凍剣 雪中行 5
「そんで、リリィは何しに来たんだ? 」
「わ、私か? わたしは……その、特に用事という訳では……」
もごもご、と咀嚼しながら問う御用猫に、リリィアドーネの言葉が詰まる。周囲の三人が一斉に彼を見やり、そして態とらしく溜息を吐くのだ。
「はぁ……全く、ゴヨウさんは……いいですか、こういった場合、女性に理由を問うなど、無粋にもほどがあるでしょう、リリィ様はただもご」
「いや! そう、理由ならあるのだ、うん、実は、相談があるのだ、これは、ニムエの事であるのだが」
身を乗り出してサクラの口を塞ぐと、リリィアドーネは座り直し、やや、神妙な面持ちで語り始めた。
「あれから、私も、ニムエとハボックの事は気にかけていたのだが……これが、どうにも困ったものでな」
彼女が言うには、相変わらず、ニムエはハボックの事を、自分の恋人だと思い込んでおり、彼を追うようにテンプル騎士団を退団した後は、共にハルヒコの補佐をしているらしい。
「確かに、一見して以前と変わらぬ様にも思えるのだが……やはり、色々と問題もあるようでな、猫は時間が解決してくれると言うが、その、昨日も両者から相談を受けてな……」
リリィアドーネが言うには、ニムエの方からは、最近、ラースがよそよそしいのだと、行為どころか、手を繋ぐ事さえ、触れ合う事さえ避けられているようで、不安になると。一方のハボックからは、ニムエの扱いに苦慮しているのだと、距離感が近過ぎて、どうにも対処出来ぬと、このまま誤魔化すには、限度があるのだと。
「ははぁ、成る程ね……まぁ、そうなるかなぁ」
顎に手をやる御用猫は、しばし動きを止め、考え込んでいたのだが、チャムパグンに給餌を催促されると、彼女の頬を掴んで口を開けさせ、そこに生野菜を押し込んだ。
「……取り敢えずハボックには、彼女を抱け、とでも伝えておいてくれ」
「ちょっと! 」
真っ赤になったサクラが、即座に横から抗議してきた。いや、彼女だけでは無い、他の者も同意見であるのか、非難めいた視線を彼に向けるのだ。
「ふざけないでくれ、猫よ、その様な事、何の解決にも……」
「ならないだろうか? しかしな、そうなれば、後はラースの振りをしたまま、彼女に別れを告げるか、そうでなければ、このまま距離を置くか……どの道、ニムエが泣くのは避けられぬだろう……今まで何度説明しても、彼女は受け容れぬのだ、ならば、ハボックが決めるしかあるまい……彼女を受け容れるか、それとも拒絶するか」
御用猫の答えに、皆は沈黙する。これは、人の心の問題である、誰も正解など導き出せぬであろうか。
「俺はハボックに、ニムエを救え、とは言ったが、ラースの代わりに、彼女を幸せにしてやれるか、となれば、それは別の話だろう……いつか彼女が現実を受け容れたならば、その時は絶望するのかも知れぬ、そうでは無いかも知れぬ、それは分からぬが……少なくとも、独りよりは二人の方が、まし、であろうさ」
「……若先生、何とか、ならないのですか? 」
リチャード少年は、御用猫の目を、じっ、と見詰めてくる。彼だけは、チャムパグンの呪いで、クラリッサの記憶を消した事を、そう出来る事を知っているのだ。
「無理だ」
しかし、御用猫は断言する。まだ、ニムエの心は壊れていないのだ、たとえ時間は掛かろうとも、解決の手が無い訳ではないのだ。
それを惜しんで安易に頼れば、膝の上の小さな悪魔は、即座に手の平を返すであろう。
「まぁ、頭を悩ます事さ……それが、ハボックの為にもなる、あいつとて、親友を手にかけた心の傷は、未だ癒えていまいよ……互いにそれを舐め合うのは、別に悪い事でも無いだろう」
遂に、御用猫の手に齧り付き始めたチャムパグンに、サワラを与えると、彼はリリィアドーネに目を向ける。
「……流石に、今のを、私の口から伝えるのは、憚られる……その、あのね」
「はは、分かったよ、出かける前に、ハボックには会っていこう」
笑いながら、最後の一切れを卑しいエルフに与えたところで、御用猫は気付いたのだ。何やら、サクラの様子がおかしい事に。
ちろちろ、と視線は落ち着きなく、足の間に両手を挟み、その小さな身体をくねらせている。
「何だ? サクラ、どうかしたのか? 」
「ほわっ!?い、いえ、別に……何でもありません」
ぷい、と顔を背ける彼女に、御用猫が首を傾げていると。
「あー、サクラはですね「抱く」と「舐め合う」の辺りで、なんかいやらしい事を想像したみたいですわ、耳年増ですわ、思春期ですわよ」
「なんだ、そんな事か、いやらしいやつめ、生娘のくせに」
「ほわぁっ!」
突如として、サクラは御用猫に飛び付き、ばしばし、と、その肩を叩き続ける。押し倒された御用猫は、いつの間に避難したものか、テーブルの下にしゃがむ卑しいエルフと、目を合わせるのだ。
「……おチャムさんや、今度から、他人の心を読むのは、少し控えようかね」
「いんや、さっきのは、ただの予想ですことよ? 」
うひひ、と笑う卑しいエルフの笑いは、実に卑しいものであり。
つられて笑う御用猫の肩は、痛みを増すばかりであった。




