凍剣 雪中行 17
山エルフの砦門は、北嶺山脈の中腹やや上、六合目の辺りに鎮座ましましている。高さは十五メートルといったところであろうか、扉を胴体部分に見立て、蹲踞して両手を広げた戦士の姿が、石材にて形作られているのだ。
傾斜のきつい斜面は、既に高山地帯であり、雪の他に樹木の姿は無く、振り向けば小峰の向こうに遠く、クロスロードの中央平野が一望できる。先程まではその絶景に心を奪われていた少女も、この城壁が見えてきてからは、そればかりにご執心であった。
「ほわぁ……おっきい……」
そして門前に辿り着けば、感嘆の溜め息を漏らし、見上げるサクラの、それ、は、ドワーフの大トンネルもかくやと、大きく開きっぱなしなのである。
「若先生、東方の書物で見た、力士というものに似ていますね」
「そういや、東に旅立ったドワーフが相撲を教えたとかなんとか、聞いた事あるな……いいな、なんか面白そうだな」
背中に背嚢、胸には卑しいエルフを抱きかかえ、両の肩に魔獣を乗せた御用猫が、やや、息を切らしながらも、笑顔を見せた。リチャード少年は、最後まで荷物を分担しようと提案してきたのだが、御用猫は呪いの重要性を充分に理解していた、無駄な体力を使わせるのは、いざという時に困ると拒否し、ほぼ全ての荷物を一人で背負い込んだのだ。
軽装で冬山を進む彼等にとって、まさに呪いは命綱であるだろうから。
「やぁ、これは見事なものだね、ボクの千里眼は、彼女と違って不鮮明だから、こうしてはっきりと目にするのは初めてだよ……リチャード君には、感謝しないとね」
「ホノクラちゃん、なんとなく嫌だから、リチャードの身体で科を作るな」
花吹団での稽古のせいか、少々艶かしい所作にも、あまり違和感のないリチャード少年であるのだ、ホノクラちゃんの人格が作り出す、うっとり、とした表情と吐息には、色気のようなものまで含まれているようで、御用猫は、えもいわれぬ胸のざわつきを覚える。
「おや、キミは、お気に召さないかい? ふふ、どうするかな、リチャード君、やは……」
「勝手に出てこないでください、と言ったはずですが」
ぶるぶる、と頭を振り、少年が帰還する。どうやら彼等は、肉体の操作権について、ある程度の協定を結んだようである。
「はぁ、もう……若先生、早く入りましょう、合言葉があるのでしたよね? 」
「え? ……ちょっと! 何ですかそれ、私は聞いていません! 」
「そりゃ、言ってないからな」
ばしばし、と、サクラに肩を叩かれながら、御用猫は呼吸を整える為に、何度か大きく深呼吸する。ちろり、と冷たいものを一緒に吸い込んだ、少しばかり雪が降り始めたようだ、天候には恵まれていたのだが、帰りはどうなるか分からないだろう。
「雪が無いから、呪いで見張られてたのかな、誰も顔を出さない……まぁ、歓迎はされてないだろうが」
「呪いですか? 私、山エルフの方は呪いが使えないと思ってました」
確かに、森エルフや海エルフと比べれば劣るであろうが、山エルフや草エルフも、決して呪いが使えない訳では無いのだ。御用猫とて詳しくは無いのだが。
「それは誤解だよ、山エルフは種としての生まれに問題があってね、肉体的に、呪いに向いていない者が多いだけなのさ……草エルフ達は、呪い自体を制限されている……いや、自戒かな? おっと、ふふ、これは忘れてくれたま……」
「だから、勝手に喋らないでください、もう」
相変わらず、ホノクラちゃんはお喋り好きなようだ、何やら勿体ぶった言い回しはしていたのだが、その実、喋りたくて仕方ないのだろう。御用猫は苦笑を浮かべると、もう一度息を吸い込み、それを吐き出しながら、低く喉を震わせ、最初は小さく、徐々に大きく、歌い始める。
「酒がーあるぞー、酒があるー、みやげの酒がー、あいつにあいつに持ってきたー、酒がーあるー」
(……合言葉? )
(……まぁ、合言葉と言えなくもないでしょう、氏族の者や遭難者ならば、また違う対応なのでしょうが)
何処と無く、腑に落ちぬ様子のサクラと、リチャード少年が、ひそひそ、と声を落として囁き合う。すると、ひょこり、と城壁の上から数人の山エルフが顔を出してきた。
「あいつじゃー分からぬー名前を言えよー」
「言えなきゃー酒だけーおいてゆけー」
「言うなー言うなよ俺の酒ー」
髭面の山エルフ達は、遠目にも分かる程に屈強な男達であった。手に手に槍を構え、踊るように揺れながら、しかし、狙いを定めているようだ。
「こうやばらーのーウンスロホールー、猫が来たぞとー伝えてくれよー」
「こうやばらーだとー」
「ウンスロホールー」
「そんな奴はー知らねーぞー」
揺れながら歌う山エルフ達は、口々に、知らぬ知らぬと歌い続ける。
「ちょっとーどういう事ですかーゴヨウさーんー」
「お前まで歌ってんじゃねーよ……心配すんな、どうやらまだ生きてたみたいだな、ほら、槍を下げてるだろ? 」
「あ、ほんーとうーですねー」
「ふふ、山エルフは融通の利かない頑固者が多いからね、ああして、自らふざける事を仕来りにしているのさ……歌もそうだね、どうだい、滑稽な種族だろう? 」
「お前が言うな」
ぺちん、とホノクラちゃんの頭を叩いたつもりであったのだが、なんたる事か、彼は叩かれる寸前に、肉体の主導権をリチャード少年に戻したようなのだ。謝りながら頭を撫でてやると、彼は、なんとも微妙な表情を顔に浮かべた。
「あ、門が開きますよ! 」
からくり仕掛けの巨大な門が、軋んだ音を立てながら、複雑な形状で開いてゆく、どうやら鎧に見立てたその門は、鎧の部位ごとに分かれて動いているようなのだ。
「ほわぁ……すごい……どういった仕組みなんでしょう……」
門に負けじと口を開いたサクラを片手で促し、ずり落ちそうなチャムパグンを抱え直すと、御用猫は先頭を切って門をくぐった。
「何だか、殺風景ですね……」
門の中は、確かに、がらり、と、した空間が広がるのみであった。高い城壁の内側には、そこへ登る為の階段と、中央に屋根付きの井戸があるのみ、なのだから。
出迎えに来た山エルフ達は、この寒空の下、金属製の鎧を身にまとい、背丈程の短槍を肩に担いで近付いてくる。その中の一人が、一歩前に出た、中年の多い山エルフにあって、まだ若そうな外見の男だ、黒髪に褐色肌の、やや、がっしりとした体躯には、手足の先と胸肩にだけ、金属鎧が張り付いていた、鎧の冷たさ対策であろうか、下に着込んだ動物の毛皮がはみ出しており、なんとも野性味溢れる出で立ちである。
「紺屋原か? 地元じゃけ、案内するわ、俺はデミドルジラド、デミドでもジラドでもええけ」
「よろしく頼むよ、ドルジ」
「おぉ、なら行こか」
簡単に自己紹介を済ませると、一行は案内人たる彼に連れられ、砦の奥へ向かうのだが、そこには山の白い斜面があるばかりなのだ。先程のやり取りに、何か言いたげな、腑に落ちないような様子を見せていたサクラであったのだが、今はこちらの疑問の方が先に立ったようだ。
「……あの、ドルジさん、トンネルの入り口は何処にあるのでしょう、このまま、また山を登るのですか? 」
「あんじゃ、お前、ここは初めてなんか? まぁついて来いや」
振り向きもせずに答えた男は、しかし、そのまま雪の壁に直進し。
「えっ……ほわっ!?」
なんたる事か、そのまま吸い込まれていったのだ。
「ドワーフの遺した呪いだよ、ふふ、教えてあげても良かったのだけれどね、さっきから、言うな言うな、と眼で脅されていたのさ……全く、意地の悪い男だとは思わないかい」
楽しげに笑うホノクラちゃんが、続けて吸い込まれてゆく、片腕だけを出した状態で、揶揄うように手首を左右に揺らした。
「さ、行くか、サクラもちゃんと修行しろよ、幻視の呪いくらい、見抜けるように……痛っ! 」
嫌らしく笑いながら歩き始めたところで、すぱあん、と尻を鳴らされ、御用猫が仰け反った。なかなか腰の入った蹴りである。
文句を言おうと振り向いたところで、袖の辺りを、きゅう、と掴まれる。
「なんだ、どうかしたのか? 」
「……べつに、いけませんか、構わないでしょう、初めて通るのだから、仕方ありません、それに、ゴヨウさんがはぐれてしまわないとも限りませんので」
しばし、首を傾げた御用猫であったのだが。
「あぁ、なんだ、怖いのか」
「なぁっ! 」
腕にしがみつかれたまま、ぐいぐい、と押され、御用猫達は斜めに幻の雪面を通り抜ける。一瞬だけ、ひやり、と冷たい感触の後、しかし、その先は暖かい空間であった。
「ほわぁ……すごい……広い……」
もう、何度目か分からぬ程の溜め息を零し、サクラは、御用猫の腕を取ったまま、きょろきょろ、と全周に視線を走らせる。先程の幻には、遮熱の効果も持たせてあったようだ、トンネル内は春の様に暖かで、適度に乾燥しており、彼女が想像していたような、カビや埃の匂いも無い。
内壁は自然岩が剥き出しではあったのだが、その壁面は仄かに発光しており、特段、明かりなしでも充分に行動できるであろう。天井は高く、左右も広い、足元はなだらかとは言えないが、これならば、馬車どころか、クロスロードの大型戦車が並んで進軍できるかも知れない。
「ほわぁ……これ、本当に、カイゼリンがここに住んでたのかも」
ぽつり、と呟いたサクラの言葉に、御用猫は勢い良く食いつこうとしたのだが。
「おい、お前! 猫っつったか、お前! 」
がちゃがちゃ、と鎧を揺らし、デミドルジラドが逆走してきたのだ、こちらを呼ぶ言葉は荒いが、元々、山エルフは方言がきつい、表情を見ても、怒っている訳では無さそうだ。しかし、せっかくのドラゴン談義に水を差された御用猫は、片方だけ眉をあげ、不満を表現する。
「なんじゃ、さっきの! なんでドルジじゃ、どっから出てきた! なんで真ん中取るんじゃ! 」
「おせーよ! さっき言えよ! 脳みそドラゴンか! 」
思わず叫んだ御用猫の胸で、顔を顰めたチャムパグンが身をよじる。
「うるせーでごぜーますよー、そしてー先生ぇーお腹ーがーすきましたー」
「お前もーおせーよーなんでー歌ったー」
二人の歌声は、巨大な鍾乳洞の如きドワーフの大トンネルの中、厳かに響き渡るのだった。




