薔薇髑髏 22
ラキガニ ハヤステとの戦いが始まる少し前、南町の裏路地には、もう一人の薔薇髑髏が現れていた。しゃれこうべを模した仮面に黒いマント姿は、確かに、噂の髑髏騎士として、申し分のない出で立ちであろうか。
「どうしてやろう、ヘイロンめ、親父とお袋の仇だ、このまま、頭をかち割ってやってもいいんだぞ」
ぐしぐし、と「男爵」ヘイロンの身体を踏み付ける薔薇髑髏は、なんとも憎々しげに牙を剥く、しかしながら、その口調は、少々、幼さの残るものであろうか。そして、明るい場所に連れ出せば、仮面も衣装も、造りの粗末な物であると、直ぐに気付く事だろう。
髑髏の下で、露わになった口元は、ぎりぎり、と引き締められており、それと同じ程に力の込められた右腕は、木剣を振り上げようかと、それを叩きつけようかと、葛藤しているかの様である。
月明かりに照らされ、建物の影に半分ほど収まって倒れるヘイロンは、頭を暗がりに挿し込み、表情の見える事もない。もしも、その頭部に、とどめの一撃を加えたとしても、影の中では、罪悪感を覚えぬやも、知れぬだろうか。
しばし硬直していた髑髏の騎士であったが、ふぅ、と大きく息を吐き出すと、かぶりを振って、木剣を肩に乗せるのだ。
「……けっ、運が良かったな……殺しだけは、しちゃいけないと、母さんが言ってなけりゃ……お前なんか」
「ほぅ、良い心掛けだ、お前のお袋さんは、さぞかし立派な人で、あったのだろうな」
突然に、暗がりの中から呼び掛けられ、薔薇髑髏は飛び退る。木剣を構える事なく、ただ、腰を落として動きに備えたのは、この人物が、実のところ、騎士などでは無い事の、証左であろう。
「だ、誰だ! ヘイロンの仲間か? 」
「いんや、ただの野良猫さ……縄張り荒らしの薔薇髑髏ってのを、探してるだけ、のな」
薄暗がりの中から進み出てきたのは、黒髪黒目、中肉中背の男である。ただ一つ目立つ特徴は、顔面を斜断する大きな向こう傷。
賞金稼ぎの、御用猫、であった。
その姿を見とめた薔薇髑髏は、何故か肩を大きく震わせ、更に一歩、後ろに退がる。
「……そっか、あんたも、名を上げる為に、俺を捕まえようってんだな? 」
ゆっくりと木剣を構える髑髏騎士は、何かを探す様に、視線を彷徨わせながら、少しづつ後退してゆく。
「まさか、俺の狙いはな、薔薇髑髏だけだよ……お前じゃない」
しかし、目の前の男からの答えは、髑髏騎士にとって、意外なものであったのだ。
「……何言ってんだ、あんた、目が腐ってんじゃな……」
「……だがな、たった今、気が変わったよ……ちょいと、はしゃぎ過ぎな腕白坊主も、取っ捕まえて、説教したくなってきたのさ」
ずい、と前に進み出る御用猫に、薔薇髑髏は短く息を吸い込むと。
「ふんっ! 」
掛け声と共に、大きく飛び上がったのだ。
「ああっ! ゴヨウさんっ! 逃げられます! 」
御用猫の後ろから、少女の悲鳴にも似た叫びが、聞こえてくるのだ。その、余りの大きさに、彼は顔を顰めたのだが、しかし、これは無理からぬことではあろう、薔薇髑髏はマントを翻し、道脇の建物の屋根にまで、一気に飛び上がったのだから。
「へん、取っ捕まえられるもんなら、やってみな! そんときゃ、あんたの弟子にでもなんでも、なってやるよ! 」
ひょいひょい、と、髑髏騎士は、屋根から屋根へと飛び移るのだ、これは、志能便たち以上の動きであろう。
「へぇ、大したもんだ……「韋駄天」の呪いかな? これは、みつばち達が梃子摺るのも、仕方ないかなぁ」
猿の如く飛び回る怪人物は、あっという間に小さくなってゆく。今まで、多くの騎士や、闇討ち屋などが追い回したにも関わらず、薔薇髑髏が捕らえられなかったもの、理解出来る話だろうか。
「何を、のんびりとしているのですか! このままでは見失ってしまいます、ゴヨウさん、早く追いかけないと! 」
ぐいぐい、と彼の腕を引き、今にも走り出しそうなサクラである。しかし、御用猫は余裕の笑みにて、彼女の頭を撫でながら、隠し玉の猟犬を解き放つのだ。
「ようし、後は頼むぞ、ただし、どうやら相手は、子供であるようだからな、手荒な真似は、ちょっとだけにしておけよ? 」
「おっけーばっちり任せてほい、行くよドナちゃん、ドナドナちゃん! はいよー、モコタン、モコモコたん! 」
「耳元で怒鳴るな! 」
乗馬の出来ぬ黄雀は、ドナの腰にしがみ付いている、めめぇ、と些か気合の乗らぬ声にて、ひと鳴きし、穴羊が走り出した。馬以上の加速を見せる、この白き魔獣は、通路の突き当たりに向けて、真っ直ぐに突き進むのだ。
「えっ? ぶつかる! 」
サクラが、再び悲鳴をあげるのだが、勢い良く走り続けた穴羊は、壁に衝突する寸前に、垂直に飛び上がる。
「ほわぁっ!?」
全くもって、不自然極まりない動きではある。おそらく今のは、黄雀の技であるのだろうが、それを知る御用猫は、感心しつつも、落ち着いて、それを眺めていた。
しかし、そのようなことを知らぬサクラの方は、相当な衝撃を受けたのであろう、屋根の上を疾走する穴羊を見送ると、ぽっかり、開いた口のままに、くりっ、と御用猫に向き直るのだ。
「な……な……何ですかあれは! モコタンに、あんな真似が出来るなどと、聞いていません! ひどいです、何ですか、なんでですか! いつもいつも、何故、私に内緒にするのですか! ずるい、ずるいです、あんなの、知っていたら、私も乗りたかったのに! 楽しそう! 」
飛び付くように御用猫の胸にしがみ付いた彼女は、がっしがっし、と彼の身体を前後に揺すり、その怒りを存分に表現していたのだ。
「こら、わかった、分かったから、今度、きぃちゃんに頼んでやるから」
「何故、きぃちゃんに頼むのですか、モコタンは、私より、きぃちゃんの頼みを聞くとでも言うのですか、毎日、毛繕いもしています、お父様に内緒で、部屋に上げて、一緒に寝てもいるのに、ひどいです、納得いきません! 」
「うわぁ、めんどくさい」
なぜですかなぜですか、と暴れるサクラを宥めるのが、今夜の御用猫の、一番の仕事であったのだ。




