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続続・御用猫  作者: 露瀬
25/159

凍剣 雪中行 3

 放られたのは、脇差であった。


「取れ」


 目の前の男と、地面に転がる抜き身の刃物に、視線を数度往復させる少年は、震える声にて物問うのだ。


「父上……これは、どういった事ですか」


(脇差……私に本太刀は振れぬと思って、いや、そのような筈もない、素振りに手を抜いているのには、もう気付いているだろう……これは、あの目に、この殺気……やはり、本気なのだ)


 震えるばかりで、刀を取ろうとしない少年を、しばし見詰めた後、しかし、男は無言のままに抜刀する。


「無手が望みならば、それでも構わぬ」


「っ、父上! 」


 慌てて脇差を拾いあげた少年は、立ち上がらずに、そのまま横に飛び跳ねた。耳に残る擦過音は少々緩く、男の振った横薙ぎの一撃が、小手調べに過ぎない事を告げていた。


「何故ですか! 実剣で稽古など! 」


「稽古に非ず」


 正眼に構える男と、距離を取りつつ、少年は脇差を右手に伸ばして前で構えるのだ。これは、防御の姿勢である。


(確かに、これは稽古などではない、殺す気なのだ……脇差を与えたのは、ただ、自らの自尊心を保つ為……とはいえ、私に大刀を与えるのは恐ろしいか……なんと、神経の細い男であろう……しかし、最初の一撃で仕留めなかったのは、間違いだったな)


「冗談ならば、止してください、もしも、これが、私を精神的に追い詰める稽古であるならば、その必要はありません、私は、常に生死を見極め、実戦と同じ心にて……」


「お前は、鬼の子よ」


 ぽつり、と零した男の顔には、その瞳には、なんの感情も浮かんでいなかった。


「……人の一年は、お前の一月、人の一月は、お前の一日……そう、教えてきた筈だ」


「そうです、私は、父上の期待に応える為に、死に物狂いで……」


(今もそう、何処かで、まだ、自分の方が上だと、油断している、慢心している……しかし、明日には並ばれるやも知れぬと、来月には超えられるやも知れぬと、恐れているのだ)


「……だれが、本気で思うものか……しかし、ならば、既に剣力は互角であろう……カディバの本流、遣い手は、ひとりで構わぬ」


「……馬鹿な……私は、まだ、皆伝すら」


 じりり、と距離を詰められている事に気付き、少年は、再び距離を取る。


(こちらの間合いを把握しているつもりなのか? 今は、もう少し長いのに……奥義を知らぬと思っているのか? こちらは、全て観ているのに……)


 かちかち、と歯を鳴らし、剣先を震わせる少年に、目の前の男は、しかし、無表情のままである。ずい、と男が一歩踏み出し、少年が同じだけ、後ろに退がる。


「……その、嫌らしい演技をやめろ、獲物を前に、震える虎が何処に居ようか」


「父上っ! お願いです、やめてください! 」


(知ったような口を利く……こうしたのは、自分であろうに……)


「問答は終わりだ」


「ですが! ですが、父上! 」


 少年は遂に、ぽろぽろ、と涙を零し始めた。今まで、無表情であった男の瞳に、初めて、感情の火が揺らいだ。


「……もう、結果は……見えてしまって、いるのです……無益な殺生は、したく、ありません……」


 涙を流す少年に、男の表情は見えていなかった。


 しかし、その、歪む視界の中ですら、勝負には、ならなかったのだ。


 縋り付く男の顔は憶えていない、ただ、耳鳴りのような、絶叫のような、鼓膜を震わす何かを、身体が覚えているだけであった。




(む……嫌な……はぁ……せめて夢くらいは、気分の良いものが見たいのだが)


 ゆるり、と額を掴み、そのまま、こめかみを揉み解していたところで、御用猫は、悪夢の原因を発見するのだ。


 マルティエの客室にあるベッドは、二人でもゆとりのある大きなものであった。これは、彼女が買い取った宿屋が、元は、そういった店、で、あった為なのだが、開店以来、宿泊客からは好評であったものである。


 今は従業員とマルティエ以外に客は無く、御用猫としても、非常に居心地の良いねぐらなのだ。


(……なんで、サクラが居るんだ? いや、そうか、勢い込んで起こしに来たは良いが、早過ぎて眠くなったか……全く、幼子でも、もう少し落ち着きがあるだろうに)


 御用猫にしがみ付いて眠る少女は、よく見れば旅支度のままであり、それは、先程の予想を裏付けるものである。そして、彼のシャツは襟首の辺りを、しっか、と掴まれており、悪夢の原因も、それだと断じる事が出来るであろう。


 反対側で腹を出し、涎といびきを垂れ流す卑しいエルフを、御用猫は尻で押し込み空間を確保すると、仰向けから、サクラの方に向きを変える。


(ふむ、取り敢えず、どうしてくれようか……こいつの所為で、酷い夢を見たのだ、相応の罰は与えてやらねばならぬが……)


 小柄なサクラの、その薄い尻を揉みながら、御用猫は悩み始める。しかし、あまり揶揄うのはまずいだろう、以前はそれで死にかけたのだ、あのような目に合うのは、避けねばなるまい。


(しかし、なんと不用心な女だ……来年には十五になるのだというに、仮にも貴族の娘であるというに、マイヨハルト子爵殿は、こういった教育が疎かになっているのではないのか? )


 するする、と彼女の袴の帯をほどきながら、御用猫は、旅が終わりクロスロードに戻って来たならば、一度、彼に意見するべきであろうか、などと考える。リリィアドーネなどよりは、まし、とは言え、彼女らには、些か、警戒心というものが不足しているだろうか。


(このままでは、悪い男に騙されてしまうだろう、サクラとて、見栄えだけはよいのだから、寄り付く虫も多い筈なのだ、今の内に、男は悪いけだものなのだと、リチャードのように誠実な奴ばかりではないのだと、分からせるのも、また、彼女の為になるだろう)


 僅かに身体を浮かせ、彼女を起こす事なく衣類を剥ぎ取ってゆく、意を逸らし、寝返りを利用し、御用猫はあっという間に、サクラを下着姿にしてしまった。これは、田ノ上老から学んだ技術であったのだが。


(ここまで極めるには、随分と時間がかかったものだ)


 自らの見事な仕事ぶりに、ひとり、満足気に頷くと、御用猫は、あの苦しい修行の日々を思い返していた。あとは、彼女が目を覚ましたところで、少々意地の悪い揶揄い方をしてやれば良いだろう。


(こちらは、知らぬ存ぜぬで突き通せば良いのだ、寝ぼけたサクラは、自分で脱いだと勘違いするだろう、そこで、慎みにかけるだの、貞操観念がどうだのと、説教してやろう……というか、相変わらず薄いな、ちゃんと食ってるのか? いや、食ってるな……リリィよりは、まし、だろうが、なんか、こいつら結構食う割には、まるで育たないよなぁ)


 下着の上から、何気なく彼女の胸を、ぐにぐに、と揉みほぐしていたのだが、そこで御用猫は、はた、と手を止める。


(……気配は無い……考え過ぎか、最近、突然に扉の開く事が多かったからな……ふわ)


 安堵した御用猫は、少しばかり眠る事にした。まだ起き出すには早かろうと判断したのだ。サクラは随分と早くやって来たようだし、このまま、リチャードを待つ事にしようと、目を閉じる。


 彼の過ちは三つある。ひとつは、サクラの抱き着き癖を失念していた事、もうひとつは、胸が薄いと知りながら、下着姿で放置した事、最後に、起こしに来るのが、リチャードだけとは限らない、という可能性を考慮していなかった事、である。


 いかに狡猾な野良猫とはいえ、寝起きの頭では、そこまで気が回らなかったのだ。


 しかし、これは、御用猫の過ちである。


 吊るされたとて、自業自得なのであった。





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