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続続・御用猫  作者: 露瀬
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うでくらべ 15

 とりあえずの昼食を取る為に、彼らが移動して来たのは「つる草のドレス亭」と呼ばれる店であった。西町の歓楽街は、北や南と比べ、規模の小さなものであるのだが、これには理由がある。


 五十年ほど前に、西方都市国家群の戦乱があり、その際に流民が大量に流れ込んで来たのが、その始まりであった。


 もともと治安の良くなかった西町は、一時、混沌とした様相を見せていた、街には貧民が溢れ、それに紛れようと犯罪者が集まってくる、昼日中から事件が頻発し、それを恐れた住民が移住した所に、また流民が住み着いてしまう。その悪循環を断ち切るべく、遂に大掛かりな治安維持活動が行われたのだ。


 集合した四大騎士団により、犯罪者は厳しく取り締まられ、身元の不明なもの達は、一箇所に集められ、真面目に働く意思のある者にだけ、国の管理の下に、働き口が与えられた。


「成る程ね、それで、こういった店が生まれたのか」


「そうなんスよ、俺っちも、じいちゃんから聞いたんですけどね、遊郭なんかはけしからん! とか言って、過剰な取り締まりがあったそうなんス」


 当時の麒麟騎士団長は、随分と、頭が固く、何より清廉潔白な男であった。期限付きの特措法とはいえ、強力な裁量権を与えられた彼は、混乱を収める為に、強引な手法で、多くの遊郭や酒舗を取り潰してしまったのだ。しかし、そういった商売が無くなる筈もなく、北町の住民は、一般の飲食店に偽装した性風俗の店を構える事になり、今に至る。


 この、つる草のドレス亭も、そうした店のひとつであり、日中は食事処として営業し、しかし、日が傾くと、酒と女を提供し始めるのだ。


(公然の秘密、というやつかな、だが、中々に良い味を出していた、これは、当たりだな……しかし、それは良いとして)


 御用猫は、黙ったままのハボックを見つめるのだ。昼食を終え、ぽつぽつ、と語り始めたこの男は、自らの、苦悩に満ちた、その半生を、涙を交えて語っていたのだが、数時間にも及ぶ、その長い話を終えると。


「……分からぬのです、私は、何の為に生きているのか、何を求めているのか……」


 押し黙って、動かなくなってしまったのだ。


 御用猫とラースが、たわいも無い世間話を続けるも、全く反応を見せようとはしない。


「……なぁ、辛島さん、これは、完全に行き詰ってしまってるよ、もう、どうしたら良いのか、本人には分からないんだ……なにか、助言とか、ありませんかね」


「そうだなぁ、思いのほか、根の深い迷いだったみたいだな……」


「ええ、情けない話なんですがね……俺は、気付いてやれなかった、今も、俺では、こいつの力に、なってやれないんです」


 薄っすらと、自虐的に笑ってみせるラースであったが、やはり、友人を見つめる彼の顔は、何か羨ましそうな表情にも見えるだろうか。ふむ、と顎をさする御用猫は、眼を閉じると。


「……ハボックよ、生きる事に、意味を求めてはならない」


 ハボックに向け、しっかりと言い放つのだ。


 僅かに肩を動かすと、彼は、ゆるゆる、と、顔を上げる。眉を下げ、半開きの口は、何か叱られた犬のようにも見えるだろう。


「まぁ、これは、受け売りに近いのだがな……人間、何かに熱中するのは、良い事だろう、だがな、それは諸刃の剣でもあるだろう、例えば、お前が一人の女に入れ込んだとしよう、人生賭けて愛すると、本気で惚れた女がいたとしよう……その女と死に別れた時、お前はどうなる? 前を向いて生きられるか、それとも、立ち止まり、駄目になってしまうのか? 」


「……それは……分かりません」


 しばし考え、ゆっくりと、ハボックは答えた。


「まぁな、その段にならねば、分からぬかもな……だが、思い入れが強ければ強い程、それを失った時の喪失感は、大きなものだろう、それを受け入れ、再び前に向かって歩くのは、余程に、強い人間だろう……なぁ、ハボックよ、お前はどうだ? 強い人間か? ……お前は賢いからな、自分の弱さも承知しているのではないか? だからこそ、迷うのではないか?……何かを求めているようで、その実、それを手にする事を、恐れては、いないだろうか? 」


「私が……恐れている? 」


 そうだ、と、御用猫は頷いた、彼には、確信があったのだ。それは、自分自身の迷いでもあったのだから。


「剣でも、絵でも、学問にも、遊びもそう、女だって、そうだろう……自分如きには、などと卑屈に考え、自ら、一歩引いてしまっているのではないのか? お前に足りぬものはな、心の強さだ、踏み込む勇気だ」


「……おぉ」


 御用猫には、暗いハボックの瞳に、光が灯り始めたような気がした。


「生きる事に、意味を求めてはならない、求めずとも、生きるだけで意味はあるのだ……お前が、しかと、胸を張って生きれば、な、向こうから、やってくるのさ……だから、もう少し自信を持て……お前は、良い男だよ、弱いところも含めてな、そうだろう、今まで生きてきた、その全部をひっくるめて、ハボック ヘェルディナンド、なのだから」


 御用猫が言葉を終えると、ハボックは、涙を流した。テーブルに突っ伏し、子供のように泣きじゃくったのだ、ラースに背中を撫でられると、今度は、彼にしがみ付いて泣き始める。


 ラースは、その、少々大きくに過ぎる子供をあやしながら、嫌な顔のひとつも見せず、背中を撫で続けたのだ。




「お師匠様……」


「おいよせ」


 心底嫌そうな顔を造り上げた御用猫に、しかし、ハボックは子供の様な笑顔を見せる。以前の、どこか陰気な面付きが嘘のような、憑き物の落ちたような笑顔であった。


「……冗談ですよ、しかし、感謝します、辛島殿の言葉は、まるで呪いのようでありました、答えは未だ見えませぬが、今は、なにか……そう、生まれ変わったような気分なのです」


「俺っちは、お前の鼻水で、最悪の気分だぜ」


 言いながらも、ラースは、しかし、こちらも晴れやかな笑顔であるのだ。


「まぁ、さっきまでの顔よりは、はるかに、まし、だろうな……これは、門出であろうなぁ」


「お、いっちゃいますか! 」


 つる草のドレス亭は、全て個室である、夕方からはここに女性を呼び、会話と酒を楽しんだ後で、併設された宿屋に移動する、といった段取りなのだ。いつの間にか外は夕暮れ時であり、嬢も呼べる頃合いであろう。


「ラースよ、釘を刺されたのではないのか? 」


「はうっ」


 胸を押さえて仰け反り、悲しそうな顔を見せる友人に、ハボックは、にやり、と、彼の人生において初めての、悪戯っぽい笑顔を、その顔に浮かべるのだ。


「……口裏は合わせてやるから、心配するな」


「ははは、やはり、良い男だ、あぁ、そうだな、今日は祝いといこう、ここは俺に奢らせてくれ」


「やった! エルフ、俺っちエルフっ娘がいい! 」


 飛び跳ねるように扉を開け、ラースは嬢を呼びに走る。それを笑いながら見送ると、ハボックは、御用猫に向き直り、再び頭を下げるのだ。


「辛島殿の、先程のご教示、まこと、心に染み入りました……私も、少しばかり、生き方を改める努力をしてみます……求められる男になる為に」


「大袈裟だな、言ったろ、あれは受け売りだ、俺自身、迷う事ばかりなのだ、人様に意見できるほど、上等な人間じゃない」


 御用猫の目から見れば、今のハボックの輝きは、なんとも眩しいばかりであるのだ。日の当たる道を歩き始めた彼の生き様は、既に野良猫とは、別のものであろう。


「しかし、私の迷いは晴れました、辛島殿のおかげです、それに、違いはありません……それはそれとして、一度、手合わせ願いたいのですが」


「なんだ、まだ言うのか、強い奴とやりたいなら、一度、田ノ上道場に顔を出せ、怖い親父を紹介してやるぞ」


 両手を広げた御用猫に、しかし、ハボックは首を振ると、笑みを返すのだ。


「いいえ、貴方と、剣を交えてみたいのです、これは、純粋に、興味があるのですよ、真剣勝負などとは、もう言いません、竹刀で構いませんので」


「ううん……まぁ、竹刀なら、良いかな」


 片方の眉を持ち上げ、渋々承諾したところで、ラースが帰ってくる。


「辛島さん、今日は当たりだぜ! エルフっ娘の他に、すげえ美人もいたっスよ! もう、即、押さえましたんで、どうですか、俺っち有能! 」


 意気揚々と引き上げてきたラースは、自慢気に胸を張ると、入り口から身を離し、仰々しくも、嬢達を招き入れる。


「あ、猫の先生! 」


 確かに、中々お目にかかれぬ程の美女であろうか。


「すごい! 今日はたまたま、こっちのお店に応援で……あ、ここは、クロスルージュの系列店なんですよ、でも、すごい! こんな偶然って、あるんですね! 」


 長い金髪に薄い茶色の瞳、店の名前の通りに、緑の線が絡みついたような、薄いドレスの上からも、はっきりと分かる豊満な肢体の嬢は、するり、と御用猫の隣に腰を落ち着け、その腕に絡みついたのだ。


「あれ? 知り合いでしたか、やぁ、流石、お師匠様だ、こんな美女を贔屓にしてたんスね」


「……気が変わった、奢りは無しだ」


 肉食獣に囚われた、哀れな野良猫は、せめてもの反撃として、このお調子者を誅しようと心に決める。


 悲鳴をあげるラースと、それを見て笑うハボックにつられ、皆が笑みを浮かべた。


(まぁ、今日は勘弁してやるか、なかなか、良い一日であったのだしな)


「……お前以外はな! 」


 びっ、と、スイレンに突き付けた御用猫の人差し指を、ぱくり、と彼女は咥えるのだ。再び笑いが起こり、厨房からは、酒と料理も運び込まれてきた。


 ごつり、と合わされたジョッキの音は、門出の祝音か。


(まぁ、良い、今日は、気分が良いのだ)


 スイレンの肩を抱き、ビールを呷ると、御用猫は再び笑う。





 ハボックが、ラースを斬って失踪したと御用猫が知ったのは、それから三日後の、事であった。





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