薔薇髑髏 26
ラキガニ ハヤステの処遇については、未だ空席の残るテンプル騎士への転属、という事に相成った。もちろん、これは表向きの理由であり、市井で人気の高い「雲帝」を、密かに処分は出来ぬ、との判断であった。
彼は、影武者として働いていた従者と共に、シファリエル王女直属の班に配属され、二十四時間、ぴたり、と酒番衆に見張られているそうである。結果としては、簡単な話とも思えるのだが、ここに落ち着くまでには、大層な苦労もあったのだ。
「……それで、貴様はどうするつもりだ、態々、ここまで付いて来たのだ、何か進言があるのだろう」
あの晩、渋々ながらも、リリィアドーネ達に同行した御用猫は、自宅に戻っていたアドルパスを密かに訪ね、これまた、こっそり、と呼び寄せたアルタソマイダスと二人を前に、手早く説明を始める。
「まず、ラキガニを処分するのは、得策ではない、たとえ内密にでも、だ……此奴は、町人からの人気が高い、今回の事で罰を与えたならば、必ず反発もあるだろう、そもそも、奴の罪は、クロスロードへの叛逆を仄めかし、テンプル騎士に剣を向けた事だけ……そして、その証人は、剣を交えた騎士が二人のみ……これではな、ラキガニの名声を妬んだ、テンプル騎士からの策謀だと疑われても、仕方のないことだろう」
彼女達には、ラキガニとの因縁もあった、それを知るものが、あらぬ噂を立てぬとも限らないのだ。
「そこまでは理解したわ、それで、ジュートは、どうするべきだと、考えているの? ……言っておくけど、無罪放免とは、いかないわよ」
「……出世させよう、可能ならば、テンプル騎士に」
「何だと貴様! 不忠の臣を、名誉あるテンプル騎士に入れろと申すか! 」
くわ、と目を剥くアドルパスは、獣の如き咆哮を上げる。その声量に、御用猫はおろか、リリィアドーネとフィオーレまでもが、びくり、と肩を竦めるのだ。
「一時的に、ですよ、アドルパスさま……目の届くところに置いておけば、管理も容易いでしょう……ほとぼりの冷めた頃に……まぁ、其方の、好きにすれば良いのですから」
御用猫の言に納得がいかぬのか、赤髪の大英雄は、尚も牙を剥くのであった。しかし、じろり、と「剣姫」に睨まれると、彼は歯軋りしながらも、腕を組んで口を閉じる。
「……確かに、薔薇髑髏とラキガニを、結び付けられるのも面倒ね……良いわ、それでいきましょう、けれど、炎帝騎士団には、何と説明するの? 」
「みつばちに、紋雀を呼びに行かせた、そいつならば、完璧な変装が出来るらしいのだ、同じ「六帝」の、ビュレッフェも協力してくれるだろう……どうにか時間は稼ぐから、早めに辞令を出してくれ」
互いに、クロスロードを守る騎士とはいえ、テンプル騎士と四大騎士団の間には、微妙な力関係も存在しているのだ。そこにラキガニを引き抜くとなれば、何かと問題もあるだろう、ここは、シャルロッテ王女の威光も借り、更には、本人の希望である事も、充分に念押ししておかねばならないのだ。
「……少しばかり、不自然には、なるかも知れないわね……十八人衆を、テンプル騎士に引き上げるなんて、前例が無いもの」
「そこは、そっちで何とかしてくれよ……「雲帝」の騎士が突然の失踪だの、薔薇髑髏の正体が、ラキガニだった、だのと、公にするよりは、マシだろう? 」
そうね、と息を吐くアルタソマイダスは、緩く開いた右手の中指を唇に添え、目を閉じて考え込んでいる。それは、中々に、蠱惑的な仕草であろうかと、何気なく、御用猫は視線を向けていたのだが。
「うん、おほん、アドルパス様、アルタソマイダス様、私も、辛島殿と同意見です、ここは、ラキガニの身柄を隠す事も含め、細かな話を決める段かと……動くのならば、早めがよろしいでしょうから」
その視線が気に入らぬのか、少しばかり、不満げな表情にて、リリィアドーネが口を開いた。隣では、フィオーレも同調しているのだ、目を開いたアルタソマイダスも、肚は決まった様子である。
「分かりました、リリィアドーネとフィオーレは、通常任務に戻りなさい、私は、此方の手配に付き切りになるでしょうから……アドルパス様、暫く、この館でジュートを預かって下さい、ことが済むまで、ラキガニの監視をさせます」
「おい」
「細かな打ち合わせは、殿下を交え、明日にでも……」
御用猫の言葉を無視して、アルタソマイダスは次々と指示を出し始める、リリィアドーネとフィオーレは、敬礼して退室し、アドルパスは、信頼出来る家令に、暫くラキガニを、内密にて監禁すると、その旨を伝える為に、大股にて退出してゆくのだ。
どうやら、未だ、芯から納得は、していない様子であろうか。
「そういうことだから、ジュート、あとはよろしくね、また、連絡はするわ」
「労いの言葉も無いのかよ」
退室する「剣姫」の背中に、御用猫は、嫌味のこもった言葉を投げる。しかし、ぴたり、と足を止めた彼女は、半分だけ振り向くと、その、形良い唇に指を添え、くすり、と笑ってみせるのだ。
「ふふ、今回のは、私のお願いじゃないわよ? 野良猫が、勝手に縄張り争いした結果、でしょう? 」
「……全くもって、その通りなのが腹立たしいな……くそう、ならば、こいつは用無しだ、質に入れて、鬱憤を晴らす為の酒代にでも……」
御用猫が、彼女から目を切り、懐に手を入れた僅かな隙に、一体、どの様な技を見せたものか、後ろ向きの姿勢のままに、アルタソマイダスは、瞬時に間合いを詰めていたのだ。
「ちょうだい」
「怖ぇよ、なんか動きが気持ち悪いから、そういうの、やめてください」
御用猫が取り出したのは、スキットから購入した、選りすぐりの黄色水晶を嵌め込んだ首飾りであった。色味の強い澄んだ石は、どこか、アルタソマイダスの瞳の色にも似ているだろうか。
「つけて」
「黒雀か」
文句を言いつつも、彼女の正面から、白金の細い鎖を、その首に回した御用猫であったのだが、アルタソマイダスの透き通る程に白い首筋と、金糸の如き髪に比べてしまえば、彼の選んだ宝石も、その輝きを、恥ずかしげに潜めてしまうだろうか。
間近で見る剣姫の、その、あまりの美しさに、しばし、動きを忘れた彼であったのだが、ふと、何か柔らかいものが、唇に触れたかの様な感触を覚え、現実世界に引き戻されるのだ。
「……ありがとう、大切にするわ」
「質には、入れないでくれよ」
もう、と可憐に微笑み、アルタソマイダスは、彼の頬を、ひと撫でしてから、ふわり、と振り向き、今度こそ退出してゆくのだ。
「あ、それと、薔薇髑髏には、まだ利用価値がありそうだから、貴方の裁量で使って頂戴、突然に居なくなるのも不自然だしね……そうね、定期的に、悪党でも退治すること、もちろん、殺しは駄目よ」
「おい待て、返せ、やっぱり質に入れるから」
御用猫の声は、虚しく廊下に吸い込まれていった。
やはり、仮面にするべきであったかと、彼はテーブルに置かれた、ラキガニのしゃれこうべを手に取り。
それを額に載せて、天井を見上げるのであった。
水面たゆたう白の薔薇
沈んで咲くは黒の薔薇
どちら本音か偽りか
摘んで飾れど、そっぽ向き
御用、御用の、御用猫