凍剣 雪中行 16
御用猫一行は、北嶺山脈の主街道をひたすらに登っていた。山エルフの集落までは、三十キロ程であろうか、標高差はおよそ三千メートル、時間にすれば大人でも十二時間はかかる行程である。
「はぁ、ですが、思ったよりは、歩きやすいですね、私はてっきり、雪を掻き分けて、進むのだとばかり、思っていましたから」
言葉とは裏腹に、サクラの顔には疲れの色がありありと伺えるのだ。昨日も一日中、急な山道を歩き通しであったのだが、目的地までは、まだ少々時間がかかるであろうか。
ふぅふぅ、と白い息を吐き出しながら、しかし、それでも歩みを止める事は無いのだ、泣き言も言わず、落ち込んだ様子を見せる事も無い。
(自分で言った我儘なのだとはいえ、やはり、こういったところが、サクラらしいな)
くすり、と笑う御用猫の左肩に、サクラが、その小さな身体をぶつけてくる。
「なんですか、何か、言いたい事でもあるのですか、先に言っておきますが、まだ、疲れてなど、いませんからね」
「はは、いや、俺が疲れたのさ……リチャード、少し休もう、シート降ろしてくれ」
どこか既視感を覚える台詞と共に、御用猫は背中の背嚢を揺らす、胸の前にチャムパグンを抱えている為、一人では荷物を降ろせないのだ。
「全く、お前も少しはサクラを見習……おい待て、口の中見せろ」
「ふぁにもたべふぇないれふよ」
卑しいエルフの、栗鼠の如き見事な頬袋を、がっし、と掴みながら、卑しいエルフを宙に吊り上げる。ぶらぶら、と下げられながらも、咀嚼をやめる事も無いのだ、なんと卑しい生物であろうかと、御用猫は呆れるばかりである。
「元々、この街道と大トンネルはな、ドワーフの造ったものだからな」
「へぁ? 」
左右にチャムパグンを揺すりながら、御用猫は答えを返したのだが、時宜を逃してしまったか、サクラは少々間の抜けた声を漏らすのみであった。
「お前が聞いてきたんだろ、北嶺山脈を貫く街道とトンネルは、大昔にドワーフが掘ったものなのさ……聞いた事ないか? 」
「そういえば、昔読んだ物語に、そんなのがありました……でも! 良いですか、ゴヨウさん、山エルフの方々の事をドワーフなんて、失礼ですよ、それは蔑称なのですから、皆さんの前では、決して言ってはいけませんからね」
「おかんか」
目を閉じて胸を反らし、ぴっぴ、と指を振るサクラに、御用猫は呆れた様な視線を送る。
「サクラ、若先生の言うドワーフは、本来の意味でのドワーフの事ですよ、色々な物語に出てくる、ひげもじゃの妖精たち……彼らの作り上げた十本の大トンネル……ドワーフ達が去った後で、そこに住み着いたのが、山エルフだと云われているのです……あくまで、おとぎ話では、ありますがね」
相変わらず博識な少年が、街道脇に厚手の防水シートを敷きながら補足してゆく。この街道にはドワーフの呪いがかけられており、殆ど雪が積もっていないのだが、一歩道を外れれば、腰の高さまで積雪が見受けられるのだ。
「そうなのですか、ですが、それならなぜ山エルフの事をドワーフなどと呼ぶのでしょう? 」
「さてね、悪口としては、言い易いからじゃないのか? どのみち、クロスロード以外じゃ馴染みのない呼び方さ、さして気にする事も無い」
チャムパグンを抱えたまま、シートに腰を降ろし、御用猫はリチャードが呪いで淹れた、簡単な紅茶に蜂蜜を垂らす。冷気に晒され固まってしまった蜂蜜も、彼の呪いで本来のとろみを取り戻していた。
「ほわぁ……あったかい、生き返りますね……」
「しかし、便利なものだなぁ、雪を食っても、喉は渇くんだ……最初に山を越えた時とは大違いだな、あの時は、流石に死ぬかと思ったよ」
「若先生、まさか、街道を使わずに山を越えたのですか?……でも、そうか、紺屋原氏族の、ウンスロホールさん、でしたか? ならば、その方に助けて頂いたのでしょうか」
御用猫は一度、ぽつりと口にしただけであったのだが、どうやらリチャード少年は、彼の一言一句も聞き漏らしてはいないようである。
「なんか怖いから、たまには忘れてくれよ……でも、まぁそうだな、飯は食わせてもらったよ」
雪崩に巻き込まれ、山熊の縄張りに入ってしまった老エルフを助けた礼にと、御用猫は紺屋原氏族のトンネルで数日を過ごした事があった。浮き板の修理を頼んであるのは、五党座氏族であるそうなのだが、同じ山エルフからの口利きがあれば、交渉も多少は楽になるはずであろうか。
指に垂らした蜂蜜をチャムパグンに舐めさせながら、御用猫は、今生きているかも分からぬ老エルフの、いかにも山エルフらしい、厳つい顔を思い浮かべていた。
「まぁ、奴が居なくとも、その家族は生きてるだろうさ、空いた穴を借りて、一晩泊まったら、五党座氏族のトンネルまで行こうか」
「はい、なんだか、わくわくしますね、休憩はもういいですから、早く行きましょう! 」
くるぶしとてんてん丸を抱え、待ちきれぬ、とばかりに立ち上がるサクラを見て、御用猫とリチャード少年は顔を見合わせ。
「まだまだ、あれ、だなぁ」
「ふふ、ですね」
くすり、と笑い合うのであった。




