薔薇髑髏 23
「……それで、ゴヨウさん、この男はどうするのですか? やはり、騎士団の詰所に連れていきますか」
御用猫の腰にしがみ付いたままのサクラは、漸くに落ち着いたものか、上目遣いに、彼を見やる。暴れる内に押し倒され、御用猫は尻餅をついた姿勢であった。
「いや、連れて行く理由が無いだろう? こいつには賞金も懸かっていないし、別に、やくざは無条件に逮捕される訳でもないのだぞ」
裏路地の真ん中には、今も「男爵」ヘイロンが倒れたままであった。薔薇髑髏の木剣を脳天に受け、気を失っているようなのだが、生来の頑丈さゆえか、それとも手加減されたのか、規則正しく背中が上下しているのを見るに、命に関わる事も無さそうである。
「ですが、これ程の騒ぎを起こして……あ、そうか、ヘイロンは狙われた方なのでした」
「そういう事だ……しかし、此奴には多少の因縁もある、ここで黙らせておいた方が、後々の為には、良いかもな」
御用猫は上体を起こすと、爪先を尻に引き寄せ、サクラを抱えたまま、手も使わずに立ち上がった。これは、野良猫の見事な体幹と、関節の柔らかさの、なせる技である。
「……殺す、の、ですか? 」
少女の瞳には、少しばかりの、不安の色が見えたであろうか。一度は自分も口にした事といえど、それを間違いだと指摘したのは、目の前の男であるのだから。
サクラは、間違いだと言われて納得した。しかし、それを言った本人が、敢えて、その間違いを犯すというならば、自身と彼との間には、一体、どれだけの溝があるというのか。
目には見えぬ、その距離こそが、彼女を不安にさせるのだ。
「なんて顔をしてるんだ、言っただろう? 殺しはしないよ……そうだな、リチャードには、言ったことがあるのだが」
「また、私に内緒の話ですか、初耳ですか」
御用猫に抱えられたままの少女が、つい、と唇を尖らせる。小さく窄められた桜色の花弁は、相変わらずに雛鳥の様であり、彼は思わず口元を緩めた。
「まぁ、そう言うなよ、今から話すんだから、良いだろう? ……そうだな、これは、俺の個人的な考えでは、あるのだが……」
御用猫は、自身を縛る三箇条を、サクラに語って聞かせるのだ。これは、彼が他者の命を奪う際の基準であり、殺す殺さぬの線である。
ひとつ、賞金首は殺してよい
ひとつ、自身の命を守る為には殺してよい
ひとつ、他者の命を守る為には殺してよい
御用猫が、こうして線を引くのは、生きる為の知恵である。恐れを知った野良猫が、迷わぬ為の方便である。
「だからな、サクラも、自分の線を見つけろ、お前が、どうしても譲れぬ所に、それは在るはずなのだ……深く考える事も無く、感情に任せて人を斬ればな、もう、戻れなくなるぞ……俺みたいにな」
彼の笑みは、どこか自嘲気味なものであった。いや、自罰的であろうか、卑しい野良猫は、暗がりの中に顔を隠し、口元だけを歪めてみせるのだ。
しかし。
「戻れますよ」
しかし、この、真っ直ぐな少女からは、やはり、何とも、真っ直ぐな答えしか返ってこないのである。
「そんなもの、戻れるに決まっているでしょう、そもそも、戻れないと言う人が、そんな決め事をする筈もありません、なので、大丈夫です、それに、ゴヨウさんには、私がついているのですからね! 」
ひょい、と彼の腕から抜け出した少女は、長い黒髪を馬尾と揺らし、御用猫の背後に回り込むと。
「あいたっ」
ぱしーん、と彼の尻を叩いたのだ。
「もしも、どうしても、ひとりでは戻れない、と言うのなら、仕方ありません、私がこうして、ひっ叩いて連れ戻してあげます! ……全く、ゴヨウさんは、私が居ないと、何も出来ないのですからね! 良いですか、分かっているのですか、私が付いていなければ、ゴヨウさんなど、二分で迷子になってしまうのですからね! ですからね! 」
ふんこふんこ、と鼻息荒く、薄い胸を反らす少女に、彼は呆れるばかりなのである。
(全く、こいつは……ふふ、野良猫には、どうにも、眩し過ぎるな……)
心の内に、笑みを零す御用猫は、何か救われた様な気さえするのだ。
勿論、それで自身の汚れが消える、などとは、彼も考えない。ただ、雨の中歩く濡れ猫が、一晩の庇を見つけただけに過ぎないだろう。
それでも、彼は気分が良かったのだ。
「そうだな、サクラには、いつも、世話になるばかりさ」
「そうでしょう、そうでしょうとも、もっと褒めても良いのですよ、あと、ちゃんと待ってて下さいね」
天を向くほどに胸を反らす少女を、御用猫は再び抱き上げると、その耳元に、そっと囁きかける。
「いや、もう待ちきれぬな……お前は、今夜にでも、手に入れてしまおうか」
「ほわぁっ!?」
途端に沸騰し、服がどうだの、汗がどうだのと、言い訳を始めた少女を地面に降ろし、御用猫は、倒れたままのヘイロンに近付くと、その背中を踏んで、活を入れる。
「ぐぅ」
こうして対面するのも、初めてでは、あるのだが、お互いに特徴のある顔つきなのだ、一目で理解できるであろう。顔を上げ、胡乱げな瞳にて、御用猫を見詰めるヘイロンに、急速に知性の光が灯り始める。
「ご、御用猫……? 」
「ご名答、初めまして、ヘイロンさんよ……先ずは、そうだな、お礼が欲しいかな? 薔薇髑髏から、お前を助けてやったのだ、俺達が、な」
にやり、と笑う御用猫は、何とも悪い顔であった。
殺しはせぬが、黙らせる。
野良猫流の遣り方は、どちらにせよ、卑しいもので、あったのだ。




