うでくらべ 16
御用猫が見上げ門を潜ったのは、依頼されていた仕事の、経過報告を行う為であったのだが、面倒ごとを嫌う彼が、ここ数日、わざわざ登城しているのは、テンプル騎士達に会う為であるのだ。
面通しと称して、少人数づつに、偽りの辛島ジュートを見せてゆく、いずれ、ロンダヌスに放ってあるクロスロードの密偵から、彼に関する情報が流れて来たならば、その特徴によって、テンプル騎士内に潜む、敵の間者を特定できるであろう。
「今日は、髪の長さを変えてみるか……おチャムさんよ、昼飯は何が食いたい? 」
「うーん、今日は、あっさりした物がくいてー気分ですね……ハンバーグ」
「うわぁ、がっつりだ」
卑しいエルフを肩車し、御用猫は、てくてく、と、通路を進む。アルタソマイダスの私室へと続く、人通りの少ない廊下ではあるのだが、すれ違う者達は、その異様な光景を気にするでもなく、軽く会釈をするのみであった。
(もしかすると、此奴ならば、国王の間にも忍び込めようか)
エルフを肩車した騎士などと、目立つ事この上なき存在である筈なのだが、やはり、チャムパグンの隠形は完璧であり、その存在は、たとえ。
「いらっしゃい、ジュート……たまには、殿下に謁見して帰ったらどうなの? 」
「いやどす」
たとえ「剣姫」アルタソマイダスだとて、感知できぬ程なのだ。
そう、と、気の無い返事をし、彼女は机に肘をついたまま、手の平を上に向ける。このところ、登城する度に同じ事を言ってくる割には、興味の薄そうな様子であろうか。
「……今日は、何人だ? 誰も居ないようだが……もしかして、当たりを引いたのかな? 」
「半分だけ、正解ね、ロンダヌスと密通していたテンプル騎士は、判明したわ」
はて、と、御用猫は首を傾げる。簡素ではあるが、高級そうな造りの椅子に浅く腰掛け、机に肘をつき、その先で組んだ手の上に顎を乗せたアルタソマイダスは、なにやら、面白く無さそうなそうな仮面を、その顔に貼り付けているのだ。
(身内の、それも王宮守護騎士に、敵国と通じた者が居たのだ、面白く無いのは、まぁ当然か)
しかし、御用猫にとっては、朗報である。なにしろそれは、この面倒な仕事が、無事に終わった、という事に他ならないのだから。
「そうか、ならば俺の仕事も完了だな……あぁ、報酬はいらないぞ? 中途で終えた事だし、今回は負けといてやる」
それじゃ、と、振り向いた先に、御用猫は壁を見つけるのだ。いや、壁と呼ぶべきでは、なかろうか。
二百センチ近い巨軀の先には、赤い鬣の如き頭髪と顎髭をたくわえた、熊のように厳つい顔。テンプル騎士の証たる白服は、その下の筋肉に押し出され、はち切れんばかりなのである。
クロスロード最強の騎士にして、救国の大英雄「電光」のアドルパス、その人であった。
「……聞かぬのか? 」
「な、何を? ですか? 」
胸の前で、丸太の様な腕を組み、じろり、と、その赤茶色の瞳にて、御用猫を睨み付けるアドルパスは、こちらも、どこか、不機嫌そうに見えようか。
「犯人の名に、決まっておろう」
「……俺じゃ、無いですよね? 」
恐る恐る、御用猫は尋ねるのだ。まさかとは思うのだが、自身の身に嫌疑がかけられていないとも、限らないだろうから。
「……ハボック ヘェルディナンド」
背後から、アルタソマイダスの声が聞こえた。
御用猫は、卑屈に屈めた身を起こし、チャムパグンを肩から降ろすと、剣姫に向き直る。
「何かの間違いだ、奴に限って、それは無い」
別れ際の、晴れ晴れとした笑顔を思い出し、彼は、きっぱり、と言い放つ。
「……同僚の、ラース グリントを殺害し、ハボックは行方をくらましたのです、議論の余地はありません」
「それこそ、何かの間違いだ、時間をくれ、俺が探す」
一気に芯まで冷えた御用猫の脳内は、しかし、動じる事なく、言葉を紡ぐ。衝撃は受けたが、今は、その時では無いだろう、昨日の昼に登城した時には、このような話は無かったのだ、事件が起こってから、まだ間は無い、今なら捜索も可能であろう。
「既に腕の立つ騎士と、酒番衆を放ってあります、貴方の出番はありません……ねぇ、ジュート、ハボックは、どうして、貴方と接触を図ろうとしたのかしら? 」
すっ、と細められたアルタソマイダスの瞳から、光が消えてゆくのだが、既に芯まで冷えてしまった御用猫の背筋は、震える事も無い。
(それで、アドルパスまで呼んだのか、成る程、合点が行った)
背後のアドルパスとの距離を思い出し、御用猫は、呼吸を整える。
「ただの、人生相談さ、生きる意味が見つからないとな……そんな奴が、小遣い稼ぎに国を売る筈も無い……アルタソ、王女様に合わせてくれないか、奴は無実だ、それに、生半可な騎士では返り討ちに合うぞ、奴は強い、迂闊に手を出せば犠牲が増える……俺ならば、話が出来るやも知れぬのだ」
「……あまり、図に乗らない事ね……名前だけの名誉騎士が、殿下に対して何を進言するつもり? 勘違いしないで、貴方は、ただの、野良猫よ」
全く表情を動かさず、仮面の女は、淡々と告げる。いや、視線も送らず、剣立てにある、自慢の愛剣との距離を測っただろうか。
「……脅しのつもりか? お前こそ、勘違いするなよ、鎖に繋ぎ、檻に入れたとて、野良猫を飼い慣らせるものか……なぁ、アルタソよ……二人掛かりなら、殺れる、とでも思ってんのか? 」
その言葉をきっかけに、部屋の内部は、両者の殺気で満ちる。その、あまりの密度に、御用猫は視界が歪むかとすら思えた。
しかし、張り詰めた緊張の糸を断ち切ったのは、アドルパスであったのだ。
「そこまでだ、殿中であるぞ……少し落ち着け、全く、短気な奴らめ」
普段ならば、お前が言うな、と、文句も出たであろうが、珍しくも、少々過熱した御用猫は、ただ、息を大きく吐き出したのみ、である。
「辛島よ、許す、やってみせよ……ただし、こちらの手は止めぬし、邪魔をするなら貴様も同罪だ、それで良いな? 」
「感謝致します、アドルパス様」
巨体の脇をすり抜け、御用猫は退室する。がつがつ、とブーツも荒く、遠ざかる音を耳に残され、電光の騎士は、その巨軀に見合った、大きな溜め息を吐いた。
「……アルタソよ、たまには、男を立ててやったらどうだ、お前に付き合える奴など、あれ以外にはおるまい? 」
「ご心配なく、ああでもしなければ、彼は動きませんよ……わざわざアドルパス様に御足労願ったのは、その為なのですから……それに」
背もたれに身体を預け、息を漏らす剣姫は、既に、普段の仮面に着け直していた。剣士とも思えぬ、嫋やかな指を絡ませて、前に突き出し、小さく伸びをし、まるで、独り言の様に。
「ジュートは……私の事が、大好きですから」
アルタソマイダスは、にこり、と笑うのだ。
(……この笑み、ますます、フレドリッカに似てきたな……まぁ、外見だけだが)
「アドルパス様、何か? 」
びくり、と、その大きな肩を竦めると、大英雄は、逃げるように退室してゆく。
残されたアルタソマイダスは、ひとつ、深呼吸してから、ゆっくりと目を閉じたのだった。




