんちな! 」


 話し込む少年少女を放って、昔語りに花を咲かせていた御用猫の肩を、力任せに、ばしばし、と叩くのだ。


「あたた、おいよせ、サクラ、はしたないぞ、もてなしの最中に」


 御用猫に咎められると、はっ、と、した表情で彼の隣に膝をつき、唇を耳に寄せて、小声にて文句を言い始める。


(ですが、だって、この中にいる人達は、全員、その、なんというか)


 もごもご、と、こちらも歯切れの悪い様子であるのだが、それも仕方の無い事ではあろうか。


 山エルフには、夫婦、という概念が無いのだ。いくつかの集団に分かれ、気の合うもの同士で日替わりに相手を勤め、子を成し、全員で育てる、時折、近場の集団や他所の氏族と、家族を入れ替えたりもする。


 これは、洞窟内で暮らす彼等独自の文化ではあるのだが、生真面目なサクラにとっては、少々刺激的に過ぎるものであっただろう。


(族長や戦士長なんかは、適当に見所のある子を捕まえて、自分の跡継ぎとして育てるらしい、どれが自分の子か分かんないしな……まぁ、増え過ぎたら困るから、出産については制限されてるし、問題は無いのさ、そのおかげか、避妊の技術も発達してるらしいぞ? クロスロードで使わ……)


「そんな! 知識は! 要りません! 」


 すぱぁん、と御用猫の後頭部が良い音を鳴らす。遂に少女の我慢も限界に達したようだ。


「いやらしい、あぁいやらしい! どおりで、ゴヨウさんと気が合うはずですね、納得できました、もう、この際、ゴヨウさんは、ずっと此処で暮らせば良いのです! 道場に来たって、もうご飯作ってあげませんから! 雨戸の隙間に挟まって干からびたヤモリみたいになってしまえば良いのです! 」


「あのな、草エルフじゃないんだから、人間の種を欲しがる女なんて……」


「……何で、知ってるんですか? そんな事を……」


「あっ」


 口に出してから、御用猫は、それが油であったと気付いたのだが、これは、もう遅かったであろう。激しく燃え上がったサクラが彼を押し倒し、揉み合いが始まったのだが、それを見て何か勘違いしたものか、其処彼処で年若い山エルフの男女が、服を脱ぎ始めたのである。


「わはは、今日は特別じゃ! 皆、薬は飲まんでもええけぇの! 」


 家長たるウンスロホールの声に、周囲から歓声が上がる。


 サクラの目と耳を抑え、リチャード少年と共に、狂乱の宴から脱出した御用猫であったのだが、彼女が登山と説教の疲れで眠ってしまうまで、三時間ほど、正座させられてしまったのだ。




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