うでくらべ 20
御用猫達の前に現れたのは、四十がらみの白髪の男であった。短く刈り込まれた白髪には、ところどころに、黒いまだらの髪が残り、何かの病を患ったのが、原因かと思われる。
「……熊猫か……ね、辛島殿、向こうは、どうやら本気のようだぞ」
僅かに腰を落とし、リリィアドーネが警戒の構えを見せた。
「若先生、あれは「熊猫」のワイヤード、と呼ばれる騎士です、騎士を裁く騎士……憲兵団所属の、テンプル騎士かと」
「ふうん……あの頭は、白黒はっきりさせようって事か? なんとも、気が利いてるな」
熊猫の背後からは、新たに十人程の騎士も現れる。しかし、姿が見えぬだけで、酒番衆の志能便達も潜んでいようか。
御用猫は、一歩二歩、前に進み出ると、できうる限り、和かな笑顔を浮かべてみせる。
「御苦労、ワイヤード殿、しかし、こちらの方が僅かに早かったようだ、後の事は、我々に任せて頂き……」
「ならぬ」
即答であった。
御用猫の言い終わらぬ内に、それを切り落とし、熊猫騎士は腕を組む。背丈は然程でもあるまいが、その分だけ鍛え上げたものか、その逞しい腕は、丸太の如き太さである。
「ハボック ヘェルディナンドは、見つけ次第処分する、貴殿にその決定を上回る権限は与えられておらぬ、そう聞いている、ならぬ」
「こちらは、アドルパス団長より、ハボックの捜査について正式に許可を得ている、見つけたのは此方だ、引き渡せぬ、ならぬ」
鸚鵡返しの様な御用猫の言葉に、しかし、熊猫騎士は、腹を立てた様子も無いのだ。
(む、これは、相当な頑固者か……面倒な)
「ワイヤード殿、お久し振りです、ハルヒコ ステバンにございます」
ずい、と御用猫の隣に進み出たハルヒコは、熊猫騎士に軽く会釈をすると、真っ直ぐに、その黒い瞳を見据える。
「騎士ハボックにかけられた嫌疑は、事実無根のものであると、我が主、辛島ジュートにより、判明しました、これから城に戻り、それについて報告する次第であり、この件については、もはや憲兵団の関わるところではないと考えます」
「その様な報告は受けておらぬ、我々の役目は、その男を処断する事……辛島ジュートなる騎士が妨害してきたならば、排除して構わぬ、との命は受けているがな」
ワイヤードは、組んだ腕を下げた、どうやら、その丸太のような腕を解くまでの間、御用猫達には時間が与えられていたようだ。
「これ以上の言葉は不要、退がるか、それとも、あくまで抵抗するか」
「この男は無実である、それは既に証明されている、ならば、ハボック ヘェルディナンドは、唯の一騎士に過ぎぬであろう、テンプル騎士同士の争いは禁じられている筈だ……それとも憲兵団は、クロスロードの法を守れぬと、そう言うのか? それは、国に背くと同じ事……それは、陛下と、シャルロッテ殿下に剣を向けるに等しいぞ、貴様ら、分かって言っておろうか! 」
御用猫の恫喝に、騎士達の間で、僅かな騒めきが起こる。
「口先だけで、我は動かぬ、それとも、確たる証拠があるのか? 今すぐに、示す事が出来るのか? 出来ぬであろう、なれば……」
「出来るさ」
ワイヤードの言葉を遮り、御用猫は、自らの髪を搔き上げる。次の瞬間には、不動の熊猫騎士も、流石にその目を見開いたのだ。
今の今まで、彼の目には、御用猫の髪は、燃えるような赤色に見えていたのだ。しかし、目の前の男がそれを搔き上げた瞬間に、なんたる事か、見事な金色の、流れるような長髪が、腰の辺りまで広がったのだ。
「誰か、一人でも、この偽装に気付けた者が居るか? 居ないであろう、後ろの志能便にも聞いてみよ、因みに、一人ひとり、長さも色も、違って見えているぞ? 」
ワイヤードは唸り声を上げるのだ、確かに、部下に確認してみれば、彼とは全く違う姿を認識しているようである。テンプル騎士として、呪い対策に余念は無かった彼であるが、これ程に見事な幻視の呪いなど、今迄に目にした事も無い。
「……確かに見事、しかし、それが何の証明になる」
「我々は、此度の件を独自に調査していた、ハボックも、その対象であったのだ……ハボックよ、貴様の目には、俺の髪色は、どう見えていたのだ? 言ってみせろ」
「は……あ、銀色の、貝のような……裏側の……」
先程まで、ハボックの目には、御用猫の髪色が、そう、見えていたのだろう。信じられぬものでも見たように、口を開けて惚けるその顔は、嘘を言っているようには、とても見えないだろうか。
「理解出来たか? こうして調べていたのだ、ロンダヌスから流れる、辛島ジュートの情報を盗み取れば、誰が間者か特定出来るのだ……流れて来たのは、真紅の髪色、であったぞ」
「……証言など、如何様にも繕えるだろう、それは、証拠とはいえぬ、ならぬ」
もちろん、そうであろう。ハボックと御用猫が、口裏を合わせていたのならば、どうにでも誤魔化せるのだから。
しかし。
「これは、当初より、アルタソマイダス近衛団長と共に進めていた、極秘の調査である、詳細な記録も残してあるのだ……勘違いするなよ、ワイヤード……辛島ジュートは、勅命騎士であるのだ、これは、勅命なのだ、シャルロッテ王女殿下にも逐次報告してある……ここまで言っても理解出来ぬならば、こちらは、殿下の為に命を賭ける所存である……その方らも、相応の、覚悟と決意を持って挑むがよい」
御用猫の背後に、ずらり、と並ぶ面々は、皆が皆、その決意を固めた瞳の色なのである。その色には、なんら疚しいところは無く、ワイヤードは、何か、胸の奥から、湧き上がるものさえ覚えた。
「……承知した、確かに、筋は通っているだろうか……しかし、城までは同行させて貰う、ハボックの拘束もだ」
「それで構わない、これ以上の諍いは、クロスロードの為にならぬであろうからな……ここに来たのが、貴公で良かった」
御用猫が笑ってみせると、周囲に張り詰めていた緊張感が、ようやくに霧散するのだ。両陣営から、いちどきに溢れた溜め息は、安堵のそれであろう。
両手を繋がれたハボックは、布を被せられ、騎士に引き立てられる。付き添いは、リリィアドーネとニムエに任せる事にした。
「ふむ、噂には聞いていたが、これは、それ以上の傑物であったか……では、辛島殿、我等も行くとしよう……ハルヒコ、今度は、娘も連れて家に来い、家内も気に掛けていたのでな」
「ありがとうございます、ヨルヴ様にも、宜しくお伝え下さい」
深々と頭を下げるハルヒコであった。どうやら、旧知の騎士とは、この熊猫の事であったか。
(こいつは、猫に縁でもあるのかな……ともかく、これで、ひと段落か)
「良くやってくれた、ひとりの騎士が、皆のおかげで救われたのだ、これは小さくも、大きな成果だ、胸を張り、誇って欲しい……リチャード、マルティエで皆を労ってやってくれ、チャムには、大盛りでな、さんじょう、他の者にも連絡を、後はハルヒコに任せる」
「ははっ! 」
テンプル騎士達の前であり、少々気張った物言いをした御用猫であったが、背後の男達の、妙に揃った騎士の礼に、なにやら、僅かばかりの恐怖を覚えるのだ。
(なんか、ゲコニス達まで揃ってたが、何だ? あいつら、そんな事まで練習してんのか? )
(練習というか、洗脳に近いでごぜーましたよ)
ぶつ、と脳内の接続を切ると、御用猫は溜息をひとつ吐き出し、彼を待っていたワイヤードに並んで歩く。
「みな、立派な心掛けではないか、見た目は粗野だが、なかなかどうして、見込みがあるぞ」
「こちらとしては、もう少し砕けた感じが好きなのですがね……どうにも、私の周りには、真面目な奴が多過ぎる……痛っ! 」
ばしん、と背中を叩かれ、御用猫は眉を顰めた。この加減の効かなさ、アドルパスと同類であろうか。
「貴殿が不真面目だからであろう、世の中、釣り合いが取れるようになっておるのだ……女癖の悪さも、評判であるぞ? 」
「勘弁して下さいよ、もう、その手の悪評ばかりで、気が滅入るのですから」
うはは、と、ついに笑い始めたワイヤードであったのだが。
「先程は、久し振りに、少々、胸が熱くなったぞ……このような御役目をしているとな、なんとも、気が滅入る事ばかりよ……」
ふと、顔を曇らせるのだ。
「……分かる話です」
憲兵団など、他の騎士から恐れられ、嫌われるばかりであろう、その仕事内容など、人には言えぬ事ばかり。賞金稼ぎたる御用猫とは、その働きに貴賎の差はあれど、嫌われ、恨みを買うという点では、似ているやもしれぬ。
なので、彼の心情も、多少は理解できる気もするのだ。
「そうか……アドルパス様は、良い騎士を得たようだな……して、辛島殿よ、貴殿の素顔は、どの様なものであるか? 」
興味深げに、訪ねてくるワイヤードであったのだが。
「……さぁ? 実のところですね、自分でも、良く分かりません」
両手を広げ、肩を竦める御用猫に、熊猫騎士は、再び、楽しげに笑うのであった。




