薔薇髑髏 25
「……分かった、約束する、儂も男だ、吐いた言葉に嘘は無ぇ」
「ん、決まりだな、こちらも約束しよう……倉持商会とヘイロン一家の揉め事は、これで手打ちだ」
裏通りに座り込み、御用猫と「男爵」ヘイロンは、一年以上に渡る縄張り争いに、けり、を付けたのだ。もっとも、みつばち達にしてみれば、完全に叩き潰す予定の相手であったのだ、この和解には、不満があるやも知れぬのだが。
(多少は、釘を刺しておいた方が良いであろう……彼奴らはどうにも、加減を知らぬ)
彼の預かり知らぬところで、一体、どれ程に組織は拡大しているものか。いざとなれば、全てを棄てて逃げる心積もりではあるのだが、御用猫とて、居心地の良いクロスロードを離れるのは、少々、惜しいとも考えているのだ。
「おいっす、猫ちゃーん、ばら……おっと、こっちは片付けてきたよー、褒めて褒めて、きぃ、頑張ったよー」
てちてち、と歩く穴羊に跨り、ドナと黄雀が帰還する。クラネ少年は、拘束の代わりか、二人の女性に挟まれており、主に、背中の感触の所為ではあろうが、何やら顔を赤らめ、居心地悪そうにしていたのだ。
しかし、相変わらずに、黄雀は出来る女である。ヘイロンと話し込む御用猫を見て、薔薇髑髏の名は、出さない方が良いと、即座に判断したのであろう。
背中の二人が、目を見開き、固まっているところを見るに、余計な事を口走らぬよう、彼女の力で押さえてでも、いるのだろうか。
「おう、ご苦労さん……まぁ、ヘイロンさんよ、そんな訳で宜しくな……盃は必要無いだろう? 所詮は口約束、守るも破るも、其方の自由だが……出来るならば、仲良くしたいものだな……あとな、これは、お負けなのだがな、薬の売買も、そろそろやめといた方が良い、これからは、締め付けが厳しくなるぞ」
片手を上げて、ヘイロンに挨拶すると、御用猫は、リリィアドーネ達と合流するべく、歩き出すのだ。
「……んで、クラネだったか、どうする、お前はどうしたいのだ? 」
「ぷはっ……何だこれ、と、とりあえず降ろしてくれよ、逃げないから、ひとりで歩くから……うわっ! 」
赤い顔にて身をよじる少年は、突然、宙に浮き上がり、そのまま投げ捨てられて、尻餅をつく。振り向いて黄雀達を見上げる、その表情には、恐怖の色が浮かんでいるだろうか。
「よし、降ろしたぞ、どうする? テンプル騎士に会う前に決めろ、捕まっても、命までは取られまいが、多少の仕置は覚悟しろよ、もしくは……そうだな、ハルヒコ先生の元で、性根を入れ直して貰うか」
「……さっき言ったろ、もし、ひっ捕まったら、弟子でもなんでも、なってやるって」
尻を叩いて立ち上がったクラネ少年は、神妙な顔つきである。反省している、という訳でも無いのだろうが、もしかすれば、こうして、誰かに止められる事を、心のどこかで、期待していたのかも知れないだろう。
「分かった、ならば、お前の身柄は、こちらで預かるからな……ん、黒雀か? 」
「うぃ」
とすり、と彼の両肩に荷が掛かる。この黒エルフは、リリィアドーネ達の補助として、向こうに配置していたのだが、彼女が戻ってきたという事は、あちらも首尾よく片がついたのだろう。
「お疲れさん、リリィ達は、どんな感じだ? 」
「でばん、無かった、しょうかふりょう」
「そうか、明日、美味しいもの食べさせてやるからな」
御用猫が、自身の肩越しに手を伸ばすと、黒エルフの少女は、それを取り、頬を擦り付けてくる。こつこつ、と、サクラが、ふくらはぎの辺りを蹴りつけてくるのだが、これは構って欲しいだけであろう。
「黒ちゃん、向こうにも薔薇髑髏が出てきたんだろ、誰だったの? やっぱり例の、ラキガニとか言う奴? 」
「えっ? 」
「あっ」
驚きの声を上げるクラネ少年に、御用猫は、しまった、と顔を顰める。そういえば、この少年は、ラキガニの事を崇拝とも呼べる程に尊敬していただろうか。
「……若先生! 」
折悪しく、通りの向こうからは、彼を見つけたリチャード少年が、笑顔にて駆け寄ってくるところであった。その後ろには、リリィアドーネと、三十路ほどであろうか、見慣れぬ男が一人。
そして、少し遅れて歩くのは、簀巻きにしたラキガニを肩に担ぐ、フィオーレであったのだ。
「えっ、あれ……まさか、ラキガニ、様? 」
「きぃちゃん、確保」
ぱちん、と指を鳴らす御用猫に応え、黄雀はクラネ少年を、異能の技にて拘束する。やはり、なんとも気の利く少女であるのだ。
「リチャード、ご苦労さん……ドナ、モコタンをフィオーレに貸してやれ、なんとなく、かわいそうだから」
状況を見るに、リチャード少年が、担げなかったのだろうラキガニを、フィオーレは一人で抱えていたのだ。ゴリラめいた力を持つ彼女とて、思春期の少女には違いないのだ、それについては、何か思うところもあるのだろうか、その表情は、随分と暗いのである。
「……ねぇねぇ、猫ちゃん」
じたばた、と暴れるクラネ少年を、見えざる手で宙に持ち上げ、黄雀が御用猫に視線を向けてきた。
「ん、どうした? 」
どうやら事件も終わりを迎え、少々、気の抜けた様子の御用猫は、マルティエに戻り、軽く晩酌をしてから、布団に入る算段であったのだが。
「きぃ、思うんだけどね、これね、後始末が、すっごくすごく、面倒だと思うよ? 猫ちゃん、明日から……うーん、今日から、もう、寝られないかも」
これは、現実からの逃避であった。
薔薇髑髏の正体が「雲帝」のラキガニであった時点で、彼の運命は決まっていただろう。色々と複雑な事情もあるのだ、彼を捕らえただけでは、事態が収まるはずも無い。
「これは、半分、むり」
「がんばって頑張ってね」
口を揃えて他人事の、くノ一ふたり、何事かを察知したものか、微妙に距離を置くリチャード少年、サクラに至っては、何も考えていないであろう。
(……そういえば、最初は、ただの言い訳で、あったなぁ)
薔薇髑髏を捕らえようと、彼が言い出したのは、のんびりと、ナローで過ごす為であった筈なのだ。
面倒を避けたつもりが、さらなる面倒を呼び込み、結果として、自らの首を絞める結果となっている。
(……人生とは、なんと、ままならぬ)
ただ一人、笑顔にて駆け寄るリリィアドーネに、今更、後戻りも出来ぬであろうかと。
御用猫は、大きな溜息をひとつ。
ただ、めぇめぇ、と鳴く穴羊だけが、彼の心痛を、正しく理解していたのであった。